海
第六章 「海」
俺の家の車はデカい。運転手入れて八人まで乗れるようになっている。
運転手は母さん。助手席には、しっかり者の傑。その後ろに右から、文香、真理、鈴音、さらにその後ろに、俺と健。
「さて、皆さん。あそこに見えるのが琵琶湖ですよ。琵琶湖の歴史を遡りますとね、せ…」
「うわ~! 凄い凄い! 琵琶湖だ! 琵琶湖でひと泳ぎしたいね!」
「それ、今から海行く奴のセリフちゃうやろ…」
「淡水…湖…ブラックバス…いっぱい…底はきっと…魚の骨だらけ…」
琵琶湖の歴史について、永遠と語る傑。琵琶湖で泳ぎたいという真理。そして、泳ぎたい気持ちもうせるような残酷な現実を呟く文香。
車の中は、個性的なみんなのおかげでずっと賑やかだ。
「あいつらなんであんなに元気なんだよ」
「俺等なんか早起きのせいで動く元気すらないもんな」
「いや、お前は寝坊してきただろ」
「んなこと言ったって、どうせ同じ町内なんだし大差ないって」
「朝の十分はでけぇんだよ」
「女でもないくせに、何の準備がいるんだよ。ツンツンした頭しやがって」
「うるせぇわ! こいつセットすんのにどんだけ時間かけてると思ってんだよ!」
「ケンカはそこまで!」
傑の鋭い視線がバックミラー越しに突き刺さる。
俺達はぐっと息をのみ、顔を見合わせた。
お互いに小学校の頃体育館倉庫に閉じ込められた時の恐怖を思い出し顔が青ざめる。
あの時は体育館倉庫…今回は最悪海の底なんて言うことも…。
俺たちは背筋を凍らせて、「「い、いや! ケンカじゃないから!」」と息を合わせて答えた。
「本当に? ふーん…ならいいけど?」
「相変わらず怖いなぁ、傑くん…うち、未だに慣れへんわ…」
「ほんとにね…ゆうちゃんと健がケンカするから悪いんだよ」
「戦犯…罪…罰するべき」
「いやいや、ケンカとかしてねぇから! 誰がゆうなんかとケンカなんてするかよ!」
「そうだそうだ! 誰がこんなツンツン頭とケンカなんてするか!」
「誰がツンツン頭だ! ロックヘアと言え!」
「ははは! 青春だな! ああ、そういや真理ちゃん! うちの子と付き合ってるんだって?」
「なっ! 母さん!?」
「はい…そうです…」
真理は俯き加減で顔を真っ赤にして言った。
その姿をバックミラー越しに見て、俺まで恥ずかしくなってくる。
「まぁまぁ! そう照れなさんな! ありがとうな! うちの子を引き取ってくれて!」
「そんな! こちらこそゆうちゃんにはいつもお世話になっているので!」
「いや~いい子だねぇ! 是非とも、お嫁さんに来てほしいもんだ!」「か、母さん!」
「おっと、これは失言だったね。まぁ、とりあえず私はオッケーということで」
「あ、ありがとうざいます!」
真理は、驚いた様子で頭を下げた。
「公認カップルやな…羨ましいで…」「むぅうう~…」
女子二人は何だかむくれた様子だ。
「どうしたんだよ、二人とも」
「うっさいわアホ!」「ゆうちゃんの…バカ!」
「えっ、なんで俺怒られたの!?」
「…こんなバカ息子だが、出来ればバカも直してくれると嬉しい」
「ちょっと、私には荷が重すぎますかね…ははは…」
「俺なんかしたか!? 酷いいわれようだ!」
「ゆうちゃんは黙った方がいいよ」「ゆうは暫くしゃべるな」
健と傑は、どこからバッテン印のマスクを取り出し、俺を押さえつけ、無理やり口に着けようとする。
「や、やめろ! なんで、俺がこんな! うわぁあああああ!」
そして、しばらく俺は喋る権利を失った。
車で結局、八時間ほどかけて目的地の浜辺に着いた。疲れていたのかすぐにみんな眠ってしまっていたので、体感ではあっという間だった。
女性陣は着いたと見るや、車から早々に降りていく。
「海だ海だ! 青いよ! 広いよ! 暑いよ!」
「あんたらも早くきい! めっちゃええ景色やで!」
「わ~…希望の光がいっぱい…」
「健ちゃんもゆうちゃんも早く来なよ!」
傑はちなみに女性枠だ。言うまでもない。
俺らは「それじゃ、行きますか」と腰を上げ、車内から足を踏み出す。
「お~…こりゃあ確かにすげぇな」
「真理たちがはしゃぐのも納得だな」
少し傾いた日が辺りを明るい光で照らす。
眩しいほどに白い砂浜。
見たことないほど透き通った青い海。
潮風が心地よく吹き、夏の暑さを少し和らげる。
「ああ…来てよかったな…」
ここの所、どうも幼馴染み達との距離がわからず、ちぐはぐな感じになっていた。
俺は心のどこかで、真理と付き合ってみんなに気を使わせてしまってることに後ろめたさを感じ、罪悪感に近い感情を抱いて、幼馴染み達に話しかけれない。向こうは向こうで真理と俺を二人きりにさせようと、なるべく近づかないようにしていた。
真理はこの微妙な距離感に耐え切れず、夜中の町を今日の計画を伝えるため走り回ってくれたんだ。真理に感謝しなくちゃな。
そう思っていると、自然と鈴音とビーチの方で走り回ってる真理を見てしまう。あの、信じられないほど可愛い女の子が自分の彼女だと思うと、見ていて誇らしいような恥ずかしいような気持になった。今日は、海に行くということなので、真理を含めみんな初めから水着を着ている。
真理は、髪はいつも通り二つくくりのツインテール。小さい体にシャカシャカとした白パーカーを羽織り、フリフリの白い水着を着ている。下は上と同じデザインの水着だけで、細くて綺麗な足がむき出しだ。流石、ミスコン覇者。色々小さいとはいえ、最高のプロポーションだ。
