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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
38/42

水鏡杰 Ⅷ

 僕はとりあえず、場所を変えることにした。

 バスの停留所で彫刻刀を突き付けられて女の子を泣かしてしまっているものだから、一刻も早く立ち去る必要があったのだ。

 これについて僕に非があるとは思えないのだけれど、まあこういう不憫さも慣れっこなので逃げるという選択肢が必然だった。

 そしてやってきたのは静かな公園。

 住宅街に位置するこの公園はアスレチック遊具が豊富に設置しているものの、もう随分と寒くなってきたこの季節だから外で遊ぶような元気ハツラツな子供らはひとりもいなかった。

 えみりぃんは彼女に任せて砂場遊びでもしてもらうとして、僕は水鏡杰とふたりでブランコに座った。ふたつしかないブランコの座席を高校生ふたりが独占しているのは子供らにとっては迷惑なことだろうなと、水鏡杰の憔悴っぷりは見ない事にして僕はそんなことを思うのだった。

 水鏡杰にバス停で出会ったのは偶然。

 約束のあのカフェに向かう途中、神様の悪戯で見かけた。それも水鏡杰が僕の彼女がそれなりに大切にしている友人の『黒』を濃くしている最中だったものだから、本当に偶然の神様も都合がよく巡り合わせてくれたものだった。

 あのカフェでお互いのことについて話したのが二日前のこと。

 あの場ではどうにか水鏡杰を落ち着かせて別れたけれど、翌日にどうして『白』が見えなくなったのか散々尋ねられてまくしたてられて、それでも僕には何も答えられなくて水鏡杰は渋々帰って行ったけれども、どういうわけか自分に『白』が見えなくなってしまった理由は僕だという結論に至ってしまったようだった。

 本当に、マジで本当に身に覚えがなく、とんでもなくあらぬ誤解だった。

 僕にはどうしようもないことだとわかってはいるのだけれど、しょこたんに話しくらいは聞いてあげてとお願いされ、渋々水鏡杰とこうしているというわけだ。

 自分の『黒』のことさえ完全に把握できているわけでもないのに、他人の『見える』ものについてどうこうしようなんて、どうしようもなくどうしようもできないのに。

「真黒さん……」

「はい……」

 とりあえずはこれで空気は元通りだ。えみりんがぶち壊してしまった真面目な空気が戻ってきた。なんとか誤魔化し切りたい気持ちはあるのだけれど。

「手を出してください」

「どうぞ」

 これも散々試したことだった。

 あのカフェで水鏡杰に『白』が見えなくなった原因として考えられたことは、僕と握手をしてしまったことだった。あの直後に異変が現れたのだから、同じことをすれば元に戻るのではないかとまずは考えた。

 僕の手をひとしきり握りしめたあと、水鏡杰はジャングルジムに上っている僕の彼女と、その彼女を下からにやけ面で眺めているえみりんに目を向けた。えみりん、自重しろ。またぶち壊す気か。

「ダメです……」

 落胆の表情を隠すことなく、水鏡杰は小さく呟いた。

 わかってはいることだったけれども、どんな小さなことにもすがりたいのだ。

 水鏡杰の手の温もりをポケットにしまいこんで、小さく地面を蹴った。ブランコに乗るというのは、今まで過ごしてきた中で三度目くらいだろうか。最初は児童相談所の職員さんに連れられて、二度目は誰もいない時を見計らってひとりで乗って、そして今が三度目だ。多分。風が冷たい。

 ブランコに揺られながら、うなだれている水鏡杰を一瞥する。

 可哀想だとは思わない。

 逆に、僕は『白』が見えなくなった水鏡杰を羨ましいと思っていた。

 そして落ち込んでいる水鏡杰が『人』らしいと思っていた。

 だけど、『白』に頼り切って今まで過ごしてきて、『白』に依存して過ごしてきた水鏡杰には、その存在が消えてしまったことで僕にも計り知れない不安に苛まれていることだろう。表情を見れば、一目瞭然。

