まさか男なのに悪役令嬢(♂)扱いをされるとは
私には前世の記憶がある。
ネットの小説サイトで一万回は見た展開に私がまさかなることになろうとは。しかも転生先がいわゆる乙女ゲームらしい世界だった!!
何故らしいなのかと言えば、私は乙女ゲームをプレイしたことがないからだ。いやだって、今時の乙女ゲームって声優の力がすごい発揮されてるじゃん? 文字だけでもニヤけてくるのに、ボイスまでついてたらプレイする余裕がない。声優は神だからね! 閑話休題。
とまあ、そんな感じで乙女ゲームというものを悪役令嬢ものでしか知らない私は、この世界が本当に乙女ゲームなのかは分からない。私の知っている乙女ゲームは悪役令嬢ものとかの乙女ゲームだけだ。
ただなんとなく、世界の感じが乙女ゲームにありがちな気がして……あとは顔面偏差値とかが……。だから勝手に、そうなんだろうと思っている。
ただ、乙女ゲームとか悪役令嬢ものとかが好きな人間がファンタジーな世界で貴族の子供として転生してしまうという王道を歩いていた私に一つ、王道ではないことが起きてしまった。
何か?
それは私の名前を聞けば、理解できるだろう。
私の今の名前はジョージ・ドゥ・ダルベレ。ダルベレ伯爵の次男である。
……そう、転生した私は、前世と同じ女性ではなく、男性に生まれてしまったのだ!
性転換系とか誰得だというのか。勘弁してくれ。少なくとも私得ではない。私は前世の自分の性別に満足していた。男になりたいとか、別に思ってなかったのになんということだろう。
まあ、男だということは私が悪役令嬢であるという可能性はかなり減ったのは良いことだった。だって、原作を知っているからこそ悪役令嬢ものの主人公たちはバッドエンドを回避出来たのだ。ここがゲームなのか似てるだけの関係ない世界なのかは分からないけれど、知識のない私はバッドエンド回避ルートを選択することも出来ないので、そもそも悪役令嬢ではないならばそれは有難いことだ。
という建前は本心ではあるけれど完璧な本心でもない。
前世の記憶が戻った当初は、男になってしまったことには、困ったものだった。記憶が戻ったのはまだ幼い頃で男女の性差もあまりなかったけれども、私は“私”としての自我が強すぎた。
五歳に満たない子供の記憶と、二十年以上生きた女の記憶。同じ場所に入れて混ぜたならどちらが勝つかなんて明白で、私は完全に体は男で心が女な状態になった。現代だったなら性転換手術を受けるとか、手もあったけれど、この世界では出来ようもない。魔法がある世界だったなら性別ぐらい変えられたかもしれないが、この世界に魔法はないのでそれもかなわない。
そのことに当初は絶望することもあったし、次第に周囲から求められる「男らしい人格」になることも出来ないで苦しみもしたけれど、私は最終的に諦めた。
男らしくはなれないのだから、もう自分の心のままに自由に生きるしかないな! と。
その日から私は隠すことなく、積極的に好きなものを集めるようになった。集めるようになった当初は幼い内だったから、可愛らしいものや服を集めても何も言われなかった。幸いなことに私は男だけれどとても線が細い。漫画の世界の男が女装でも結構イケるように、私が女装してもさほど違和感はなかった。美人に生んでくれたことを両親にとても感謝している。兄とは違って積極的に体を鍛えなかったことも功を奏したのだろう。
最初は少し女っぽいだけだった恰好が完全な女装になっていく私を、ダンベレ伯爵家の使用人の一部はせせら笑っていた。まあいくら笑われたところで開き直った私には効かない。知ったことかと私は髪の毛を伸ばし、可愛いドレスを身に纏い、アクセサリーやぬいぐるみを集めた。
馬鹿にする人間は確かに存在したけれど、でも同時に理解者だってできた。最初の理解者は私の乳母子であり専属侍女としても働いてくれているアンヌだ。
「他の使用人の戯言など、お気になさらないでくださいね。あの者たちより、ジョージ様の方が可愛らしいですもの」
