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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
21/42

昼守真也 Ⅱ

 高校生が刺殺された。

 その事件はテレビのニュースで小さく取り上げられた。警察は通り魔の犯行という線で捜査を進めるつもりらしい。

 学校では全校集会が開かれ、教師にはまっすぐ家に帰るようにと念を押された。平和だった日常に訪れた、この学校に通う生徒にとって、近隣の住民のみなさまにとってもショッキングな事件だった。

 昨日、僕と彼女は海賀絵美の友人ということで警察に話しを聞かれ、そのあと僕は彼女を自宅まで送って行った。まっくろになってしまった彼女にかける言葉も見つからず、僕は自分の存在意義を疑っていたりした。慰めの言葉ひとつさえかけてやることができなかった。別れ際にも『あたしは大丈夫だから』と逆に気を遣われ、僕は彼女の家の前でしばらく佇んでいた。

 今日は学校側から午前中での帰宅指示が出た。

 そしてその帰り道のことだ。

「あたし、えみりんの家に行こうと思うんだ」

 物騒になった放課後、彼女を守るという名目で隣に立っていた僕は、そう告げられる。

「あ、僕は……」

「一緒に来て? まだ怖いから」

「うん……」

 ひとりで出歩くのが怖いのではないのだろう。海賀絵美に会うことが怖いのだ。僕が隣にいるだけで、それが彼女の気の紛れになるのなら、僕は自分に与えられた責務を果たそうと思う。

 歩いている間は特に際立った会話もなく、時折辛そうな顔をする彼女を見て、僕は決まって目をそらした。

 やってきたのは集合住宅がひしめく住宅街。あらかじめ聞いていないと絶対に迷いそうな建物の迷路を進み、ある建物の三階の一室の前に僕と彼女は立つ。

 彼女がインターホンを鳴らすと、中からは海賀絵美の母親であるだろう人が顔を覗かせた。

「こんにちは。突然お邪魔してすみません。あたしは絵美さんの友人で大空翔子といいます。こっちは真黒真白くんです」

 ぺこりとお辞儀をして自己紹介をする。

「ああ、あなたが大空さんね。絵美の母です。あなたのことは絵美がいつも話していました。どうぞ、上がってください」

 目元が娘とそっくりな母親だった。優しく笑っていたけれど、やはり『黒』が濃かった。

 お邪魔します、と僕の彼女は靴を揃えて中に入る。躊躇っていた僕だけれど、彼女が視線で急かすものだから、彼女の真似をしてお邪魔した。僕なんかがいたら、それこそ本当に邪魔になるんじゃないかと思っていたから。

 母親に奥の部屋に案内される。途中の居間では、海賀絵美が話していた弟くんが不思議そうにこちらを見ていた。

「昨日の今日だから、ごめんなさいね」

 母親はそう言って、僕らを娘の部屋に残して出て行った。

 部屋の中はぬいぐるみがたくさんじゃれ合っていて、少しだけ甘い匂いがした。さすがに家事担当なのか、本棚には料理に関する本がいくつも並んでいた。僕はこれが噂の女の子の部屋かと感慨深く思っていたりした。僕が生まれて初めて入った女の子の部屋が自分の彼女の部屋ではなく、こういった形でお邪魔することになるとは思ってもいなかったけれど。

