圧倒的解放感とその結末
ブンブン。
「あ、今の振り心地、いいな……」
自宅にて杏樹はハリセン片手に、素振りをする。
いい振りの時は音が違う。
風きり音が鋭い時はきっと当たった時もいい音がするはずだった。
「……何で素振りを?」
「……」
ストラップに尋ねられて、杏樹はピタリと動きを止めた。
その問いに対しての明確な答えを……残念ながら杏樹自身も持っているわけではない。
「いや……なんとなく」
頬が熱を持ち、コホンと咳払い。
なんとなく居心地の悪い空気を感じた杏樹がハリセンをカバンに戻していると追撃がやって来た。
「ほぼ毎日振っているのに?」
「それも……なんとなく」
それ以上に思いつかないわけだが、確かにハリセンの素振りは杏樹のここ最近の日課になりつつあった。
この瞬間はいつも心が躍る。
僕。楠 太平は大事に梱包したそれを依頼主に持っていく。
もちろんその相手は、我が模型部の唯一の部員、神木 杏樹さんである。
「……お待ちどうさん。上がったよ」
「え? ごめん……なにが?」
「何がってことはないだろう? 依頼の品だよ!」
中に入っているのはもちろん神木さんのボディーガード鬼、ヒガンのボディである。
「おお! ついにできたか!」
するとドロンと逞しい鬼女が姿を現し、鼻息荒く詰め寄ってきた。
「もちろんリクエスト通りに出来たと思う。さっそく確認してくれ」
僕は依頼の品を細心の注意を払ってテーブルの上に置いた。
すると箱の段階からあふれ出る力は、圧迫感すら感じるほどに濃い。
「お、おお……」
「フフッ。わかりますか……この力が力の入れようを物語っているでしょう?」
「う、うむ。これは確かに」
「開けてみてくれる? 神木さん」
「え? あ、うん」
僕に促されて、神木さんは恐る恐る箱を開けた。
それは少女をかたどった、人型だった。
和風の衣装を参考に、ゴシックロリータの意匠を取り入れたそれは、きっと日本色の強いヒガンにも受け入れやすいものになっているだろう。
ストレートの黒い髪に赤い瞳は、透明感を意識している。
そして角と、金棒という鬼要素もしっかり残した一作である。
「ど、どう!」
僕としては人間の造形はまだまだ作り始めて日が浅い。
人体もそうだが、フリルなんかの曲面のやすり掛けがまさに鬼であった。
反応はいかに!
僕は期待半分、不安半分で依頼主の鬼を観察した。
ヒガンの目は大きく見開かれて、なめるように僕の作品を見ると―――腕を組んで頷いた。
「ふむ―――綺麗に出来ているのではないでしょうか? うむ。ちょっと可愛すぎるような気もしますが、相当な労力となにより力を感じますね。うむ。満足出来る仕上がりと言えるのではないでしょうか? 可愛すぎるような気もしますが。うむうむ」
よし! ヒガンのテンションが上がっている!
シークレットな要望の入った依頼の品は彼女のお眼鏡に適ったらしい。
いい仕事したなぁと僕はようやく一仕事終えた充実感に浸っていた。
「問題ないようなら何より。こちらの趣味に付き合わせて申し訳ない」
「いえいえ。丁寧な仕事に感謝を」
ヒガンのコメントをもって、今回のお仕事は終了である。
僕はようやく力を抜いて、今回の感想を語った。
「いやー、やっぱり人物って大変だったよ。ツルっとしてるから削っても削っても終わらないんだよなぁ。一から作ると、造形力がもろに出るし! 己の未熟さを痛感させられるよね。 あー最新キットが組みたい。企業の驚異の技術力でパチパチ組み上げたい……」
「……しばらく作りたくないってならないのはすごいね」
神木さんはそう言うが、確かに大変だったが出来上がった時の快感がそれをすべて帳消しにするのが模型作りの醍醐味だと僕は思っていた。
「そりゃそうだよ。そこは譲れない所だよ」
「ただ少し思うんだけど……言っていい?」
ただ律儀に前置きした神木さんは、脂汗をびっしり掻いて完成したフィギュアを凝視していた。
「……どうしたの? まさか傷でも?」
細心の注意を払ったはずなのにまさかそんなと慌てる僕だったが、神木さんは首を横に振る。
「いや、そんなことはない。ただ……残念だけどこれはダメかもしれない」
「「!!」」
まさかの拒否に、僕とヒガンは同時に目を剥いた。
「な、なぜ!? 出来は悪くないと思うけど!」
「なぜだ杏樹! これはいいものですよ! この迸る力を見てみなさい! これさえあれば神々にも匹敵する力さえ得られるかもしれません!」
「いや私もすごいと思うよ。でもこれは……どう考えても大きすぎない?」
「「えぇ??」」
とてもすまなさそうにそう神木さんに指摘され僕は改めて自分の作品を見た。
大きさはだいたい30cmほど。確かにフィギュアとしてはかなり大きめである。
「いや、確かに大きめではあるけど……飾る分には」
「そう、家に飾るだけならいいんだ。でもボディーガードに必要なら、常に持ち運ばなきゃいけない……と思うんだ。ストラップとか……大きくてもゲームセンターの景品くらいならどうにかなるかもしれないけど」
「!!」
僕はその言葉に衝撃を受けた。
なんということだろう。作品を作ることに集中しすぎてそんな単純なことを見落としていたとは。