一般的に男児には男児の乳母子、女児には女児の乳母子が付くように乳母が選ばれることが多い。けれども絶対ではなくて、私が生まれた当時ダンベレ家に縁がある子供が生まれたばかりの女性の中で男児の母親がおらず、結果最も信頼できるアンヌの母が乳母になったのだ。成長と共に最も近い侍従を務めることが多い乳母子が女なので、そのうち別の侍従が付けられることになっていたらしいが……まあその辺りは良いや。現実問題、私には現在アンヌしか専従の侍従はいない。
ともかく、そのアンヌが最初に私の趣味嗜好を認めてくれて、積極的にドレスや装飾品を集めてくれた。
次に認めてくれたのはお母様だ。
「春のドレスは新しい流行りの素材を使ってみましょうか、ねえジョージ」
ダンベレ夫人として兄と私の後にも二人の弟を産んでいたお母様だったけれど、本音を言えば娘がいないことが残念だったらしい。最初は否定していたけれど、そのうちにアンヌと一緒に私のドレスを集めるのを手伝ってくれたり、家の中で貴族女性が開くタイプのお茶会を開いてくれたり(参加者は私とお母様だけだけど)、貴族令嬢が本来身に付ける作法を教えてくれたりした。作法に関しては鬼だったのを付け加えておく。まあ方向性が少し違うだけで貴族子息も似たようなことを叩きこまれるのでそこで「男だったらよかった」みたいな気持ちは出なかった。
その次は、お兄様だった。
「まあ、ジョージがそうしたいならそれでもいいんじゃないか」
元々家を継ぐのはお兄様と決まっていたし、そのお兄様はとても優秀な人だ。次期国王確実と言われている第一王子と年が近かったこともあり、なんと直臣のグループにも入っていて、信頼も厚い。
基本的に、貴族にとっての次男とは長男のスペアである。けれど私ではどう足掻いても兄のスペアとしては成り立たないだろう。何年もかけてお兄様と第一王子殿下が築き上げた信頼関係は替えの利かないものだ。そういう意味では、私は兄のスペアとしては成り立たない。
それを理由として使いつつ、一番最後まで私の女装を否定していたお父様を説得してくれたのだ。
そして最後に、学院に入学する前の年になって、お父様も諦めたのだ。そうなった経緯にはお兄様が回してくれた裏の手が色々利いていたのだけど……お父様は私が女装することも、その恰好のまま学院に通うことも、最終的に認めてくれた。
学院とはなんだ? と思うだろう。まあ、悪役令嬢ものの小説を読んだことのある人なら大体は察しがつくとは思うけど。
学院は、私が転生した洋風ファンタジー風味の世界にある、貴族子女の通う学校である。ただ平民は通っていないけどね。貴族社会の縮図みたいな場所だ。
社交界に一切出ることなく生活していた私だけど、私の女装は噂として浸透していたらしい。最初は遠巻きにされたり、遠くから馬鹿にしてくる人も多かった。悪口陰口は山ほど囁かれたけれど、直接言ってくる人はそういなかった。その辺りはお兄様の存在が大きかったのだろう。私の怒りを買うことで間接的にお兄様の怒りを買うことが恐ろしかったのだと思う。
それも次第に鎮静化していく。人間は、慣れる生き物なのだ。
慣れた結果、私は学院では「ジョージ」ではなく「ジョアンナ」と呼ばれるようになった。そう言いだした友人曰く、あまりに私の女装が浸透しすぎて男性名で呼びにくくなったらしい。別に拒絶するような事でもないので受け入れたら、数人の友人たちだけが呼んでいた名前が学院全体で使われるようになったのは誤算とも言えるだろう。
ダンベレ伯爵家のジョアンナ。それが学院における、本当の私だ。
とはいえ、私の肉体の性別が変わった訳ではない。私はどこまで行っても、ダンベレ伯爵家の次男に過ぎないのだ。
……なんだけどなあ、と私は突然起こった頓珍漢な出来事を見ながら思った。
「シャルル様、早くジョアンナとの婚約の破棄を!」
檀上で叫ぶ男は、学院でも成績優秀な生徒として知られていた子息だ。それがどうしてこうもおかしなことを言いだしたのか。この国の第二王子であられるシャルル様と私は、やや距離が離れている状態ではあるが同じ心境になりながら、見つめ合った。
事の原因を突き止めるには、半年以上時計の針を戻さねばならない。
先ほど説明した学院は、中等部と高等部に分かれている。簡単に言えば中学校と高校だ。こういう教育制度とかは実際の中世ヨーロッパとかとは、たぶん違うんだろう。確か昔の貴族は個人で家庭教師を雇って子供を育ててたんじゃなかったっけ。知らないけど。
