山椒かクミンか、それともコリアンダーか
不幸とは人生のスパイスであるとよく言われる。
しかしもととなった諺に則れば人生のスパイスとは様々な変化のことである。
そして、不幸は人生のスパイスとはなりえない。
不幸とは、人を成長させたりするためのものではなく、ただ生きていればいつか必ずぶつかる運命のようなもので、そこに人に対する贔屓はない。
不幸に味なんてないと私は思うが、もしかすると血の味なのかもしれない。
私には父と母がいた。父は暴力団の構成員で、母はその暴力団が元締めをしている性風俗店で昔働いていたらしい。家は日本家屋の作りで、私は洋風の家にあこがれていたが、木製の門だけはかっこよくて気に入っていた。金はそれなりにあり、裕福とまではいかなくてもそれなりの生活をしていた。私の欲しいぬいぐるみやかわいい文房具は何でも買ってくれたし、誕生日とかお祝いの時に連れていってくれるレストランはどこもおいしかった。父も母も私も、とても幸せに人生を享受していた。私は、一般的にはDQNと蔑まれるだろうこの家族のことが大好きだった。
寒くなってきた10月の末のころ、私は足早に家路についていた。だって今日の夜ご飯はは私が好きなカレーだったから。私が家の前につくと門が開いていた。そして開きっぱなしにされた玄関に人影が見えた。恐る恐る近づくとそれは母だった。
『ママ!』
そう叫んで駆け寄った瞬間、私は固まった。
母の座り込んでいる下には赤い液体が広がっていた。そして母は男に馬乗りになり包丁を握り締めていた。そして私の足元には黒い塊が落ちていた。私はそれが何かすぐわかった。拳銃である。父がたまに私に見せてくれていたから。
『由紀、帰ってきたのね。』
うつろな目をした母がこちらに気づいて立ち上がった。
どうしていいかわからなかった。包丁を持ったまま近寄ってくる母が恐ろしくてしょうがなかった。
『やだ、来ないで。』
私は拳銃を拾い、母に向けた。
『大丈夫よ、安心して。』
放心した様子で近づいてくる母に向かって気づいたら引き金を引いていた。
パンッ
思ったよりあっけない音だった。
見ると母が倒れていた。すごい勢いで血だまりが広がっていた。
『どうしよう、どうしよう』
私は何もわからなくなって泣き出した。
そうだ、パパは。
そう思って家の中に駆け込んだ。
『パパ。助けてパパ。』
そう叫びながら家に入ると、母のまたがっていた男のすぐ奥に父が倒れていた。
額には穴が開いていた。
『パパ、パパ、ねえどうしたの。ねえ。』
呼びかけても返事がない。
『おい、伊達の野郎やられてるぞ!』
背後から声がした。
振り返るとでかい男が2,3人門の外から走ってきた。。
『あのクソガキ、はじきをもってやがる。さては伊達をやりやがったな。』
そう言って私につかみかかり、拳銃を引っぺがすと、私を寄ってたかって踏みつけて蹴っ飛ばした。私は薄れていく意識の中で舌に触れるさびた鉄の味を感じた。
事件調査記録
10月28日
銃声を聞いたという情報から東京都某所の指定暴力団榊組組員『秋川浩二』の自宅に、当時現場近くの交番に詰めていた二名の警察官が駆け付け、四名の遺体が発見された。
内三名は秋川浩二及びその妻娘であった。もう一名は指定暴力団時雨組組員の『伊達正人』と判明した。
秋川浩二及び妻の体内からは銃弾が見つかったが、現場にあった秋川浩二の拳銃とは線条痕が一致しなかった。時雨組組員の所持する拳銃によるものとみて現在捜査が進められている。
伊達には胴体に複数の刺創が見られ、創の幅や形状から、現場に落ちていた包丁によるものとみられる。
包丁には秋川浩二の妻、美咲の指紋が付着しており、伊達に対して抵抗し殺害をしたとみられる。
秋川浩二の娘、秋川由紀には暴行を加えられた跡があり、死後CTの結果、大量の腹腔内出血をきたしたことによる失血死だと判明した。
事件原因としては、榊組と時雨組の抗争が考えられる。
野蛮な抗争に巻き込まれた秋川浩二の妻娘のような人間を出さないためにも、この事件をしっかり調査しなければならない。