しかもヒガンからのリクエストにのみ応えた結果というのはいただけない。
僕は頭を抱えて震えた。
よぎるのは寝食を忘れてやすりを夜な夜なかけ続けた膨大な時間である。
「確かに……30cmはカバンで持ち歩くには大きすぎたか? いや、それだけじゃない。フィギュアはどうやったって持ち歩くのに向いてない。雑に扱えば色ははげるし、傷つくことだって考えられる。それ以前に、持ち物検査なんてやられた日には―――」
僕は今更そこまで考えがいたって青ざめた。
いや、学生カバンにカバンに美少女フィギュアは流石にまずいな。とてもまずい。
つるし上げられでもしたら、流石に目も当てられない。
学生二人がなんとも言えない空気になって沈んでいるのを見て、慌てたのはヒガンだった。
「に、人形がまずいというのなら私が常に使えばいいではないですか! 人間とほぼ変わらない状態なら大丈夫でしょう? 普通のボディーガードです! 痴漢だろうがストーカーだろうがなぎ倒してあげましょう!」
「そんなことまで出来るんだ。そっか、依り代を使うと普通に人間にだって見えるし触れるんだ」
「……それが依り代のすごいとこだから」
仮初でも体を手に入れた妖怪はとても強い。
まして鬼神なんて大物がこれを使えば、神仏の類ですら簡単に勝てるような存在じゃなくなるだろう。
いわずもがな人間なんて相手にもならない。
まさに当初の想定通り、人間も妖怪も対応可能なスーパーボディガードが誕生して、盤石の体勢が出来上がることは間違いない。
「ならば問題ないでしょう!」
すべて解決だと胸を張るヒガンだったが、神木さんの浮かない顔は変わらなかった。
「でも……私、基本日中は学校にいるんだよね。そうなると……人間にしか見えない部外者ってそっちの方が問題ある気がする」
「ぐ」
「ゴスロリの人間が学校の中を歩くなんて言うのも……無駄に目立つか」
「ぬぐぐ」
外に待機していればいいかと言われるとそうでもない。
むしろ人間の世界に不慣れな鬼が勝手気ままに町をさ迷っている方がよほど問題だった。
「で、ではどうしろと? 肝心なのは杏樹の身の安全でしょう? そこをないがしろにしてどうします?」
「確かに」
ヒガンの言葉は正しい。
しかし状況に合わせて身を守るのが、警護の難しいところでもある。
神木さんは唸り、例えばと考えをまとめるように口を開いた。
「……もっとコンパクトに持ち運べて、うっかり見つかってもジョークの類だと思われたりするといいかな? ほら、例えばこのハリセンみたいに……」
そう言って、神木さんはそうだったとニコニコ笑いながらカバンからこのあいだ僕が作ってあげたハリセンを取り出した。
「このハリセン一回使ってみたけど、効果抜群だったよ。その辺のストーカーなら問題なく撃退出来るみたい。持ち運びに便利でさ……」
ああ、あのアイテムちゃんと効果あったんだ。
半分ジョークみたいな気配もあったが、見たところ一回の使い切りと言うわけでもなく、ヒガンの力も良くなじんでいて、その能力を発揮出来そうな気がした。
「……」
「……」
あれ? これでいいんじゃね?
僕らがその瞬間、ハリセンを眺めて思ったことは同じな気がした。
しかしハッとした僕は慌てて力作情報を補足した。
「いやいやいや! ……パワーは明らかにこっちのフィギュアが優秀なはずだ! 思い入れも強い! 利点は多い……はずだ! それにほら! ハリセンって案外大きいし! いや……紙だから折りたためるか。柄だって取り外せるし」
更には神木さんも慌てて言葉を重ねる。
「えーっと! そりゃあハリセンの使い勝手が思ったより良かったのは間違いないんだけど、そのフィギュアよりは劣ると思うよ! ストラップだって小さいから……あっでも、常に近くにいてもらえるのは安心出来るというか」
「「……」」
沈黙がつらい。
神木さん的にもかなりハリセンを気に入ってもらえているようでなによりとでも言うべきか?
そもそもこのフィギュアほどの過剰な火力が必要なのか? とは今更な疑問である。
ハリセンの時点ですでにヒガンパワー+αの上、神木さん自身の力も上乗せされているわけだし。
「ち、痴漢なんかの撃退はハリセンじゃ無理だと思うから!」
「いや、鬼は……人間特攻だから。伊達に地獄の極卒で有名じゃないよ。雰囲気だけで……そんなチャラいの寄ってこれないんじゃないかなぁ」
「え? それ初耳」
たぶんヒガンがその気になればそういう効果もある、ちなみに魔除けの類にもなる。
もとより鬼っていうのはそういうもので、本能的に人間が最も恐怖を感じる妖怪ではあった。
考えれば考えるほどにハリセンでいい気がしてきた。
だがそんな残念な結論に全力で異を唱えたのはヒガンである。
「待て! 重大な所が抜けているぞ!」
「「!」」
こんな結論、労力的に考えても認めたくないのはこっちも同じだ。
希望を込めて顔を上げた僕らにヒガンは力強く言い放った。
「ハリセンは……可愛くない!」
「…………」
僕らは視線を床に下げる。
「とりあえず……飾り棚が空いてるから部室に飾ろうか?」
「ご、ごめん……ホントにごめん」
「何でです!!」
いや、いい仕事をしたから、経験値にはなったよ。
僕も今回のところはそれで納得することにしておいた。