まあその謎について考えるのは止めておこう。私の知識にはない以上、真実を確かめる術はない。
私は中等部からここに通っている。友人は結構出来ているけど、その中でも最も親しい友人は二人いる。
一人目は次期公爵である子息の婚約者であるクリステル様で、彼女はローフォード侯爵家のお嬢様。
そしてもう一人は先ほどのシャルル様で、先にも言った通り、この国の第二王子殿下。
どちらも格上だけれど、女装していた私を見下すでもなく話しかけてくれた二人だ。
彼らと共に無事高等部に進学すると、基本的に変わる事のない生徒の顔ぶれの中に新しい人間が現れた。
名前はソフィー。とある男爵の庶子で、最近引き取られたという美しい娘。
最初に彼女の経歴を聞いた私は「凄く……乙女ゲームの主人公っぽいです……」という感想だった。
その感想はすぐに確信に変わった。彼女は次々と同学年、或いは上と下の学年のイケメンな生徒たちとのフラグを立てていったのだ。学院では彼女はすっかりと注目の的となった。男子生徒はうっとりとした眼差しをソフィーに向ける。一方で、女子生徒たちは見下すような視線を彼女に向けた。
当然だろう。学院に通う貴族子女の大半は、既に婚約者がいたりするのだ。そうした相手がいる男に粉をかける女が、女から好かれる訳がない。
実際に婚約者が彼女に入れあげているクリステル様が彼女について話をするときのオーラは、その、とても恐ろしいものがあります……。
「あのソフィーとかいう娘も愚かしいことこの上ないですが……それに踊らされる殿方々も、高貴なる義務を背負う貴族として、全く、恥ずかしいことこの上ありませんわ。ねえ、ジョアンナ様もそうお思いになられるでしょう?」
「彼らの行為が社交界で悪評として流れるのはそう遠くない未来でありましょうね……私の女装とどっちが悪く聞こえるかしら」
「あらいやだわ。ジョアンナ様の美しいお姿と、彼らのあさましい姿、比べることなど出来ませんわ。……ねえそう思われますでしょう、シャルル殿下?」
「……はあ」
クリステル様に話を振られたシャルル様はなんとも言えない顔をしている。まあ彼の気持ちも分からんでもない。何せクリステル様の言うあさましい姿を晒している人間の中には、彼の側近候補たちも入っているのだ。ついでに言えばあさましい姿は晒していないと私は思っているが、彼自身もソフィーから粉をかけられている。というか多分、彼がソフィーにとっては一番の獲物ではないだろうか。まあシャルル様は本気で相手にはしてないけど。
この国の第二王子。それだけでも十分だが、容姿も端麗だ。まさに本から出てきた王子様という言葉が似合う金髪碧眼のイケメン。年齢問わず女性人気はとても高い。その上作り物でもなんでもなく性格も良い。私も自信をもって保証できる。
そして女性にとっては一番大きなポイント。それは彼がいまだ婚約者を持たないフリーの身であるということだ。
シャルル様からすれば、どうしようもない不運が重なった結果の産物であるが、最終的に結婚相手になれないにしても一時の恋人としても、彼は十分素晴らしい要素を兼ね備えている訳で、とてもとても人気が高いのである。
「貴族として足りない部分は多々あるだろう。だが学院はそれを学ぶための場でもある訳だからな……」
「殿下。あの方の肩を持つので?」
「……」
無言で僅かに眉を顰めるシャルル様を見かねて、私は助け船を出す。
「クリステル様。あまりシャルル様をいじめては、可哀そうですよ」
「もう、ジョアンナ様はこういう時はいつもシャルル殿下の肩を持たれるのね」
「ダンベレ家は男ばかりの家ですからね。……私としては、我々の代でよかったなあとは思いますが」
「どうしてそう思うんだ……嗚呼、確かに……数年ズレていたら……。うん、今でよかった、本当に」
皆まで言わずとも理解出来たらしいシャルル様が力強く言う。それには同意するらしく、クリステル様も頷かれた。
数年ズレていたならば、この学院にはまだシャルル様のお兄様であられる第一王子殿下や私のお兄様が通われていた。第一王子殿下相手だろうとも、きっとソフィーならアタックをしにいっていただろう。それぐらいの度胸が無ければ学院の全ての女を敵に回したような状態で日々など過ごせない。
