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まっくろまくろなましろくん  作者: しゃーむ
17/42

海賀絵美 Ⅵ

 僕の問いかけに対して、海賀絵美は何も答えなかった。

 直立不動の影絵と化している。自身で芸術を表現でもしているのかと、全然面白くもないことを思っていたりした。

 気になるのは彼女の視線だった。

 僅かな光が反射する瞳。

 人見知りのはずなのに、僕から視線を外そうとしない。まるで獲物を見据えているかのようだった。怖い怖い。想像するのはやめておこう。

 僕を階段から突き落とした犯人として彼女を名指ししたわけだが、はっきりとした確証があるわけではなかった。

 今現在、カマをかけている状態だ。

 なんせ階段から落ちて頭が混乱するよりも先に気絶してしまったのだから、僕に犯人の姿を捉えることは不可能だったのだ。車に轢かれてそのナンバーを自分で記憶するのが困難なものと同じだ。轢かれたことはないからわからないけれど、まあそんな感じだろう。

 僕が海賀絵美を犯人だと思った理由はいくつかある。

 ひとつはつい今しがた目にした大空翔子の絵だ。

 絵画。

 海賀絵美は大空翔子に執着している。自分でもストーカーだと言っていたように、異様なほどに。僕は絵について、あくまでも素人だからわからないけれど、あんな絵を想像だけで描けるのだろうか。彼女が描いた大空翔子から伝わる息遣いや躍動感は、本物と比べても遜色ないようにも思えてしまう。実際に大空翔子の声を聞いて、動きを見ていなくては描けなさそうだ。それも長い時間をかけて、執拗に追い続けなければ無理なことではないだろうか。僕の目から見ての、推測でしかないのだけれど。

 そんな彼女が僕を突き落とした動機としては、大空翔子とお近づきになった僕のことが憎かったのではないかということ。簡単に言えば嫉妬だ。単純な話しではあるけれど、嫉妬心や執着心は他人には推し量れない。これだけ大空翔子に執着している海賀絵美が初めて大空翔子と話したのが、あの病室だったという。それまで遠くで見ているだけだった大空翔子とやっと話せるようになったのに、それをいとも簡単にやってのけた男がいる。しかもそいつはやけに親しげに話しているときた。僕からすればご愁傷様としか言えないのだけれど。

 これがひとつ。

 そして僕が落ちた場所だ。

 僕が階段から落ちた場所。それは二階と三階を繋ぐ階段の踊り場だった。つまり二年の教室がある二階と一年の教室がある三階の間。僕は三階から二階に下りる時に突き落とされたのだ。

 二年と三年の生徒が昼休みに三階まで行くことはほとんどない。それこそ、一年の生徒に用事がある場合か、三階にある美術室、音楽室に用事がある場合、それと僕のように屋上に行く場合だ。三階を違和感なくうろつける生徒となれば、それはほぼ一年に限られてくる。無差別犯、愉快犯でない限りは、僕を突き落とそうなんて考える奴は、僕のことを知っている一年生になってくるのだ。

 もちろんこれだけでは海賀絵美を犯人だとは言い切れない。

 しかしこれらに階段から突き落とされた状況まで加味すれば、おおよそ犯人は海賀絵美に絞られる。

 僕は新学期が始まって三日目から屋上前の踊り場で昼食を済ませていた。

 僕が突き落とされたのはその場所を大空翔子に見つかった時だ。大空翔子に見つかるまでは僕は何事もなくそこで昼食を終え、教室に戻っていた。僕ひとりの行動なんて、海賀絵美は見向きもしなかったのだろう。大空翔子が一緒にいたからこそ、海賀絵美の目に止まった。これについては僕が退院したあとに再び屋上前で昼食を済ませたあとに海賀絵美と遭遇したことからも言える。その時も大空翔子がいたのだから。