真理と一緒に長くさらさらとした髪をなびかせはしゃいでいる鈴音は、黒地の少し分厚めの黒いパーカに、大きなサングラス、水着は大人っぽい黒で、下には超ショートデニムを水着の上にはいている。デニムのボタンが恐らくわざと外されていて妙にエロく、全体的に大人っぽい魅力があった。
それを、少し遅れて追っかけているふさふさ天然ヘアーの文香は、麦わら帽子を被り、上は白地に花柄の羽織物、下は赤いヒモの水着のみ。足元には、ワンポイントでひまわりの着いたサンダル。大きな赤い胸元はビーチにいるあらゆる男の視線を奪っていく。三人の中でもずば抜けた女の子らしい体系を持つ文香は、海で最強の生物だと思った。食えない男はいないからだ。このまま文香を眺めて、生涯を終えたい。
おっと、最後の一人を忘れるところだった。彼女を見ないと死ぬに死にきれない。
その彼女、傑はというと、青いぶかぶかとしたパーカーに青いズボン型の水着。大きめのパーカーの下に胸元が見えてエロイ。体系が出にくい服装で、次々と妄想が浮かび…
「おい、いくぞ」赤いズボンに裸の男、健につつかれ少し不機嫌になる。
「やめろよ。いいところだったのに」「誰見ていいとこまで考えてんだよ。ほら泳ぐんだろ?」
「うるせ~な! お前だって見てたくせに!」「お前には彼女がいるだろうが! よそ見してんじゃねぇよ!」「それは、男の性ってもんだろ!?」
「二人とも…何の話…してるの?」
「「ふ、文香いつの間に!?」」「私から…言わせてもらえれば…二人とも…有罪。というわけで…すぐるく~ん」「はーい! どうかしましたか? 文香さん」「二人が…ケンカ…してた」
「「お、おい! やめろ!」」
「へ~それはそれは。全く学習していないみたいで……」
「い、いや違う! こいつが女ばっか見てっから!」「はぁ!? お前だって見てただろ!?」
「よい…夏を~」文香は、用は済んだと離れていく。
「「文香、後で覚えとけよ!」」「文香さんのおかげで大体わかりました…二人とも生け埋めですね」「や、やめてくれ傑!」「悪いのはこいつだ!」「まぁまぁ、二人とも。あっちでちゃんと話聞くからさ」「「ま、待ってくれ! お前だって俺らの気持ちわかるだろ!?」」「わかりません!」「「ぐあああああ!」」
この後、砂浜の端の方にに男の首が二つ並んでいる場所があるとホラースポットが出来たらしいけれど、きっとこの話とは関係ない。
傑の罰を色々と受けた後、俺たちは解放(介抱)してもらい、無事女子たちと合流し、様々な遊びをした。
スイカ割り。
「待てや健! さっき、うちの体みとったんやって! 文香から聞いたわ!」
「い、いや! そんなことは断じてない! 俺が見てたのは傑の方だ!」
「どの道、許さんわ! 失せろぉおおおお!」「ぐああああああ!」
割られたのは健の頭だった。
次は女子対男子のビーチバレー、女子たちが固いボールを使いだそうと言い出した。
「健君、そこ動かないでね」
サーブの構えをする、真理。
「えっ」「せーの!」「ぐあああああああ!」
真理の剛速球が健の頭に突き刺さった。力は健在だ。
その後はビーチフラッグ。
「健じゃまや!」
「ぐはっ! け、蹴るとかありかよ!?」
砂のお城作ろう大会。
「健、地味に上手いやん…腹立つから水かけたろ」
「お、俺の凱旋門がぁああああ!」
「文香さん流石ですね」
「えっへん…」
文香が自分の体より大きい、西洋のお城を立て優勝した。
日が暮れだした頃、最後に組体操をしようと真理が言い出した。
「正しくは、水中組体操! 一段目がゆうちゃん、健君、私。二段目はふみちゃんと鈴音。一番上は傑君で決めポーズよろしく!」
俺たちは、水中に潜り、健と真理が両サイド。俺等の上は文香と傑が乗っている。ここまでは上手くいくのだけれど、傑が一番上に昇るまでに崩れてしまう。
「うわあああ」バシャンという音と共に傑が落ちて来る。
「もっかい、もっかい!」真理が何度でも潜るので俺らもそれにつられて、潜る。
横を見ると、真理もこちらを向いていた。髪の毛が水に流されて、大きな海草みたいだ。
そんな真理の姿を見て、笑ってしまう。真理も、俺の髪の毛をみて笑う。
「やったぁあああ! できました! できました!」
海上の傑が叫び、海中の俺らは何事かと上を向いた途端、ピラミッドは崩れた。
遠くの方から、母さんが撮影してくれていて、ちゃんと出来ていることを写真で改めて見ると俺たちは達成感が湧いて、大喜びした。
「さて、じゃあ私は近くで用事あるから、失礼するわ~。また、明日ここまで迎えに来るし」
「あっ、ゆうちゃんママ! ありがとうございます!」
「いやいや、こちらこそ。息子の事引き取ってくれてありがとうな。あんなんだが、まぁ悪い奴じゃない。よろしく頼むぞ」
「は、はい!」
真理と母さんは何か話していたけど、俺にはよく聞こえない。
真理がお辞儀をすると、母さんは車のエンジンをかけた。
「それじゃ、青春エンジョイしろよ~」
「「「「「ありがとうございました!」」」」」
みんな声を合わせて頭を下げた。
俺も一応「ありがとう」と告げる。
「礼儀正しい奴らだな~ほんとによくできた子どもたちだ…」
