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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
18/42

海賀絵美 Ⅶ

 僕はまず、何か身を守るものを探した。今現在身に着けている装備といえば、制服にスマホ、それと財布くらいだ。防御力としてはあまりにもおそまつ。咄嗟に財布の中に入っている小銭を繋げて盾にできないかなんて、そんな現実逃避を考えていたりした。

 すぐに目についたものはさきほど手に取ったばかりの海賀絵美が描いた絵画だった。これを前面に出してやれば相手も躊躇するだろうと思ったけれど、そんなものまた描けばいいだけですと言われそうな気がした。それを武器に戦った方がいいのかもしれないけれど、相手は気弱なはずの女の子なので、間違って傷つけてしまえば少年Aとして全国デビューしてしまうかもしれない。目立つことが苦手な僕にとっては何よりも避けなければいけない事態だ。よって絵画を盾にすることは一時保留。最終手段として登場機会を残しておくことにしよう。

 現在の装備で力づくで突破できそうでもあるけれど、相手の手には刃物が握られているから、下手に強引な手に出るわけにもいかない。ドラマでよく見るやっちゃったよ僕みたいな展開になってしまえば、僕のことなんて誰も信用しそうにないからな。正当防衛も使えなさそうだ。

「い、行くですよ!」

 考えている暇はなさそうだった。

 しかしわざわざ宣言しないと行動に出れないあたり、まだ付け入る余地はありそうだ。

「ま、待った! 来たら叫ぶよ!」

「…………ッ!」

 情けない僕だった。しかし効果覿面だった。音楽室でもないので防音効果も施されていない。そもそも音楽室にも防音機能はない。全然関係ないけれど。

 しかし早急にこの状況をどうにかしないとならない。時間が経てば経つほど校内から生徒がいなくなってしまう。叫んでも誰も来てくれなくなる。

「そんなもので僕を刺したらキミの人生も終わっちゃうよ?」

「あなたを殺して、わたしも死ぬ」

 うわあ、そんな泥沼恋愛だけは経験したくないなあ。時と場合によっては勘違いされちゃうよえみりぃん。

「……いいさ、やりなよ。もっとも、僕なんかにキミの命を賭けるほどの価値なんてないけどね」

「わたしにも、ないです」

「そんなことはないさ。キミはあれだけすごい絵を描けるじゃないか」

「あれは……大空先輩だけです。他の絵は、弟にも笑われました」

 うーん、何も言えない。だから選択科目は美術じゃなくて音楽なのだろうか。

 たった一つにだけ突出した特技。それは僕と似ているのかもしれない。もっとも、僕のものはとても人に自慢できるものではないけれど。

「そんなに彼女のことが好きなのかい?」

 海賀絵美は小さくこくんと頷いた。ような気がする。

「誰にでも優しくて、人気者で……尊敬します。あ、憧れます。わたしも、あんなふうになりたい」

 自分にないものをあの人は持っているから、と海賀絵美は続けた。

 なんだそんなことか、と僕は思う。

 だから僕は言う。

 あまりにも簡単な一言で片づける。

「無理だね」

 目の前の少女の小さな願望を切り捨てるように、吐き捨てるように僕は言った。

 大空翔子はアイドルでもなんでもない。ただの女子高生だ。不器用な女子高生だ。何も特別なことなんてない。自分の思っていることをうまく伝えることができなかった、ただの人だ。

「ば、ばっさり……あうぅ。でも、わかってます。自分がなんて、想像、できないから」

「彼女は彼女で、キミはキミだからだよ」

 これと似たようなことを奴にも言ったような気がするけれど、忘れたことにしよう。あまり思い出したくもないし。

「キミが同じことを彼女に言ったとしても、やめとけって言われるよ」

「し、知ったふうなこと言っても……」

「知ってるよ。わかってるよ。少なくともキミよりは彼女のことを知ってる」

「何を」

「……キミは大空翔子が変わったって言ったけれど、何が変わったと思うんだい?」

 海賀絵美は黙り込んだ。言いたくなさそうに、僕から顔を背ける。海賀絵美の中では大空翔子は悪い方に変わったのだろう。自分の理想と食い違って行ったのだろう。それを自分で認めたくないように、口にも出したくないのだ。

「普通だろう?」

 海賀絵美はそれに反応した。小刻みに首を振って否定する。

「大空翔子は普通の人だよ。どこにでもいる、ただの高校生さ」

 海賀絵美は大きく首を横に振る。頑なに否定する。

「大空翔子を憧れる気持ちは否定しないよ。僕だって尊敬してるしね」

「じゃあ……」

「でも彼女だって悩みもするし、愚痴も吐く。嫌いな奴だっているし嫌なことはしない。人のことばっかりに構っていられるほど良い人間じゃないし、そんな人間なんていないんだよ」

