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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
20/42

昼守真也 Ⅰ

 初めて彼女ができた日。

 これだけ言ってしまうと多くの人たちが喜ばしいことだと思うのかもしれない。しかしそれはどうだろう。もしかすると自分の好みと全然ちがう異性からの告白を、何らかの理由で断れなかったから彼女ができたのかもしれない。脅迫されて仕方なく彼女という場所を明け渡したのかもしれない。否応なしに付きまとわれていつの間にか彼女を名乗られたのかもしれない。周りの雰囲気に流されてなんとなく彼女になってしまったのかもしれない。誰もが彼女ができたことを喜べる立場にないということだ。

 しかしまあ、自分にとってその相手を彼女と認識するかどうかの問題だと思うけれど。少なくとも僕は、彼女ができた日から二週間経って、それでようやく大空翔子が僕の彼女になったのだと認識するようになったのだ。そしてそれは、少し嬉しくて、やはり大変なことだと思っていた。

「真黒くん」

「うん?」

「いい加減デートしよ!」

 あの日から二週間が経って、業を煮やした彼女がついに言い放った。

「あー……」

 僕が彼女に頼み込んで、僕と彼女の関係は秘密にするということで、それは二人の約束になった。初めはみんなに言ってやりたそうな彼女だったけれども、僕の必死な様子と僕の立場を察してか、渋々僕の願いを受け入れてくれた。

 ただひとり、共通の知人である、えみりぃんことえみりんには話してある。今日の朝日を拝むことはできたのは、彼女が懸命にえみりんをなだめてくれたからだ。僕の教室に彫刻刀を持って現れた時には本当に終わったと思った。僕の些細な命もだけれど、生き残れたとしても学校生活の方が終わると思った。えみりんが一言も言葉を発さず、教室に踏み込んできてすぐに彼女がかけつけてくれたおかげで事なきを得たのだけれど。

 だから、僕と彼女が会話するのは、声を電波に乗せた時か、今までのように屋上前の踊り場でしかなかったのである。人の目がつくところでは二人でいないようにしていた。

 しかし今日の彼女は違った。

 今は放課後である。

 僕を昇降口で待ち伏せ、有無を言わせずに僕の隣に並んで歩き出して、先ほどの会話につながる。今ならばたまたま一緒になっただけで済ませられるのだけれど、デートと称して街中を二人で闊歩すれば噂になるのは避けられない。

 デート。

 それは恋人が同じ時間を過ごしながら愛を語らう行為だ。少なくとも僕はそう認識している。だからこれは、彼女とそういう関係だとはっきりと僕に認識させることだった。

「い、今からかい?」

「そうだよ! 今から! もー我慢なんない!」

 今日の昼休みにやたらと『黒』が濃いと思っていたけれど、今日デートすると決めていたからなのか。僕の前では本当に『黒』の原因となる嘘はついてないみたいだし。でも、我慢させてごめんねと頭を撫でてやれるほど僕は彼氏として成熟していない。

「せめて一度帰って変装セットを取ってきてからじゃダメかい?」

「どこのカリスマ引きこもりなのさ!」

「ハードルを下げてくれてありがとう。いやほら、キミに変装させても僕が女の子と歩いていたら変な噂が立つというか」

「誰も気にしないよ真黒くんのことなんて!」

「一応、キミの彼氏なんだけどね」

「そーなの! あなたはあたしの彼氏なんだよ! デートするのなんて当たり前じゃん! 帰りも一緒はダメだって言うし!」

「き、キミの家は反対方向だろ?」

 彼女はぷんすかと聞こえてきそうなほど腹を立てている様子だった。僕の煮え切らない態度が原因なのは間違いないけれど、僕も今までの立場を脅かす行為というのは気が引けるものなので、困っていた。

「デートしないならここであなたと腕組んで歩くからね」

「そ、それは勘弁してくれないかな」

 彼女が何かを要求してきたら僕には選択肢なんて与えてもらえない。彼氏になっても僕の立場は変わらずなのだ。

「わかった。わかりました。デートするよ」

「べ、別にあたしがデートしたいなんて思ってるわけじゃないんだからね! 仕方ないから付き合ってあげるだけなんだから!」

「言えばいいってものじゃないんだけどなあ、それ」

 こうなっては仕方がない。腹を括るしかない。できるだけ目撃されないようにして人目を避けて行動する。それしか僕に抵抗できることはない。

「じゃあ、どこに――」

「どこに行くんですかぁ?」

 忍び寄る影。恐ろしいスニーキング技術を会得しているえみりんの登場である。これまでもしばしば、僕と彼女の会話を聞かれていたことがあった。それもすぐ近くで。怖い子なのだ。しかしここは喜ぶべきところだった。

