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LETTER*GIFT  作者: 友樹みこと
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少女たちの事情


第三章「少女たちの事情」


 翌朝、俺は眠気眼をこすって、カーテンを開ける。窓際に置いてあるギターを手に持った。

俺がギターをやり始めたのは中学二年生の頃。きっかけは金曜八時に放送されている音楽番組に新人シンガーソングライターが出たのをたまたま見たことだ。愛がなんだとか、平和がどうだとか言っていればよしとされるこのご時世に、人に気持ちを伝えることの難しさと愚かさ、そして孤独に生きることの寂しさを歌った、二十七歳はとても格好よく見えた。

あんな風に歌ってギターを弾ければどれほどいいかと、お年玉を全部使ってギターを購入した。その後、貯めたお小遣いでギターの参考本を買いあさり、ピックは新人シンガーソングライターと同じメーカーの物を買った。

初めの頃は、幼馴染みたちと遊ぶのもほどほどに頑張っていたけれど、次第に疲れていき、3ヶ月で触るのをやめてしまった。似たような経験をしている人は五万といるはずだと、さほどそれを深刻に考えてはいなかった。

今でもたまにギターを触り、曲を練習することはあるけど、いつもコードが複雑になるところで指が追いつかなくなりそこでやめてしまう。

今日もまた同じところで躓いた。

「くそっ…ほんとにこんなコード弾けるのかよ…」

俺は、テレビで見た新人シンガーソングライターは気持ちよさそうな顔をして、歌を歌いながらこれを弾いてたんだな。と思い出し、差を感じて嫌になった。

「あっ、やべ。こんな時間か…急いで着替えないと」

俺は急いで制服に着替えて、歯を磨き、朝食は食べずに家を出た。朝早くに行って家庭菜園係の仕事の説明を受けなくてならなくなったから、いつもより三十分も早く登校しなくちゃいけなかった。

鈴音の家の前を通り学校へ向かう。鈴音と登校しないのはいつぶりだろうか。鈴音とは幼稚園からずっと一緒だったから、自然と毎日一緒に登校していた。健も住宅街の十字路、木がたくさん植えてある家で、よく一緒になっていたし、鈴音と俺、健の三人になることも多かった。でも、これからはこんな風に一人で登校することは増えていくのかもしれない。清美農園を任されるようになった俺は、登校時刻がいつもより早くなる。健や鈴音は当然いつも通り登校するだろうし、俺と同じ時間になることも少なくなるかもしれない。

そんな風に考えていると、いつの間にか住宅街を抜けて、商店街の中を通り、短い橋を渡って高校の前まで来ていた。


 下駄箱で上履きに履き替え昇降口を昇り、二階の角にある自分の教室に入った。

朝礼まであと一時間もある。そのこともあって、学校にはほとんど人の気配がなかった。

廊下からグラウンドを見ると、熱心な陸上部やサッカー部、野球部が練習しているのが見えたけど、それ以外の部活に入っていない生徒の姿はなかった。

だから、当然教室には誰もいないと思っていたら、何と先客がいた。

その人は俺に気付くとちょこちょこと近づき、バッとお辞儀をした。

「おはよう滝川くん! 妃那彩芽っていいます! ごめんなさい! 昨日変なことに巻き込んでしまって!」

「あっ、いや! お、俺の方こそごめん! 妃那さんに迷惑かけて…」

彼女は妃那彩芽ひな あやめ。俺と同じ新妻農園係に任命された生徒だ。

幼馴染みの誰よりも小さい体はとても女の子らしい。目は大きいし、にっこりと笑う口元はとてもやわらかい印象を受けるし、前に下した一つくくりの長い髪の毛の髪留めはサクラをモチーフにしたものだし、何だか元気いっぱいの女の子だ。

そんな妃那さんを目の前にした俺は少し焦って目をそらしてしまう。

俺は、鈴音や文香、真理以外の女子と面と向かって話すのは初めてで緊張していたからだ。

「いえいえ! こちらこそ! 本当に申し訳ありませんでした!」

「そ、そんな! 元を正せば俺がやましい気持ちで手を上げたのが原因で…」

「や、やましい気持ち?」「な、なんでもない! なんでも!」

妃那さんはわからないといった感じで首をかしげている。実際こうして話していると、言葉使いも丁寧だし、女の子らしい明るさがあるし、幼馴染のみんなとは違う感覚になった。

「あれ、でも滝川くん普段と結構違う感じですよね? ひょっとして緊張してますか?」

上目使いで大きな目をぱちぱちとさせて、覗き込む妃那さん。

その仕草が女の子ぽく、しかも妃那さんに痛いところを突かれたということもあって、目をそらす。

「お、おう…実は幼馴染み以外の女子と話すのは初めてで…それで少し緊張してるかも…」

「あっ! 本当にそうだったんですね!? 私なんかで緊張しなくていいですよ? いえ、実のところ私自身緊張してたのでひょっとしたら滝川くんもそうなのかなって思いまして…だから、今の私結構頑張ってるんですよ?」

「そうなのか? 全然普通で気付かなかった…」

妃那さんは驚いたような表情をした後、安心したような表情をして、照れ笑いをした。

表情の変化が多く見ていて飽きない。

「ええ、精一杯なんですよ? でも、これから同じ係りですし、長い付き合いになりそうなので仲良くしていただけると嬉しいです。」

妃那さんは胸の前で片手をぎゅっと握り、右手を差し出してきた。俺は最初どういう意味か分からなかったけど、しばらくして意味を理解し、右手を差し出し握手した。

「うん、こちらこそよろしく。妃那さん」

「あ~! 二人とも打ち解けたみたいでよかった~! いや~初めから滝川くんと妃那さんはお似合いだと思ってたのよ~! さて、係りの説明をするから運動靴に履き替えて裏庭へ来てね~」

「「あっ、はい…」」

突然反対側のドアから、新妻先生が入ってきて、俺たちを見るや否や好きな事を言って去って行った。俺たちはしばらく茫然としていたが、手をつないでいることにお互い気付いて、顔を真っ赤にして放す。

「そ、それじゃ行きましょうか滝川くん!」

「そ、そうだな! 行こう!」

俺と妃那さんは何とも言えない空気の中、裏庭へ向かった。


                *


 今日は久しぶりにゆうちゃんと一緒に登校しない日だった。

私は、朝から少し憂鬱気味に目を覚ました。

カーテンを開いてガラス戸を開けてバルコニーに出ると、ちょうどゆうちゃんが家から出て行くのが見えた。

私は手を振ったけど、ゆうちゃんは億劫な表情をするばかりで私に気付くことはなかった。

「なんやあいつ…でも、明るい気持ちではなさそうやな…。これでうきうきとした表情やったら頭しばいてたところやわ。」

そんな風に思っていると、ベッドの頭に置いていたケータイがメールの着信を告げた。

私は気になって、ケータイを開いた。

「こんな朝に誰やねん…あっ、真理やないか。どないしたんや…今週末、真理んちに集合? 送られてるんわ、うちと文香とすぐるくん…? この面子なら間違いなくゆうちゃんのことやな。いったい何言うつもりや?」