母さんはしみじみとそう言ってから車の窓を閉めて、京都の真ん中の方へ発車した。
車の中から取り出した荷物(大体みんな大きめのトランク)を転がして海岸沿いに歩いていく。どうやら、この海岸沿いの先に宿舎があるらしい。
「なぁ、泊まるところってどんなところなん?」「さぁ~? 傑くん何か知ってる?」
「そうですね…手配は全てゆうちゃんのお母さんがしてくれたようなので、僕には見当もつきません…ゆうちゃんは何か知らない?」「いや、俺も何も聞いてないんだよな…」
「そんなんで、大丈夫なのか…?」
健は、少し眉をしかめてる。
まぁ、確かに健の気持ちもわからなくはない。全員で見送った後、早速海に入ろうとしたけど、「あれ? 荷物は?」と、冷静になり、とりあえず宿舎に向かうことにした。
そしたら今度は「あれ? 宿舎は?」と、なって母さんに連絡するも繋がらない。
とりあえず沿岸沿いのどこかであることだけは、母さんに聞いていたし、沿岸沿い、テトラポットの横を歩いていく。
「…あっ…あれ…多分…そう」
突然、文香が遠くの方を指刺した。
その先にあるのは、崖に張り付くようにして建てられている丸く独創的な形をした白い建物。海外の社長さんが住んでいそうだ。
「いやいや、流石にそれはないだろ~」
「…でも…あそこから…ゆうちゃんの…色…見える」
「えっ、ゆうちゃんの色が?」
傑は驚いたように言った。文香の色関連の話は信憑性が高い。いや、だからと言って今回ばかりはどうだろう…確かにクレーンゲームの時のように事例は沢山あるけど、流石にあそこに泊まれるのか…代金は払わなくていいらしいし、わけがわからない…。
俺たちは頭に疑問符を浮かべながらも、とりあえずその建物に向かってみることにした。
「うわっ、でっけぇ~なぁ…」
近くで見ると、あの白い建物は予想よりもはるかに大きかった。
入り口は、西洋風の大きな鉄製の門。門の向こう側には、右側に大きめの噴水。左側には小さな池らしきものが見える。門をまっすぐ進んで行くと、丸く白い建物が見える。
とりあえず、幼馴染と話し合いをして、じゃんけんをして、俺が負けて、門の横側についてるチャイムを押すことになった。
「あれ、名前が…」
表札にかかれた名は…滝川。
まさかあの四大名家の「滝川」なのだろうか。
だとしたら大変だ。もし、間違えて玄関のチャイムなんか鳴らしてしまったら殺されてしまうかもしれない。
「なんだよ、早く押せよゆう」
「い、いやちょっと聞いてくれよ! 表札に滝川って書いてあるんだって!」
「えっ! ここ、ゆうちゃんのお家なの!?」「違うって! 『あの』滝川だよ!」
「それなら、この豪邸っぷりにも納得やわ…でも、なんで滝川の家にゆうちゃんママは行かせたんやろう…」
みな何となく下を向く。
ここにいる何人かは、(たまたまだが)名家の息子と娘だ。
傑は、四方家。四つのうち最も歴史が長く、日本文化を守ることに重きを置いてる家だ。サンフランシスコ通りが出来ることには深く反対していた。
文香は、森津家。四つの中での最大権力、木箱屋の分家らしい。木箱屋は、古くから京都を霊的なものから守る一族らしく、木箱屋がいなくなると日本が滅ぶらしい。
鈴音は、並河家。並河家は、芸術の面で海外とのつながりが強く、ハーフやらクォーターが多い。並河家が怒ると外交が途絶えると言われている。
そして、滝川。日本の政治を裏で操る日本経済のトップだ。当然、怒らせたら政治的なあれこれで将来を絶たれる。俺なんて一ひねりだろう。
ちなみに俺と健は普通の一般人。名前が「滝川」で同じだからよく誤解されるけど、全く関係は無い。少なくとも俺は、そんな話を聞いたことは無い。
「ようこそ、ゆうちゃん」
奥から、藤色の着物姿のおばあさんが出て来た。
優しそうな面影は何となく父親に似ているような気もする。
「えっ、何で俺の名前…」
「おやおや、美佳さんはいつも通りのようだねぇ…とりあえず、みんな中に入りなさい」
おばあさんはにこっと笑い、門に手を触れると門がひとりでに動き出した。
「うわぁ…すっげぇな~」
健は驚いた表情で口を開けているが、他のみんなの面持ちは暗い。
「さぁさ、中に入りな」
お婆さんに連れられて、俺らはエントランスに入って行った。
エントランスは全体的に白を基調にしたデザイン。床は全面白いタイルで、壁は透明なガラス。綺麗な海を見渡せた。所々、観賞用の植物が置いてあったり、花が置いてあったりして、柔らかい印象がある。
エントランスに部屋は無く、中央に透明な螺旋階段があるだけ。奥に大型テレビとソファ。その右側にキッチンと大きな横長の机。
「じゃあ、みんなはあそこの階段を昇って。ゆうちゃんはこっち。」
お婆さんは、部屋の中央にある螺旋階段を指さして言った。
俺は、お婆さんにエントランスの奥に連れていかれる。
他のみんなは少し暗い顔をしたまま二階に昇って行った。
ソファに横に並ぶようにして座ると、お婆さんは静かに話し始めた。
「ごめんなさいね。みんなに気の悪いことをしてしまって」「いえ、そんな…」
「無理は無いわ。家の関係は複雑ですもの…」
互いの家は正直あまり仲がいいとは言えない。
家関係の問題で俺達に関係があったのは、並河通りを建設したときと、文香にあの問題が起きたときだ。
