幕間①とある魔術師の呟き
―――『世界』は次元やら何やらとの角度だ定義だの小難しい事柄を変えてやると『別の世界』になるらしい。これが真実か否かはさておき、世の中には“もしもが存在する”という考え方は在って欲しいと願うばかりだ。―――
今から約50年ほど前、たまたま居合わせた男から一冊の手記と伝言を預かる事になった。のちに知った事だが、男は泰平の賢者と呼ばれた先代の王宮魔術師長その人で、現在は既に天寿を全うしたと聞く。彼の残した功績は二つ名の通りこのカーバイト国を大きく、平和で豊かにした。
異なる世界から現れたと云う彼は様々な意味で規格外だったが、少なくともこの国の者ならば成し遂げた偉業を讃えるだろう。確かに物の価値観に多少の違いはあれども愉快な男であったと思う、機会があればまた話をしたいと思う位興味深かったのは確かだが、彼を取り巻く周りが非常に煩わしかったのも事実。
何せ泰平の賢者が記したものは彼にしか読み書き出来ない複雑な文字で記されていた為、他者には全く読み解くことが出来ないという代物で、その読み方さえも彼は誰一人として教えようとはしなかったからだ。彼の弟子とりまき達が彼の行動や発言の全てを記録する為に常に纏わり着いて居るという状況だと、酒を飲みながら苦笑していたのを覚えている。
弟子が記したその記録は其の全てが多岐に渡っている為に様々な原本が存在しており、その多くは複製され彼の願いのまま多く世に広まったと聞く。だが、彼自身の手記によるものは条件付きで現在も保留となっているらしい。
―――これを読み解ける者が、全て読み切って尚かつ世に広めても良いと云ったなら任せる。―――
彼の手記の冒頭に必ず書かれている一文、勿論私の預かっている一冊にも入っている。そしてこれ以降に書かれている内容は文字らしき暗号によりの解読が一切出来ない代物だった。私もこのような難解な暗号は見た事も聞いた事もない。世界は知らない事柄に溢れているとつくづく実感した実例だ。
元々好奇心だけは他者よりは珍妙な事柄に関して働く私だが、彼の手記が旅に出るキッカケだったのは確かだ。魔術師としては部落で優秀でも、世界で比べればおそらく並以下だろう自分を知るいい機会でもある。そうして旅を始めてあちこちとぶらつきながら、4年程経った頃だった。
ブリネル共和国の西南にあるミゲールフ渓谷で小さな火吹き竜の子供が、えっちらおっちらと岩を登っては飛び降りて、着地に失敗してべちょっと潰れ、コロコロコロコロと転がる様を見かけた。この位の大きさならば恐らく卵から孵って5年も経たないだろう。普通ならば親が近くに居るものだが、それらしき存在が一切感じられない。
火吹き竜の生息域はもっと南東の暑い地域が挙げられる、生態としては群れで生きる小柄な竜として知られているが、性格は比較的温厚で仲間意識が強く、子供が親元から巣立つのは一人前になってからだ。戦争の道具として昔は乱獲され惨殺されたと聞く。今では魔術の進化により火吹き竜が争いに使われる事は無くなったが、その数は激減し見かける事がほぼ無くなった。現在は大陸規模の保護対象として扱われる珍獣として有名だ。
大人の火吹き竜ですら成人男性の二倍ほどの高さしか持たない彼等は竜の中では尤も弱い部類に入るが、幼少のころから知恵は高いと聞く。いきなり襲い掛かるような性格ではないし、こんな幼い個体を放置して置く様な薄情な性質でもない筈なのだ。
私の膝よりも低い体格、よろめきながら覚束ない歩みで岩によじ登り、何かの儀式のようにジッとしたかと思ったら、翼を広げてそのまま岩からひょいと飛び降り、そのまま地面にべちょっと着地する。そしてころころと転がりまくるのだが、火吹き竜は決して遊んでいる訳ではない。
楽しんでいるでもないが、痛みを感じているのも確かで、落っこちた後一生懸命何かを考えているようなのだ。じたばたとあがきながら何かを掴むために文字通り挑む様は、見てるだけの此方が妙にハラハラする。まるで一心に祈るかの様なその飛び降り方は何を意味しているのか。
私の好奇心が小さな火吹き竜に集まっていく。少し離れた場所で観察していて気が付かなかったが、小さい竜は何かしらの小さな声を出しているらしい。
