トラブルは忘れた頃にやって来る
神木 杏樹は一瞬何が起こったのかわからなかった。
だが血走った目の楠君はすさまじく鬼気迫る表情だった。
「もう一度言おう。それは触れてはいけないものだ……」
「え? ……ごめん」
よくわからないが、今触れようとした箱は大事なものだったらしい。
杏樹が箱から手を引くと、楠君の手は簡単にほどけた。
ただあからさまにホッとされると、ついつい箱の方に目が行ってしまった。
何があの中に入っているんだろう?
今までが穏やかだっただけに気になったが、もちろん楠君の警戒は半端ではなかった。
「よし……ゆっくりだ。ゆっくりそこから離れるんだ。もし僕の言う通りにしてくれるのなら、これから君を腕によりをかけた料理でもてなし、君は平穏無事に家に帰れるだろう。しかし君がここで無茶をするなら、今までのすべての話はなかったことにしてもらおう」
楠君はなんだか、舞台のような語り口で説得してくる。
もちろん杏樹もこんなことで揉めるつもりはない。
言われた通りゆっくりと箱から距離を取りつつ、頷いた。
「えええええ……いったいどうしたの? ……いや、わかった。箱には触れない」
「ならいいんだ」
そう返事を聞いた瞬間、楠君は心からの笑顔を浮かべて張り詰めた空気が霧散する。
「ちょっと待っててね。テレビでも見ておいてよ」
楠君は足取りも軽く、しかし例の箱はすさまじい速さで箱を回収して部屋の外に早足で消えた。
「あ……うん。ありがとう」
気の抜けた声を出す杏樹を残して、楠君の足音が遠ざかってゆく。
「はぁ……ビックリした」
豹変した楠君に腕を掴まれた時は、どうなる事かと思ったが心配は杞憂だったらしい。
しばらくすると楠君は、慌てて戻ってきた。
「ごめん! 色々準備しようと思ったんだけど、ちょっと足りないものがあったから買い出しに行って来る! 適当にくつろいでいてもらってかまわないから!」
「え? いや、別にそこまで気を使ってもらわなくても……」
「いや! せっかくこんなところまで来てもらったんだから、ちょこっと待ってて!」
杏樹が最後まで言い切る前に、楠君はすごい速さで玄関から飛び出して行ってしまった。
「……まぁいいか」
一人になると気が抜けて、杏樹はどうしたものかと部屋の中を見回した。
たくさんの模型はあるが、綺麗な部屋である。
ただところどころに見てもなんだかわからないものも置いてあって、楠君の特殊性を垣間見ているようだった。
「うーん……私もかなり特殊だと思ってたんだけどなんというか、妖怪とずいぶんうまくやっているんだなぁ」
むしろ特殊というなら、楠君に比べたらずいぶんかわいいものだと思えてしまう。
それくらい楠君の話は聞いたこともなく、詳しいことは考えても杏樹には完全に理解はできそうになかった。
「なんだか今までと違いすぎて……複雑だなぁ。でもあの箱何が入っていたんだろう?」
誰もいないのをいいことになんとなく口に出して呟いたわけだが、独り言にすかさず返事があって、杏樹はぎくりとした。
「ほう、やはりお前も気になるか」
「!」
杏樹に声をかけてきたのは一匹のまっ白な狐である。
白は妙に人間臭い表情で微笑みながら、いつの間にか杏樹の前で座っていた。
「白……さんでしたよね?」
「そうだよ白だ」
「……えっと、どうかしましたか?」
正直に言えばかなり怖いわけだが、白は口を緩ませ頷いた。
「なに言ってんだよ。この箱の中身が気になるんだろう? 太平のやつはもうしばらくは帰ってこない。さぁ今がチャンスだ!」
クシシと笑う白が持ち出してきたのは、まさにさっき触ろうとしただけで楠君がすごい顔になった箱で、杏樹の顔色はさっと青ざめた。
「そ、それはまずいよ。楠君、あんなに怒ってたのに」
「だが気になるだろう? それにこれに込められた力、ただ事ではないぞ? きっと妖怪用のリーサルウエポンとか入っているに違いない!」
「そ、そうなの?」
思わずぎょっとして箱を二度見した杏樹に、白は無論だと頷いた。
「そうとも。ひょっとするとお館様の使っている戦車の数十倍……いや数百倍は強力かもしれない」
白のセリフに杏樹はぞっと鳥肌が立った。
「この中には楠君が相当熱心に作り上げた傑作が入っているってこと?」
「一見さんお断りの、とっておきがな」
白の自信満々のいいように、杏樹はごくりと生唾を飲みこむ。
白の言う通り、杏樹も箱の中からは何かとても強い気配を感じていた。
興味がないと言えばウソになる。気の迷いで軽く手を伸ばしかけたが。
「いや! ……やっぱりダメでしょそれは!」
しかし杏樹はいやいやと首を振った。
いくらすごい代物だとしても、ここで楠君を怒らせる方が問題だ。
人生で初めて見つけた「見える人」は貴重な糸口なのだ。
この先、話してみたいことも沢山あるのに、一時の好奇心でダメにしていいような出会いじゃない。
きっぱりと拒絶した杏樹に白は面白くなさそうにしっぽを揺らした。
「ええい、小娘! ちょっとくらい元の場所に戻しておけばわからんて!」
「それなら自分で開ければいいでしょ! 何で私が!」
「私様だけで開けたらばれた時大変でしょうが!」
「じゃあやめときなよ……」
「いやそこは……やはり好奇心には勝てんというかな?」
「……好奇心は狐も殺しちゃうんだね」
「うまいこと言うなよ。本当になったら嫌じゃろ?」
この白という狐は油断も隙もない狐なんだなっと、杏樹はそっと視線をそらした。
やっぱり妖怪というのはいまいち信用できない。
長年しみついてきた疑念は早々ぬぐえる物じゃなかった。
「なんというか……そう言うことなら他当たってほしいんだけど?」
「おいおい、多少の危ない橋を渡って秘密を共有した方が仲良くなれるとは思わんか? 打ち解けた方が連帯感が生まれるのは人間も妖怪も一緒だぞ? だから開けよう?」
「……」
この狐、そそのかす気満々だった。
どうしたものかと頭を抱えていた杏樹は、コトンと妙な音がした気がして後ろを振り返る。
楠君がいるわけでもなく、気のせいかと思っていると、床に転がったものを見た瞬間、杏樹は恐怖で凍り付いた。
「ヒヒヒヒヒ……楽しそうじゃないか杏樹」
手のひらサイズの塊に手足が付いたものが動いている。
そしてそれはトカゲっぽい顔をしていた。
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