私は少し胸騒ぎを感じて、一斉送信で返信を返した。『いったい何の話や?』

すると、すぐに返信が来た。向こうも一斉送信だ。『ゆうちゃんのこと。詳しくは今週末に話します! とりあえず今週一週間はめいいっぱい遊ぼう♪』と、書いてあった。

「なんや気になる言い回しやなぁ…でも、聞いても教えてもらえんのやろな。さて、着替えよかな。」

私は、パジャマを脱ぎ、衣装鏡の前に立った。体のラインが細いのはいい。必死にダイエットしたかいがあった。だけど…

「胸は欲しかったなぁ…」

自分の少ない胸を見て嘆く毎日は、どんな努力をしても変わらない。

私は悲しく思いながらも、制服に着替え、いつも通り地下室に潜った。


               *


「はい、え~とじゃあ、あとはお願いね~」「「投げやりなんですか!?」」

「職員会議あるから~。ごめんね~」

新妻先生に言われ、体操服に着替えてから裏庭へ行くと渡されたのは鎌と軍手。それ以外は何も渡されず、すぐにどこかへ行ってしまった。

「あはは~…さて、どうしましょうか…」

「って言われてもなぁ…俺、こういうことしたことないんだけど…」

しかも裏庭の状況は悲惨だった。長い雑草がいくつも生えていて、そもそも花壇が見えない。花なんて本当に咲いているのだろうか。

そんな風に思っていると、妃那さんはしゃがんで鎌で雑草を刈り始めた。

「とりあえず、花壇を見つけましょう! 日進月歩ですよ、滝川くん!」

「お、おう! そうだな!」

俺は妃那さんの素早い行動に驚きながらも、妃那さんの真似をする。

しばらくやっている内に、段々と余裕が出て来た。

「妃那さんはこういうの嫌じゃないの?」

「私はむしろ好きですよ? お花とか、動物とか…最近の女の子からしたら変…ですかね?」

妃那さんの声は先ほどとは違い少し、暗い。不安の色を感じた。

「そ、そんなことないって! 女の子らしくていいと思う! いつも周りにいる女子とは大違いだ!」

焦って返したけど、それは本音だった。

鈴音はお花というよりは、刀という感じだし、文香はお花というよりかは、お菓子という感じだし、真理はお花というよりかは…真理は似合うか。

そう思って少し考え直していると、妃那さんが突然質問をしてきた。

「そんなことないですよ~。滝川くんの周りには素敵な女の子ばかりじゃないですか?」

「そ、そうかな…?」

俺は恥ずかしくて疑問形で返したけれど、妃那さんの言う通りだ。

鈴音や文香、真理に限らず、傑や健も、昔からの知り合いじゃなければ、今こうして仲良くしているとは思えない、いい奴ばかりだった。鈴音は色々と言っても美人だし、文香も何だか近寄りがたい不思議な魅力がある。真理なんかは普通に可愛いし、すぐるも綺麗で高貴な雰囲気だ。まぁ、健は一緒にいたかもしれないが、どいつも俺には勿体ない奴ばかりだった。