 しかしまあ、これはすべて推測に過ぎない。推測であり、憶測でもあるのだけれど。

 そしてさっきから海賀絵美の言葉を待っているのだけれど、彼女は依然、黙秘権を行使中だった。この場合、黙っていることが肯定することになるというのが当てはまりそうなんだけどなあ。

 海賀絵美の『黒』は僕に対する嫉妬心。

 つまりはそういうことで、僕の疑問は解決としていいのかな。

 そうだとするならば、あっけない。

 本人と話しをするまでもない。あの絵を見て、それで終わりだった。まあ本人はあの絵を隠していたようだったし、それを僕が見つけたということでよしとするか。一応は、海賀絵美の秘密だろう。

「先輩……」

 おっ、ようやく口を開いたか。それにしても『先輩』と呼ばれるのはくすぐったいものがあるな。そういえば僕が後輩と話しをするのは初めてかもしれない。僕が『黒』の原因を覗き見てきたのはいずれも『先輩』にあたる人たちだったからなあ。

「なんだい?」

「先輩は、大空先輩の、なんなんですか?」

 僕の質問には答えずに質問してくるとは。やはりどこか図太い性格だな。

「友達だよ。まあ、一方的にだけど」

 大空翔子にとってはそうだろう。僕にとって大空翔子とは何か、疫病神のようなものだな。彼女とお近づきになったせいで入院したようなものだし。

「よく、わかりません。それじゃあ、先輩は――」

「おっとー、いろいろ聞きたいことがあるのはわかるけど、まずは僕の質問に答えてくれるかな。僕を階段から突き落としたのは、キミなんだよね?」

 彼女の『黒』の原因がわかったとはいえ、それで終わりにするほど僕も甘くない。人を突き落としておいて被害者に笑って許されるほど世の中も甘くない。もちろん暴力で訴える気はないけれど、僕の気持ちが少し晴れるくらいには仕返しをさせてもらう。

「……知りません」

「嘘はよくないなあ、あんなひどいことしておいて。僕が死んでたらキミは人殺しだよ? 言いなよ。僕が憎いんだろう? 僕に嫉妬しているんだろう? 大空翔子と仲が良いから」

 つくづく、僕は性格が悪いなあと思う。

 でもまだまだだ。まっくろくろになった『黒』をもっと黒くしてやろう。

「そんなこと……思ってません」

「キミが僕を押したなんて証拠はないよ。でも僕は見たんだよ、キミのこと。その長い髪、『黒』い姿をね」

「…………」

「このことを彼女に言ったらどうなるかなあ」

「彼女って……」

「もちろん、キミが大好きな大空翔子だよ。僕って結構あいつに好かれてるからね、きっとキミのことを軽蔑しちゃうんだろうなあ」

 そこまで言って、海賀絵美は鋭く僕を睨み付けた、ような気がする。さっきよりも、『黒』が深く濃くなっていた。周りの光も吸い込んでしまいそうなほどに。

 さて、これくらいでいいかな。

 お仕置きはこれで終わり。

 あまり恨みを買ってもいいことはない。ひとりでおちおち出歩けなくなってしまう。海賀絵美の『黒』に怯えながら学校生活を送るのはごめんだ。

「冗談だよ。彼女に言ったりはしないさ。それと訂正するよ。僕は大空翔子のことを友達と思っていないしそれほど親しくもない。彼女に好かれてるっていうのも嘘っぱちだよ」

「嘘……」

 海賀絵美の『黒』が少し薄らいだ。やはり大空翔子に嫌われるのは耐え難いことなのだろう。それとも僕があまり親しくないと言ったからなのか。

「怪我の治療費……いくらかかりましたか? わたしが、払います」

 ……認めた、ということでいいのだろうか。しかし同じような台詞をどこかで聞いたような気がする。あ、僕か。

 そうして、また海賀絵美の『黒』が薄らいだ。

 確定だ。

 彼女の言葉よりも、その『黒』で海賀絵美が僕を突き落とした犯人だと確信できた。

『黒』は嘘をつけない。『黒』を偽ることは誰にもできない。

 人は秘密を持つことで誰でも例外なく『黒』を有する。誰にも知られたくないこと、それが絶対に知られたくないことであればあるほど人は『黒』を濃くする。秘密を持つことはそれだけで人のストレスになる。その秘密を共有できる他者の存在ができることで気持ちは軽くなり、『黒』は薄れる。あくまでも共有で、知られたくない相手ならば、信用できない相手ならば、これは逆になるのだけれど。

