大空翔子 Ⅶ
授業は当然、自習になり、教師の一声で全員が席に着かされた。そして絶対にベランダに出ないようにと言い聞かせ、教師は慌ただしく出て行った。そんな中でくそ真面目にも、不謹慎にも自習をやる生徒なんてもちろんおらず、他の教室からもざわつく声が聞こえてきた。ちょっとしたパニックのような喧騒だった。
大空翔子が屋上から飛び降りた。
その事実は隠しようがなく、下手をすれば落ちるさまを目撃した生徒もいるかもしれない。白昼堂々授業中に飛び降りるなんて、彼女はどこまで全校生徒の注目を集めれば気が済むのだろう。
そう思いながらも、僕の拳には力が入っていた。自分でも気が付かないうちに、精神の脱力感に反して、めいっぱいに拳を握っていた。
見届けてとは、ここまでのことだったのだろうか。
僕は今一度彼女の言葉を反芻する。終わりまでを、彼女の人生の終わりまでを見届けて欲しいということだったのだろうか。
もしそうだったとしたら、飛び降りることを伝えておいて欲しかったと文句を言ってやりたい。
何を見届けて欲しかったのか、やはり僕は彼女に問い質しておくべきだったのだ。こうなってしまっては、それはもはや叶わないのだから。
謎を残したまま、明確な答えも明かさないままで、大空翔子は空を飛び、地に落ちた。
彼女の友人らも、教師も、こういうことは全く予想だにしていなかったに違いない。どうして彼女が飛び降りたのか、それがわかる人間なんて誰もいないだろう。
教室内の喧騒を打ち消すように、救急車がやってきた。そして救護隊が動かなくなった大空翔子を車内へと運び入れる。みんなは教師の言うことなど聞かず、その様子をベランダに出て固唾を飲んで見守っていた。
僕は、静かにその場を離れた。
そのまま、教室のドアを開けて廊下に出る。
授業中に関わらず廊下を歩いていても、誰にも咎められることはない。その足で、僕は階段へ向かう。途中で覗き見た大空翔子がいるクラスの女子は、ほとんどが泣き崩れていた。互いに慰め合ったりしながら「どうして」「なんで」としきりに呟いていた。
その教室を通り過ぎ、階段を上がる。
早急に向かわねばならなかった。
じきに教師と警察がやってきて、屋上を封鎖してしまうだろうから。
屋上の出入り口には普段、鍵がかかっている。僕がそこへたどり着いた時には鍵がかかっていなかった。当然っちゃ当然だ。大空翔子はこの先から飛んだのだから。どうやって鍵を手に入れたのか、彼女の手腕に興味があるけれど。
屋上へ出ると、教室の喧騒とは打って変わり静かだった。風抜けが良く、気持ちがいい。だけど今は悠長に風に当たっている暇はないのだ。
僕はまず屋上を囲むフェンスを確認する。フェンスの高さは三メートルくらいだろうか。乗り越えるだけでも苦労しそうだった。どこにも壊された様子はなく、どうやら彼女は乗り越えて飛び降りたらしい。さすが体育会系。ここでは不謹慎か。
もしかして、万が一にも、何者かに突き落とされた可能性も残されていたけれど、この高さのフェンスでは無理だろう。大空翔子を気絶させて、彼女を抱えたままこのフェンスを乗り越え、投げ飛ばさない限りは。ここにあまり長居をして、誰かに今を見られてしまったら、僕がその犯人扱いされてしまうかもしれないな。教室にいたアリバイはあるけれど。
僕はフェンス沿いを歩き、彼女が飛び降りた場所を探す。
「ここか……」
地上に植えられてある、端から数えて三番目の木の辺り。周囲を見渡してみても、遺書も靴も置かれていなかった。それを目当てでやってきたわけではないけれど、まあ、何かしらのメッセージめいた手がかりでもあればと、多少期待していたことは否定しない。
しばらく、眼下を眺めていた。
地上では教師が教室に向かって怒鳴り散らかしていた。まだまだ教室の喧騒は収まっていないらしい。それと、校長と教頭が何かを話し合っている。現場はまだ片付けられていない。警察の現場検証が終わるまでは現場を保存しておかなくてはならないからだろう。
目下の木は片側だけ枝が折れ、かろうじて繋がっている木は風に揺られていた。改めて見ても、痛々しい。並んでいる木の中では一番大きかったのに、片腕を折られた木も、まさか人間を受け止めるなんて思ってもいなかっただろう。
大空翔子はどんな思いを抱えてここから飛んだのか。
「高い」
自殺を図るのなら、僕は飛び降りなんてごめんだ。飛ぶ以前に足がすくんで動けなくなってしまう。フェンスでさえ乗り越えられる気がしない。よくもまあこんな高さから木に向かって飛べたものだ。
「…………跳んだ?」
もう一度、フェンス沿いを一周してみる。確かめるために、確かめるまでもないのだけれど、もう二周してみた。
「ふうん……」
飛び降りる以外の方法があったんじゃないのか。もっとも、僕には到底無理だけれども。そんなことを言える資格もないだろうけれど。
飛び降りるくらいの勇気と覚悟があるのなら、なんだってできたはずなのに。
他人には言えないけれど、
「不器用すぎる奴だなあ」
そんなことを、運ばれて言った大空翔子に向かって言った。