「そうですよ~! 真理ちゃんや鈴音ちゃん、文香ちゃんにすぐるくん。みんなかわいい子ばかりでとても私なんか…」

「傑はやっぱり、その枠なんだ…いや、でもみんな女の子って感じじゃないな~。長く一緒にいるせいかな?」

「そうなんですか? 滝川くんは贅沢ですね! 滝川くんの幼馴染み人気者ばかりですよ?」

「それは…そうかも。」

妃那さんの言う通り、みんな人気者だった。

いつも、彼、彼女らの周りには人がいる。文香や傑は自分から遠ざけているが、二人もかなり人気者だ。モテモテだ。

「俺には勿体ない奴ばっかりだよ」

「それも、違うと思いますよ?」「えっ?」

「滝川くんだって、みんなに負けないくらい人気者ですよ?」

「いやいや、それは流石にないって! 俺なんかただの一般人だし…」

「そう思ってるんですね! でも、滝川くんが気づいてないみたいでよかったです! 気付いてたら嫌いになってました!」「な、何に!?」

「内緒です! 教えちゃったら、本末転倒ですからね。」

雑草越しに聞こえて来た妃那さんの声はどこか楽しそうだった。


 妃那さんとの初めての共同作業は、雑草を少しばかり刈り取ったところで終わった。

妃那さんと、どうしたらうまく刈り取れるかで盛り上がり、更衣室の前で別れて、緑色の跡がたくさんついた体操服から制服に着替え、外に出た。

「た、助けて~!」

すると、隣の女子更衣室から、妃那さんの声が聞こえた。

俺はただ事ではないと思い、女子更衣室の扉を開ける。

「ど、どうした!?」

すると、下着姿の妃那さんが俺に抱き付いてきた。

体操服越しではわからなかった、意外な弾力に驚く。

「ご、『ご』が! 『ご』が出たんです!」

「い、いや! その前に!」

俺が、何か言う前に、『ご』がカサカサと動き、こちらの方に近づいてくる。

「きゃ~!」

妃那さんは更に強く俺に抱き付き、胸を押し当てる。俺は、必死に考えた。

このままではまずい。女子更衣室は、あと数分で陸上部の女子部員たちが来る。ただでさえ気まずい関係なのに、もしこんなところを見られては一貫の終わりだ。

しかし、目の前の『ご』は近付いてくる。

俺は、妃那さんを抱きしめ、位置を変えて、かかとで『ご』を…。

「も、もう大丈夫…。『ご』はいなくなったよ」

「あ、ありがとう滝川くん…」

妃那さんはうるんだ瞳を俺に向ける。そのうるうるとした可愛い瞳を見ていると変な気分になりそうだった。すると、廊下から声が聞こえた。

「は、長谷川部長! 更衣室から悲鳴が!」「聞いている! ただちに確認しに行くぞ!」

「あ、あの声は! やばい! うちの部長だ! こんなところ見られたら俺、明日からどうすれば…」「と、とりあえず隠れましょう! あ、あそこに入ってください!」

妃那さんに指さされたのは、細長いロッカー。足元には妃那さんの制服らしきものが見えたが気にしてはいられない。俺は慌ててはいるが、どうしても肩が入りきらなかった。

「く、くそ! このままじゃ!」「わ、私に任せてください!」

妃那さんは俺の肩を押して、無理やり入れようとする。すると、ボコッという音がしてロッカーがへこんだ。へこんだおかげで肩が入り、何とか閉まりそうだ。

「ありがとう妃那さん! なんとかこれで行けそうだ!」

「うぬぬ…」

妃那さんは必死になりすぎているようで俺の声が聞こえていない。

「うわっ!」

そして、手を滑らせて、俺と向かい合うようにロッカーの中に入ってしまった。

「また声がした! 何が起きているんだ!」「や、やばいです!」

妃那さんは冷静さを失って、わけもわからずロッカーの戸を閉めた。

「…はぁはぁ…何もない? そんなはずは…声が聞こえたと思ったが…」

俺は前代未聞の危機に直面していた。

足元の妃那さんのカバンを挟んで、妃那さんとロッカーの中で二人きり。しかも彼女は下着一枚で、大切なところが体に当たっている。

「部長どうでしたか? やはり、『ご』の…」

「その名前を言うな! そいつの影はない! 安心して着替えていいぞ!」

「了解です! みんな大丈夫だって~!」

「よかった~」「うんうん、やっぱり怖いもんね~」「長谷川部長がいてよかった~」

次々と陸上部の女子が更衣室に入ってくる。万事休すだ。俺は妃那さんとこのまま、陸上部員たちが着替え終わるまでいないといけない。

「ご、ごめんなさい滝川くん! 私が慌てて変なことしちゃうから!」

「い、いや、俺の方こそ気付くべきだったんだ! どんなに慌ててたとは言え、流石に女子のロッカーに入るのはまずかった!」

「そ、それはいいんですけど…私変な匂いしないですか?」

妃那さんは小声で俺に問いかけた。

ロッカーの隙間の光で表情が見える。また泣き出しそうな顔で、上目使いに聞いてくる彼女。

俺はもう、必死に唱えるしかなかった。

「大切なものを失う…大切なものを失う…」

「だ、大丈夫ですか! 滝川くん! なんだか、目がうつろですけど…」

「そう言えば滝川はどうした?」

長谷川部長が突然俺の名前を出した。

俺は、その瞬間急に頭が冷えた。妃那さんは、びっくりして視線をロッカーの外へ向けた。

「滝川くんは今日も欠席でした。」

「やはりか…まだ引きずっているのだな、男らしくない奴め…」

「本当にそうですよね~リレーのメンバーから外されたからって練習に来ないで外されたメンバーと部活サボって遊びに行くなんて~」

「あんな奴、退部にさせちゃえばいいんですよ~」

「ほぅ、川勝と遊びに行くのを誰か見ていたのか?」「ええ、ツイッターにあげられていました。ゲーセンで傑くんや川勝君と一緒にいるところを見たと。」

「便利な世の中だな…だが、このままでは本当にみなの言った通りの男になってしまうぞ滝川…」

長谷川部長はいないはずの俺に呟いていた。

長谷川部長は、凛とした雰囲気の女性だ。長い髪の毛をポニーテルにし、鋭い眼差しで陸上部員を支えている若きエース。全国でも通用する100M走の選手で地区大会では大会新記録をいくつも出している。

俺のことも高一の頃から気にかけてくれていた。俺が部活に来なくなってからは、毎日メールが来る。大丈夫か。元気か。ご飯は食べているか。トレーニングは続けているか。変な女に引っかかっていないか。

女子部員と上手く話せなかった俺でも、優しく、時に厳しく接してくれた長谷川部長。だが、俺は長谷川部長の期待に応えることが出来ず、とある出来事がきっかけで部活に行けなくなった。

メールもすべて、うしろめたさから返せていない。

「さて、私は先に失礼する。最後の物はきちんと電気を消すように。」

そう言い残し、長谷川部長は更衣室から出て行ったようだった。

しばらくすると、数人の女子部員は最近の男子アイドルグループの話で盛り上がり、電気を消して出て行った。


 電気が消えると、俺と妃那さんはロッカーから出た。

「ご、ごめんなさい! 盗み聞きをするようなことをしちゃって…その…大丈夫ですか?」

「あ、ああ…俺は大丈夫だよ。それよりも妃那さんは大丈夫だった? あんなところでこんな奴と二人きりで…」

「い、いえ! 私は全然良かったですよ! そんなことよりも滝川くんが…」

「ならよかった。俺、ちょっと先行くわ。」

「た、滝川くん!」

俺は引き留める妃那さんを無視して、早足で更衣室を出た。


「お~ゆうちゃん! 帰ってきたか!? どやった妃那ちゃんとの初めての共同作業は!?」

「あやめちゃんかわいいもんね~! どうせ、浮かれてたんでしょ~?」

「二人ともまって。ゆうちゃん…様子…変…悲しみの黒い青…」

三人に教室で、声をかけられたが何を言われたか頭が理解できず、俺は「ああ、楽しかったよ。」と答え、自分の席に着いた。

ただ事でないと思ったのであろう三人は何やらこそこそと話し始めた。

「どうしたんだよ、ゆう。」

「今は、そっとしておこうよ健ちゃん。結構、嫌な事あったんじゃないかな?」

「…それもそうだな。放課後、今日はクレープ行こうぜ。」

健と傑も俺に気を使って、話しかけないでくれた。

俺は、窓際で俯いていると、いつの間にか眠りについていた。


               *


「ゆうちゃんどうしたんやろなぁ…」「ただ事ではないよね、あの様子…」

「久しぶり…あんなゆうちゃん…」

私たちは悩んでいた。出会い頭に突然あんなことを言って少し申し訳ないと思っても、誤りに行くことすらできない。

今日、そもそも私は不機嫌だった。突然妃那さんがゆうちゃんと二人きりで作業するとか言うし、完全に先を越されたからだ。

それで、ゆうちゃんにあてつけで嫌味を言ってやろうと思ったら、ゆうちゃんはなんかへこんで帰ってきたと、こういうわけだ。

そんな風に三人で悶々と考えていると、なにやら暗い様子の妃那ちゃんが教室に入ってきた。

「あっ! 妃那ちゃん! ちょ、ちょっとええか?」「少し話があるんだけど!」「良ければ来て…」

私たちが呼びかけると、妃那ちゃんは物憂げな表情をしつつもうなずき、私たちの元へ来た。

「なにがあったんや?」

「いや…はっきりしたことは言えないんですが…」

妃那ちゃんは、手を胸元でぎゅっと握り、重々しく口を開いた。

「皆さん、滝川君の陸上部の件は知っていますか?」

私たち三人は苦い表情で見つめ合う。

「…まぁ、うちらにとっては他人の話ってわけでもないしなぁ…」「むしろ、死活問題というか…」「今…もっとも…ほっとな…問題…」

「そう…ですよね…。なら…少しずつ話しますね…」

妃那さんは丁寧にいきさつの全てを話してくれた。

朝早く集まって、裏庭で仕事をしていたこと、仕事量が膨大でゆうちゃんがかなり妃那ちゃんの手助けを出来ていたこと、更衣室で『ご』が現れてそれをゆうちゃんが退治したこと、そして、焦った二人がセクハラ行為に及んだこと。