気になってこっそりと意思疎通の術を掛けてみると、途切れ途切れではあるが歌っているではないか。聞いた事の無い不思議な曲ではあったが、当人は何とも楽しそうではある。
もしかして親を呼ぶ声なのだろうかと警戒していたが、日が暮れると同時に声がしなくなった。まさか弱っているのかとそっと近寄ってみれば、コロンと丸まって健やかな寝息を立てていた。
「火吹き竜の生態を見るのは初めてですが、これは無防備過ぎませんか?」
こういう個性と云えば聞こえは良いかもしれないが、ここは魔獣もいる地域。身を守る為の対処も無しに眠り込むなぞ、命を投げ出すも同義な行動に少々腹を立てかけて、はっとする。
火吹き竜が一人前として親元を離れるのはおよそ140歳。大概の生き物は親や群れの仲間が、生きてゆく為の方法を徐々に教え込むものだ。火吹き竜は仲間意識が特に高い生き物で、同じ群れの子供なら仲間が育てるほどと聞く。
しかし、この個体の親も群れの仲間も、ついぞ現れなかったのだ。 大きさから見て5年も経たない幼子を放り出すなぞありえないのだ。
危機管理など教える以前に此方の云う事を理解できるかどうかすら怪しい幼子を、そのままにして立ち去ることは私には出来なかった。
取り敢えず深く息を吐いて平常心を取り戻してから個体の周りに結界を張り、近くの木の上に移動してから仮眠を取る事にした。いつ、個体の親が現れてもいいように。
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結論から云うと私の心配は杞憂で終わった。 翌日の昼過ぎになって漸く目を覚ました個体は、翼の付け根にある補角ほかくで確認した処、信じられないが既に60歳になる子供だと判明した。人間でいうと5~6歳ぐらいだろうか。
この大きさで60歳という事は相当な成長不良か火吹き竜の亜種とも考えられるが、生憎私は専門家ではないので推測の域でしかない。だが、驚くべきはこれからだった。
「あのー、火吹き竜ってなぁに?」
個体に話しかけ、開口一発目の質問がこれだった。
その場で更に一晩過ごしながら話をした個体は私に名前を聞いてきたが、魔術師は一人前になると真の名前を与えられ、それを明かせるのは真に仕える主人か伴侶だけ、普段は通り名を使うが、故あって使えない事を告げると。
「じゃあ、ミゲールフ渓谷で出逢った魔術師さんなので、マミちゃんと呼ぶわね」
と、あっさり命名。一寸絶句した私に愛称ならホントの名前じゃないから大丈夫だと言い切った。
この呼び名に絶句したのは一応理由はある。だが、個体の思い付きで付けられた愛称の方が私には何故かよいと思えたのだ。
個体の呼び名も個体が己の名を知らないという事から、取り敢えずちび竜ちゃんと呼んではいるが、まさかそのまま周囲に浸透するなどとはこの時は思いもよらなかった。
そんなこんなでちび竜ちゃんとはこれがキッカケで長い付き合いとなったのだが、一番の驚きはタングステン村に来てから彼女の手記を目にした時だろう。
私にはどうしても読むことが出来なかった泰平の賢者が記した複雑な文字、あれが彼女によってあっさりと解読出来た事だ。何でも生前の世界で使われた言語だそうで、自国以外に他国の言語もいくつか混じっている為、読めても意味が分からないだろうと笑いながら告げられたその衝撃は人生で尤も鮮やかに刻まれている。
泰平の賢者が記した内容については彼女曰く、家族に当てた手紙のような内容で弱音のようなものだから辞めてあげて、と断られた。内容はともかく丁寧に記された暗号本は、物自体がとても質の良い薄紙と厚手の紙で創られた、表面に布張りされた高級品だ。持ち込む処さえ間違わなければ一財産にはなるだろうソレは、私にとっての旅の標だった。今は届け先の判らない手紙をどうすべきか、じっくりと考えるのもいいのかもしれない。
エルフである私は、世界を知るためにこうして旅に出ている。変わり者と云われる事も多いが、世界という書物を読むことに何ら関係はなかった。が、読み解く手段と云う視点を変えるだけで、世界はこんなにも変わる事を知った。この方法での解読なら私の頭にくすぶり続けるこの感情も、何かしらの答えが出るのかもしれない。




