「お前の思い描く繁華街 #とは」
昨今、小説を執筆する際は
下手に特徴を説明しすぎない方が
いい傾向にあるんだとか
たとえば「繁華街」とシンプルに表した方が
各々の「繁華街」を思い描いて小説の世界に入り込めるのだとか
気持ちはわかる
仮に俺が「横浜の一角にある寂れた繁華街」と表したとして
読者の中には一度も横浜へ行ったこともない方もおられるだろう
だとすると、「横浜の一角にある寂れた繁華街ってどんな場所?」となることも
予想はできる
だ
け
ど
さ
俺が「繁華街」とシンプルに表したとして
皆さま方は各々の「繁華街」を思い描けるということは
俺が「横浜の一角にある寂れた繁華街」と表したとしても
横浜に行ったことのない読者諸君には
「行ったことないけどきっと寂れてる繁華街なんだからこういう場所で・・・」
と想像することはできるよな
俺が「繁華街」とシンプルに表したとして
俺の思い描く繁華街と、お前の思い描く繁華街とは
全く異なる可能性も無きにしも非ずで
それにより「いや、繁華街でそんなことは・・・」とかなって
言い争いの火種にでもなったらさ
イヤでしょ?ね、イヤでしょ?
言い争いするの好きじゃないでしょ?
「俺の思い描く繁華街は横浜の一角にある寂れたを想定する。
お前の思い描いている繁華街は比較的賑やかな、名古屋の一角にあるものだ!」
とかってモメてるのちょっとおかしいでしょ?
だから俺は事細かく書くことにするよ
「横浜の一角にあって周辺と見比べると寂れていて
かろうじて創業云十年のラーメン屋には人が入っているくらいには
どうにか繁華であると言えるっちゃ言える繁華街」
とかって表すよ
少なくとも俺はそうする
てか「寂れた繁華街」ってそれ繁華街じゃなくね??????