「なんでそうなんねん!」「なんでなの!? ねぇ、なんでなの!? 妃那ちゃんばっかり!」「むぅ…妃那…ちゃっかり…」「えっ!? えっ!? ご、ごめんなさい?」

「「「羨ましい!」」」

「あっ! そっちなんですね!? 怒られると思ったぁ…」

「「「怒ってるよ!」」」

「ご、ごめんなさいぃ~!」

妃那ちゃんは私たちの様子を見て慌てて何度も頭を下げていた。

私たち三人は別に、もちろん妃那ちゃんを責めるつもりもなく、妃那ちゃんを助けるために様々なことをしたゆうちゃんを責めるつもりもない。

ただ、純粋に、羨ましかった。

「で、いまんところただの自慢話やけど、それで終わりとはちゃうよな?」

「あっ、はい…。ここからがその…大変で…」

その先は何となく予想がついていた。朝の更衣室。女子ロッカー。男のような口調の女性。陸上部。これだけの要素があれば、察しが付く。

陸上部の部員が何か言ったのを二人、ロッカーの中で聞いた。

妃那ちゃんにいろいろ聞かれ落ち込んだゆうちゃんは、下を向き情けない顔をぶら下げている。

こんなところだろう。

「なぁ…真理、ふみ…ちょっと、外で話さへんか?」「そう…だね。」

「…こくり。」「えっ、続きはいいんですか?」

「ありがとう、妃那ちゃん。妃那ちゃんはなんも悪うないから、また明るく話しかけてやってぇな。ゆうちゃんそしたら、喜ぶと思うわ。」

「ゆうちゃんはああ見えて臆病なところもあるから、気まずくなったら自分からは行けないの! だから、時間を置いてでもいいから、良ければ、妃那ちゃんから行ってあげてね?」

「妃那…任せた…」「わ、わかりました! ありがとうございます!」

妃那ちゃんは驚いた顔をしてすぐに深く頭を下げた。

私たちは、「いいよ」と妃那ちゃんに優しく言うと教室の外で話をした。

「なぁ、ほんまにゆうちゃん大丈夫やろか? 相当弱っとるみたいやけど…」

「うん…私、今のゆうちゃん見てられないかも…」「意気消沈…」

「今のうちはまだまだやけど、二人は大分進んでるんやろ? 早くやった方が…」

私は軽い提案のつもりで言った。

だけど、それは言ってはいけない言葉だった。

「それはダメ! ちゃんと…ちゃんと全員の準備が出来てからだよ!」

真理は、突然大きめの声をだし、私の腕を掴んだ。

その眼差しは真っ直ぐと、私の『ゆうちゃんに手を差し伸べたい』という、私の甘い心を見据えている。

「すずちゃん…つらいのは…わかる…だけど…もう少しだから…」

「あぁ…そう、やったなぁ…。でも、それなしでどうやってゆうちゃん元気付けんねん。うちら今日放課後も…そう言えば、真理。今日の放課後何話すつもりや?」

「それは…ごめん…後で話すよ…」

先ほどとは違って、気まずそうに目をそらし俯く真理。

私と文香は、真理がなぜそんな表情をしていたのか、この時、わからなかった。


               *


 俺は寝ていたらしい。

妃那さんとの一件があってから、なにやら気分が重く、体がだるい。おぼろげに何度か目を覚ますことがあったけれど、またすぐ寝てしまう。

気付けば授業は四限の終わりに差し掛かり、すぐに昼休みになった。小学校の頃から聞きなれたチャイムの音を聞きつつ、眠気眼をこする。お腹は空いているけれど、健や傑たちにこんな姿を見せた後、話しかけるのは気まずく、俺は、空腹を誤魔化すために、もう一度睡眠をとろうとした。

「よう、ゆう! なにこんなとこで寝てんだよ! 飯行くぞ!」

「ほら、ゆうちゃん! 起きてぇや! みんなで久しぶりに食堂行くで!」

「ゆうちゃんの…好きな料理…私が…作る…」「え~! ふみちゃんつくるの~!? なら、私も自慢の腕を振るっちゃおうかな~?」

「いやいや、お二人ともダメですよ? ゆうちゃんの好きな料理は僕が作ります。」

健が肩を叩き、鈴が顔をつねり、文香と真理が個性的な会話をして、傑が止めに入る。(今回は少し抜けた事を言ってるけど。)

間抜けた表情をしていたであろう俺は、みんなのそんな様子を見ていたら、自然と笑顔になって行った。心の中で、「迷惑かけてごめん…」とつぶやきながらも、みんなの好意に甘えることにした。

「よし、久しぶりに俺の好きな、から揚げそばを食いに行くか!」

「そうこなくちゃだぜ! 俺が今日はおごってやるよ!」

「何余計なこと言うてんねん! うちがおごるつもりやったのに!」

「むぅ…私の料理は…?」「むぅ、私の料理は!?」「むぅ、僕の料理は?」

「なんで、傑までそんなこと言ってんだよ!」

「いえ、ちょっと面白いかなと思って。高等技術ノリツッコミ! 今日だけの特別サービスだよ?」「いや、ツッコめてないんだけど…」

「傑くん、ノリツッコミ言うんわな…こう…」

「ああ…なるほど…なるほど…そうだったんですね…」

「新しいことに挑戦することはいいことだね!」「笑いは…難しい…」

「いやいや、ぜってぇ二人ともわかってねぇよな? ゆう」

「わかってても嫌だけどなぁ~」

俺たちはわいわいと騒ぎながら、食堂に向かった。


 実際、食堂に行くのは久しぶりだ。

鈴音や健、真理の三人はそれぞれにグループがあって、そっちでご飯を食べることが多かったし、文香や傑とはよく囲んでご飯を食べるけど、それも教室の空いてる席で適当に座っていた。

高校入学当初は、よく幼馴染全員で食堂に行ったものだけど、ある日真理が「幼馴染みを大切にするのはいいけれど、このまま社会に出たら…」と、長々と説教を垂れ、なるべく一緒にいる時間を減らそうということで、一応意見がまとまった。

鈴音や健、真理の三人はそれからすぐにそれぞれのグループで活動することが多くなり、幼馴染み離れが出来ていたが、俺や傑、文香は友達が出来ず、三人をうらやましく思っていた。そんな背景もあり、昼食を共に食べるということ自体が久しぶりで、案外今日は悪い事ばかりじゃないなと思えた。

 

「な!? 健! うちのポテトサラダ取らんといてぇや!」「けちけちすんなよ~! 美人な顔が台無しだぞ? 大体お前昔からポテトサラダ嫌いだっただろ?」

「最近は大人の味が分かるようになったんや! 返せ!」

「ねぇねぇ…すぐちゃんの大根餅と…私のうどん…交換しない?」「えっ、いいんですか? 文香さん、全然手を付けていない様子ですけど…」「大根餅…食べたい…気分なの…」