並河通りを設計したのは、鈴音の母親、鈴華さんだ。
サンフランシスコ通りの名前は正式には、並河通りと言う。この名前にするために、全国生放送でカメラを向けられていた鈴華さんは頭を下げ続けた。
なぜ、こんなことをしたのか。それは、並河の家の指示だった。
鈴音から聞いた話だけど、どうやら並河鈴華の旦那さんの母国から、うちの文化を反映させたものを日本に作れと指示され、設計したらしい。
それを知った並河の家は、「なぜ私たちが海外の連中の言いなりになって他国文化を受け入れなくちゃいけない」と激怒。取り壊すほど大胆なことも外交の都合でできず、名前を残すという事で一応並河家は納得した。
でも、日本文化を尊重する四方家はそれを見過ごすわけにはいかない。
俺らの住んでる町は昔の面影がたくさん残っている。それは全て、四方家が残したと言っても過言でもない。個人的にはおもむきがあって町の雰囲気はいいと思う。
それでも、大人は都市開発みたいなことを考えてる人もいるみたいで、その度に四方家が計画を潰してるみたいだった。
要するに、海外との繋がりが強く、日本に新しい技術を取り入れていく並河と、日本文化を尊重し、異国文化を忌み嫌う、四方は仲が悪い。
鈴音が傑を助けた時には、『並河が四方に借りを作った』ということになっていたりもする。
並河の件は完全に大人たちだけの問題で俺達に関係はあんまりない。
だけど、文香の件は違う。
本当に最低な話だ。
文香は、端的に言うと親から虐待を受けていた。
喋ることが苦手だった彼女は、幼い頃から絵を描いて親とコミュニケーションをとることが多かったらしい。
初めは、みんなが見ているような普通の色だったのが次第にズレていった。
その変化を気持ち悪がった父親は、喋らずに、ふざけた絵を描き、要領の悪い娘に怒りを覚え、手を振るうようになった。考えていることがわからないから、怖くなって手を振るった。
文香は、手を振るわれていることに何の異常性も感じず、自分がちゃんとした色を見れて無いのが悪いと思って、色を見る練習を沢山している内に、またどんどん見える色は人とずれていった。
俺らが文香の体の傷に気付き、それを聞くと、たまらずに家に乗り込んだ。
親父の顔を出会い頭にぶん殴って、文香の手を引いて連れ出した。
文香の部屋には、沢山の絵があった。クレヨンで描かれた不思議な色の数々。文香が取ろうとしたコミュニケーション。その残骸たち。見ていて胸が苦しくなった。
部屋の奥に積み上げられた古い絵はまだ、普通の色だった。しかし、部屋に散らかった新しい絵は、薔薇は紫。木は赤。海は黄色。月はピンク…。頑張れば頑張るほど、文香の目は普通の人とずれていく。
終わらない連鎖を断ち切るためには、文香を家から連れ出すしかない。
そんな時に名乗りを上げたのが、四方家だ。
木箱屋と四方家は古くからの付き合いで仲が良く、この不祥事が世間に知れて名を下げるのは良くないと思ったらしい。
それ以来、文香は傑と一緒に暮らしていて、今もまだ、文香の親と文香の間には消えない溝がある。
「私たちはね、子どもを巻き込むつもりはないのよ」
「えっ?」
俺がサンフランシスコ通りのことや、文香の事を思い出し、俯いているとお婆さんはおもむろに口を開いた。
「森津の不幸を二度と起こさないようにね…」
「お婆さん、文香の事を知ってるんですか!? それに、俺の事まで…一体あなたは…」
「私は、滝川千代。滝川家の現当主。」
「そんな人がなんで俺のことや、文香の事を…」
「まず、あなたは私の孫。滝川ゆうなのよ。」
「俺が……あの…滝川……? てことは、親父が滝川の人間…まさか…」
「ええ、あなたのお父さん、滝川結城は私の息子よ」
お婆さんは変わらず優しい口調で言う。
でも、俺の心情は穏やかではない。急に政界の大ボスの跡取りだと言われたのだ。どうすればいいのだろう、やっぱり跡を継ぐことになるのか…。
いきなり、世界ががらりと変わってしまったみたいだ。
「やっぱり、じゃあ…俺、跡…継ぐんですかね?」
「いいえ。ゆうちゃんはそのこと知らなかったでしょ? 滝川の家は結城で終わり。子どもまで巻き込むと、森津のようになりかねない。」
「その、森津のようにってどういうことなんですか?」
「……森津…文香ちゃんだったかしら? あの子が普通の目じゃないの、あまりいいことじゃないのよ」
「良い事じゃない? 確かに、変わってはいますけど…」
「木箱屋の掟は…流石に知らないかしら? 髪の毛は黒く、清楚可憐。背は高く、胸はふくよかに。物事を正しく捕え、時代の流れを読み、邪気を払うべし。」
「そんな掟があったんですね…」
「…森津家は、分家の中でもかなり追い詰められていた。しかも、この代の森津の主人は…ゆうちゃんも知っての通り…ね。娘がもし、木箱屋の掟に沿う女にならなかったら…家の名を剥奪する。主人は、職を失っていたし、家のお金で」
「ふざけんな!」
俺は気付けば声を荒げていた。
「なんだよそれ! 文香は全然悪くねぇじゃねぇか! あいつはただ、ちょっと変わってるだけだ! 文香は頑張ってそんなくそみたいな親にも分かって欲しくて頑張ったんだ! なのに何でわかってくんねぇんだ! くそっ! もう一発殴ってやればよかった! いや、今からでも」
