2.空気1
琉聖が初恋の人からもらったぬいぐるみを肌身離さず持ち歩くキャラとして認識されてから数日後、その日はやってきた。
壱華は固まっていた。教室に入ってきた少女のまとう見慣れぬ色に驚いたからだ。そしてその少女の持つ雰囲気にのまれたからでもあった。教室中が水を打ったように静かになっていた。
「白藤涼子です」
よろしくお願いします、と少女は笑った。
―きれい
短めの髪が、少女の動きに合わせて肩に触れるように揺れた。瞳の色はよくある色だと言うのに、彼女の髪は曇り一つない白だった。雪面のようなその色に、心奪われる。肌自体も透き通るように白い。しかし、頬と唇は程よく桃色で血が通っていることをうかがわせる。
「白藤の席は屋敷の隣だ」
「へっ!」
担任の言葉に、屋敷はひっくり返った声を上げた。普段は調子のいい少年なのだが、柄にもなく緊張しているようだった。そんな屋敷を笑う余裕はクラスメイトにはなく、白藤は沈黙の中屋敷の隣の席に腰かけた。
「よろしくね、屋敷君」
「へ!えと、あの、よろしく!」
笑顔の白藤に屋敷はそれだけ返すのがやっとだった。
―ってそうじゃなくて!
つい見惚れて白藤をずっと目で追っていた壱華は首を横に振った。長い、夜闇を思わせる黒い髪が見事に揺れた。その動きが目に入ったのか、白藤の視線が壱華の方へと動く。ぎゅっと目を閉じ首を振っていた壱華は、首を振るのをやめ目を開いた瞬間白藤と目が合った。彼女は不思議そうな顔をしていた。
―見られた!
恥ずかしいと思わないではない。
―って、そうでもなくて!
問題は、彼女が敵かどうかなのである。壱華はもう一度白藤を見た。彼女もまだ壱華を見ていて目が合った。にっこりと微笑みを投げかけられる。それになぜか頬が熱くなるのを感じた。壱華は自分の反応に驚きつい視線を外してしまう。
―何?何よこれ
壱華は顔を手で仰ぐ。しかし、簡単に熱は引いてくれなかった。
「出欠とるぞー」
担任がそう声をかけた後も、静かな雰囲気は壊れることはなかった。
※
「ヤバいのが来た」
トイレから戻ってきた大島の第一声はそれだった。友人たちは何のことが分からず、それぞれの表情で頭の周りでクエスチョンマークを飛ばす。
「何の話?」
武尊が代表して尋ねる。大島はどこか呆然とした顔で言った。
「編入生だよ」
声に力がない。武尊は首を傾げる。
「見てきたの?」
「見えなかった」
「じゃあ、なんでヤバいってわかったの?」
「人だかりがやばい」
そう言われて、全員廊下を見た。
「確かに人は多いけど」
「隣のクラスの前はぎゅうぎゅうなんだって!」
いぶかしげな顔をする武尊に、大島は声を上げた。やっと現実に帰ってきたのか廊下を指さしてだんだんと床を踏む。
「見てくる」
優実が立ち上がり廊下へと足を踏み出す。その様子をうかがっていると、優実はすぐに踵を返し戻ってきた。
「大島、よく行って帰ってこれたね」
「体でかいからね」
佐々木が冷たく返す。
「なんか、攻撃されてる気がする」
「気のせいだから」
佐々木は携帯から視線を上げずに会話を続ける。武尊と琉聖は視線を交わした。
「ていうか、変な感じ。人は多いのに割に静か」
優実は感じた違和感をそう言語化した。それを聞いた武尊もそう言えばと廊下を覗き込む。しかし、武尊の席は教室の奥のためよく見えない。席を立ち廊下に出る。それに琉聖となぜかあかりまで付いてきた。
「これは、確かに異様」
「本当、人がひしめいているのに静か」
「気づかないわけよね」
武尊と琉聖とあかりがそれぞれにそれぞれの感想を述べる。ちなみに、琉聖はしっかりと両手で碧を持っている。
隣のクラス―壱華のいるA組の教室の前には人だかりができていた。ネクタイの色から違う学年がいることも分かる。しかし、そこにあるはずの喧騒はなく、皆静かにじっと教室の中を見ているのだ。それは不気味なさまだった。
「何を見てるんだろう」
「大島君の話によれば編入生でしょう?」
「それしか今日は変化はないはずよね」
人を押しのけて教室の中を見たくはあったがそれがはばかられる雰囲気だった。
「―壱華に連絡とってみようかしら」
あかりが携帯を取り出すと、なにやらぽちぽちと画面を押す。そしてしばらく待つと、ぴろりんと音がする。あかりが画面に目を落とす。
「やっぱり編入生みたい。髪が白くって雰囲気のある子ですって」
「髪が白い―」
「何か知ってるの?」
