水鏡杰 Ⅰ
季節は本格的な秋になり、冬の到来も間近ではないかと思えるほど、肌寒くなってきた。
僕と彼女は相変わらずのはふはふぶりだった。
「真黒くん、クリスマスプレゼントは期待しておいてね」
僕も彼女がいるという状況にすっかり慣れてしまったのか、一緒に登下校するようになっていた。人の目があれほど気になるとは言っていたものの、そのあたりはしょこたんが全て処理してくれているようだった。僕もクラスメイトからいろいろと尋ねられたけれど、一応答えを濁したままで会話を終えていた。決して無視はしていない。『さあ』とぶっきらぼうに答えるだけだ。クラスメイトはそれだけで僕に聞いても無駄だと思ってくれているようで、質問は全てしょこたんにぶつけられている。しょこたん自体も友達とひともんちゃくもふたもんちゃくもあったようだけれど、おそらくは公認の仲になっているようだった。僕自身を取り巻く環境はそれほど変わっていないので、早いところこうしておけばよかったかなあと思うこの秋ごろ。
「気が早いなぁ。まだ一月も先のことじゃないか」
彼女の方が少しだけ足を伸ばして、朝の待ち合わせ場所に集合する。それから並んで歩いて登校する。今はその途中だった。落ち葉をわりわりと踏み割りながら、我が道をゆくお二人様。自分たちがやりたいようにやる、我が道ごーごーである。実際、しょこたんは友達が減ったようだ。悪いねえとは思わない。僕だってしょこたんと一緒に居たいからね。らぁぶらぁぶなのだ。周りから見れば、少し特殊なカップルなのかもしれない。
「あたしも期待しておくから」
「あのね、僕は誰かに物を贈ったりしたことないんだから、あんまり期待しないでおくれ。キミは僕に何をくれるつもりなんだい?」
「それはお楽しみに決まってるじゃない。まだまだえみりんのように上手くは編めないけど、絶対間に合わせてみせるよー」
しょこたんは歯を見せてニシシと笑う。
「ああ……」
わざとか? わざとなのか? 手編みのマフラーか手袋。セーターという選択肢もある。即興だとしたらマフラーあたりが妥当だろうか。編み物のことはよく知らないからわからないけれど。それじゃあ僕は赤い毛糸を一本送って、運命の赤い糸をプレゼントしようかな。わはは。はーずかしぃ。僕もそろそろ考えておかないとな。しかしながら、必要最低限のお金しか持たせてもらえないし、僕がバイトするのは無理だしなあ。性格的に。どうしたものか。困った。
「キミは、僕からもらってうれしいものって何だい?」
「えーっ、それ聞くの?」
「本当にね、贈り物なんてしたことないから」
「あたしはね、真黒くんが欲しい! あたしもあげるから、どうかな?」
「そういうことは二十歳を過ぎてから。というか朝っぱらからそういうこと言わない」
「おっそいよ! また言わせた!」
「あいにくと、僕は据え膳くわぬは男の恥とは思わないタイプだからね。僕に責任能力がきちんと備わるまでそういうことはしない」
「もう、真面目というか臆病というか。いいよ、それまでにないすばでーになっとくからね」
「キミは今のままで十分だよ」
「真黒くんって貧乳が好みなんだ」
自分で言ったな。突っ込んだら負けじゃなく物理的に殴られる。だから余計なことは言わない。
「まあ、考えておくけれど、あんまり期待しないでおくれ」
「真黒くんからもらえるものなら何でも嬉しいから大丈夫!」
かーいいなあ、この子は。
ま、彼女に贈るものならそれらしいものは思いつく。僕でも手が出せそうな手頃な物だ。そんなに高級な物ではないだろう。これくらいしか思いつかないと言ったほうがいいのかな。似合う物を選ばないとね。はい、プレゼントはお察しの通りです。
そんな感じで登校して、昇降口で上履きに履き替える。
僕たちのことを気にする生徒も減ってきた今日この頃。唯一の邪魔者と言ったら悪いかもしれないけれど、僕たちの邪魔をするのはいつもえみりんだ。この前は僕のしょこたんを絵のモデルにすると言って、放課後デートをおじゃんにさせられた。僕の彼女はお礼をしないといけないからと僕に申し訳なさそうに言って付き合っていた。今度ヌードモデルをすると聞かされたときは目ん玉飛び出そうだった。しょこたんにからかわれていただけで、ほっとしたけど。えみりんならそういうことを本気で頼みそうで怖い。
