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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
6/42

大空翔子 Ⅴ

 よく晴れた日曜だった。

 快晴、晴天である。

 真夏日でもあった。

 よくもまあこんな暑い日に応援なんてやってられるものだ。そう思わずにはいられなかった。何が面白くて全く興味のない陸上競技の応援なんてしないとならないのか。

 それもこれもすべて大空翔子のせいだ。

 今回ばかりは関わり合いにならない方がよかったのかもしれない。これまで僕が話してきた奴らは、どちらかと言えば僕側の人間だった。そういう人間とばかり僕は接してきていた。お天道様の光を全身に浴びて輝いているような優等生に話しかけるべきではなかったのだ。僕とは正反対の位置に属している相手だったのだから、僕の予測が及ばない事態にだって成り得たのに。失敗だった。せめて情報収集をもっとしっかりやるべきだったのか。しかしそれは無駄だっただろう。大空翔子を知る人間は、やはり大空翔子のことしか知らないのだから。

 僕は総合グラウンドに着くなり、隅のスタンド席に腰を落ち着かせた。スタンド席の中央付近では、先日も見た大空翔子の友人らが陣取って、彼女の出番を心待ちにしているようだった。ご立派な横断幕も掲げている。

 僕が言われた通りにここに来たことを証明するために彼女らに話しかけようとも思ったけれど、あまりにもテンションが違ったためにやめた。大空翔子はさておき、彼女らは僕のことなど気にも留めないだろう。

 僕の役目は大空翔子の出番が終わるまでスタンド席の一部となって見守ることだけだった。

 ここに来る前に競技プログラムを確認してきたけれど、大空翔子の出番は午前の競技で最後だった。今は午前九時。これも失敗だった。周囲の人間から情報を入手する手段を持たない僕は、大空翔子の出場時間帯を知ることができなかったのだ。校内の掲示板には、今日の大会がここで開催されることと開会時刻は載っていたけれど、詳しいプログラムまでは書かれていなかった。一旦家に帰ることも考えてはみたものの、ここから僕の家までは若干の距離がある。それをこんな暑い中で往復するなど、それこそ愚行だった。熱中症対策は万全ではないのだ。手元にはペットボトルがあるが、それは早くもぬるくなっていた。

「今から開会式かよ……」

 思わず口から愚痴がこぼれてしまう。

 選手入場のアナウンスと共に、汗水流す青春野郎たちが続々とグラウンドにやってきた。あとから知ったことではあるけれど、この大会は夏休み中にある全国大会の予選も兼ねているらしかった。みんな相当に気合が入っていることだったろう。

 しばらくその光景を眺めていて、僕は大空翔子の姿を発見した。何か、人一倍に大手を振って、見ようによっては子供っぽく見えた。

 彼女の友人らが歓声をあげる。余裕があるのか、彼女はそれに笑顔で応えていた。

 入場行進が終わり、開会式が始まった。挨拶と、選手宣誓。それだけ済ませて選手たちは散っていった。

 そして早々に競技が始まった。最初は二百メートル走からだった。黙って見ていたけれど、特に感想はない。速いのか遅いのかもわからない。うちの陸上部の選手は三位だったけれど、走り終わったあとには悔しがっていた。ふがいない結果だったのだろう。

 次々に競技が行われていく。選手の奮闘に、応援する側は一喜一憂し、この大会を楽しんでいるようだった。

 僕はただぼうっと眺めているだけだ。暑いなあと、早く帰りたいと、それだけが頭の中を巡っていた。容赦なく降り注ぐ日の光。それを防ぐ術も持たず、じっと暑さに耐えていた。そのうちに睡魔が襲ってきて、僕はそいつにあっさりと陥落させられてしまった。今の僕にはセミの声も、歓声すらも子守唄にしか成り得なかったのだ。

 どれくらい時間が経ったのかわからなかったけれど、僕は肩を激しく揺さぶられて眠りから覚めた。随分と日の傾き加減が変わっていたので、小一時間は夢の中にいたらしい。起きたらベッド。それは夢のまた夢だった。