二人とそんな話をしたのが、確かソフィーが入学してから三か月経った頃だったか。それから六か月が経ち、ソフィーの行動は収まるどころか広がっていて、見かねた一部の貴族は子供を学院に出さないようになってしまうぐらいだった。
クリステル様は婚約者が完全にソフィーの取り巻きになっている事もあり通い続けているので、私も彼女に付き合う形で学院に出てきていた。噂を聞いたお兄様が心配してくださったけれど、まあ私には婚約をしている相手もいないし、ソフィーに何かをされることはないだろう。
何かされる、と言えば、この世界が本当に乙女ゲームものの世界なのかはまだ判断できない。出来ないけれど、十中八九そうだろうなあとは思う。だって普通、いくら美人でも一人の女にこんなにたくさんの男が群がる訳がない。しかも彼らはまだ若いとはいえ、貴族の子供として現代の若者なんかよりずっと厳しい教育を受けてきていたにも関わらず、だ。だからまあ乙女ゲームの世界だと思う、ここは。
とはいえ私が知っている悪役令嬢ものとは状況も異なる。まず、主人公に当たる悪役令嬢らしき存在がいない。私は違うだろう。男だし、婚約者いないし。本来「お前との婚約を破棄する!」とか叫ぶポジションであるシャルル様も婚約者はいない。クリステル様は婚約者がいるから、もしかしたら彼女がゲームでいうところの悪役令嬢かもしれないけれど……縦ロールでもないし性格も良い彼女が悪役令嬢だったら逆に驚いてしまう。
またこういう場合、ヒロインは悪役令嬢からいじめを受けていることが多いというかほぼそう(冤罪も含む)だが、現在ソフィーへのいじめが起きているという話は聞かない。いやもちろん悪い噂自体は流れているけれど物を盗まれるとか別の場所に呼び出されて詰問するとか、身体的に追い詰めるような事は起きていない。現在学院において女性の中心人物であるクリステル様が動いてないからだ。……パーツとしては、クリステル様が悪役令嬢なんだろうけど……。
私が読んでいた小説で知っている状況に近しいものはあれど、そこから考えるとイレギュラーばかりであるとしか言えず、私はこの先貴族的には醜聞でしかないような騒ぎが本当に起きるのかどうか、疑っていた。ただの乙女ゲームだとすれば婚約破棄騒ぎなんてする必要がないのだから、もしかしたら起きないかもしれない。
なんて、思って自己完結していたのが不味かったのだろう。せめて彼らがこういうことを考えているかも、ぐらいは、シャルル様とクリステル様に伝えるか相談するかしておくべきだったと、深く反省している。
まさかソフィー入学からたった半年で、こんなことになろうとは。
ここで時計の針を今に戻そう。
現在私たちがいる場所は学院にある大広間。中等部高等部の生徒が入り交じった状態で、冬のパーティが行われている真っ最中である。この冬のパーティは現代風に言えばクリスマスパーティと言えるだろう。
いつもは賑やかなパーティも心なしか活気がないのは、生徒の何割かが親によって家にとどめられているからというのはあるだろう。とはいえクリステル様とケーキを食べてこの立食パーティを楽しんでいた私は、会場に広がったざわめきに顔を上げた。見れば、檀上に八人ほどの生徒たちが上がっている。その中でも目立っているのはシャルル様と、唯一女であるソフィーだ。シャルル様は嫌そうな顔をしていて、どうやら無理矢理連れてこられたらしいと分かる。
どこかの(確か伯爵家の)子息が、シャルル様に大声で言った。
「さあ殿下、婚約を破棄してください! 我々も貴方の勇敢な行動に続きます!」
「は?」
シャルル様は理解不能という顔をしていた。当然だろう。だって、繰り返しになるが、シャルル様には婚約者はいない。ない婚約を破棄するなんて土台無理な話である。
会場のざわめきはうるさくなっていく。まともな思考力のある生徒ならば、彼の発言が矛盾だらけの意味不明なものであることは分かるので、当然の反応だろう。私の横に立っているクリステル様も不機嫌そうに言う。
「あの子息、発言がまるでアドベンのようですわね」