昇降口から廊下へ出て、誰かとすれ違った。
女の子。
ずっとベランダから『黒』観察をしていた僕でも、見覚えのない、女の子。
すれ違いざま、花のような甘い香りが鼻に届いた。
「あ、真黒くん。今日の放課後さぁ――」
しょこたんが何か言っていた。
けれど僕の耳にはその中身が入って来なかった。
僕は振り返っていたのだ。
そのすれ違った女子を見るために振り返った。
我ながら勢いよく振り返った。今すぐにでも確認しなければならなかった。
目が合う。
その女子も振り返っていた。
僕たちはお互いに確認するように見つめ合っていた。
その子はこの学校の制服を着ていた。当然と言えば当然だけれど、何か違和感があった。少しくせっ毛というか、パーマをあてているのか、ゆるくウェーブがかかった背中までありそうな黒い髪。えみりんよりは短いけれど、それでも長い方だ。すごく整った顔立ちで、肌は白過ぎると思えるほど白い。決して病的な白さではなく、純白と言えばわかるだろうか。目の前でお互いに見つめ合っていても、やはり見覚えがなかった。あの子はかわいいと、噂がひとつやふたつは立ちそうな、しょこたんとタメを張れそうなほどにかわいい女子。彼女補正がかかっていなかったらこの子に軍配が上がりそうだった。あとの特徴としては……彼女がいる前で言うのはよそう。
しばらく見つめ合って、僕と目の前の女の子は、
「キミは誰なんだ?」
「あなたは誰なんですか?」
お互いに、同時に言った。
運命的な出会い。
しょこたん以外でこういうことを思える相手が現れるとは、人生不思議なことがまだまだ盛りだくさんだ。でも、しょこたんに僕が感じている運命とは、また別物だけれど。
「えっ、誰? 真黒くんの友達? なわけないね」
「おいおいもにょたん。もしかしたら生き別れた兄妹かもしれないじゃないか」
「その話し、どこまで広げる気なの?」
「ああしまった。キミには全部話してしまったんだったね」
「あの……」
ついつい彼女とのトークに没頭しそうになって、謎の美女が首を傾げた。
僕はきちんと向き直って、軽く会釈した。
「僕は真黒真白といいます」
「私は、水鏡杰といいます。本日から、こちらの学校にお世話になることになりました。十七歳。二学年になります」
水鏡さんは、深くお辞儀をして、にこりと笑った。見ていて癒されるような微笑みだった。そんな天使のような水鏡さんを前に、僕と彼女は全く違うことを考えていた。
「転校生……」
「転校生……」
僕と彼女は同じことを呟いた。
「ついにやっちゃった感があるね」
「うん。王道中の王道の転校生登場だけど、こうしなければならなかった大人の事情があるんだよ、きっと」
「そうだね。あたしたちは何も言わないでこの話しの流れに身を任せちゃおう」
「うん。この先の展開がベタベタなものでないことを祈ろう」
まあいろいろとごめんなさい。
ひそひそと話す僕たちのことを、水鏡さんは不思議そうに見ていた。
さっき感じた制服の違和感は、真新しさだったのか。ぴっかぴかの~、転校生ってわけだ。
「二年なら、僕たちと同級生になるね」
「そうですか。以後お見知りおきを。ところで……」
「キミは一体何者なんだい?」
「あなたは一体何者ですか?」
今度は僕の彼女が首を傾げる番だった。
僕も首を捻じ曲げてみたいものだった。何者かと問われれば、何者とも答えられない。『黒』が見える普通の高校生ですとでも自己紹介しなければならなくなる。
でも、水鏡さんも僕と同じことを思っているとすれば。僕が不思議に感じていることを感じているとすれば……。
「どうしてキミにはないんだ」
「どうしてあなたにはないのですか」
「やっぱり」
「やっぱり」
「…………」
「…………」
また水鏡さんと見つめ合う。無言でお互いのことを見抜こうとしている。
僕の彼女だけでなく、登校してくる生徒が不思議そうに僕たちを見て行った。普段ならそんな視線を回避しようと必死になる僕だけれど、今は目の前の水鏡さんのことを考えるだけだった。
