海賀絵美 後日談らしきもの
「あんまり、あたしのこと甘く見ないでよね」
いい気になるなよ、とでも言ってやりたい気分だったけれど、助けてもらったことは事実なので何も言えない。僕と海賀絵美がやりあっていたなら、本当にどんな結果になっていたかわからない。当然お互い無傷というわけにはいかなかっただろう。丸く収まったのかはわからないけれど、大空翔子は結果として僕と海賀絵美、両人を救ったのだ。
「あなたがえみりんに会いに行くことはわかってたんだから、こっそりあとをついて行ったの。あなたたちの話し声、美術室の中では聞こえてたんだよ」
それならもっと早く登場してもらいたかったものだけれど、聞き耳を立てて事の成り行きでも楽しんでいたのだろう。人の心内を覗き見る僕が言えたことではないけれど、趣味が悪い。そしてやはり見透かされな僕だった。
「それで、ね。その……ありがとう」
と、なぜか照れくさそうに礼を言う大空翔子と、なぜか礼をされる僕が、すでに定位置となってしまった屋上前にいたのである。
「ああ、いや、こちらこそ。ありがとうございました」
「そんな他人行儀な話し方しないでよ~。マー君」
「それはいろいろと期待されそうな呼び方なんでやめて欲しいな」
美術室での一件があったのは昨日のことだ。
あのあと僕がとうしたのかというと、そのまま帰った。
あの勘違い少女にいろいろと言いたいこともあったのだけれど、僕が話しかけようとすると思いっきり睨まれたので帰った。しっかりと嫌われた。しかしまあ、大空翔子の飛び降りた件については誤解が解けたので良しとする。できれば勘違いしていたことを謝罪して欲しかったのだけれど、僕が期待していた言葉は聞くことができなかった。嫉妬の炎は今も炎上中だ。
「えみりんってねー、打ち解けてみれば結構喋るんだよー。今までは少し遠慮してたみたいでさ、それがなくなったら話してるの楽しくなって」
「へぇ。そりゃあよかったね」
全てじゃないにしろ、自分はこういう奴だと打ち明けたことがお互いによかったのだろう。えみりんも、大空翔子という憧れの存在が以外にも自分と近い人物だと知って、自分と同じ立場にいる人間だと知って、それは喜ばしいことだったのかもしれない。自分の中の葛藤と向き合えたのだろう。
それならそれでここに来ないでえみりんのところに行けよと思う僕だったけれど、残念ながらえみりんはいつも友達二人と昼食をとっているらしい。本日も例外にあらず。目の前のしょこたんもえみりんを見習って欲しかった。というかどこかに行って欲しかった。
「ところでキミの方はどうなんだい? いつもここにいるけど、友達を放っておいても大丈夫なのかい?」
「心配してくれるの?」
「主に僕自身のことで」
しょこたんがいつもここにいることがクラスで話題になってもみろ、今以上に肩身狭い思いをいなくてはならなくなる。
「ちゃんと言ってるよ。真黒くんとご飯食べるって」
「……あのね、大空翔子さん。それはとてもよくないことなんだよ?」
「は、初めて名前で呼ばれた……ッ!」
「聞け!」