「わ、わかりました。僕も、うどん好きですし…」

六人、男女三人三人で、食堂の左端の長机に座っていた。

対面している二人二人のやり取りが見ていて面白い。

「こうして、みんなで昼飯食うの久しぶりだな…」「そうだね…やっぱり楽しいや…」

真理が俺の声に反応してしみじみと返してくる。ちなみに、真理のトレイの上には、量り売りサラダバイキングのサラダとSSサイズの白米、味噌汁に白身魚、あとは申し訳なさそうにミンチ肉が少々と、すごくヘルシーな印象だ。

俺のから揚げそばは、油が多く真理のトレイの横に置くと、とても不健康そうに見える。

「なぁ、真理って前からそんな食事してたっけ?」

「ううん。最近からだよ~? 人前に立つようになったしね~」

「人前に?」「あっ、いや! なんでもないんだよ!? ただ、ほら! 生徒会長とかにもなりたいし!」「そうだったけ? 一年前は確か、生徒会長みたいな大変な仕事、自分からやる人ってすごいなーって言ってなかったか?」「だ、だから憧れというか…なんというか…」

「ふぅ~ん…そういうもんか…」

真理とこうして近くに座って話すのも久しぶりだった。

明るい色の長いツインテールの髪、純粋な物ばかりを見て来たかのような無邪気な瞳、透明感とツヤのある白い肌、顔を真っ赤にして慌てていて、それもかわいい。

真理の人気は非常に高くて、その理由は沢山ある。昨日のゲームセンターでも証明された高い運動神経。文化祭ののど自慢大会で合唱部や軽音部を押しのけ優勝を取るほどの歌唱力。校内五位以内には常に成績を置き続ける学力。誰とでも明るく接することができ、優しく、少し大胆なところのある性格。そして、少し小さな体も相まって幼さを感じさせる、とても可愛らしい容姿と雰囲気。真理は、アイドルのような存在だった。

でも、真理はただ可愛いだけじゃない。幼馴染み同士で長くいすぎるのは良くないと考えていたり、ケンカをすると一番凶暴に、攻撃的になるのも彼女、花崎真理だ。

実は小学校の頃、放課後教室に残って着替えをしていた真理のことを知らず、教室に何気なく入ってしまい、下着姿の真理に追い回され、背中を蹴られ、引っかかれたことがある。

その傷は今も深く刻まれていたりする。そんな彼女は、凶悪な毒を持ちつつ、気高い花を咲かせている。真理は、誰よりも誰かのことを考えて行動できる奴だ。

本当に相手のためになることを真っ直ぐに言える彼女の性格はとても清々しい。幼馴染み間での距離なんてデリケートな問題も、真理にかかれば、たったの十分の説教で解決する。

誰も真理に反論しないからだ。

みんな真理のことを正しいと思っているし、信頼している。

それほどまでに彼女は正しい人間だ。

だけど、抜けたところもある。特に生活面は全くダメだ。料理はできず、洗濯や掃除などの家事全般もNG。料理を作ろうとするとなぜかいつも、ジェル状になるし、バレンタインデーは俺や健、傑にとってはXDEYと化している。

洗濯をすれば、必ず柔軟剤と洗剤を間違え、分量も大スプーンのことを、おたま一杯分だと勘違いして、洗濯機に泡を吹かせたりもする。掃除なんてやろうものなら、掃除機をひっくり返し、ホコリを部屋中に充満させてしまうだろう。

それもすべて愛嬌でカバーしているのが、花崎真理という女の子だった。

「ねぇねぇ、聞いてるゆうちゃん? どこ見てるの? おーい!」

「あ、あぁ…ごめん。ぼーとしちゃって。」

「もぉ~。もっかい言うよ? 今度の夏休み、みんなで海に行こう!」

「えっ!? 海!? いきなりどうしたんだよ?」

「ふふ~ん。思い出作りだよ~! 高校三年生になったら受験もあるし集まりにくくなるだろうから、今のうちに沢山の思い出を作ろう!」

真理は両手を大きく広げ、子どものようにはしゃいでいる。

その姿は年相応には見えない。もちろん、低く見えるという意味でだ。

「でも、夏休みの話なんだろ? 当分先じゃないか。なんでまた急に…」

「だから、思い出作りだよ! 最高の思い出のために!」

「まあ、そうなんだろうけど…」

どことなく不自然な気がした。真理が突拍子もない事を言うのは普段通りなのだけど、逆に計画性のある話をするのは初めてかもしれない。

海に行こうということは昔からよくあった。けど、それはいつも早くて前日、ひどければ一時後に集合しようと誘う。何だか、三か月前にそんな話を持ち出したのは、高校二年生になって何かを学習したのか、それとも、よほど楽しみにしているのか…。

それはどちらにしても、良い事だと思った。

「そんなに楽しみなのか?」

「当たり前だよ! 六人で海だよ? ここ最近は行けてなかったし、このまま海に行かずに別れるのは嫌だから…」

「おいおい。俺たちが別かれるなんてまだ当分先だろ? 焦りすぎじゃないか?」

俺がそういうと、真理は少しむすっとして横を向いた。

「ふ~ん。ゆうちゃんはそう思うんだ…」「えっ…それって…」

俺が真理に言葉の意味を尋ねようとすると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、あやふやになったまま食堂を出た。

少し心の奥に突っかかりを覚えたけど、五時間目の数学で抜き打ちテストがあって、それどころではなくなり、放課後になる頃、薄く纏わりついていた黒い心の靄はどこかに消えた。


 放課後に幼馴染み六人が集まるという習慣やルールはない。個々で忙しくしていることの多い五人だし、クラスメイトとの付き合いもあるだろう。特に今日は文香、鈴音、真理、そして傑の四人が挨拶もせず、暗いおもむきで教室を出て行ってしまった。

残った俺と健は、首をかしげた。

「今日はみんなどうしたんだ…怖い顔して…」

「ほんと、挨拶もせずになんてめずらしいな。」

一人つぶやいていた健に、後ろから声をかけた。

「あっ、ゆう。今日も一日お疲れさん!」

「おう、お疲れ~。健はこの後何か用事あるか?」「特に何もないが…どうした?」

「じゃあ、一緒に帰らないか? 何なら寄り道しながらでも。」「久しぶりだな! どこ行く!? キャバクラとか…」

「行くかバカ! もう行く場所は決まってんだよ!」


 この町には、サンフランシスコ通りと呼ばれる大通りがある。

通りはサンフランシスコのような景観で、歩道の全てが少し灰色がかった白のレンガで、できている。建物も四角い建物が多く、白や茶色のレンガ造り。多くの店には清潔な印象のある白のテーブルクロスがかけられた上品な机が店の前に置いてあったり、日本ではあまり見かけない、布地の出し入れのできる屋根や、パラソルが目立つ。