 僕は『黒』で、そいつにとってその秘密がどの程度重要なものであるかを推し量ることができる。僕にだけ与えられた特技のようなものだ。海賀絵美にとって僕を突き落としたことは、それほど重要なことでもないらしい。悲しいかなそれが事実である。

 そして、海賀絵美は僕を信用していることもわかる。『黒』が薄らいだからだ。僕と秘密を共有したことを認めたのだ。つまり罪を認めたということ。

「気にしないでいいよ、というのは嘘になるけれど、もういいよ。キミをいじめたことで僕の気も晴れたしね」

「先輩は、意地が悪いです」

「よく言われるよ」

 嘘だ。言われる相手なんていない。見栄を張った。僕のことをよく知らない彼女だったから。

 さあて。

 用事は済んだ。

 海賀絵美の『黒』の原因もわかった。

 ただの嫉妬。

 ありがちなことだ。これまでだって何度もそういう『黒』を見てきた。人に対して好意を持てば嫉妬も生まれる。面倒くさいんだ、人間って。

 海賀絵美の『黒』もここに来た時よりも薄らいだことだし、さっさと帰ろう。

 まだまだ、まっくろくろな『黒』だけれど。

 ……。

 …………。

 ………………。

 んんー?

「あのね、海賀絵美さん」

「なんですか?」

「僕、本当に大空翔子さんとは仲が良いわけじゃないからね?」

「はあ……?」

 首を傾げるえみりぃん。

『黒』に変化がない……?

 少しおかしい。彼女の『黒』の原因が嫉妬なら、これで少しは『黒』が薄くなるはずだ。このことに関しては聞いただけでは信用できないということだろうか。実際に海賀絵美は僕と大空翔子が一緒にいる場面を見ているからか。僕は大空翔子の病室に居たし、この前は大空翔子の余計な親切心で肩を担がれている姿も見られているから。

 海賀絵美の『黒』の原因は僕に対する嫉妬ではないということなのか。いや、多少『黒』は薄らいだ。でもそれは彼女にとってそれほど重要なことではない、些細なことなのだ。

 おいおい、それじゃあこのまま帰ったりしたら、僕はまた階段から突き落とされかねないんじゃないのか。いやでも、治療費を払うとまで言った彼女が、再びそんな暴挙に出るとはあまり考えられない、か?