「やめなさい。…これ以上、家の溝を深めないでちょうだい。」
「あっ…そうか…俺、あの時…」
少し考えればわかる。俺は、『滝川』は、『森津』を殴ったのだ。
その、しわ寄せ、というか尻拭いは、滝川の家がしてくれていたのかもしれない。
「でも、あんなことした俺に家の事説明しなかったんですか? その…不安だったんじゃ。俺、結構無茶苦茶やってましたし…」
「うふふ…確かにそうね。いろいろ聞いてるわ。でもね、あなたがそういう子だからこそ、私は、美佳子さんは、家を断ち切ろうと思ったのよ」
断ち切る。その言葉の意味をもう一度俺は考えた。
家の因縁。この言葉で俺の頭に真っ先に浮かんだのは、真子さんとマスター。
二人は学生時代から、家を継ぐことになるからと言って進学を諦めていた。
俺達もその例外ではないはずだ。でも、俺たちの中で、そんな素振りを見せている奴はいない。進学の話も普通にしてる。俺たちがこんなに平凡な毎日を送って来れたのは…
「………俺たちを自由にしてくれていた…?」
「そう出来ているといいわね……。だから、今日の旅行は親睦会のようなもの。互いの溝は深い。でも、あなた達を通してなら、もしかしたらその溝も埋められるかもしれない。そういう願いがあったのよ。結局それも、あなた達を利用していることに代わりは無いのかもしれないわね。でも、こうでもしないとお互いの事を信用できないのよ。」
「悲しいですね……」
「ええ、たった一つ。『家の文化を後世に継がない』というだけで、こんなにごちゃごちゃしてしまって申し訳ないわ…」
「そ、それって大丈夫なんですか!? どの家も重要な役割を担ってるんじゃ!」
「ええ、でも、あなた達を信じているわ。いえ、正しくは子どもたちを。」
「信じてる…」
「私たちは、ゆうちゃん。あなたを見て、思ったのよ。どうにもならないと思っていた家同士の溝。それが、意図してか意図せずかはわからないけど、次々と家同士を繋いでいく無邪気な子どもたち。私達は、この子達を信じているから家を任せてるんじゃない。子ども達を信じていないからこそ、監視して自分たちの思うように育てて自分たちの思うような子どもを作って、世を託していた。それに、気付かせてくれたのはあなたよ、ゆうちゃん。」
「そんな、俺はただ…ただ、あいつらと仲良くしたかっただけで…家がどうとかは全然…」
「それでいいのよ。もう、私たちは必要ない。あなた達のような、子どもたちがいるなら日本の未来は明るい。そう、私が言って回ったら、何とかこの代だけ一度様子を見てくれることになったわ。」
「なんか、遠い話です…」
「まぁ、そうよね…そう出来て良かったわ。あとは…木箱屋さえ説得できれば文句なしだったのだけれど、どうもあそこの婆さんは偏屈者で…おかげであの子には苦労かけてるしね」
お婆さんのいうあの子とは恐らく文香の事だろう。木箱屋の文化はまだ続いているのだ。
「さて、難しいお話はここでおしまい。後は、ゆうちゃんの判断でこのことを伝えるか伝えないか決めて頂戴。私はそろそろおいとまするわね。この家はお婆ちゃんからゆうちゃんへのプレゼント」
お婆さん…いや、お婆ちゃんは俺の手を優しく握ってそう言ってくれた。
お婆ちゃんの温もりを感じて、視界が潤んだ。
「なんか、色々してくれてありがとう…」
「いいえ、今まで一度も顔を見せてあげられなくてごめんなさい。私は、あなたに感謝しているし……愛しているわ。」
お婆ちゃんの優しい笑顔。初めて感じた温もりは、俺の心を優しく包んだ。
「お婆ちゃん、ありがとう…」
お婆ちゃんは優しく手を振って、門の外に着けていた黒塗りのベンツに乗った。
そういう所は流石、滝川だ。
俺は、胸の温かさを感じながら螺旋階段を昇った。
「あっ、ゆうちゃん…どうやった? どうなってるん?」
不安そうな顔で見つめる。幼馴染みたち、俺は短くこう言った。
「大丈夫、気にしなくていい! 花火しようぜ!」
「な、なにそれ…」
「えっ、ほんとに僕達何も気にしなくていいんでしょうか」
「うん…ほんとに…気にしなくてもいいみたい…ゆうちゃん…花火いこう!」
そう言うと、文香は笑顔で俺に抱き付いてきた。
その目には、いつもと違う色が浮かんでいた。
文香はひょっとすると、色で何かを察したのかもしれない。
「な、なんやそれ! 文香抜け駆けやん!」
「それ、私の彼氏なんだけど!」
「それって言い方は酷いですね…」
「なぁ、誰か俺に説明してくれよ! ちんぷんかんぷんなんだけど!」
健はなにも分からないまま、首をかしげることしか出来なかった。
海岸沿いをお婆ちゃんが買ってくれていた花火を持って歩き、再びビーチへ。
夜のビーチには人影がなく、やさしいそよ風が気持ちよく流れていた。
「やった~! かっしきりビーチ!」
真理は誰もいないビーチを見ると、いち早く駆けて行く。
ビーチの真ん中で両手を上げて「みんなは~やく~!」と、大声でみんなを呼んだ。
「お~! 今行くで~!」
鈴音が走り出すと、なんとなく残されたみんなで顔を合わせて、少し笑ってから走り出す。
何となく輪を作って、真理がビニール袋から手持ち花火を取り出した。
俺がマッチで真理が取り出した花火に火を点けてやると、真理は少し離れた位置に行って、クルクルと回りながら花火を楽しんでいた。