何者だ。本当に、何者だ。
同じなのだろうか。
しばらく見つめ合っていると、予鈴が鳴った。随分とこのままだったらしい。しょこたんもどうにかしてくれたらよかったのに。
「すみません。職員室に行かないといけませんので、私は失礼します」
水鏡さんは僕と彼女にまた深くお辞儀をして、職員室の方へ向かって行った。
見えなくなるまで僕はその場に立ち尽くして、彼女の声で我に返る。
「真黒くん。また気になる、その……『黒』が見えたの?」
心配そうに僕を見つめる彼女。以前の事件があれだったから、彼女は心配しているのだろう。そんな彼女の心配とは裏腹に、僕はその困った表情が可愛いと思っていたりするのだけど。
「可愛いね、キミ」
「ふぇっ!? も、もう。わかってるけど面と向かって言われたら照れるんだから」
「可愛げがないね、キミ」
「ふんっ!」
脇腹にエルボーを喰らった。できればトークで返して欲しかったところなのに。不意打ちはまだまだ慣れないよ。
「か、変わり身早いね、キミ」
「それで、水鏡さんの『黒』が濃かったの?」
「僕の『黒』を理解してくれているようで嬉しいよ。でも違うんだ。全くの逆でね、濃い薄いの話しじゃなくて、水鏡さんに『黒』はなかったんだ」
「へぇ……。悩みが何もないなんて、羨ましい」
そこで、彼女の『黒』が濃くなった。悩みがない人をひがんでいるのだろうか。
「水鏡さん……おっきかったもんね」
……そっちか。
僕はノーコメントで話しを進めるとしよう。今度はエルボーどころじゃ済まない。
「あたしの見立てだと、でー以上は確実だね」
あははー。僕を殴ってスッキリしたいのかな翔子さん? 何も言わないよー。
「ていうかあれって制服のサイズ間違ってるんじゃないの? これ見よがしに見せつけるように突き出ちゃってるしさー。何? あたしへのあてつけ? 邪魔でしょあんなの」
うおお……。なんだ、どうしたんだもにょたん。そんなに『黒』を濃くしちゃって。僕以外の悪口言うもにょたんなんてレアだぞ。どんだけガチャ回しても出てこないぞこんなの。どうするのこれ。そのへんの話しでは僕に『黒』をどうにかするのは難しいんだけど。邪魔って言ってるけど、しょこたんが目指してるのはそこだろうけど。
「ぼ、僕は、キミくらいの方が好きかな」
しょこたんは、ジト目で僕を睨んでくる。でも、『黒』は少し薄くなったぞぅ。これくらいしか僕にはできない。言えない。許しておくれ。
「……変態」
なんで!?
「あー、あのね。『黒』がない人間なんていないはずなんだよ。誰だって少しくらいの悩みはあるだろうし、暑いとか寒いとか思うだけでも『黒』は僅かに変わるんだ。だから、全く『黒』がないっていうのはおかしいんだよ」
「つーん」
口に出して言うからオッケー。『黒』も元通りになってきた。元々はポジティブだからな、僕の彼女は。
「もしかすると、水鏡さんにも見えているのかもしれないんだ」
「真黒くんと同じように『黒』が見えてるってこと?」
「うん。あるいは、また別のものが見えているのかもしれない」
「そういうことってある?」
「僕が実際見えているんだから、僕以外にも『見える』人がいてもおかしくはないよ」
「それはそうだけど……」
「今度聞いてみるよ」
「えーっ」
「だって気になるからさ」
「そういうこと言って、水鏡さんと仲良くなったりするんじゃないの? 美人だったし、おっきかったし」
「それはないない。言っておくけれど、僕はかなりキミのことが好きだよ」
「……真黒くんってさ、一度吹っ切れちゃったらもうとことんだよね」
「よいではないか」
「よいですなあ」
そんな感じで、僕と彼女ははふはふしていて出席に間に合わなかった。
噂の転校生は、噂になった転校生は、僕のクラスではなかった。
容姿もそうだったが、性格も清楚で真面目ということで、僕のクラスでもすぐに話題になっていた。
その誰かが言っていた。
水鏡杰は聖母のように誰にでも優しくて、心が真っ白な純真無垢な女の子なんだよって。
僕は心の中で呟いていた。
そんな人間いるはずがない、と。