遅かった。最初に追い返しておくべきだったんだ。どこだ、どこまでその話しは広まっているんだ。彼女の友達内の話しならばまだいい。でもこいつの友達の友達、その友達の友達までずーっと伝わっているとまずい。そういえばここのところやけに視線を感じるような気がする。みんなが見ているような気がする。いや、そう思い込むのはやめよう。気になって仕方がなくなる。僕はひとり。僕は影。僕は不気味でひとりぼっちの奴だ。誰とも交わらないぼっちなのだ。
そう、そもそも僕が誰かと一緒にいるというのがおかしい。
僕はひとりでいいんだ。
「キミは、やっぱりここに来ない方がいい」
「えっ、どうして?」
「前にも言ったよね。僕と一緒にいるとキミまで変な目で見られるよ。今まで付き合ってくれた友達を大事にしなよ」
「前にも言ったでしょ。そんなことであたしとの距離を置く友達なんていらないって」
「……悪かったよ。本当は、キミにここにいて欲しくないんだ」
「嫌」
この優等生は。いつまでも優等生でいたらよかったのに。ひねくれてしまった。僕のせいで大空翔子はおかしくなってしまったと言われても何も責任取れないんだからな。
「僕は今までずっとひとりだったんだ。だからひとりでいいんだよ」
「ひとりがいいとは言わないんだね」
「……ひとりがいい」
「じゃあほら、あたしがあなたのたったひとりの友達だよ」
「友達なんていらない」
気を遣い、気を遣われる、『黒』の見せ合いっこ。友達なんてそんな間柄だ。疲れるだけだ。それなら僕はひとりでいい。ひとりがいい。
「正直に、迷惑なんだ」
言った。
言ってやった。
大空翔子の『黒』がどんどん大きくなってくる。気持ちと『黒』は反比例だ。
彼女はその場からスッと立ち上がった。そして振り向く。僕に背を向ける。
僕がどんな嫌な思いを彼女に与えたのだろう。とにかく、もう終わりだ。僕と大空翔子の友達ごっこもこれでおしまい。自分の『黒』がもし見えていたのなら、まっくろくろなんだろうなあ。
強引な手を使えば僕を友達にしておくことも可能だ。お得意の人海戦術で脅してやればいい。でもそれを口にしないということは嫌われたか、呆れられたか、見限られたか。
よかった。
これでよかった。
「昨日、あたしのことでえみりんを怒ってくれたでしょ? 嬉しかったんだぁ」
「そんなつもりはなかったよ。勘違いで敵意を突き付けられて困ってただけなんだ」
「そうだね。あたしのことで迷惑かけてばっかりだったんだよね。でもね、やっぱり、わかってくれてる人がいるのって、嬉しいの」
「…………」
「あなたの友達やめるね」
そこで彼女は振り返った。振り返った大空翔子は、笑っていた。
最後は笑顔でさようなら。
笑ってお別れ。
物語の最後としては、ハッピーエンドに分類されるものなのだろうか。わからない。
そういうことならば、僕も笑って手を振ろう。
明日からは赤の他人。関わり合うことのない、視線すら交わることのない、ただの同級生になるのだ。寂しくないと言えば、それは嘘混じりになるのかもしれない。せいせいするという気持ちと、何か引っ掛かる気持ちがひしめき合う。うまく表現できない。表現の仕方がわからない。
彼女が軽く手を上げる。僕も笑って手を上げた。
別れの言葉はいつでも変わらない。
僕自身、あまり口にしない言葉だけれど、この時ばかりは、多少の感謝の気持ちを込めて。
「あたし、真黒くんの彼女になる」
「さよう…………うぅん?」
彼女は何を言ったのだろう。彼女が彼女になる?