「いや、ちょっと聞いたことがあることがある気がして」
「それ詳しく」
琉聖の言葉に、武尊が食いつく。しかし、狙ったかのように授業の開始を告げるチャイムが鳴った。琉聖が肩をすくめる。
「また、夜に」
「―分かったよ」
あかりはともかく、優実や大島がいる前でこの手の話をするわけにはいかず、武尊はしぶしぶ頷いた。
※
「啓ちゃん!」
机の上に寝そべっていると、大滝がにゅっと天然パーマの頭を机の上に出してきた。啓太は驚き、声すらあげなかったもののつい上体を起こす。
「―何だよ」
「啓ちゃんの美人な方の幼馴染のクラスにまた超美人がやってきた!」
―来るって言っていた編入生のことか
情報を得ておくことは悪いことではないと、啓太は大滝の話を遮ることはしなかった。
「そうなのか?」
「うん!白い髪だって!」
「白?」
「そうそう!」
「目は赤くないからアルビノとは違うらしい」
清水も会話に参戦する。啓太は立っている清水を見上げた。
「アルビノ?」
「確かメラニンが作られなくて、黒色が体からなくなるんじゃなかったか?」
「はあ」
「だから目が赤く見えるのは血の色らしいよ!」
「お前ら物知りだな」
「さすがにアルビノは知ってようぜ」
清水は少し呆れたように言った。啓太は顔をしかめる。
「悪かったな。無知で」
「無知の知って言うし!」
大滝がフォローに入るが、また啓太はその言葉が分からない。
「―自分が物を知らないんだなってことを知ることが重要ってことだ」
「どうも」
解説をしてくれた清水に啓太は礼を言った。
「啓ちゃん、この前授業でやったところだよ?」
「―寝てたんじゃね?」
「啓ちゃん!」
しっかり!と大滝が言ってくるが、そんなの知ったことではない。啓太は窓の外を見上げた。
―いい天気だな
―何か起こるかも何て空には見えないぜ
ため息をつく。
「それで、編入生の話なんだけど!」
「ああ、そうだったな」
啓太は視線を大滝に戻す。大滝は興奮が戻ってきたようで早口になる。
「すげー美人なの。みんなびっくりしてしゃべれないくらい!」
「しゃべれない?」
「なんでも、教室も見物で廊下に集まった生徒も静かにしているらしい」
首を傾げる啓太に清水が説明を加えてくれる。しかし、いまいちピンとこない啓太の首の角度は元には戻らない。
「やぁちゃん、それどこ情報?」
「誰かが話しているのを聞いた」
「出た」
「うるさい」
「えーと、人が集まってるのに静かってことか?」
「そういうことだ。異常だろう?」
「まあ、確かに」
村の小さな祭りでも騒がしいのだ。この学校の規模になればもっと騒がしくなるのは知れる。それに全校集会の時も静かとは言い難い。啓太の首の角度が少し元に戻る。
「すごく雰囲気があるらしいよ」
「雰囲気?」
啓太の首はぐいとまた曲がってしまう。
「なんか、話せなくなっちゃうって言うか、空気にのまれて緊張しちゃうって言うか」
「だから、静かなんだろうな」
清水は腕を組んだままそう言った。
「居心地悪そうだな」
「そうかもね」
啓太の感想に大滝はうんと頷いた。
―壱華、大丈夫か?
しんと静まり返った教室で、壱華が居場所を無くしているのではないかと啓太は心配になる。心配すべきは千穂なのかもしれなかったが、啓太は壱華が気になった。そして啓太自身、千穂のことはすっかり忘れているし、常日頃も基本的に武尊に任せておけばいいと思っている。
「そんなに美人なら、見てみたいよねー」
大滝が啓太の代わりに机の上に伸び始めた。清水が呆れたように口を開く。
「お前の情報だって人から聞いたものじゃないか」
「俺の情報は実際に見てきたやつから聞いたやつだもん。やぁちゃんみたいに人がうわさ話してるのを聞きかじったりしてない」
「言うな」
「でしょう」
へへーと大滝は無邪気に笑う。それに清水はやれやれと首を横に振るしかできない。そして、視線を落とせば啓太は何か考えるようにうつむいてしまっている。この様子だと何も見ていないし見えていない。
―こいつもなんだかんだ変わってるんだよな
一人で行動することを恐れない、けれど人懐っこいところもある。かと思えばどこかドライで。そのくせ幼馴染のこととなれば取り乱す。
「安定しないやつだな」
「誰の話?」
「こっちの話だよ」
清水のつぶやきは大滝にしっかり拾われてしまったわけだが、清水は流して終わりにした。今日もいい天気だなと、先ほどの啓太のように思いながら空を見上げた。