昼守真也 後日談
『犯人が自首してきました』
そんな電話を清水寺さんからもらったのは、あれから二日後のことだった。
昼守真也刺殺事件の殺人犯、被害者の実の妹である昼守星美が証拠品を手荷物に、両親と共に警察にやってきたそうだ。
「そうですか。お役に立てず、すみませんでしたね」
『いえいえ。それで、その犯人なんですけど――』
「ああ、教えていただかなくても結構です。犯人が捕まったのなら、それで僕たちは安心ですから」
『さすがに私も名前をお教えするわけにはいきませんので。一応ご協力いただいたので、学生だったということだけお伝えしようと思いまして』
「それは怖いですねー。夜道には気をつけないと」
『あらあら、誰かに恨みを買ったりしてるんですか? よかったらおねーさんが守ってあげますよ?』
「いーえ、結構です。大人は恩を売ってあとで何を要求するかわかりませんからね」
『真黒さんの身体で結構です。若いエキスが足りていないのですよ。オホホ』
「自分で檻の中に入れよもう」
『それは冗談として、少女Hさんのことなんですけど』
少女とか言うな。Hとか言うな。情報与えまくりじゃないか。
「犯人のことは聞かなくてもいいって言いましたけど」
『あらあら、私は犯人のことなんて言ってませんよ』
はいはいはいはい。
「いかにもって言い方でしたからね」
『真黒さんは少年Mですね。そして私は少女S。SMプレイはお好きですか?』
「全国にどれだけ少年Mがいると思ってるんだそしてあんたは少女じゃないでしょーが」
『そうですね。淑女です』
「あなたの言動が全否定してますけどね」
『まあ。私はこれでも巷では気品あふれる聡明な美女で有名なれでぃなんですよ?』
「それだとれでいに聞こえますけどね」
『それで、少女Hさんがあなた方にお礼を言いたいそうなのですが、お会いになりますか?』
マイペースというか、人の不意を突きたがるおねいさんだね。嫌いじゃないけどね、そういうの。
「……お会いになりません。礼を言われる覚えはありませんし、少女Hさんなんて知りませんから」
『そうですか。ではそのようにお伝えしておきますね』
「よろしくお願いします」
『お伝えしたら、名探偵まっくんにご協力をお願いしたことは忘れることにしますね。私にも刑事さんのプライドがありますので』
「ぜひそうしてくれると助かります」
『真黒さん、これだけは覚えておいてください。明確な殺意を持った殺人は、どんな事情があろうと許されることはありません』
「……そうですね。僕もそう思いますよ」
『そうですか。それを聞けて安心しました。まあ今回の件は、自首したこともあり、犯行に至った事情も考慮はされるでしょう。以上、清水の舞台からお送りしました。花帆おねえさんでした。あ、番号の登録お願いしますね。あなたとお話しするのは楽しいので』
「あいにくと、僕の携帯は彼女専用なので。すぐに履歴は削除いたします」
『それでは嫌でも覚えられるように毎日かけますね』
「あなたの上司に相談しなければいけなくなるのでやめてください」
『やめておきますね』
「できれば二度とお会いしないことを願っておきます」
『そうですね。お仕事以外でお会いしましょう』
「さようなら」
『それではまた』
通話を終えて、彼女の目の前で秘密の番号の履歴を削除する。
僕の彼女は隣でずっと心配そうな眼差しを向けて僕のことを見守っていた。
「あれでよかったのかな」
彼女が小さく呟く。
「まあ、結果としてはよかったよ。僕たちが昼守星美のことを黙ってたこと、あのおねーさんは知ってたしね」
「えっ、だ、大丈夫なの?」
「そこはまあ、今度会う時があったらお礼を言っておこう」
もう二度と会わないと思うけれど。
「でも、真黒くんがもう手を引くって電話したときは驚いちゃった」
「言ったじゃないか。天童真弓が犯人じゃなかったらもうやめるって。僕はその通りにしただけだよ」
「真黒くん……。あはっ、真黒くんらしいから好き」
彼女は快活に笑って僕の背中をぽんっと叩いた。
今回の『黒』にまつわるお話しは、昼守星美の自首という形で幕を下ろした。
僕が見た『黒』。
烏丸理沙は恋人を殺された悲しみと復讐心の『黒』を抱え、天童真弓はいくつもの意味で殺人犯の正体をただひとり知っていた『黒』を抱え、昼守星美は殺人を犯してしまった『黒』を抱えていた。
探偵を描いた物語で無事に事件を解決したエピローグは、ハッピーエンドになるのだろうか。ほっとひと安心で終わる物語はそうあるまい。殺人が起きてしまったら、それは初めから終わりまでがバッドエンドに向かって突き進んでいるのではないだろうか。少なくとも、誰の心からも物語にまつわる『黒』が消えることはないだろう。
「あのね真黒くん。そろそろ、いいかな?」
「ああ。約束だったからね」
僕にとっては彼女との間にだけ成立する約束という言葉。
約束通り、話してあげなくてはならないだろう。
僕に見えるものについて。僕の過去について。彼女のことが好きだから、彼女がそれを聞いても僕を見放さないでくれると思っているから、僕は話そうと思えた。
彼女を信用しているからこそ話せる。
「じゃあ、ケーキ食べに行こう」
「ケーキ? あんまりそういうとこで話すことじゃないんだけどなあ」
「甘いものは苦手? そういうのも含めて聞きたいな。それにそれくらいがさ、多分ちょうどいいんだよ。だって真黒くん、どうせ真面目に話してくれそうもないもん」
「失敬だな。真面目に話すよ。僕なりにね」
「ほら」
彼女はニシシと笑う。
僕はもっと彼女の笑う顔が見たくなって、こんなことを言う。
「じゃあ、それが僕とキミの初デートだね」
「うん!」
彼女は嬉しそうに笑った。
きっと僕も笑っているのだろうと、視線を泳がせながら思うのだった。
「あー、でもその前に、ほら」
僕は行く先を指差す。指差した先を見て、彼女は目を丸くした。
僕たちを待ち構えるように、天童真弓が立っていたのだ。
天童真弓は心のつかえが少し取れたのか、『黒』が薄くなっていた。だから、天童真弓が微笑んでいるのが僕にも見てわかった。
そして、天童真弓は僕たちに向けて深く頭を下げた。
僕と彼女はその姿を茫然と見つめていた。
何かわからないけれど、込み上げてくる熱いものがあった。その姿を目に焼き付けておかなくてはならないと、ただそんなことを思っていた。
天童真弓は頭を上げて、また僕たちに微笑んだ。僕の彼女はそんな先輩に向けて、優しく微笑んで軽くお辞儀をした。
最後に軽く頭を下げて、天童真弓は行ってしまった。
昼守星美がどうして自首したのかはわからない。きっと、天童真弓なら知っているのだろうと思いつつも、僕と彼女はその背中を追わなかった。
今後、天童真弓を見かけることがあっても、声をかけあうことはないだろう。
そんなことを思わせる去り際だった。