「えっと、さようなら?」
「うん、落ち着いて聞いてね。あたし、真黒くんの友達やめて彼女になる。ガールフレンドだよ。恋人だよ。ワイフだよ」
「だったら僕はハズバンドってワイフは違うだろ」
「さすがだね。どうしてそれでコミュ障なのか不思議だよ」
うーん、これはどういうことだろう。もしかして告白されているのだろうか。いやそんなことがあるはずない。これは屁理屈だ。友達がダメだから彼女とか、どうしようもない理屈だな。
「あのね、彼女って意味わかるかい? 恋人だよ? ガールフレンドだよ? ワイフじゃないよ?」
「だからそう言ってるじゃん」
「おいおい、いくら僕でも彼女がどんなものかは知ってるんだ。そういうことは好きな相手ができたときに言うんだね」
「何? 誘導尋問? 言わせたいの? じゃあ言うけど、あたしね、真黒くんのこと…………す……す………………あーーーーーー!!」
発狂した。真っ赤な顔で発狂した。
「そんなに無理して言わなくても」
「い、いや、勢いに冷静さが追いついてきただけだから、だ、大丈夫、心配しないで」
別に心配なんかしてないけれども。
「い、言うよ。言っちゃうよ?」
「あ、はい、どうぞ」
「あたし、真黒くんのこと、す、好きになっちゃったみたい」
「それは、どうもありがとう」
「…………」
「…………」
「あーーーーーー!! なにこの温度差! ありがとうで終わり!? 全ッ然信じてないでしょ!」
「信じるも何もなぁ」
子供っぽい屁理屈は嫌いじゃないけれど。
「本当だもん! 嘘じゃないもん!」
嘘……。
「ちょっといいかな。僕の質問に『ハイ』だけで答えてくれるかい?」
「え、なんで?」
「いいから。じゃあいくよ。キミは僕のことが好きだ」
「……は、はい」
『黒』に変化なし……と。
「キミは僕のことが嫌いだ」
「……はい」
『黒』に変化あり……と。
……うん。ま、まあ嫌われてなくてよかったよかった。
「キミはえみりんが嫌いだ」
「……はい」
変化あり。これ嘘。
えぇ……。
「き、キミは男として、異性として、ぼ、僕のことが好きだ。つまりはそう、あ……愛している」
「うっ……は、はい」
多少照れた様子はあったものの変化……なし。
「ま、マジですか?」
「はい。マジです」
い、いや、これはおかしい。『黒』は嘘つけないとしても、そ、そうか、僕の体調が悪いのか。だから『黒』の見え方がおかしいんだ。そうに違いない。そうじゃなければ、この、大空翔子は本当に僕のことを……好き、だと?
いやありえない。こんな僕が誰かに好かれるなんてこと、ありえない。大空翔子はまだ僕のことを勘違いしている。思い違いしている。僕は人に好きになってもらえるような人間じゃない。
「どう? なんだかよくわからないけど、信じてくれた?」
「な、なんで?」
「また言わせたいの? 意地悪だなあ。だって、真黒くんはあたしを助けようとしてくれたから」
だからそれは――。
「ち、違う。それはキミの勘違いだって何度も言ってるだろ。僕はそんな、人を助けようとか、救ってやろうとか、おこがましいことを考えられる人間じゃない」
「そんなことないよ。真黒くんは優しい人。それにあたし、真黒くんと一緒にいて楽しいし」
大空翔子が僕のことを好きだと言う理由は――。
「それはキミが言いたいことを言えるからに過ぎないんだよ。えみりんのような奴だってたくさんいるだろうさ」
やはりこういうことなのだ。今だから、今だからこそ僕のことを好きだと言っているだけで、本音でぶつかり合える奴が僕以外にいないだけだ。結局は、何も違わない。
勘違い。
大空翔子はまた自分の気持ちを偽っているのだ。そうでなければ、また戻ってしまうから。
期待してはいけない。
思い違いをしてはいけない。
僕が愛情を向けられるなんて、ありえないのだから。
「そーゆーのじゃ、ないんだよ。真黒くん」
「え……?」
「あたしはあなたのことが知りたい」
「わかった。話すよ。僕が小さい時のこと。どうして施設にいるのか。僕がどうしてキミに近づいたのか、海賀絵美を調べたのか、全部話すから――」
「だから、違うんだよ」
彼女はしゃがみこんで僕を見つめる。その優しい瞳を見つめ返すことなんて僕にはできず、ただただ逃げ道を探していた。