「ち、違います。わたしだって、大空先輩のこと、ずっと見て……」

「それでいざ話してみたら幻滅かい? 陸上できなくなったから大空翔子じゃないのかい? 少しは彼女のようになろうと努力したのかい? 見ていただけなんだろう? 何もしてないんだろう? 想像して終わりだったんだろう? そして彼女に勝手に理想を抱いて勝手に幻滅して、くそったれという言葉を贈るよ。大空翔子が飛び降りたのは間違いなく彼女の意思だよ。くだらない偶像信仰に僕を巻き込まないでくれ」

 少し喋り過ぎたかもしれない。陸上が実は嫌いだということは言っていないから大丈夫かな。それは口止めされていたし。

 僕としたことが少々熱くなってしまったようだ。彼女を、大空翔子が飛び降りるに至った原因はこういう奴らがいたからだと思うと、なぜか熱くなった。こういうことも含めて、飛び降りた大空翔子自身の自業自得だというのに。

 別に奴の肩を持つつもりはない。僕はただ、巻き込まれたくないだけだ。そのための言い訳に過ぎないのだ。

「キミが大空翔子になれないと言ったのは、キミの理想は大空翔子じゃないからだよ。彼女のことを憧れるなら、今の大空翔子にしてやっておくれよ」

 そしてなだめる。そうしなければならなかった。

 今の海賀絵美が何を思っているのかはわからない。理想を打ち砕かれたのが悔しいのか悲しいのか、僕からこんなことを言われたのが悔しいのか悲しいのか怖かったのか、海賀絵美は嗚咽を漏らし始めていた。つまり泣かせた。人生初体験である。今までだってまっくろな『黒』持ち相手に話してきたけれど、泣かせたことはなかった。怒りを買ったり嫌がられたりはしょっちゅうだったが、泣かせたことはない。

 対処法を存じ上げていないのである。ここがこんな閉鎖的な空間じゃなかったら泣かせてさようならで済むかもしれないけれど、ここから出るためには海賀絵美の背後にある扉を抜けなくてはならない。道を空けてもらわないといけない。

 ちなみに海賀絵美の『黒』は揺れに揺れた。さきほどまでの黒さはないにしろ、今はおそらく、泣いているが故の『黒』に包まれている。自分の気持ちを整理できない過度のストレスが今、海賀絵美をついばんでいる。今は大空翔子が飛び降りた原因が僕かもしれないということすら考えられないだろう。

 絶好の好機ではある。彼女の怒りは今僕に向けられていない。どうにか言いくるめて脱出すべきだ。海賀絵美の怒りが後々再燃するならば、後日ゆっくりと誤解を解いていけばいい。その時は大空翔子に協力してもらおう。本人の口から話してもらうのが一番だ。

「と、とりあえずさ、ここから出ないかい? 話しがあるなら落ち着いてからゆっくり話そう。飲み物でも飲みながらね。そうだ、僕がジュース買ってあげるから」

 我ながら阿呆だ。泣いている子供にはジュース。経験値不足が放つ台詞だった。

「ジュース……?」

 釣れた。

「何がいいかな? 買ってきてあげるから」

 そう言うと、海賀絵美は手を差し出してきた。

「先輩は、ここにいてください。わたしが、買ってきます。お金……。逃げたら、死刑」

 逃がしてはくれなさそうだった。逆に落ち着かせてしまったことで大勢は悪化してしまった。

「近づくと、変なことされそうなので……投げてください」

 警戒心の強い子供だった。絶対にお断りだった。

「お金は投げちゃいけないよ」

「じゃあ……いいです」

 終了。

 もう僕の気持ちを訴えるしかない。助けてくださいと泣いて懇願するしかない。絶対に嫌だけど。

「彼女が飛び降りた原因が僕じゃないということは納得しないまでも、理解して欲しいな。そもそも彼女が楽しそうにしていたのは僕を馬鹿にしていただけであって」

「……ずるいです」

「ん、何がかな?」

「わたしが、知らない……大空先輩のこと、知ってて」

「いやそれは」

「許せません……」

 またそこに戻るのか。これは怒りがどうこうよりも、もう引っ込みがつかなくなったんじゃないのだろうか。とにかく僕を始末しないと気が済まないとか。不憫だなあ、僕。

 こうなったら仕方がない。

 まずは絵を取り出して人質代わりにする。それが通用しないならそれを武器にしてやりあう。彫刻刀さえ無力化してしまえばあとはどうにでもなるだろうから力づくで逃げる。これが最終脱出プランだ。

 僕は突っ込まれたキャンバスに手をかける。海賀絵美はそれを見て慌てた様子で構えた。

 やはりこれは大事なものらしい。逆上させるかもしれないけれど、もう危険を顧みていては現状は変化しない。ボスが隠した宝箱の中には最強の盾、なのだ。

「えっ?」

 声を上げたのは僕だった。

 キャンバスを取り出すことはなかった。海賀絵美が彫刻刀を床に落としたからだ。カラカラと乾いた音が鳴る。一瞬の静寂が場を支配する。海賀絵美は声も出せないで固まっていた。

