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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
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大空翔子 Ⅳ

 まず甘かったことが、僕の大空翔子に対する認識だった。『黒』を見て、少し話しただけで彼女のことをわかってしまったように思ったことだった。

 彼女が抱えている『黒』の原因の大半を占めているのが、人間関係だ。直接、彼女と話したからこそわかったことである。僕が知っていた、あるいはみんなが知っている大空翔子と、総合グラウンドで僕の前で見せた大空翔子の相違。噂で耳に届いていた、遠目から彼女を眺めて知っていた大空翔子と、実際に放した大空翔子とではかなり印象が違っていた。

 誰にでも優しくて、人あたりが良くて、表情豊かでよく笑う大空翔子。これはみんなが知る大空翔子だ。実際話してみると、そんなことはなかった。人のことを罵り嘲笑い、それを楽しんでいるのが僕が見た大空翔子だ。

 実際のところ、彼女と話す前からそういうことだろうとおおかた予想はついていた。彼女の『黒』の原因はそういった本音と建前のバランスなのだろうと。

 あの総合グラウンドで、僕は体よく彼女の本音をさらけ出すことに成功したのだ。

 ではなぜ僕の前で本来の彼女が出てきたのか。誰にでも優しい彼女が、どうして僕のことを罵り楽しんでいたのか。

 それは僕に友達がいないからだ。

 僕が大空翔子なんて知らないと言ったからだ。

 彼女が優しいのは、彼女を知っている友人を持つ友人の前だけなのだ。

 だから僕は彼女のかっこうの的になった。自分のことを知らない人間で友達もいない奴なら、誰にも伝わることはないだろうと彼女は思ったのだ。

 実際、僕は誰も話す相手はいないし、言わない。僕だけが知っているということで優越感を得たいからだ。それは以前にも話したと思う。

 大空翔子は自分のことを守っている。本当の自分の姿をさらけ出すことを恐れている。その理由まではわからない。せっかく作り上げた自分の世界を壊したくないとか、そういう理由だろう。

 だからだ。

 僕の彼女に対する認識というのはそういうことで、本当の彼女を知る僕に、本当のことを知る僕の前で、本当の彼女を知らない友人を連れて話しかけてくるなんて、露ほども思っていなかったのである。

「こんにちは。真黒くん」

 昼休みのことである。

 彼女はわざわざ僕のいる教室までやってきて、そう言ったのである。ご丁寧にも自分の取り巻きである友人らを数人連れてのご参上だった。僕の教室にやってきた時も、うちのクラスメイトが気軽に彼女に挨拶をしていた。それに笑顔で答える大空翔子だった。友人が多いのである。

 そんな注目を浴びる中で、僕に向けて話しかけてきたのだ。気が気ではなかった。注目されることにも慣れていなければ、僕が話しかけられたことで周りの人間の『黒』が少し膨らんだからだ。逃げ出したかった。

 だから無視した。聞こえないふりをした。まるで自分が真黒という人間ではないように。僕なんかに話しかけてくるわけないだろうと心底信じている人間のように。

「こんにちは。――真黒くん」

 二回言った。わざと名前を強調させて言った。逃れようがなかった。

「や、やあ。こ、こんにち、は……」

 仕方がなく、やむを得ない状況で、僕は挨拶を返したのだった。

 僕にとってはこの上ない苦行だった。みんなの視線の中で声を上げるなど、常軌を逸した行動だった。

 何はともあれ、早いとこ要件を済ませて欲しい。そう願うばかりだったのだが、それを邪魔するのが彼女の友人らだった。

「ねえ翔子。誰?」

「うーんとね、最近部活の時に応援しにきてくれる人」

「えーっ、それってストーカーじゃない? なんかぽいし」

「もう、そういうこと言わないの。頑張れって声かけてくれるだけだから」

 そんなこと一言も言った覚えはないし思ったこともない。ストーカーだの言われて、クラスメイトの奇異の視線がさらに突き刺さる。小声でひそひそと何かを話されている。いくら僕でも目の前でやられるのは多少堪えるものがあった。

 それと同時に、僕の立場をはっきり理解してか、大空翔子の口元が吊り上るのが見えた。そして彼女の『黒』が少し薄らいだのだ。彼女はこの状況を楽しんでいた。

「ごめんね真黒くん。あとであたしがちゃんと弁解しておくから」

 弁解とは。たしかにストーカーまがいの行動はしていたけれども。

「あのね、今日は真黒くんにお願いがあって来たんだ」

 両手を胸の前で合わせ首を傾げ、なんとも可愛らしい仕草だった。

 思えばこの大空翔子と話すのは初めてだった。表情、仕草、声色まですべて作られている、偽物の大空翔子だ。

「な、なに、かな」

 そこで彼女は僕の手を握ってきた。普通の男子ならこれだけで陥落ものだ。どんなお願いとやらでも必死で叶えてやることだろう。

 しかし僕は違う。この笑顔の裏にとんでもない悪意があることを知っている。僕にとっては逃げられないように手錠でもかけられているようなものだ。

「今度の大会、真黒くんに応援しに来てもらいたいんだ」

 ぐっと、握る手に力がこもる。目の前には笑顔があったけれど、その握力はすさまじいものだった。さすが陸上部エースである。

「そ、それは、一度断ったはずだけど?」

「うん。だからね、もう一度お願いしに来たの。ねっ、応援、しに来てくれないかなあ?」

「い、いあ、僕は……」

 一体何がしたいんだこいつ。応援なんて一人や二人いてもいなくてもかわらないだろうに。特に僕なんかが行ったって黙って見てるだけだ。それとも人が多いところに連れ出そうという嫌がらせなのだろうか。