「ゆうちゃん、うちのもつけて~や~」
鈴音が後ろから俺の肩をゆすって、おねだりをする。
鈴音の小さくも柔らかい胸が背中に当たって、少し顔が赤くなった。
「よ、よしっ! 任せろ!」
俺は、邪念を振り払うように、意気込んで新しいマッチを取り出し、花火に火を点ける。
「ありがとうな! ゆうちゃん! 真理! どっちが長く火ぃついてるか勝負や!」
「それ、あたしの方が不利じゃない!?」
「……あれ以上くっつかれてたらやばかった…」「何がやべぇんだよ」
「うわっ!」
後ろから突然健に声をかけられ、慌ててマッチの箱を落としてしまう。
「僕たちの分もお願いゆうちゃん!」「早くー…」
「わかったわかった!」
みんなの分も花火を点けると、自分の分も点けた。
右を向けば、アクロバテッィックをしながら花火を投げていて、危なっかしい光景が広がっている。凄いけど。凄すぎるけど。
左を見たら、文香の花火を健が取り、取られた文香は必死に「返して~」と手を伸ばしている。けど、身長差がありすぎて健の頭の上にある花火を取ることは出来なさそうだ。
どちらも微笑ましい光景で、見ていて和む。
俺はシンプルな手持ち花火をいくつか取って、火を点け、後ろの方にある大きめの丸太に座った。
「隣、いいかな?」
傑が柔らかい笑顔を浮かべて、俺に話しかける。
「どうぞどうぞ」
俺は腰を軽くずらして、傑の場所を空けた。
「ありがとう」
傑の手には、俺とよく似た手持ち花火。
二人して、なんとなく火を見つめてしまう。
「あのね、ごめん」
「どうしたんだよ急に」
ぷすっという音が鳴り、俺の花火の火が消える。
火が消えたのを見て、新しい花火に火を点けて傑が渡してくれた。
「その、僕らみんな戸惑ってたんだ…どう、接すればいいかわからなくてさ」
「ああ、そのことか…」
傑が言っているのは、ここに来る前の気まずい時期の話だと悟る。
お互いに花火を点けあいながら話を続けた。
「露骨過ぎたかもしれないけど、真理さんの気持ち考えたら、少しでも長い時間ゆうちゃんと恋愛を楽しんで欲しかった。でも、僕らもゆうちゃんと遊びたいし、話したい…。そういう、微妙な気持ちでさ…」
「なんか…いろいろ考えてたんだな……俺らは、むしろもっとみんなと遊びたかったぐらいだったぞ?」
「そうだよね、だから真理さんはあんなに必死になってたんだよね」
「あの夜は凄かったみたいだな…」
「うん、凄かったよ……ねぇ、ゆうちゃん。話聞いてくれない?」
「いいけど…どうした?」
傑は、少し俯き加減で花火の火を見つめる。
「僕さ、ゆうちゃんと健ちゃん以外にさ…」
「下に敬語をつけちゃったりってことか?」「うん…そう」
「でも、なんで急に話そうと思ったんだ…?」
「今話さないと、もう次、話せないかもしれないから…」
「そうなのか? まぁ、傑がそう言うならそうか」
「ゆうちゃんはそのこと気にならなかった? 嫌じゃなかった?」
大きくてつぶらな瞳で、不安げに俺を見つめる傑。
ドキッとして顔が赤くなるけど、傑の真剣さが伝わってきて、ちゃんと答えないといけないと思い、すぐに浮ついた気持ちは追っ払う。
「俺は……気にしてた。というか、嬉しかったな。特別な気がしてさ」
「そうなんだ…うん、ならよかった…ほんとに…」
傑は泣きそうな顔で、花火の光を見つめる。きらきらとした光が傑の瞳に映って、見ていると胸が苦しくなる。
「でも…なんでなんだ?」
「僕…四方の仕来りで、女として育てられてたんだ」
「なっ…!」
「やっぱり、気持ち悪いかな? 僕もそう思うよ。…古いしね。いや、古いというかは歴史があるって言った方がいいか…。……女形…おやまって知ってる?」
「歌舞伎の?」
「そう、本家の僕は子どもの頃から、仕来りに強く縛られていたんだ。だから、そういう世界にも深く関わってた。」
「そうか…家の……因縁…」
俺は、左拳に力を込めた。
「…子どもの頃なんてさ、男の子と女の子なんてほとんど変わりないじゃない? しかも、女形の稽古もかねて普段から、女性のしぐさの練習をしていたんだ。それで、あの夜みたいな事が何回かあって……」
「そんな……あれだけじゃ………」
「それで次第に男の人が怖くなって……女の人を演じてるうちに女性の内面を考えるようになってそれから、女の人も怖くなって……もう、僕は人が怖かった。」
「なんでなんだ…どうして、親の都合で子どもの人生を選択させられるんだ。傑は、そんな未来を望んじゃいなかったのに…。」
「でも、あの時ゆうちゃんと鈴音さんが助けてくれて、最近もゆうちゃんに助けられて…ゆうちゃんと健ちゃんと遊ぶようになってから二人とどんどん仲良くなって…そして…文香ちゃんが家に来たんだ」
「えっ、ここで文香が出てくるの?」
「うん。家に来たじゃない? 文香ちゃん」
傑は、優しい表情で俺を見つめた。
「あれ…そう言えば文香だけ、文香『ちゃん』なんだな?」
「え~と…まぁ、うん」
傑の顔は何となく赤い。
俺が不思議に思っていると、遠くの空に何かがはじけたような音がした。
バッと振り向くと、大きな光の花が咲いていた。
赤、黄色、紫、緑、オレンジ…恍惚と光る魅力的な光。しばらく、俺は口を開けて見ていた。
「花火だぁあああああ!」