 僕自身のためにも、海賀絵美の『黒』の全容を知っておかなければならないかもしれない。『黒』の主な原因が大空翔子でなければいいのだけれど。

「真黒先輩……で、いいんですよね?」

「あ、うん、いいよ。でも……」

「大空先輩が……そう、呼んでましたから」

「ああ……」

「マグロ先輩」

「それはよくない」

「……そうですか」

 いや、へこむよさすがに。そんなに残念そうに言われても。

「可愛いと、思ったのに……」

「僕はマグロに対して可愛さを見い出せないよ」

 そしてもういいよこれは。

「マクロ先輩」

「僕は別にでかくない」

「じゃあ……真黒先輩」

「だいぶかかったなぁ……」

「大空先輩の……応援、してましたよね」

「ああ、あの大会。強制的にだよ。僕は別に興味なかったんだ」

「違います。大空先輩が……練習、してる時です」

 おおぅ、そっちか。というか見られていたのか。えっ、怖い。何この子。全然気が付かなかったんだけど。僕だってあの時は人目を気にしていたのに。

「あれもね、応援していたわけじゃないんだ」

「じゃあ、何なんですか? 何を、話していたんですか?」

「ただの世間話さ。特別なことは何も」

「大空先輩、楽しそうでした。すごく、楽しそうでした」

「そうかい? 僕にはそうは見えなかったけれど」

 そりゃあ楽しかっただろう。奴は僕のことを好き勝手いじめてくれてたから。同じような内容でキミにもいじめられそうだったんだけどな、えみりぃん。

「大空先輩が……飛び降りた理由、知ってますか?」

 知ってる。

 だからっておいそれと正直に話してやるつもりなんてもちろんない。それが人の秘密だからという理由じゃない。僕だけが知っている(暫定)ということに意味があるのだ。僕だって苦労したんだ。

「知らないよ。教えてくれないしね。たぶん、大会で結果を出せなかったからだよ」

「あれは、わざとです」

「…………へぇ」

 喜ばしい事実だぞしょこたん。ここにわかってくれてる人がいた。ストーカー行為の賜物だ。僕も似たようなものだったけれど。でも、僕だってあの時大空翔子と話していたから、見届けて欲しいと言われていたから気付けたようなものだ。わざわざドヤ顔もくれたし。しかしそれをこの、海賀絵美は……。

「先輩は、もう……陸上……できないって、言ってました」

「らしいね。自業じ……いや」

 危ない。

「何を……話していたんですか?」

「うん? だからただの世間話だよ。そんなに気になるのかい?」

「真黒先輩と、話すようになって……大空先輩は、変わりました」

「そうかい? 僕にはわからないけど」

「先輩が、飛び降りてから……絵……描けなくなりました」

「ああ……」

 だから、あの真っ白いキャンバスがあったのか。それほどショックだったのかな。まあ、ショックだろうなあ。大好きな人が飛び降り自殺なんて図ったら、トラウマにでもなるだろう。

 僕が見た大空翔子の絵は、まだ飛び降りる以前に描かれたものだった。

 だからか。僕がどこか納得できなかったのは。生き生きし過ぎている、完璧な大空翔子があの中にはいたのだ。

「何を……話していたんですか?」

「え? ええと……」

「先輩の、せいなんですよね」

 海賀絵美は、準備室のドアを閉め、静かに鍵をかけた。

 ……あれ?

 これってー……。

「大空先輩が、飛び降りたの……真黒先輩の……せい、なんですよね」

「それは違うよ。僕は彼女と知り合ってまだ間もないんだから」

 マズイ……かも。

「嘘だ!!」

 咄嗟に『本当だ!!』とは言い返せなかった。しかし、この台詞を自身に向けて叫ばれることになるとは思わなかった。危険な香りがぷんぷんするね。いろんな意味で。大きな声出せるじゃないか、と微笑ましく言える雰囲気ではもちろんなかった。

 はっきりした。

 気付くのが少し遅かったのかもしれない。

 海賀絵美の『黒』。

 それは単純な、僕に向けられた、単純明快な『怒り』だったのだ。大空翔子を自殺へ追いやり、彼女から陸上を奪った僕への怒り。

 あらぬ誤解である。勘違いも甚だしい。

 僕に敵意むき出しの海賀絵美はポケットをまさぐり、何かを取り出した。何かとは、何かにしておきたい。さすが美術部もどきである。僕がこの辺りを見た時には見当たらなかった、彫刻刀を握りしめていた。

「治療費は……出してあげますから」

「治療で済めばいいんだけどね」

 葬式代まではキミには厳しいんじゃないかな。そんなふざけたことを言っている場合ではなかった。

 彼女の誤解を解くためには大空翔子の『黒』について話してやればいいだけなんだろうけれど、それは嫌だ。

 しかしながら、背に腹はかえられないとも言う。

 うーん、困った。

 真黒真白、人生最大……でもないピンチである。

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