「おはよう。真黒くん」

 声のした方を振り向くと、そこには大空翔子が呆れた様子で立っていた。

 いつも見ていたユニフォーム姿に、今日は高校名と名前が書かれたゼッケンを胸に張り付けていた。

「こんな暑さでよく寝てられるものね」

「こんな暑さでよく走り回れるものだね」

 彼女は少しだけ笑って溜息をついた。僕の変わらぬ様子に安心してくれたのかもしれない。

「もしかして、もうキミの出番は終わったのかな?」

「終わってたらあなたはもう二度と夢から目覚めなかったでしょうね。あたしはこれから。だから起こしに来たの。他の人のはいいけど、あたしのはちゃんと見ていて欲しいから」

 まあ、せっかくここまで来たのだから、彼女の活躍の様子を見ずに帰るのはいささかもったいないというものだ。待った分くらいは、楽しませてもらわないと。

「僕がここにいるってよくわかったね」

「開会式の時から見つけてたよ。あなたって、隅っこの方にいそうだったから」

「なかなかやるね。お手上げだよ」

「それじゃあ、あたしはこれからウォームアップしないといけないから。ちゃんと起きて見てること」

「わかりましたよ」

 僕は競技が終わるとすぐに帰るから感想を求めるのは無駄だと付け加え、グラウンドに駆けて行く彼女を見送った。

 さて、これでようやく待ちに待った大空翔子の出番がやってくるというわけだ。

 この大会で、僕が唯一興味を惹かれることがやってくるというわけだ。

 あれから僕は考えていた。彼女が言った言葉の意味を。見届けて欲しいと言ったその意味を。やはり一番に出てくる答えは、彼女の努力の成果を見て欲しいと言っているのだろうということだった。部活の時間が終わっても、ただ一人残って練習を続けていた。今年こそは一等賞を取ってやろうと、意気込んでいるのかもしれない。でも、そう考えてしまうと、わざわざ僕に見届けて欲しいと言った説明がつかないのだ。努力の成果を見届けて欲しいのなら、今まで応援してくれていた部活の仲間や友人らがいるはずだ。そういう人たちこそ、彼女が結果を残すことを喜ぶはずなのだ。あんな横断幕まで掲げてもらって、優等背冥利に尽きるだろう。まあ僕と彼女は違うんだよっていうことを見せつけたいという線も残っているのだけれど、そのためにわざわざ僕を? という疑問も残る。彼女と僕との立場の違いなんて、普段からふんだんに見せつけられているのだし。

 実質、僕が彼女と接点を持ったのは、数日前からなのだ。それも会話を交わしたのは今日も含めて四度だけ。彼女にとって、僕なんて無視してもいい存在のはずなのに、教室にぞろぞろと親衛隊まで連れてやってきて、執拗に観戦にくることを要求してきた。

 謎だった。

 まったくもって謎だった。

 とても意味のあることとは思えなかった。本当は意味なんてないのかもしれないけれど、教室で彼女が見せたあの真剣な眼差しは、何かを訴えようとしているとしか思えなかったのだ。今日の結果で、何かを訴えようとしているのかもしれない。

 この僕に。

 自意識過剰なのかもしれないけれど。

 まあ、見届けようじゃないか。

 ついに走り幅跳びの競技順を迎えた。男子、女子の順で競技が行われ、大空翔子はそのトリを務めるらしい。楽しみは最後にとっておくといったところか。

 一人二回の跳躍をして、その良い方の結果が記録となるらしい。

 まずは男子からなので詳細は割愛。次の女子の前半も興味がないので割愛。僕から言うべきというか、言えることがあるとするならば、それは競技についてではないことは明らかだ。

 選手たちはみんな様々な『黒』を抱えていた。この大会への思い入れもあるだろうし、緊張もあるだろう。それでもみんな同様に言えることは、競技を終えた選手は、その結果が良くも悪くも『黒』が小さくなり、薄らいだ。これほど顕著に見えるとなれば、やはりこの大会は重要なものらしい。

 いよいよ、大空翔子の出番が近付いてきた。しかしその前に、ある選手が登場してきたことで会場がひときわ沸いた。

 うちの大空翔子応援団とは別に、大所帯の応援団がいたのだ。大空翔子の横断幕に負けないくらいの横断幕を掲げていた。どうやら有力選手らしかった。ここからは横断幕の表も見えず、アナウンスもろくに聞いていなかったので名前はわからなかった。特に興味もなかったし。