「あんた今日それしか言うてへんな! でも、これでこそ花火や! 最高やで!」
真理と鈴音は二人ではしゃぎまわる。
「なぁ、おめぇには何色に見えてんだ?」
「う~ん…いっぱい色…」
「まぁ、俺もそうだ」
健と文香も嬉しそうにそれを眺めていた。
「すごいね、花火」
「ああ」
よく見てみると、あの別荘から花火が発射されている。どんだけお金がかかってるのか…。
「僕、すぐには言葉とか距離とか戻せないかもしれない」
「えっ?」
「でも、ちょっとずつ頑張ろうと思う!」
「ああ! それでいいんじゃないか? それに俺は、特別のままでも嬉しい!」
「ゆうちゃん…」
傑は見たことも無いような、儚い表情で、少し涙を浮かべて、花火をバックに笑った。
――――ありがとう
「そりゃ、男も惚れるわな…」真理に聞かれちゃ困るけど、改めてそう思った。
「みんなこっち来て! 良く見えるよ~!」「そうや! どうせならみんなで見よう!」
「お~お~! 文香と今から行くぞ! 行くよな? 文香!」「うん~…!」
文香と健が走って、真理と鈴音の元へ行く。
「僕らも行こう」「お、おう!」
傑に手を引かれて、俺は真理たちの元へ向かった。
空には、満開の花が咲いては消えていく。
キラキラとした輝きは、それぞれ違う色を持っていて、どれにも意味があるような気がする。今は、そんな気がする。
「ねぇ! 手つなご!」「えっ、ちょっ!」
俺の手を掴む真理。みんなの前で手を掴まれて少し動揺してしまう。
みんなの前で恋人としての二人を見せてしまっていいのだろうか。
そう、戸惑いの目を向ける俺に真理は笑って言葉を続けた。
「もちろん、みんなで!」
その左手には、鈴音の手が握られている。
「ちょっと恥ずかしいけどな…さっき、真理と相談してたんや。昔みたいにやろうって」
鈴音は顔をそむけながら言った。少し顔を赤くしていて可愛い。
「いいですね、それ」
そう言って俺の手を傑が握る。
「私も…賛成…」
文香はにっこり笑って、傑の手を握る。
「俺だけ仲間外れはもう勘弁な!」
そう言って文香の手を健が握った。 横一列に並んで、星空に煌く花々を見つめる。
本当に最高の時間だ。
俺たちはずっと、「うわ~」とか「おお~」とかいいながら、黙って見ていた。
真理は突然、ぎゅっと俺を握る手に力を込める。
どうしたんだろうと横を見ると、涙を浮かべて笑う真理。そんなに嬉しかったのだろうか? 俺もこういうのは嬉しいけど、泣くほどではない…真理は感受性が豊かだな…
「そんなに嬉しいのか?」
「うん…すごく…」
涙を拭いながら言う真理。
「そうか…良かったな」
「うん…」
真理が俺たちを大事にしてくれてるのがその仕草から伝わってくる。
…本当に、来てよかった
花火が終わると、線香花火をして、第二段スイカ割り大会。(今度は俺の頭が割られた)
その後、肝試し(幽霊役の人はいないのに、なぜか隣町の制服を着た女の子が出没し大混乱が起きた)をし、宿舎に帰った。
夕食は、女性陣が愛情たっぷりのカレー(なぜか緑色をしている。)を食べ、トイレが大混雑になった。そのまま、順番にお風呂に入って(鈴音と文香と真理は一緒に入って、それを覗こうとした俺と健が真理にばれて大変なことになった。)深夜になったので、それぞれの部屋に行った。
寝ころんで今日の思い出を振り返っていると、ケータイにメールが届いた。
『ビーチで、散歩しよう! ビーチで待ってます!
真理より』
「ついに来たか! 恋人イベント! 今から行くぜ! 真理!」
俺は、うきうきしながらサンダルを履いてビーチに向かった。
ビーチに着くと、丸太に座った真理をすぐ見つけられた。
俺は静かに近づいて、隣に座る。
「あの…ありがとう。誘ってくれて」
「ううん、私もゆうちゃんと二人きりになりたかったから」
そっと、俺の手の上に真理の手が重なる。
「俺、嬉しかったよ。真理がみんなのこと、ちゃんと考えてくれてて。真理がみんなのこと誘ってくれて」
「うん、私も楽しかった! 花火とかもすごかったし! 結局あれも、ゆうちゃんのおかげ?」
「いいや、俺のお婆ちゃんのおかげ。ほんとすげえよな、四大名家」
真理はそれを聞くと少しおもむきが暗くなった。
「あっ、ごめん! 無神経だったな…」
「ううん、いいよ。気にしてない。それに、そのおかげで今日の旅行が出来たんだし…」
真理はにこっと笑う。少し無理をしていた。
「私ね…。本当に幸せなの。ゆうちゃんが近くにいてくれて、みんなが近くにいてくれて。今日もだけど、特にこの三ヶ月。毎日、朝一緒に登校して、放課後は一緒に帰って…遊園地に行ったり、カフェに行ったり、映画に行ったり…ほんとに夢みたい。幸せすぎて死んじゃいそう」
真理はおもむろに言葉を紡ぐ。
俺は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
どんな気持ちだろうか。嬉しい。そう、嬉しいんだ。胸が苦しくなって、今すぐ真理を抱きしめたい。真理を……離さないために。
俺は真理に手を伸ばそうと腕を上げる。
「でもね、もうお終い」
真理は突然立ち上がり、顔に冷たい笑みを浮かべた。
「えっ…」
「もう一度言った方がいい? お終いだって言ったの」
俺は、突然のことに動けない。
なに、真理はなんて言ったんだ?