サンフランシスコ通りは、正式名称を並河通りといい、デザイナーの並河鈴華が設計、デザインを担当し、七年にも渡り構想、設計、建築をしたビックプロジェクトで、町も二十億円投資した。

名前の由来では、並河鈴華本人が完成記者会見の時に、「お願いです。この通りの名前を私の名前にしてください。」と頭を下げている所がLIVE映像で全国に流れ、いつまでたっても頭を上げなかったというエピソードで有名だ。

 だけど、正式名称である並河通りと呼ばれることは殆ど無く、サンフランシスコ通りと呼ばれることが多い。店によっては、サンフランシスコ通り店などと表記しているところもあるぐらいだし、若者たちやこの町に越してきた人の中には並河通りという名前すら知らない人さえいる。

 名前を通りに付けたにもかかわらず、呼ばれることのない可哀想な並河鈴華だけど、世界的に有名な建築家だ。ヴァイオリニストの旦那を持つことでも有名で、この町の象徴とも呼べる人物。それが、並河鈴音の母でもある並河鈴華だ。

 そのサンフランシスコ通りを二人で歩く。

「行く場所って、サンフランシスコ通りか…もっとこうロックな場所に行くのかと思ってたぜ…」

「嘘つけ! キャバクラとか言ってたくせに!」

「ははは! そんなの冗談だ、冗談! 大体俺は行けてもお前は入ることすらできねぇよ!」

「うっせぇ! このホストかぶれが!」

「誰がホストだよ! ロックぽいとかそういう風に言ってくれ!」

俺らは下らない事をしばらく言い合いながら目的地に向かう。

そこは小さな喫茶店だった。

年季の入った木製の白い扉の上の部分にはつたがなぞり、扉から両隣の窓にまでかけて伸びていた。きちんと手入れはしてあり、いたずらに伸びているわけではなく、どこか規則性や芸術性を感じさせる。

『OPEN』と札のかかった扉を開けると、ドアの内側の鈴が鳴り、カウンターでコーヒーを作っていたマスターが出迎えてくれた。

「やぁ、ゆうくんいらっしゃい。健くんも久しぶり。」

マスターは温かい、ゆったりとした声で僕らに話しかける。

黒ぶちの眼鏡をかけて、長めの髪をきっちりとセットし、全身を黒で統一しその姿はさながらバーテンダー。イケメンということもあり、女性からの人気が高い。テーブル席の方には女子高生の姿もちらほら見えた。

マスターの店はサンフランシスコ通りができる前からずっと、変わらずこの場所にある。

この辺りは昔、森だった。その森の中を確か、鈴音と健、傑、文香で、探検をしてる時に見つけたのがこのお店だ。茂みを潜って、草の根をかき分けてたどり着いた場所だった。

そこだけくりぬいたように木がなかった。その開けた場所の地面には芝が生い茂って、優しい日差しがお店を照らしていた。子ども時代の俺はその神秘的な情景に見とれた。

俺達がそっと店の中に入ると、「やぁ、はじめまして。よく来たね。コーヒー…は苦すぎるかな?」そう言って温かい笑顔で出迎えてくれたマスターに、俺等はすぐ惚れ込んだ。

そして、初めて店に入ったその日。ここで真理と俺達は出会った。


「マスター今日もいい顔してるっすね! 俺もマスターみたいなクールなやつになりたいっす!」

「健くんや、ゆうくんには僕の持ってないもの沢山持ってると思うよ。」

「そんなことないですって。マスターになくて俺らにあるものなんて、あるわけ無いですよ。」

「…ゆうくんにもわかる日が来るよ。」

えっ、なんで俺だけ? 健はもうわかっているのか? と思いつつもマスターの見透かした目を見ていると有無を言わせてもらえなかった。

「さて、そんな若い二人には、このブレンドだ。」

あっ、なるほど若さか。と一人で納得し、カウンター席に座る。健も、「お邪魔しまーす!」と俺の隣に座る。こいつを見てると確かに俺らは若いなと思えた。

マスターは俺たちの顔を見ていつもブレンドを作ってくれる。

「『…フィーリべン•ゼィット』」

マスターはブレンドを作る最後に、目をつむり、この呪文を必ず言う。まるで、祈るかのように、穏やかに。英語が得意な傑は「これは、英語じゃないと思うな…何語だろう?」と不思議がっていたし、誰もどういう意味なのかは知らない。