 海賀絵美はベッドに横たわっていた。

 彼女は小さく「えみりん……」と呟いてベッドの傍らに立った。そして顔にかかった長い髪を優しく払う。

 そして、彼女の『黒』が少し晴れた。穏やかな表情で眠っていた海賀絵美を見て、少し安心したのだろう。

「起こさないようにね」

 と僕は言う。

「うん。でもせっかく来たんだから起こしちゃいたいな。ダメかな?」

「おばさんも寝かせてあげておきたい感じだったし、ダメだよ」

 彼女はつまらなさそうに唇を尖らせる。その表情を見て少し安心している僕もいた。僕も変わったなあと、寝ているえみりんを前に場違いなことを考えていたりした。

 僕と彼女が適当に腰を落ち着かせたところで、えみりんの母親が戻ってきた。

「せっかく来てもらったのに、ごめんなさいね」

 僕と彼女の前にお茶を差し出す。

「あ、すみません。お構いなく」

 こういった対応ができるのはもちろん彼女の方だ。僕はぺこりとお辞儀をしただけだった。

「娘があなたとお友達になれたと言ってすごく喜んでいたの。どうか、これからも仲良くしてあげてね」

「こちらこそ。絵美さんはあたしにとっても大切な友達ですから」

「ふふ、ゆっくりしていってね」

 母親は笑って部屋を出て行った。娘の大切な友人の存在を心強く感じたのか、『黒』が少し晴れていた。

「優しそうなお母さんだったね。家のことはえみりんがしてるって言ってたから、もしかしたら厳しい人なのかもって思ってたけど」

「娘の友達の前で変なことは言わないさ。キミだって経験してきたんだろ?」

「もう、相変わらずひねくれてるなあ。真黒くんらしいけど」

「そりゃどーも」

「……ねぇ、あなたのお母さんは……」

「…………」

「……ごめん」

「たぶん、弱い人だったよ。僕の母親の人は」

「え……?」

「そのうち、全部話すよ。何もかも全部。今は、悪いけどまだ話したくない。キミを疑ってるわけじゃないんだ。でも、僕はまだ戸惑ってるところが大きくて。この前までだったら別に話してもいいと思ってたんだけど。それで、えーっと、それでね、つまり何が言いたいのかっていうことなんだけど……まあ、あれだ……その……」

 僕が話しているのを見て呆けた顔をしていた彼女だったけれど、しばらく僕が口ごもっていると、我慢できなかったのか、吹き出しておかしそうに笑った。

「ぷふぅっ。いいよいいよ、待っててあげる。今はそれでじゅーぶんだよ。えへっ、うれし」

 今ので伝わったのかわからなかったけれど、まあ彼女が相手なら伝わったのだろう。そう思うくらいには、彼女のことは信用している。

 そして、彼女は僕に肩を預けてきた。

「あ、あの、これ、は」

「えへへ……」

 どうしようもなく、動揺を隠せない。ど牛ようもなう、童謡を欠く制裁。

 硬直。僕は固まってしまって変な汗まで噴き出してきた。彼女のシャンプーか何かの香りが鼻に届いて、それがとてもいけないことのような気がして、息ができなかった。

「う……ん、おかあさん?」

 えみりんの声に、僕の彼女が迅速に反応する。僕を払いのけるようにして立ち上がった彼女は、立ち幅跳びでえみりんのベッドへ跳躍した。優先順位をはっきりすることはいいことだと思うけれど、これは少し悲しかった。意識があるうちに息を止めて窒息死する不可能を可能に変えてしまう前に、えみりんが起きてくれて助かったのだけれど。