 その選手がスタンド席に笑顔を向けると、そのお相手の応援団は大いに沸いた。そして笛の音が鳴り、跳んだ。

「ほう……」

 僕は思わず口に出していた。

 僕の記憶にあった、大空翔子がいつも着地していた地点よりも遠くに着地したからだった。ちらりとスタンド席へ目をやると、大空翔子の応援団は黙りこくっていた。大空翔子の過去の成績を見た時、彼女はいつも二位だった。そして、彼女の上にいる存在が、たった今競技を終えたということだった。記録がアナウンスされ、場内が沸く。どうやらこの大会での新記録らしかった。

「ははっ」

 大したものだと正直に思った。記録が更新される瞬間というものに立ち会ってしまった。僕にとっては初めての経験だった。しかしながら僕の口から不意にこぼれた笑い声は、この瞬間に立ち会えた喜びからではなく、大空翔子の絶望を感じたからである。

「こりゃダメだな」

 今回も、上には立てず。いいところ二位だ。どう表現していいのかわからないけれども、素人の僕から見ても、さっきの彼女の跳躍はきれいで美しく、完璧なものだと思った。大空翔子は勝てない、そう思わされたのだ。だからこそ、大空翔子の友人らも押し黙ってしまったのだろう。

 それでも人は奇跡を信じるものである。

 大空翔子の競技順が来ると、友人らは奇声をあげるがごとく声を張り上げ応援を始めた。いわばここのグラウンドはホームなので、大空翔子の応援が一番多かったのだ。会場内には大空翔子の名前が飛び交っていた。

「こりゃ大変だなあ」

 相当なプレッシャーだろうと、僕は彼女を眺め見る。彼女はその場で何度か小さく跳ね、手足をぶらぶらと振って準備をしていた。『黒』加減は相変わらずである。

 そして大空翔子の一回目の跳躍が始まった。

 そして僕は不覚にも、彼女の姿を食い入るように見つめていた。彼女の友人らも同じだ。みんな奇跡を信じていたのである。

 いつも通りの助走から始まり、加速して、踏切位置へ駆ける。そこで僕は違和感を覚えた。

 歩幅が合っていない。リズムも違う。

 そのまま跳躍した結果は、いわずもがな良い結果ではなかった。

 大いに沸いていた会場はまた静まることを余儀なくされた。しかしすぐに息を吹き返し、大空翔子へ次々と応援を浴びせる。

 当の本人は特に気にした様子も見せず、再び助走位置へと向かっていた。

「…………」

 なんだろう。これが僕に見届けて欲しかったことなのだろうか。あんな失敗を見て欲しかったのだろうか。

 いや、あと一回跳ぶことができるのだから、最後の最後で何かを見せてくれるのだろう。

 ペットボトルを握る手に力が入る。

 迂闊にも、僕は心の中で大空翔子を応援していたのだ。

 なんだそれは、と僕は大空翔子に向かって心の中で呟いていた。

 僕が以前ここで彼女に言った、失敗することが楽しみだということは本心ではない。彼女の憤りを買うために言ったことであって、本気でそんなことは思っていない。

 そんなものじゃないだろう。

 見せてくれるんだろう。

 そして、大空翔子の二回目の跳躍を迎える。友人らが固唾を飲んで見守る。

 まただ、と僕は思う。

 助走だけはいつもと変わらないように見えるけれど、また歩幅が合っていない。リズムもまた違う。

 結果は、一度目の跳躍と変わらなかった。そして彼女の様子も変わらなかった。特に悔しがることもなければ、極めて冷静な表情でグラウンドを去ろうとする。

 スタンド席ではどよめきが起きた。大空翔子の友人らは互いに顔を見合わせ、動揺を隠せないでいた。奇跡は起こらなかったのだ。いや、これは起こさなかったというべきなんだろうか。

 僕は、静かに席を立った。

 その時だった。

 大空翔子と目が合ったのだ。どうだと言わんばかりに、僕に、間違いなく僕に視線を送っていた。

「たしかに見届けたよ」

 僕はその場で小さく呟いた。聞こえるはずのないその声が聞こえたかのように、僕が呟いたあと彼女はグラウンドを去っていった。その影を追うように、彼女の友人らもスタンド席を慌ただしく離れていった。

 大空翔子は、予選落ちだった。

 彼女の『黒』は真っ黒々に染まっていた。





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