 何が起こったのだ。そう思ったのは僕も海賀絵美も同じだっただろう。

 その静寂のあとに聞こえたのは、優しい声だった。

「絵美ちゃん」

 と。

 今回の原因。諸悪の根源。僕が海賀絵美と対峙するに至った原因、大空翔子だ。彼女が突然現れ、海賀絵美を後ろから抱きしめていた。

「せ、せんぱ……い?」

 突然のことに驚いた海賀絵美は混乱して、バタバタと暴れた。しかし大空翔子は離さなかった。陸上部で鍛えた腕力で芸術少女を押さえ込む。体育会系の勝利だった。

 僕はここで幕引きだった。おいしいところは全部かっさらっていく。それもまた大空翔子なのだろうと、妙に納得している僕がいた。

「ありがとね」

 優しい声で、穏やかな表情で大空翔子は言う。海賀絵美はそこでえみりぃんとなり、口をぱくぱくとさせながらうつむいてしまった。

「あたしのこと、憧れてたって。ずっと見ていてくれてたんだよね」

「あ、あぅ……」

「でもごめんね。あたし、そういうの嫌なんだ」

「で、でも、わ、わたしは、先輩のことすごいなあって思ってて、みんなに慕われててかっこよくて優しくてなんでもできてすごくて、あ、憧れ……てて……スン」

 泣ーかしたーと茶々を入れられる雰囲気ではもちろんなかったので黙って見ていた。空気はある程度読める僕なのだ。

「ダメなんだよ。絵美ちゃん」

「…………」

「それじゃあ、友達になれないでしょ?」

「とも……だち……?」

「そう。あたしはみんなと友達になりたい。ちゃんとあたしを見てくれる本当の友達。だからね、絵美ちゃん。あたしと友達になろうよ」

「わ、わたしなんかじゃ……」

「それはこっちの台詞なの。あたしはね、絵美ちゃんが思ってるような人間じゃないんだよ。誰にでもいい顔してる八方美人。でも疲れたからそれはもうやめたの。嫌なことは嫌って言って、結構自己中だったりする。今まで隠してきたけど、もう隠さない。こんなあたしだけど、友達になってくれる? わがままばかりで大変かもしれないけどね」

「で、でも……」

「もう~、いいじゃない。あたしね、自分から友達になろうって言ったの、絵美ちゃんが二人目なんだよ?」

 そこで大空翔子はこちらを一瞥した。僕は柄にもなく照れてしまうことはせず、しかめっ面で答えた。僕の場合はお願いではなく強制だっただろうに。そして上からだったろうに。

「わ、わたしが二人目?」

「そっ。嫌な人には言わない」

「……と、友達、なります!」

「やったぁ! じゃあ、えみりんって呼んでいーい?」

「あ、えみりぃんでお願いします」

 えみりぃんのあだ名はどうやら自分で相当なこだわりがあるようだった。

「えーっ、呼びにくいからえみりんでいーよ」

「じゃあ、先輩だけ特別です」

 それほどでもないようだった。

 それじゃあ僕も便乗してえみりんと呼ばせてもらおう。

 しょこたんはえみりんの頭を撫でながらうりうりと頬ずりする。えみりんは顔を赤くしながらも嬉しそうに笑っていた。微笑ましい光景である。

 微笑ましい、か。まあ僕自身に大事なかったことについて言えば微笑ましい。どうして大空翔子が現れたかについては、また後日に聞いてみよう。一応は助けられた形になったので礼はしなくてはなるまい。借りを作りたくなかった相手に借りを作ってしまったことが、僕の大きな『黒』の原因になりそうだった。

 今回は僕の自業自得だろう。やはり次回からは自分の足で情報収集しなければならない。これが今回こうなってしまった反省だ。大空翔子の時のように、少しずつでも本人と話しをしていかなければ、相手の思ってることや性格はよくわからない。えみりんがあんな危険な少女だとわかっていれば、もっと他にやりようもあったはずだ。一度二度、直接に少しでも話していれば、僕に誤解を抱いているということは気付けたかもしれない。人づてに聞いただけでは伝わらないものもある。大空翔子の情報収集能力は、魅力的ではあるのだけれど。

 大空翔子と友達でいればこういうこともあるかもしれない。

 それがわかったのが今回の収穫である。

 それともう一つ。

 えみりんの笑い方は『あひゃひゃひゃ』だった。

 僕の想像を超えていた。

「あ、そうだ。真黒くんのせいであんなことしたわけじゃないから、もう真黒くんをいじめたらダメだからね。真黒くんをいじめていいのはあたしだけなんだから!」

 えみりんの嫉妬が再燃した瞬間だった。

 優しそうな瞳が、はっきりと僕を睨み付けるのだった。

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