「えみりん! おはよ!」

「うーん、お母さん。人の部屋でいちゃこらするバカップルがいるよぉ。早く追い出してぇ」

「あ……」

 正座。

 それが僕の彼女が取った行動だった。

 むくり、ゆっくりと体を起こすえみりん。転がっている僕を見て何が起こったのか理解したえみりんは、僕を鼻で笑った。ちなみに寝間着だった。

 そして不機嫌そうに僕らに向けて言う。

「お二人とも。いくら付き合って間もないとはいえ、わたしが寝ているときにわたしの部屋ではふはふするのはどうかと思うんですけど」

「は、はふはふはしてないよ!? らぶらぶはしてたけど!」

 僕には、はふはふの意味がわからない。

「らぶらぶもだめです!」

「ご、ごめんね? 許して?」

「むう、わかりました。わたしのお願いをきいてくれたら許してあげます」

「お願い?」

「わたしに添い寝してください。それで今回は目を瞑ります」

「なぁんだ、そんなこと」

 僕の彼女はえみりんを押し倒すようにしてベッドに潜って行った。

 そして、毛布がごそごそと動き出す。

「えいっ」

「あっ。な、何するんですか先輩!」

「むぅぅ、やっぱりあたしよりちょっとだけ、ちょっとだけだけど、むぅぅぅ……」

「あっ、やんっ、ちょ、真黒先輩もいるのにぃ! こういうことは、ふ、二人だけで……ッ!」

 いや、二人だけでもダメだろ。

 ちなみに僕からは見えていないので想像だけでお願いします。見ないようにしてるので。

「えいっ」

「あひゃひゃひゃっ! やめっ! あひゃひゃっ!」

「おーい、そろそろやめてあげたらどうだい?」

 そう言うと、毛布の中からは「ちぇっ」と彼女の声が聞こえてきて毛布の激しいうねりは収まった。そして僕はえみりんから鋭い睨みをもらった。なんだよ、助けてあげたのに。

 僕の彼女が毛布の中からひょこりと顔を出し、ふわりと、えみりんを抱きしめる。

「よかった。思ってたより元気そうで。心配してたんだよ」

「……ありがとうございます、先輩。おかげで元気出ました。あの、もうちょっとだけなら、触ってもいいですよ?」

「ううん。これ以上しちゃったらあとで落ち込みそうだから、あたし」

 お互いにすごく優しい声なのに、微笑ましく思えないのはなぜだろう。

「先輩、あの人は……」

「…………亡くなったよ」

「……そうですか。名前、なんていう人だったんですか?」

「でも……」

「大丈夫です。それに、わたしは知っておかないといけないって思うんです」

「……どうせ、ここで言わなくてもすぐにわかっちゃうもんね。昼守真也ひるもりしんや。うちの学校の三年生だよ」

「昼守……先輩ですか。……あの、ちょっとだけ、ぎゅっとしてもらっても、いいですか?」

「うん……これでいい?」

「……夢に出てくるんです。昼守先輩、わたしに手を伸ばして、助けてくれ、助けてくれって、何度も苦しそうに言うんです。ずっと、わたしに言うんです」

「うん……」

「でもわたし、怖くて、気を失って。わたしが助けを呼べていたなら、もしかしたら、昼守先輩は、助かったのかもしれないって」

「えみりん。えみりんは何も悪くないよ。きっとあたしだって怖くて逃げ出しちゃう」

「でも……でも……」

「大丈夫。大丈夫だよ、えみりん」

 彼女は何度も『大丈夫』とえみりんの頭を優しく撫でていた。

 悪いのは、昼守真也を殺した犯人だ。

 僕は昼守真也なんて奴は知らない。だから正直、自分の学校の生徒が殺されたと聞かされて、多少の驚きはあったものの、何も感じることはなかった。でも僕は犯人を許せないと思っていた。えみりんを、僕の彼女の大切な友達に怖い思いをさせた犯人を、許せないと思っていた。

 帰り際、えみりんの母親から『ありがとう』とお礼を言われた。もちろん僕に言ったわけではなく、僕の彼女に向けて言った言葉だったけれど、僕はそれを見て、母親なんだなと思った。

 まだまだ物騒だということで、僕は護衛の役を買って出る。万が一の時に守ってもらうのは僕になるかもしれないけれど。

「あたしね、昼守……先輩には悪いけど、刺されたのがえみりんじゃなくて、本当によかったと思ったの。最低だよね」

「そんなことはないよ。僕だって同じだから。キミは怒るかもしれないけれど、僕はきっと、えみりんが殺されたとしても、キミじゃなくてよかったと思うよ。僕より最低な人間なんていないんだから、安心しなよ」

「なにそれ。もっとマシな慰め方思いつかなかったの?」

「口べたなんだ」

「ありがと、真黒くん。でもね、冗談でもそういうこと言っちゃだめだよ。あたしは自分の彼氏を最低だなんて思ってないんだから」

「……気をつけるよ」

「よろしい」

 僕は、彼女に嘘をついた。

 僕はえみりんが死んだって泣かないと思う。彼女じゃなくて本当によかったと、心の底からそう思い安心するのだと思う。僕が嫌なのは、彼女の大切な人がどうにかなると、彼女が泣いてしまうことだ。だから今回は、えみりんじゃなくて本当によかったと、心の底からそう思うのだ。

 危険な気持ちだと自分でも気づいていた。僕は大空翔子に依存しかけている。ただ向けられた愛情に甘えている。それが裏切られた時に、自分以外に向けられた時に、失われてしまった時に、僕はもうすでに、立ち直れない領域まで足を踏み入れているのかもしれない。だからまだ、最奥まで踏み込めないでいる。彼女に向かう気持ちを、引き留めている僕がいるのだ。

「ねえ真黒くん」

「なんだい?」

「あたしが死んじゃったら、真黒くんは泣いてくれる?」

「号泣する」

「けっこう真面目に聞いてるんだけどなぁ」

「……きっと泣くよ」

「そっかあ。よかった」

「冗談でも、キミが死んじゃったらなんて言っちゃいけないよ」

「おっ、それは愛? 愛ゆえに出てくる台詞だね?」

「まあ、一応キミの彼氏だからね」

「あたしも、真黒くんの彼女だからね~。にゃははー!」

 それは愛。

 僕の中にあるこの気持ちが、愛と呼べるものかどうか、僕にはまだわからなかった。




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