第2話 宰相様は見せたくない
トントン
「入れ」
宰相はそこにいつもの護衛兼世話係の牛男ではなく、同じ牛魔族だが明らかに雌である魔族をみて眉間に皺を寄せた。
「牛男はどうした?」
「牛男?」
しばらくキョトンとしてからアッと思い至ったように答える。
「ギルガメシュ兄は昨夜から体調を崩したので、かわりに妹の私が来ました」
「……ギルガメシュ」
ずいぶんと大層な名前を持っていたのだな。宰相は長年勤めていたにも関わらず初めて牛男の名前を聞いてそう思った。
「では、失礼します」
ギルガメシュの妹はそういうとタオルと湯の張った桶を乗せたお盆を宰相に手渡すと、ペコリと一礼して部屋に一歩足を踏み入れた。
「まっ! 待て!」
宰相の慌てた声に立ち止まる。兄のギルガメシュからは魔王様の体をぬぐうのは宰相の仕事になったと聞かされていたが、なにか違ったのだろうか? と首を傾げる。
「?」
「もう下がってよい」
「でも部屋の掃除が」
「今日は掃除はいい」
「えっでも……」
「ここは女魔禁制だ」
「えっ?」
ギルガメシュからはそんな話聞いていなかった。
「初代牛男には言っておいたのだが、二代目牛男にはどうやらちゃんと引き継がれていなかったようだな」
「”ギルガメシュ”です」
ちょっとムッとしながら兄の名をもう一度口にする。
「そうなのですか、それは失礼しました。どうしましょう。別の魔族を呼びましょうか?」
「いやいい」
宰相が首を横に振る。
「とりあえず牛男が治るまでは全て私がやるから、明日からは牛女も来なくて大丈夫だ」
「”エリザベス”です」
「……?」
「私の名前です宰相様」
妹も顔に似合わず大層な名である。まぁ顔と言っても宰相には牛魔族の区別など雄か雌かしかわからないのだが。
なので初代牛男が孫だと連れてきた二代目牛男も見た目だけでは区別はつかない、ただギルガメシュは若者特有の毛並みの艶やかさから初代より若い雄牛なのだろうというぐらいしかわからないのだ。
「そうか、エリザベス。では兄上殿によくなってから来るように伝えてくれ。中途半端にきてはだめだぞ」
なんの病気かわからない者を、ちゃんと覚醒していない無防備な魔王にちかづかせるわけにはいかない。と宰相は考えた。
「ありがとうございます。兄に伝えときます」
それを部下を気遣う上司とでもとったのだろうか、一オクターブ高くなった声音で礼を述べる。
エリザベスが部屋を出てから宰相は魔王の体を丁寧に拭いた。
魔王が眠りについた時、魅力的ではあったが結構な年齢だった。それでも恋愛は同族にしか興味がなく野心もないのんびりした性格のものが多いという牛魔族の雄を魔王の世話係に任命した。
ついそれで大丈夫だと警戒はしていなかったのだが──
「あっ……リーレン……?」
体を刺激され少し目が覚めたのだろうか、トロンとした目でそこに宰相の姿を見つけると、甘えた声でそう呟いた。
寝ぼけているのか、子供の頃の夢でも見ていたのか警戒の全くない無防備な姿。
「お目覚めですか。魔王様?」
宰相の呼びかけに、再び目を閉じる。
「まだ、眠い……」
そのままスーと寝息を立てる。
深く眠ると若返る能力のせいで、歴代の戦士の様に屈強だった体は、傷一つない綺麗な瑞々しい若者の肉体に戻っている。
こんな無防備な若く美しい魔族を道に転がして置いたら、どこに連れていかれるか考えるまでもない。
こんな姿を見せられていたら牛魔族だってどうなるかわからない、これからは女魔族にはより一層警戒をしなければ、いや女だけが危険とは限らない。
「これは完全に封鎖したほうがいいだろうか」
そう呟くと、魔王の眠る寝室に強力な結界を張る。
「起きてください魔王様」
そんな無防備では危険ですよ。