アドベンとは有名な豚のことである。とても美味しい豚なのだが、貴族なら一度は読んだことがある小説において馬鹿の象徴として扱われたことがあるから、遠回しに馬鹿と言うためにアドベンという言葉を使う貴族は結構多い。ちなみに小説では最終的に主人公がその豚と同じように貪欲になったがために破滅するのだが、まあ今重要なことでは無いので横に置いておこう。
シャルル様は溜息をついた。
「一体、どこのご令嬢との婚約を破棄しろというのだ?」
「何をおっしゃっているのですか? そんなもの決まっているではありませんか!」
そして、子息は言った。
「ジョアンナ・ドゥ・ダルベレとの婚約をです!」
会場が凍った。
突然名前を出された私はというと、ぎょっとして子息を見る。貴族の令嬢としては表情を出すのはあまりよろしくないのだが、これはどうしようもないと思う。いやだって、まさか、そんな馬鹿な。
クリステル様は手に持った扇で顔を隠していたけれど、真横に立っていた私には彼女が珍しく驚いている顔をしているのが分かった。
予想外の出来事に固まる私たちを置いて、檀上の話は進んでいく。いち早く我に返ったシャルル様が正気かと言えば何を当たり前な、と子息たちが喚く。先ほどの発言からすれば、まずシャルル様が私との婚約(意味が分からない)を破棄して、それに続いて自分たちも婚約を破棄するということらしい。……その子息の中に、クリステル様の婚約者がいるのが未来が見えて恐ろしい。
そう思った矢先にクリステル様の婚約者が前に出て来るのだから、もう勘弁してほしいものだ。
「シャルル様、私が先にしてもよろしいでしょうか! ――クリステル・ドゥ・ローフォード! お前との婚約関係は、今、この場において、破棄する!」
凄く疑問なのだけれど、どうしてこういう時、彼らは婚約を破棄するのだろうか。
いや勿論小説的に言えばそうしないと話が進まないからと分かる。が、他に好きな人が出来たのなら「破棄」でなく「解消」で十分な筈なのだ。……いやでも悪役令嬢ものが元だから、悪役令嬢はヒロインを虐めている……という大前提から始まるのかもしれない。乙女ゲームとかよく知らないから分からないんだけど。
そんなことを考えている私の横で、クリステル様が前に進み出る。その姿のなんと凛々しいことか。それでいて、彼女の麗しい唇から出て来る言葉は容赦がない。
「まさか貴方までアドベンになってしまうとは、残念ですわ」
「ソフィーを虐めるような女と結婚できるか!!」
「ソフィー。確か転校してらした、男爵家の方ですわね」
し、白々しい~。流石クリステル様。当然知っていることを知らないようなフリをして、遠回しに馬鹿にしている。
アドベン呼ばわりには反応しなかった公爵子息だったが、愛ゆえか、ソフィーを馬鹿にしているのには気づいたらしい。
「っ、ソフィーを馬鹿にするな! 彼女は俺の苦しみを癒してくれた、心優しい女性だ!」
乙女ゲームの主人公ってそういう所あるよね。闇を抱えた男性にとっての光、みたいな。
まあそういう関係自体は私も大好きだけど……ソフィーが本当に光となる人間かどうかは……うん……。
「シャルル様、さあ早く貴方も婚約を破棄してください! ジョアンナもクリステルと結託してソフィーをいじめていたのです。そんな女と婚約をしたままなんて、あなたの名前に傷をつけます!!」
シャルル様は苦い顔で眉間を叩いている。苛立っておられるなあ、と私は他人事のように見ていた。
クリステル様の婚約者であるこの公爵子息は、シャルル様の側近候補の筆頭でもあった。事実、そうなる筈だった人だ。
悪い人ではなかったのは、知っている。シャルル様と私が懇意になるようになってすぐ、私は彼の側近候補たちとも知り合ったけれど、彼は女の姿をした私を女性扱いするべきか困惑していたぐらいで真摯に対応してくれていた。
……この世界、魔法ないんだよね? と再確認したくなる。魔法で魅了されていた、とかならまだ救いがあるけれど……。
小説と現実の差は厳しいな、と思った。人は人から影響を受ける。ソフィーと知り合う前はごく普通だった、むしろ善人だった人たちがこうも揃って失態を犯すなんて、本当に……夢か何かだと思ってしまいたいものだ。
それはきっと、シャルル様だってそうだろう。だってずっと信頼していた友人たちが、手の平を返したようにおかしくなってしまったのだから。