 どうしてやればいいのか。

 何を言ってやればいいのか。

 それはやはり、何度も繰り返すけれど、どうしようもない。解決方法なんて何も思い浮かばない。対処方法は何一つ、欠片すらも見当たらない。

 水鏡杰についての問題を解決するということは、彼女に再び『白』が見えるようになることだ。

 どこでどう間違って、人の中にいらぬものが見えるようになったのか。それがわからないのだから対処のしようがないのだ。

 僕の周りの問題は、何一つ解決することはない。

 解決しないままで、物語は進んでいくのだ。

 これまでだって、根本的なものは何一つ解決していないのだから。

 だけどただひとつ、希望はある。

 それを言ってしまえば水鏡杰に期待させてしまうようであまり言いたくはないけれど、そして水鏡杰もそのことに気付いているのかもしれないけれど、いつまでも水鏡杰がこのままでは僕もしょこたんとおちおちはふはふもできないものだから、気休め程度にも伝えておいてやろうと思う。

「また『白』が見えるようになりたいかい?」

 ブランコを止め、僕は問う。

 水鏡杰はゆっくりと顔を起こし、力なく頷いた。

「当然です」

「こう考えたらどうかな。これでキミは解放されたって」

「解放……? そんなこと……私には『白』が必要なのです」

「そうかい? 僕はキミと出会ってまだ間もないけれど、キミはそんなやわな奴だと思わないけどな。『白』が見えなくたって、キミなら今まで通り人の悩みを解決してやることだってできるだろうさ」

「買いかぶりです。私はそんなに優れた人間ではありません」

「そうかい。キミがそう思うのならきっとそうなんだろうけれど、これでキミはやっと普通になれたんだ。それに加え、今までやってきた経験があるだろう? 『白』に伴う表情の変化や心情の変化にも敏感なはずだよ。それでもやっぱり『白』が必要かい?」

「必要ですよ。私は今、怖いのです。人の心がわからないのに、お話しすることなどできません。こんな私が余計なことをすれば、事態を悪化させることもあるかもしれません」

「いいんじゃないかい? それが普通だから」

「…………」

 説得力はないよな。今さら普通になれたところで、馴染める自信なんて僕にもない。無責任な発言だということはわかっているのだけれど。

「誰かとケンカしたことあるかい?」

「……いいえ」

「僕もだよ。ケンカしないように、言い争いにならないようにするからね。僕とキミは」

「それは私とあなたに見えているから……見えていたからです」

「そうだよ。キミは見えているからこそ遠慮して話すだろう? 自分の意見を曲げても相手に合わせるだろう? そういうのから解放されたんだ。これから精一杯に自分らしく振る舞えばいいじゃないか。それじゃあダメなのかい?」

「言ったでしょう。私は悩める人の『白』を輝かせたいのです。それが私の使命なのです。ケンカなんてもってのほかです」

「誰もそれを求めていないとしても?」

「……求めていなくてもです。『白』は晴れやかな気持ちの表れです。たとえ求めていなくとも、余計なお世話だとしても、『白』が輝くということは気持ちが晴れ渡っているということなのです。私自身は報われなくともよいのです」

 まあこの辺りの話しはしょこたんとしているから、僕がどうこう言う必要もない。

 だけどなあ。

 普通の人になれたのだから、それを水鏡杰がすんなりと受け入れてしまえばこの話しも終わりになるのだけれど、僕としてはそういう形で早々に終わらせたかったのだけれど。

「『白』が見えるようになる希望は残されているかもしれないよ」

「ほ、本当ですか!?」

 喜んでいる、というわけでもない。窮地に立たされた人間が残された最後の希望にすがるような必死さだった。

「気付いてないのかい?」

「えっ、な、何をですか? どうすればいいのですか? 私はどうすればまた『白』が見えるようになるのですか!?」

「申し訳ないけれど、『白』が見えるようになる方法じゃないんだ」

「そっ…………そうですか……」

 落ち込むな。こっちが悪いことをした気になる。一言も見えるようになるとは言っていないんだ。

「希望はあるかも、その程度の話しだよ」

「……構いません。少しでも手がかりになるのなら、教えていただけませんか?」

 手がかり、まあ手がかりになるのだろうか。

「僕にはキミの『黒』はいまだ見えていないんだ」

「はい」

「……それだけだよ」

「はい?」

「だからそれだけだよ」

 水鏡杰はそれを聞いてみるみるうちに顔を赤くしていった。待ち望んだ情報がこの程度だったことで文句でも言いたいようだった。それでも感情を自制することができたのか、再びうなだれた。

