それって良いのだろうか?
これはあくまで自分が感じた事です。
一つの意見として、読んで頂けたらと思います。
仕事ができないからってその人を否定するのは良いのだろうか?
「全然仕事できひんし辞めたらいいねん!」
「あの人、全然覚えられへんし認知症ちゃう?」
仕事が出来なくて、足を引っ張っている部分があってもそんな事言っていいのだろうか?
そもそも、辞めるどうのこうのは本人と雇い主が決める事で、雇用に関してもいろいろ法律がある。
確かに給料が一緒で、仕事量、能力に差があるかもしれない。
でも、言っている君たちも雇われている方だ。
給料に文句があるなら、雇い主に言えばいい。
でも、それは言わない。
それはなぜか?
自分より弱者だと思う人には何でも言えても、自分より強者であると思う人には陰で文句を言ってても、面と向かっては何も言えないからだ。
それに、そう言う人に限って、仕事が出来てない人に教えようとしない。
指導とかこつけても実際には指導ではなく、唯の自分の不満を感情を出して文句言ってるだけだ。
それでは教えられる方も覚えるところではない。
つまりのところ、仕事が出来ないとか文句言ってる人は、教える努力をする事なく感情を向きだしにして不満の捌け口にしているだけである。
そして、一度ターゲットになった人の事はプラス面ではなく、マイナス面にしかスポットを当てない。
これじゃあ変わるにも変われないだろう。
もちろん、全ての人がそう言う事ではないが。
さらに、認知症うんぬんは素人判断で、人権侵害にもなり得る。
さらに言われる方でだけでなく、認知症を患ってる方に対してもだ。
それに、「仕事だから」って理由につけて、出来ないからって罵倒するのはいけない。
それをパワハラと言うのだ。
もちろん、何か失敗して反省が見えないと言うことがあれば怒る事も必要だろう。
しかし、怒る基準は、結果ではなく、過程とその後の態度であろう。
失敗で反省し、落ち込んでいる人に罵倒したって、成長どころか心が病んでしまうだけだ。
何かそこがズレている気がする。
だいたい、「仕事だから」と言う前に「人として」である。
人の人格や存在を否定する事は、どんな理由をつけても許されない。
最近感じるに、みんな基準が主観的過ぎると思う。
多くの人が集まる社会では、判断基準は客観的、そしてモラルが守られないと、少子化になり人材不足になる日本で良い人材は育たないだろうし、それを見て育つ次の世代にも良い影響を与えないと思う。
それって良いのだろうか?