「悪夢でも、見ている気分だ」
ぽつりと呟かれた言葉は、やけに大広間に響いた。シャルル様は彼の腕に抱き着こうとしたソフィーを振り払い、そのまま引き留める友人たちの声に耳を貸すこともなく檀上を後にした。そのままゆっくりと、けれども真っ直ぐに私たちの元へ歩いてくる。
私の前に立ったシャルル様は、ほんのわずかに頭を下げた。
「どうしてあんな話になったのか、私にも理解できないが……すまないな、ジョアンナ」
「いえ。シャルル様が謝られるようなことは、何も」
「本当に申し訳ありません、ジョアンナ様。まさかあの男がジョアンナ様とシャルル殿下を……はぁ」
「クリステル様も、気にしてませんので」
三人で話していると、檀上にいたソフィーが哀れみを誘う声を上げた。
「シャルル様ぁ! どうしてそんな人のところに!」
声が甘すぎて気味が悪い。
もしかして私とシャルル様が婚約者であるとかいう頓珍漢発言の元は彼女か? ……だとしてもまともな判断力があれば私たちが婚約者でないことなんて、明白なんだけどなあ。
シャルル様は厳しい顔で、檀上のソフィーを見上げる。そもそもこの場で一番偉い立場であるシャルル様を見下ろして叫んでいる時点で不敬極まりないということに彼らは気付かないのだろうか。
「ジョアンナと私が婚約などしている訳がないだろう。男同士で婚約とかするか?」
前世の世界では同性婚が法律で認められている国や地域だってあったし、それに倣うように現代日本でも同性愛は認められていく傾向にあった。
だがここは中世ヨーロッパ風、乙女ゲーム風の異世界である。
貴族にとって結婚とは子供(次世代)を産み、後継者をはぐくむためにするもの。つまり恋人として同性がいることはあったとしても、結婚や婚約は異性間でしかしない訳だ。
例えどれだけ私の自己認識の性別が女性でも、肉体が男なのは変えようがない。よって同じ男性であるシャルル様との間に子供など、出来るはずもない。……まだクリステル様との仲を疑われるほうが理解出来るのだけど。実際、そう見ていた人々もいたしね、最初の頃は。
実際は我々はクリーンな友人でしかない。そこには爛れたものは少しもない。
シャルル様の発言に、檀上の人間たちは理解不能という顔をしていた。ソフィーも言葉を咀嚼できていない様子だ。
もう、訳が分からない状態だった。
会場にいる他の生徒たちもどうすればこの騒ぎが収まるのか知りたいだろう。私も知りたい。
はあ、と溜息をついたその瞬間、聞きなれはしない、けれど知っている、どこまでもよく通る声が会場に響いた。
「――これは、何事だ?」
その瞬間の私たち三人の心境は以下のようなものだった。というか心の声がモロに漏れていた。
シャルル様は「兄上――やば、来るの忘れていた」と呟き。
私は「そういえばお兄様来るとか言ってたわね……」と言い。
クリステル様は「もう全部どうにでもなればよろしくて?」と諦めた声で呟いた。
それぐらい、現れた人物はこの場には来てほしいような、いややっぱりほしくなかった人物だった。
ブラッドリー殿下。
この国の次期国王と目される第一王子であり、シャルル様のお兄様。先頭を胸を張って堂々と歩いてこられる殿下の後ろには側近である貴族たちがいる。その中には私のお兄様の姿も見えた。
つい先ほどまではこの会場の中で階級的に一番上だったのはシャルル様だった。よって、シャルル様の判断で場を無理矢理収めるとかもできない事もなかった。
けれど、第一王子殿下が現れてしまったならば、この場における絶対権力者は今この時より彼である。
生徒たちは皆口を閉ざした。誰も彼も、第一王子殿下の怒りを買うのは勿論、悪い印象を持たれたくないのだ。そんな簡単に怒られる方ではないけれど、そうだとしてもこの場と自分の存在が記憶で結ばれるのは避けたいという事だ。
これは最早シャルル様が答えるしか道はない。私がそっと脇腹をつつくと、第一王子殿下には見えないようにしながら嫌だという顔をしてみせたシャルル様は、表情を整えてから第一王子殿下のお顔を見て――その瞬間、割り込みが入った。
「きゃあっ、ブラッドリー様ぁ!」
K Y こ こ に 極 ま れ り !