「やあえみりん。今帰りなのかい? 今から彼女とちょっとそこまでなんだけど、キミも一緒にどうだい?」

「ちょっとマー君! あ、ごめんねえみりん。今日はこれから真黒くんとデートなの。だからね、今日はごめんね」

「…………」

 無言で僕を睨み付けるえみりん。

「……真黒先輩。わたしの名前は海賀絵美です。一応、どうしてこうなったかわからないですけど先輩は大空先輩の彼氏ですから、百歩譲ってえみりぃんと呼んでもいいですけど、えみりんって呼べるのは大空先輩だけですから」

「う、うん……。肝に銘じておくよ」

 僕に対してはとにかく殺気を放つ怖い子だった。

 しかしまあ、えみりんも僕といることに慣れてきたのだろうか、以前のようなたどたどしい話し方ではなくなっていた。別段、男性恐怖症などではなく、やはり単に人見知りだったということだ。ありがたいことではあるのだろうけれど、僕としては距離を置いたままでいて欲しかった。

「それにしても、デートですか。らぶらぶですか。いいですね、真黒先輩。羨ましいです。すごく羨ましいです。それでは、お二人の邪魔をしてはいけませんので、わたしは失礼しますね」

 うーん、まっくろくろだった。わかりきった『黒』をいつまでも見せつけられるのは僕の趣味ではないのだけれど。

「じゃあ行こうか。真黒くん」

 何事もなく、彼女は歩き出す。歩き出して立ち止まって、振り返って笑った。

「もう慣れちゃったから」

 僕が聞く前に答える。見透かし過ぎな彼女だった。

 どこに行くのかも聞かずに、僕は彼女の隣に並んで歩き出す。それだけでも彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 僕が隣にいるだけで笑ってくれる。そんなわけないじゃないかと、そう思うこともなくなってきた。不思議なことだった。彼女は嘘をつかないと言った。それは多分、自分の気持ちにも嘘をつかないと、そういうことなんだと思う。言葉だけでなく、気持ちさえ僕には嘘がつけないのだと、僕のことを見透かしてしまっている彼女は、そう思っているはずだ。だから言いたいことを言う。思ったことを口にする。僕の前で笑っている彼女は本当に笑っていて、怒っている彼女は本当に怒っている。泣き顔なんて見たことないけれど、多分僕の前では我慢せずに泣く。

 だから僕はこれでいいんだと思わされる。彼女の隣にいてもいいのだと思わされてしまうのだ。

「ねぇ真黒くん」

「ん?」

「気付いてる?」

「ああ、まあね」

 あたしがどれだけあなたのことを好きかってこと。

 そんな甘い台詞が飛び出すわけもなく、僕らはお互いに顔を見合わせ溜息をついた。

 足音も気配もうまく消しているのだろうけれど、僕に向けられた殺気だけはひしひしと感じていた。背後からひたひたとついてくる『黒』がいるのだ。

 くるり、彼女が振り返る。

「あ、わたしもそっちに用事あるんですよ」

 僕と彼女はまた溜息をついた。

「あのねえみりん。今日は真黒くんと二人っきりでデートしたいんだ」

「ああ、どうぞどうぞ。わたしのことはお構いなく。ただ目的地に向かって歩いているだけですので」

「あはは……」

「あひゃひゃ……」

「うぅ~……もう怒ったからね! えみりん!」

「あひゃっ!?」

 えみりぃんが奇声を上げたのは彼女がえみりぃんに対して何かをしたわけではない。いや、間接的にはやってやったつもりなのだろう。僕の手を取り、自分の指を僕の指に絡めてきたのだ。俗に言う恋人繋ぎという、半径五メートル以内に誰も近寄らなくなるスキルだった。

「いや、これはその、僕もちょっと……」

「なに? あたしと手を繋ぐのが嫌なの!?」

 睨むなよベイビー。

「嫌じゃないよ。むしろ嬉しいくらいなんだけど、人目もあるから。それと、あー……まだ恥ずかしいというのが本音でして……」

「あ……そう、なんだ。嬉しいんだ……そっか……」

 彼女は顔を真っ赤にして目を伏せる。僕も釣られたことにして同じように真似してみた。そうせざるを得なかった。

 そんな僕と彼女に、えみりぃんが襲いかかる。

「むあぁ! 離してください!」

 僕と彼女の手を強引に引き剥がそうと躍起になる。指を一本一本、確実に剥がしにかかる。

「あっ、えみりんダメ!」

 ぎゅぎゅぎゅっと、彼女の手に力が入る。

 こらこら、痛い痛い。ちょ、ごりごりって。待って、ほんとに、ち、血が止まる! 指の感覚が!