「今日のブレンドは『写鏡』自分の心を映す味がします。君たちはどんな味に感じるのかな?」

透明のコーヒーカップにグリーンティーのような、薄く茶色いブレンドが入っていた。

俺たちは顔を見合わせると、頷いて口に含む。

「「にがっ!」」

「あははは。苦かったかい? じゃあ、君たちはお互いに気まずさを感じてるってことだね。…まぁ、ゆっくりしていきなよ。」

そういうとマスターはカウンター席の端の方でまた新しいブレンドを作りに行った。

「なるほどな…流石マスターのブレンドだ。」

心当たりは…ある。だけど…

「なぁ…ゆう、お前まだ、走る気はないのか?」

ああ、言いやがった。必死に見ないふりをしてたのに。

「お前…今まで話さなかったじゃないか。」

「だってよ! …いや、なんでもない。質問してるのは俺だぜ、ゆう。」


俺と健は小学校からずっと、足が速かった。中高とも陸上部に入って先輩たちを追い抜いて、いつもレギュラーで、リレーでも個人でも全国クラスだと自負していた。

その日も、いつもどおりのはずだった。

俺たちは入学してから、一ヶ月で一年生唯一のリレーレギュラーを勝ち取り、その一ヶ月後に公式試合に出た。

順番的にはアンカーからひとつ前が健、そのひとつ前が俺だ。

幼馴染みも家族も全員が見ているところでの出来事だった。

先輩がバトンを俺に渡すとき、渡す位置が練習よりも早く渡してリズムが崩れる。

「くそっ、トップスピードまでに時間かかるぞ…!」

その間にわずかだが二人に抜かれた。このままでは負けると思い、次のバトンを渡す位置をいつもより奥。健が本当に乗ったところで渡して、遅れを取り戻すと独りでに決めた。

最終カーブを回ったとき、順位は3位だった。距離の差はほとんどない。「ここで、差をつける!」俺は心で叫んで、リレーゾーンに入る。

俺が来るのを見ると、健はいつもどおり助走。次第にトップスピードに近くなってくる。健の背中が近づいていき、バトンを渡せる距離に入る。

健は一瞬手のひらを下に向けて、バトンを取ろうとするが俺は渡さなかった。

「健まだ!」「ぎりぎりまでか!?」「ああ!」「無茶だ!」「 今ならいける!」「えっ!?」

健は振り向き、俺と目があった。

そこにあったのは、驚愕の目。俺はその目の理由がわからず大地を蹴り、バトンを渡す。つもりだった。

だが、俺の足は地面を捉えていなかった。俺の足は…健のかかとを強く踏んでいた。

「ぐあぁあああ!」

健苦しげに叫ぶとその勢いのまま転ぶ。

「健!?」「…いいからっ! 何してんだよゆう! 早く渡せ!」

健は転んだあと、すぐに立ち上がって俺のバトンを奪いさり、走っていった。

それを見て安心した反面、負けるのは自分のせいだと思って絶望した。

試合の結果は言うまでもない。

『出張った後輩が調子に乗って、先輩の最後の夏を不意にした』

そういうことだった。

長谷川部長には殴られ、当然部の先輩たちから慰めてもらったりなんてこともなかった。

俺が酷い顔で俯いていると、もっと最悪な情報が追い討ちをかけた。

「滝川来い! 起きろ! お前の親友が!」

長谷川部長にたたき起こされる。

「えっ! どういうことですか!?」

「どうやら、腱をやっちまったらしい! とにかく病院だ! 病院に行け!」

俺は聞いた途端、建のかかとを踏んだ感覚を生々しく思い出した。

俺は頭を抱えてうずくまる。

「俺、俺のせいだ! 俺のせいで健は! 欲張らなきゃこんなことには! 自分を信じたせいだ…」

「御託はいい! とにかく、今はあいつの元に行くのがお前の務めだ! そのままそうしてるなら、頭蹴って、尻叩いてでもお前を連れていくぞ!」「で、でも俺は!」

「うるせぇ!」

長谷川部長は容赦なく頭の後ろに、回し蹴りをかました。

俺は暗くなっていく自分の意識を感じながら倒れた。


目覚めたらそこは、病院だった。

目の前には包帯で足をグルグル巻にされ、固定されている健が、ベッドの上でつまらなさそうに天井を見ていた。

本当に蹴飛ばされてそのまま連れてこられたらしい。

「おっ、めぇ覚めた見てぇだな! 先輩の蹴りどうだった!?」

「健…」

俺に気付いた健は、いつもみたいに無邪気に笑って話しかけてきた。

それが俺には辛かった。

「そんな顔すんなよ! 別に死んだわけじゃねぇんだし!」

「お前症状はどうなんだ…。その…走れるのか?」

健は気まずそうに俯いて、少し困った笑顔で「いや〜普通に走る分には問題ないんだけど、競技で走るのはダメだってさ〜よくわかんねぇよな〜」と言った。

それを聞くと耐えきれなくなって、何もかもを吐き出してしまった。

「そん…な…俺のせいで…」

「ちげぇって! ありゃ、お前に合わせられなかった俺のミスだ!」

「違う! 俺が欲張らなきゃ! こんなことには!」

「良いんだ!」

健は鋭く叫んだ。

「えっ…?」

「俺は元々陸上を辞めるつもりだった。他に集中したいことがあるからな」

「それって…なんのことだよ…」

初めは俺をかばうための言葉だと思った。

だけど、健の表情や雰囲気、言葉使いからはいつもの親しみやすい軽い雰囲気はない。

…本気だった。

「それは良いんだよ。とにかくお前は、これを重荷に感じて辞めるとかやめろよ? 俺は気にしてねぇし、お前がちゃんと走ってくれればそれでいいからよ!」

「あ、ああ…」

俺は健の言葉が本当の気持ちだとわかっていても、素直に「任せろ! お前の分も俺が走ってやるよ!」とは言えなかった。


それでも俺は健の気持ちになんとか答えようと、部活の顧問、男子の主将、回し蹴りを食らわした先輩に、それぞれ「健の分も頑張らさせて下さい!」と頭を下げた。

気持ちが上手く伝わり、翌日からレギュラーメンバーに混ざって練習をさせて貰えた。

だが、そこで俺の人生は大きく後転した。

リレーの練習。バトンを握り次の先輩に渡そうとしたとき、俺は足が止まってしまった。

バトンを渡すとき、健の足の感触を思い出して、恐怖でバトンを渡せなくなっていた。

いわゆる、『イップス』。心に大きな傷を受けて、立ち上がれなくなっていた。

女の先輩には、「得意の100mだけでも続けろ! このもやし男が!」と回し蹴りを食らわされ、再び意識を失うこととなったが、俺はもうとても競技で走れる気にはなれなかった。



「無理だ…健。俺はもう、走れない。」

「何も、決めつけるこたぁねぇだろ? リレーが無理でも、個人で走ればいいじゃねぇか。」

「…悪い。走る気分じゃないんだ」

「…そうか。」

「………お前に話とかなくちゃいけないことがある。」

「なんだよ…話さなくちゃいけないことって……」

「いや、それはな…あっ…そうか。…わりぃ、まだ言えねぇわ」

「な、なんだよそれ…」「まぁ、とにかく! あれは俺のミスでもあるってことだ、ゆう! お前だけの責任じゃねぇ!」 「ま、まだそのこと言ってんのか!? あの時、調子に乗ったのは俺で!」「……そうじゃないんだよ」「えっ?」

「いや、なんでもねぇ。ただ…また、ゆうが走る姿見てみてぇなと思ってさ」

「…悪いあんまり期待しないでくれ」

「……」

「話は済んだかい?」

「ええ、まぁ…」

「なら、これをあげよう。」

スッと差し出されたのは、見たこともないような………エロ本

「えっ! マスターなんすかこれ!」

「うわっ! これ、ちょーえれー! こんなエロいの初めて見たぜ!」

「ふふふ…男を強くするのはいつも……エロなのさ。」

「「マスターマジかっけぇす!」」

 マスターは眼鏡を方で触りながら小さく笑って、カウンターの奥へと消えていった。


二人でエロい話をしていると、さっきまでの重たい空気は無くなった。

これを見越してのマスターの計らいだったとすると、俺らはますますマスターに頭が上がらない。

帰り道俺達は、『大きいのと小さいの。どっちが正義なのか』について語りながら帰っていった。


家に着くと、リビングからカレーのいい匂いがした。俺は心の中で「よっしゃ今日はカレーだ!」と思いながら、二階の自分の部屋に行って部屋着に着替えた。

着替えてる途中、制服のポケットに入っていた、ケータイを何となく開くとメールが一件来ていた。鈴音からだ。


『あんな…うちやっぱ、耐えられんかもしれん…それが真里にとってもゆうちゃんにとってもいい事やったとしても、それがあんときの約束やったとしても…うちは…うちは…』


俺はメールの文面を見て、間違いメールだと思った。

このメールの意味が何一つ理解出来なかったからだ。

俺はすかさず、『鈴音大丈夫か? 約束とか俺のためとか真里のためとか、色々わかんないけどまた悩みがあるなら聞くぞ?』と返すと、二分もしないうちに、『うわっ! ごめん! 間違えて送ってもうたわ! このことは気にせんといて! というかするな! したら、傑くん助けた時みたいにするぞ!』と返ってきて、俺は慌てて『そ、それだけは勘弁してくれ!』と送った。