「あなたが好きな食べ物、嫌いな食べ物、休みの日は何してるとか、好きな映画、好きな本、そーゆーの。あなたの昔のことに興味がないなんて嘘になるけど、でもあたしは、今の真黒くんのことが知りたいの。あなたのことが好きだから」
「うっ……うぅ……」
「こっち見て」
無理矢理に、両手で僕の頬を押さえつけて振り向かせる。強引過ぎる。決してロマンチックではなかったけれど、至近距離で見つめあう男女の姿があった。
「受け止めてあげる」
だからどうして――。
「あなたが抱えてること、悩みも全部」
そんなに僕のことを――。
「あたしがあなたのたったひとりになってあげる」
「ぼ、ぼふあ……」
「あなただって、愛されたっていいんだよ」
見透かしてしまうんだ。
今すぐ何もかもぶちまけたい衝動に駆られる。
『黒』のことを話してやろう。人の心を覗き見る変態がここにいるんだ。人の弱みを覗いて楽しんでいる奴がここにいるんだ。とんでもない変態野郎だ。最低底辺の野郎だ。
そんなことを言ってしまえば嫌われると思っている自分がいるのに気付いて、嫌気が差した。今さらそんなことを怖がっている自分がいるのに気付いて、自分に呆れた。
いっそ言ってしまえばいい。そうすれば惑わされずに済む。僕に関わりたくないと思ってくれればもう終わりだ。それでおしまいだ。言うんだ。言ったら楽になる。ひとりになるんだ。愛されたいなんて思ってはいけない。そんなものは僕に必要ない。ずっとひとりだ。これまでもこれからもずっとずっとひとりでいいんだ。ひとりがいいんだ。
吐き出してしまえ。
「あたしはあなたに嘘はつかない。あなたには、嘘は通用しないから」
……まいった。
そんなことを思うと、自然に肩の力が抜けた。完全敗北だった。白旗を振るまでもなく、本陣まで一気に突破されてしまった。
彼女も僕の顔から手を離す。決着はついた。
「キミは、いったい何者なんだい?」
僕は尋ねる。
「あたし、大空翔子。たったひとり、あなたのことをわかってあげられる女の子だよ」
僕の彼女はそう言ってニカッと笑うのだった。
「ははっ、怖い女の子だなあ」
僕もまた、笑えたのだった。
「これから、よろしくね。真黒くん」
「こちらこそよろしく」
これがアニメやドラマなら、ここでエンディングテーマでも流れ始める頃合いだけれど、現実ではそうはいかない。
「じゃあまず、キスしよっか」
「……うぇ?」
「晴れて恋人になったんだからするでしょ?」
「いや、ちょっと待って。そういうのは順序を踏んで、ロマンチックな雰囲気でだね」
「こういうのは勢いだよ!」
「男らしいな!」
「対人免疫つけたげる! ぅえいっ!」
と、彼女は彼氏を押し倒す。元陸上部エースの前になす術もなく倒される彼氏だった。だが最後の抵抗はした。迫りくる脅威を両手で押し返す。相手もまた攻め返す。一進一退の攻防だった。
僕の夢にも見たことがないファーストキスがこんな強引に奪われることだけは阻止しなくてはならない。男には男の沽券がある。こんな力技で奪われてたまるものか。
「何してるんですか?」
と。
憧れの先輩が男に馬乗りになって強引に唇を奪おうとしている姿を目撃して固まっている芸術家少女がそこにいた。
「い、いや、違うんだよえみりん! これはね、真黒くんが無理矢理あたしにキスさせようとしてて必死に逃げようとしてるんだけど、あっと、ほら、あたしって腕立て苦手だから!」
慌てたからと言って、決して僕を離そうとはしない。というかえみりん、信じないで欲しい。キミが見たありのままの光景を信じて欲しい。
「ふーん。そうなんですか」
睨まれたのはもちろん僕だった。
そして次の瞬間には『さっき嘘つかないって言ってたじゃないか!』『あなたに嘘はついてないでしょ!』という彼氏彼女の以心伝心アイコンタクトが行われていた。
「あ、せっかくなのでそのまま待っていてください。滅多に見れない構図なのでデッサンさせてもらっちゃおう。彫刻刀取ってこなきゃ」
「えみりん! デッサンに彫刻刀はいらないよ!?」
えみりんは憧れの先輩には目もくれず走って行く。
僕と彼女は目を合わせる。
通じ合っていてもいなくても、ここで取る行動はたったひとつ。
「逃げよう!」
たったひとりの友達がいなくなって、彼女ができた。
悪くない響きだった。