「どういう…こと…」
「ゆうちゃんは、昔とは違うもの」
真理は、丸田から立って俺を冷たい目で見下げた。
「昔のゆうちゃんはもっと強かった」
昔の俺? 強かった?
「今回の旅行、できたのはなんで? 私がいたからでしょ? 昔のゆうちゃんなら、私の代わりにゆうちゃんが走り回ってたはずだよ」
昔の俺なら、走り回ってた?
「いつまでたっても、現実から逃げてばっかりで…」
現実から逃げた? 俺が…?
「私の好きなゆうちゃんはもういない」
冷たい声は心をえぐった。
「私の好きだったゆうちゃんはもういない」
淡々とした口調で話し続ける真理。
「今のゆうちゃんに、私たちといる資格はない」
「…ぇ…」
「ゆうちゃんはすべて失う。友達も恋人も全部。もう一度やり直しよ、さようなら。」
冷たい表情で蔑み、真理は踵を返す。ゆっくりとした足取りでビーチを歩いていた真理は、次第に早足になり、駆け足になった。
手についていた雫を見つめながら、俺は項垂れる。
「宿舎に…戻らなきゃ…」
俺は重い足取りで、海岸沿いを歩いた。
宿舎は真っ暗だった。
あまりにも真っ暗で、誰もいないような気になる。
ふと、真理の言葉が頭によみがえる。
――――ゆうちゃんは全て失う。友達も恋人も全部
全身に鳥肌が立った。
「鈴音!」
螺旋階段を昇り、鈴音の部屋を開ける。
中には誰もいない。人のいた形跡が一切ない。
「そんな…………まさか!」
「文香!」
…ない。
「傑!」
……ない。
「健!」
何もない。
「はぁはぁはぁ…」
どうなってるんだ? だってさっきまで一緒だったはずだ? それとも全部…何もかも…
「嘘…なのか?」
俺は、最後の希望をかけるつもりで、真理の部屋を開けた。
「何も…ない…」
その場に膝をついた。
俺はどうすればいい。いや、そもそも何が起きている? なんで突然幼馴染み全員がいなくなるんだ?
「そ、そうだ! 電話!」
慌ててポケットから、ケータイを取り出して幼馴染み達全員にコールする。
しかし、全て同じ答えが返って来た。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。』
「使われて無い…?」
さっきまで送られてきていた真理のメールアドレスに返信を返しても、英語のよくわからないメール(アドレスが不正な時に返されるメール)が返ってくる。
「ははは…なんだよそれ…」
俺は、真理の部屋の壁にもたれかかり、天井を見た。
「なんで…なんで…わけわかんねぇよ…さっきまで最高だったじゃないか。だって、みんな笑って、みんな楽しそうに…なんで……」
――――今のゆうちゃんに私たちといる資格はない
「資格がない…どういうことだ…」
――――昔のゆうちゃんなら…
「昔の俺なら…考えろ…どういうことだ…昔の俺と今の俺…何が違う……」
昔の俺がやったこと…
――――あなたのおかげで私たちは気付いたの
「今の俺は…」
――――資格はない
「確かにダメダメだな…」
走ることから逃げて、それについて考えようともしないで、ただ、真理といる毎日に満足していた。
昔の俺なら、死に物狂いで何とか現状を打破しようとしたはずだ。
幼馴染みと微妙な距離になった時も、走り回ったのは真理だ。
昔の俺なら、もっと早く夜を走り回っていたはずだ。
「いつの間にこんな腑抜けになっちまったんだ…」
幼馴染み達は凄いじゃないか。
真理は、爆発的な運動神経と人気がある。しかも、マスターとは隠れて合わなくちゃいけない毎日。辛い経験もして、それでも毎日笑ってたんだ。
―――心が崩れていく。
鈴音は、小さい頃にお祖父さんを亡くして、ヴァイオリンを弾き続けるほどの傷を負っても、その傷を見せずに今は元気な姿を見せている。
―――嫌だ。
文香は、あの一件の傷が体から消えてはいない。それでも、自分の特性と向き合って生きている。自分を苦しめた目を受け入れて、付き合って生きている。
――――考えたくない
傑は、悲しい過去と向き合って、これから前に一歩踏み出そうと覚悟を決めていた。
――――俺と違いすぎる
健は、俺にケガをさせられて、陸上が出来なくなっても、俺を許して、新しい何かを初めていた。そういう、心の広い奴だ
――――俺は…
「俺は…ほんとダメ…だな…」
重い足取りで、自分の部屋に戻った。
電気を点けると、散らかった部屋が目に映って、今日の事が現実であることを訴えてくる。
「…あれは?」
虚ろな目で、机の上に置いてある、白い手紙を見つめた。
宛名は…ない。
俺ははっとなって、手紙を破り開き、便箋の内容を読む。
『手紙を読んで。指定の場所へ。』
「なんだよこれ…。」
これは、一体…?
便箋の他には、何も入ってない。手紙の意味も分からない。
俺は便箋を破り捨てようとするが、最後の手掛かりを失うわけにもいかず、手を止めた。
「ああ…ちくしょう…」
何もできない自分が悔しくなって、ベッドに沈むと、いつの間にか眠っていた。