「お願い。あなたに見届けて欲しいの」

「…………」

 なんだったのだろう。今の言葉には力があった。真実味があった。マジだった。見届けて欲しい。何を? 結果を? 努力の成果を? 意味がわからない。僕の思い通りにはならないとでも言いたいのだろうか。

 どうして、僕に見に来てもらいたいのか。その真意はわからない。わからないけれど、これは、彼女の真面目な願いなのだ。本来の彼女の真摯な願いだ。それをむげにできるのか。しばらく自問自答を繰り返した。

 彼女が競技を始めて終わるまでにどんな『黒』の変化があるのか多少なりとも興味がある。人間関係が『黒』の大半を占めているという僕の考察が間違っているかもしれないし。しかしながら人が多いところにわざわざ出向くというのはやはり気が滅入ることだ。でも、彼女が見届けて欲しいという“何か”に興味がないわけでもない。でも……。

 僕が悩んでいると、彼女は僕だけに聞こえるように呟いた。

「いい加減にしないと、最終手段に出るからね」

 顔は笑ったままだった。

 いい加減にしてほしいのはこっちである。

「さ、最終手段って……?」

 尋ねると、彼女は連れてきた友人らをちらりと一瞥した。

 その瞬間、戦慄した。

 なんて恐ろしいことを思いつく女なのだろう。

 もはや僕に残された手段は白旗を振ることだけだった。屈服することだけだった。

 僕は深く溜息をつく。ここで彼女の要求を呑んで、当日応援に出向かなかったとすれば、彼女はまた容赦なく僕を責め立てにくるだろう。それだけは勘弁してもらいたい。ここは素直に従うしかないのだ。そうして、僕はその旨を伝えるべく口を開いた。

「わ、わかっ――」

「ねえ、みんなからもお願いしてくれないかなあ」

 僕が言い終わる前に、彼女は振り返って友人らに向けてそう言った。再び僕の方へ振り返った彼女は、愉快そうに笑っていた。いやらしく笑っていた。

 鳥肌がぶつぶつと立つ。身震いする。悪魔だ。大空翔子。なんて奴だ。結局こうなってしまった。いや、これは僕の判断ミスだ。嘘でもなんでもいいから公衆の面前で彼女に逆らうべきではなかったのだ。

「おっけー翔子」「あんたが誰だか知らないけどさあ」「いいじゃん見に来るくらいさあ」「応援ならわたしたちがやるって」「女の子が頼んでるんだから」「そこいらの男子ならソッコーオッケーしてるって」「とりあえず来るだけ来れば」「おーねーがーいー」「えっ、ていうかこいつ誰だっけ?」「翔子ちゃんの応援だけして帰ればいいから」「知らない」「ちょっと聞いてんの?」「一緒に応援しようよ」「真黒くんっていうの」「いやいや、一緒は、ねえ、ないでしょ」「今度は優勝するんだよー」「翔子ちゃんのために」「ふぁいとーって」「翔子のためだから」「いい? 来るの? 来ないの?」「翔子が言ってるんだから義務でしょ」「来ないなら来ないでもわたしらは」「えっとー、マグロ?」「お願い」「もう、真黒くんだってー」「お願い」「お願いしまーす」「お願い」「お願い真黒くん」「お願い」「お願いよ」「真黒くん」「え、ちょこいつキモ」「お願い真黒くん」「あれ、大丈夫?」「真黒くん」「お願い」「なんか目イッテる」「お願いよ」「お願い」「お願い」お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いおねがいお願いお願いオネガイオネガイオネガイオネガイオネガイオネガイオネガイおねgいおngいおねがIおねオネガイ「みんなーちょっと待って待ってー」

 ひぃっ、ひっ、ひっ、ふひっ、ふひっ、ふっ、ふっ、ふー、ふー……ふぅ……。

 ようやく、嵐が止んだ。止めたのは大空翔子だ。その彼女は終始悦楽の表情だった。

「もう、お願いしてって言ったけど、そんなに捲し立てたら真黒くん困っちゃうじゃない」

 困るどころではない。こんなの拷問以外の何物でもない。個対個ならともかく、多人数の『黒』で攻め立てられてはぐうの音も出ない。僕の心は完全にグロッキー状態だった。息ができなかった。どいつもこいつも嘘ばかりだ。だれも大空翔子から頼まれていた時には笑っていたけれども、彼女らの『黒』は濃さを増した。僕と話すことを嫌がっているのだ。目の前のこいつらは。

「来てくれる? 真黒くん」

 大空翔子のその問いかけに、僕は無言で、震えるように何度も小さく頷いて返事をしたのだった。

 声を出す気力も根こそぎ奪われていた。



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