「そんなこと、あなたが言っていたじゃありませんか」

「そうだよ。だから気付いてると思ってたんだけれど」

「それが、どうしたというのですか。それがどう希望になるのですか」

「よく考えてみなよ。僕にキミの『黒』が見えていないということは、キミはまだ普通の人とは違う括りにいる人間だということさ。まあ、おそらくという言葉を付け加えないとならないけどね」

「…………」

「僕にはキミ以外の『黒』が見えているんだ。キミだけ見えないのはおかしいじゃないか。それはキミがまだ『特別』な人間だということじゃないのかな?」

「そ、それじゃあ……」

「うん。キミに『白』が見えなくなった原因は何かわからないし、どうしたらもう一度見えるようになるのかもわからないけれど、少なくともキミに『白』が見えていたという証拠というか、名残はあるんだ。僕にしかそれはわからないし、僕だけがそう言えることだから確証なんてものは何ひとつないけれど、つまりはそういうことだよ」

「私はまた『白』が見えるようになるの、ですか?」

「可能性はゼロじゃないね。素質というか、そういう力の根源みたいなものが消えてしまったわけじゃないと思うから。繰り返すけれど、これはあくまで僕ひとりだけが言える何の根拠もない可能性だからね」

「そ、それでも僅かな可能性があるのならば私はそれを探ります!」

「逆に言えば、僕にキミの『黒』が見えるようになってしまったら、キミが『白』を見ることはもう二度となくなると思う」

「そ、それは……どれくらいの猶予があるのでしょうか」

「そんなの僕に聞かれても困る。僕はただ可能性の小さな希望の話しをしているだけだから。僕の話しを信用するもしないもキミの自由だしね」

「……今の私にはあなたを信じるしかありませんし、『白』について頼れるのはあなたしかいません」

「まあ頼られてもできることはないんだけど、そうだね、さしあたって『白』が見えるようになったきっかけを繰り返してみるというのはどうかな? なんだったかな、人の良い部分を探してたんだっけ?」

「ええ、その通りです」

「やり方は僕には何も言えないし、キミが思うようにしたらいい。キミに『白』が見えていたことを知っている人間としては話しくらいなら聞くよ。協力できるとは言えないからね」

「……ありがとうございます」

「礼を言われるようなことじゃないし、礼をされるようなこともできそうにないけど」

 水鏡杰は小さく首を横に振って微笑んだ。

 笑顔。

 これで水鏡杰から付き纏われる煩わしさから解放されるのなら、良い仕事をしたとでも思おうか。

 助言というほどでもない。その程度のことだけれども。

「あなたが教えてくれた小さな希望をなくさないように、私はこれから努力するつもりです」

「まあ、頑張って。僕の彼女にもこのことは伝えておくから。僕よりも彼女を頼ってくれ」

「私が頼れるのは真黒さん、あなただけですよ」

「…………」

 水鏡杰は悪戯っぽく笑って、しょこたんとえみりんの方へ向かって行った。

 小さな希望。

 僅かな可能性。

 それに賭けて、水鏡杰は笑った。

 やはり何も解決しない。僕には解決してやることはできない。

 この物語は全て、何も解決せずに終わる物語なのだ。

 それに、水鏡杰には言っていないことがある。

 水鏡杰自身も、あえて口に出さなかったことなのかもしれない。

 水鏡杰から『白』を奪ってしまったのが、本当に僕だった場合の話しだ。

 僕が水鏡杰から『白』を奪ってしまった。『白』を見る力を奪ってしまった。

 実感はないし、僕自身にそんなことができるとも思えない。

 ただ、水鏡杰に『白』が見えなくなってしまったきっかけは、僕と握手をしてしまったことだ。あの直後から、水鏡杰には『白』が見えなくなった。

 光があるところには必ず闇がある。闇から光は生まれない。光は闇を照らすものであり、そして闇に吸収されるものだ。

 僕が本当に水鏡杰から『光』を奪ってしまっていたのだとしたら、もう彼女に『光』が戻ることはないだろう。

 あえて口に出さなかった。

 希望を打ち消すことは言わなかった。

 水鏡杰がそのことに気付いているという希望を抱いて、僕は三人の元に向かうのだった。







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