どうしてだソフィーなぜなんだソフィーどんな心を持っていたら第一王子殿下に声をかけられるんだソフィー……!?
貶める訳では――断じて、決して、天に誓って――無いが、第一王子殿下はその雰囲気と、険しい視線に人々が怯え、距離を置いてしまうのだ。お兄様曰くあれでも昔と比べるとマシになったほうらしいが、眼力やべえ……としか思えない。目が合ったら固まってしまうぐらいには目つきが鋭い。
眼力のやばさを除けば、性格は極めて常識人で優しい人だと(お兄様を通して)知ってはいるが、それでもこうして相まみえると体に力が入ってしまうのだから。
その第一王子殿下に駆け寄っていくソフィーに、皆がギロチンが自分の首に落ちて来るのを想像した事だろう。こんなのと同列には考えられたくない、というのが皆の心の声のはずだ。
第一王子殿下は険しい目のまま、ソフィーを見る。自分に興味を持ってもらえたからなのか、ソフィーは顔を赤らめペラペラと変なことを言いだした。
「ブラッドリー様は逆ハールートをクリアしないと出てこないレアキャラなのに会えるなんて嬉しい~! 私に会いに来て下さったんですねえ!」
第一王子殿下のご説明ありがとうございます。
というかやっぱここ乙女ゲームの世界だよ!
そしてソフィー、君の発言あれだからな、完全に悪役令嬢ものの敵であるヒロインが破滅していく過程のフラグを踏んでるからな!!!
どうして、自分から、そんなフラグを踏む!?
少なくとも、普通に考えて初対面の人間が訳の分からない事を言って来たら、嫌悪感までは行かずとも近寄りたくはないと思う筈だ。
案の定、第一王子殿下はソフィーに嫌な感じを抱いたらしい。それを感じ取った護衛である騎士が即座にソフィーを押さえる。
ぎゃあぎゃあとソフィーが騒いでいる横で、第一王子殿下がシャルル様を見た。説明しろというのだ。
私とクリステル様がほぼ同時にシャルル様の脇腹を突いて説明するように促せば、シャルル様は私たちに恨みがましい目を向けつつ、兄の無言の質問に答えた。
「あー……私も良く分からないのですが、その、どうやらそこの女子生徒に惚れた男子生徒たちが婚約関係を破棄しようとしたのですが、なぜか私も巻き込まれ、なぜかジョア……ジョージとの婚約関係を破棄しろ、と言われて……いやそもそも婚約してないのだから破棄も出来ぬ、と言った所です」
「お前たち、そういう仲であったのか?」
第一王子殿下が酷く不思議そうに言った。そこには嫌悪も差別もない。ただ純粋に、そうだったのかという雰囲気だ。けれどそれに私たちは即座に「いえ違います」と声を被せて答えた。それを受けた第一王子殿下は、ごく普通の表情で、あっさりと言った。
「なんだ違うのか」
場の空気の異常さの原因を理解した第一王子殿下は、今更になって現実が見えてきたのか震えている公爵家子息たちを見た。見た、と表現したが傍から見れば睨んだ、に近い。漫画ならば顔に縦線が入っているだろう顔色で公爵家子息たちは固まった。そして、沙汰が下ろされる。
「貴様たちは今すぐこの場から退出するが良い。この女と共にな」
◆
あのパーティーから、二か月が経過した。
第一王子殿下から「要らない」と判断された貴族子息たちは、それ以降表舞台に出て来ていない。第一王子殿下としてはただあのパーティーにおいて邪魔だ、と言っただけだったのだが、これ以上第一王子殿下の不興を買いたくない親兄弟によって強制的に謹慎させられているという。