この時俺は、「うわ…鈴音がここまで言うなんて…言う通りにしておいた方が身のためか…なにより、元気そうだし大丈夫か」と大して気に止めなかった。

結局このメールの意味は夏が過ぎて秋が来るまでわからなかった。


 翌日。俺は、新妻先生の約束を果たすため、いつもより早く家を出なくてはならない。

少ない時間の中、昨晩のカレーの残りを朝もう一度食べさせてもらい、幸せな気分で家を出た。

 学校に着くと、妃那さんは体操服に着替えて待っていてくれた。

「おはようございます、滝川君! 今日もいい天気ですね!」

「おはよう、雨の中の作業は嫌だもんな」

「流石に雨の日はお休みだと思いますよ?」

「いや、あの先生ならわからんぞ…」

「ははは…」

妃那さんは昨日と同じように笑っている。昨日のことは殆ど気にしていないようだ。

俺は、内心ほっとしていた。昨日の今日で、気まずい空気になるのは嫌だったからだ。

「じゃあ、今日も頑張りましょう!」

「お、おう! よろしく!」

妃那さんは優しい笑顔で、両手でガッツポーズをした。俺はその可愛さに思わず、顔をそむけてしまう。

妃那さんの笑顔を見てると、不思議と癒される。彼女の全身から癒しのオーラが常に出ているかのように一緒にいるだけで体の緊張がほぐれたり、悩みが和らいでいくような気がする。

妃那さんの方をちらっと見ると、桜の髪留めで一つくくりにして前に下された髪が、ゆらゆらと風になびいていた。

作業は昨日と同じように、雑草を狩ることだった。

手当たり次第に、雑草の根元を鎌で切っていく。

「滝川君、質問…いいですか?」

「何? 妃那さん」

突然、妃那さんが雑草の向こう側から話しかけ来た。雑草の背が高すぎてしゃがんでる俺らはお互いが見えない。

「滝川君はその…告白とかされたらどうしますか?」

「こ、告白!? どうしたんだよ突然! 妃那さんもしかして告白されたの!?」

俺は驚きのあまり反射的に立ち上がってしまう。

すると妃那さんは「い、いえ! そういうわけじゃないんです!」と俺と同じ様子で立ち上がった。

妃那さんも俺も、顔が真っ赤だ。

「ただ…滝川君はどう思うのかなって」「い、いや…どう思うって…相手にもよるしな…」

告白なんて考えたこともなかった。そんなことは一度たりともなかったからだ。

憧れを持つことはあっても、自分には関係ない事だと思っていた。

「あ、相手はそうですね…例えば…私とか。」

妃那さんは指先をクルクルと回して、返事を待つように赤い顔を下に向けていた。

でも、俺には例えばの続きが聞こえず聞き返してしまう。

「例えば…? わ、悪い。良く聞こえなくて…」

「あっ、ああ! ごめんなさい! 例えばそ、そうですね! 幼馴染みの誰かとか!」

「幼馴染みか…」

俺は、幼馴染みのみんなの顔を思い浮かべた。

鈴音は、黒髪の美人でじっとしていれば日本一美しい女性だと思う。ただ、性格や態度、言葉使いが少し荒っぽくて、男勝りだ。でも俺は、鈴音の容姿もしゃべり方も、性格も全部好きだった。もし、告白なんてされたら……いや、そんなことはないか。鈴音は、傑の事が好きなんだもんな。

次に文香。文香は見た目おっとりしてるし、中身もおっとりしてる。誰よりも体の発育が良くて、年頃の男子には少し目の毒なところもあって、どんな話を聞いても面白くて飽きないし、もし毎日一緒に入れたらどんなに楽しいか。でも、文香は俺の事どう思ってるのだろう。少なくとも、嫌われてはいないと思うけど、果たして好きなんてことがあり得るだろうか。

もし、真理に告白されたらどうだろう。真理は、クラスの中心で俺たちの中心でいっつもきらきらしてる。長い二つくくりの髪を小さな体で一生懸命に躍らせて、本当に可愛い女の子だと思う。壊滅的な部分もちらほらあるけど。でも、それを気にさせないほどの魅力をいくつも持っている。類まれな運動神経や、テレビに出ててもおかしくないほど可愛らしい顔、少し小さめの身長で何に対しても全力な真理を見ていると、応援したくなる。

そんな真理に告白されたら…いや、これもないか。真理に俺は釣り合わない。

 さて、最後に傑か。傑に告白されたら……もちろんOKだ。綺麗だし、可愛いし、声とか女の子よりも綺麗だし、体細いし、胸とか無くて色々難しい問題はあるけど、二人でなら乗り越えられると思う。俺の傑への愛があれば…。

いやいや、待て待て待て。俺は今、何を考えていたのだろう。こんなのを妃那さんに聞かれたらとんでもないことになってたぞ。

「えっ…滝川君、四方君が好きだったの?」

「な、なんで!? もしかして声漏れてた!?」

「は、はい…。最初、よく聞き取れませんでしたけど『傑に告白されたら…』の所からはとても大きな声で…」

「ま、マジか!? ごめん、妃那さん! 話を聞いて!」

「わ、わかってますよ! 四方君綺麗ですもんね! わ、私みんなには言いませんし!」

「いやいや! 全然わかってない! 妃那さん、それは全然わかってない!」

「ま、まさかお二人はもうお付き合いを!? そ、そうですよね! 私も四方君は絶対に滝川君のこと好きだと思ってました!」

「あっ、やっぱりそう思う?」

「はい、そう思いますよ!」

妃那さんは優しい笑顔でそう言った。

「だよな~。俺もそう思うんだよ~。俺にしか見せない顔っていうかさ、俺だけ(本当は健も)名前呼びだし、いっつも親しく話しかけてくれるしさ~俺にだけ。(幼馴染だから)」

「そうですよね! 私も四方君になら滝川君をお任せできます! 末永くお幸せに!」

そうすっきりとした顔で言った妃那さんはまた、雑草の森の中に姿を消した。

俺はその表情を見てようやく事態に気付き「あっ…」と言葉を詰まらせながらがっくりとうな垂れる。

しばらく、どう誤解を解こうか…とモヤモヤ考えながら雑草を刈った。


 作業を終えると、何事も無く着替えを済ませて、傑の件の誤解を解きながら教室に向かった。

そう、今日問題があったのは更衣室の方ではない。(昨日は大変な目にあったけど。)

勿論、雑草の森の中でもない。(あれも大事件だったけど。)

教室だ。

事件は教室の中で起こっている。


 教室の扉を開けた途端、身覚えのある女の子に飛びつかれた。


「ねぇ…ゆう…ちゃん?」


「な、なんだよ…どうしたんだ?」


いつもと違う、弱弱しい、怯えたような姿に少しドギマギしてしまう。


俺は唾を飲んで、次の言葉を待った。


「今日の…放課後さ―――」



―――デート…しよう。


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