「むむむむ……ッ!」

「んぬぅ~~~~~~~~ッ!」

「痛いよぅ……」

 鍛え抜かれた握力で握る手を引き剥がそうとする非力少女の戦いが果てしなく続くと思われた時に、ピピピピピッと何かアラームのような音が鳴った。

「あ、弟の誕生日ケーキを予約していたのでした!」

 えみりぃんはパッと手を放す。そして僕の指先にも血が巡る。熱い。たぎる血潮。僕は生きてるんだと実感できた。

 名残惜しそうに彼女を見るえみりぃん。最後には「くっ」と小さく漏らして駆けだした。

「なんで今日がデートなんですかぁっ!」

 えみりぃんは、なんで今日なんですかぁ! と何度も叫びながら走り去っていった。

「本当に用事あったんだ」

 えみりぃんが去ったあとで彼女が小さく呟く。

「あの……」

 僕は握ったままだった手にきゅっきゅっと軽く力を込める。

「あっ! ご、ごめん!」

 彼女は慌てて握った手を離した。僕は空いてしまった手で何度か空気を掴む。

「…………」

「…………」

 気まずい空気。でも、悪くはない空気。

「あっ! え、えみりんが行ったのって、きっとデパートのケーキ屋さんだよ。近くだとあそこしかないし。あたしたちもそこ行こっか」

「でも……」

「もう、この期に及んでまだ何かあるの?」

 にぎにぎ、にぎにぎにぎにぎと彼女は目の前でチョキなしじゃんけんをしてみせる。

「……いや、行こうか」

 お互いに手を握ることはない。ただ無言で、隣を歩く。

 これが少し幸せだという気持ちは、もう否定しなかった。幸せを得るためには大なり小なりの代償が必要だ。彼女にとってそれが友人との時間であるように、僕にとってはひとりの時間であるように、代償を払って幸せを得ているのだ。

 えみりんにとって、僕の彼女、大空翔子がそばにいてくれる幸せのために支払う代償とは何なのだろう。それは多分、ごく小さなことで代えられるものだと思う。僕と彼女の仲を認めてみたり、たまに僕も含めた三人でいたり。

 その代償が、かけがえのないものであっていいはずはなかった。

「この先、近道があるんだよ」

 まだ見えない近道を指差しながら街角を曲がる。

「あれ? 何かあったのかな?」

 曲がった先、ちょうど指先が向いていた場所に、くるくると、赤い光をてっぺんから散らせて黒光りしている車が何台か停まっていた。大きい方の白い車には見覚えがあった。僕も最近乗せられて運ばれたらしく、僕の彼女も乗せられたことのある、お世話にはなりたくない車だった。

 自然と、僕と彼女の足はそこへ向かう。

 道を開けてという怒鳴り声で人の壁が割れ、その隙間から白い服を着た大人が何人かと、その大人が転がすタンカが飛び出してきた。

「え?」

 彼女は茫然とその姿を見つめる。

 唯一と言ってもいい、あの子の特徴。長い黒髪。タンカからぶら下がる長い髪。ただその子の服は、顔は髪は、何かべっとりとした赤黒いもので染まっていた。

「絵美ちゃん!?」

 彼女は野次馬をかきわけ、長い黒髪の少女のもとへ走った。

「友達! あたしの友達なんです!」

 僕の彼女は泣きながら海賀絵美の名前を何度も呼んだ。何度も何度も。大人の言うことも聞かず、彼女は海賀絵美のそばから離れようとはしなかった。

 僕は、その光景を見つめたまま一歩も動くことができずに、初めて彼女に涙を流させた海賀絵美に嫉妬した。

 季節は変わり、肌寒くなってきた今日この頃。

 今日、誰かがいなくなった。






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