ソフィーにはそうした子息の家族から、多額の賠償金が請求された。当然、ただの男爵家が払える額では到底なく、お家断絶一家夜逃げもやむなしの状況だという。
結局、本当の悪役令嬢は私だったのだろう。ソフィーの周りを詳しく調べると、学院時代からたまに私にいじめられているとか言っていたらしい。ソフィーが誰を目当てにしていたかは知らないが、本当はシャルル様の婚約者が女として生まれていた私のポジションの人だったのだろう、たぶん。予想を立てるしかできないけど。
ソフィーたちが居なくなり、学院にも生徒たちが戻って来た。
学院に平和が戻り、元通りの日々が――戻って来た、と、言えるのだろうか。一応。
「あら、ジョアンナ様。どこに行くのです?」
「クリステル様、近いですねぇ」
「それは勿論、私たち婚約者となったのですから」
あの騒ぎの後、クリステル様の婚約関係は当然白紙となった。ちなみに慰謝料も取ったらしい。しかし長年特定の男性と婚約関係を持っていたクリステル様に、それほど早く新しい、家柄なども問題ない婚約者を用意するのは難しい。
そんな時、なんと、第一王子殿下がローフォード侯爵様に言ったのだそうだ。私と婚約すれば良いと。恐らく私のお兄様が裏で話を持って行ったのだと思う。
ローフォード侯爵様とクリステル様は話し合い、それを承諾し、当事者である私を置いて私とクリステル様は婚約関係となった。
顔合わせの際、私はクリステル様を問い詰めた。本当に私で良いのか、と。
「クリステル様、本当によろしいんですか? 私、下世話ですが、貴女と夫婦の活動を行えるとは思えないのですが」
「構いませんわ」
クリステル様はケロリとしていらっしゃった。
「他の女にうつつを抜かすような事になるよりかは、信頼できる人と過ごす方がずっと良いですわ。爵位はおばあ様がお持ちの爵位を頂ける事になりましたし、子供ならば養子を貰えば良いだけですもの。正直友人ではなく異性としては男性不信なのですけれど、ジョアンナ様ならば、私、信じられます」
そこまで言われてしまうと、私も拒み切れない。貴族子息としていつかは避けられぬ結婚の際に、私の精神と肉体の分裂は大問題だ。これほどまでに理解のある人をお嫁さんとしてもらう事は難しいだろう。
私たちの向かい側で紅茶を飲んでいるシャルル様は、友人二人の関係が一気に変わった事も気にしていらっしゃらないらしい。穏やかに微笑んで、私たちを見ていらっしゃる。
「シャルル様は、恋人の一人でもお作りにならないんですの? 楽しいですわよ、恋人との逢瀬」
クリステル様が私と腕を組みながらシャルル様に言うと、シャルル様は苦笑された。
ゆっくりと紅茶のカップを置いた彼は、晴れ渡った空を見ながら今まで心の中にしまいこんでいたのだろう気持ちを吐露した。
「もう、一生独り身でも良いと思っていた所さ。貴女たちのような友が居るのなら、人生などそれで良いのではないかと思ってね。王族も何も、私と兄上だけではないのだし。私に下手な婚約者など用意して、王位継承権の争いになどなっても、不幸を生むだけだからね」
「あらあらあら。ではわたくしたち、誰も自分の子供を抱くことは出来なさそうですわね」
「兄上の御子を抱ければいいさ」
男と女が揃っているのに、ちゃんと男の姿をしたシャルル様と女の姿をしたクリステル様ではなく、女の姿をした私とクリステル様がイチャイチャしているという妙な空間と関係性だが、まあ、これも一つの友情の形なのかもしれない。
どちらにせよ、私が願う事はただ一つだ。
もう二度と、悪役令嬢(♂)扱いはされないと、いいなぁ……!