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てるてる坊主に願いを

作者: 水沢悠

「あー明日晴れないかなぁ」


 テレビの天気予報を見ながら妹は、少し憂鬱そうに呟いた。

 予報では降水確率九十パーセント。ほぼ雨が確定しているといっても過言ではない。


「何かあるの?」

「ううん、なんにも。ただ雨って電車混むし、傘は邪魔だし、全体的にサイアクなんだよね」


 はあ、っと妹はため息を吐く。

 今年の春から私立中学に入学した妹の美晴みはるは、片道一時間近くある学校まで電車で毎日通っている。


「まあもう六月だから仕方ないよ」

「お姉ちゃんはいいなあ、大学まで自転車で行ける距離なんだもん」

「あら、楽じゃないわよ。雨の日はカッパかぶらなきゃいけないし、滑ってこけそうになるし」

 

 ちょっと楽天的な、年の離れた妹に私は苦笑いをする。

 私の通う大学は自宅から片道自転車で二十分。たしかに近いといえば近い。


「こーら、美晴。こんなところで寝ないの。風邪引くよ」


 慣れない通学に疲れが見え始めた美晴は、近頃よくソファーでうたた寝をすることが多い。

 揺さぶって起こしてみるけれど、一向に起きる気配がない。

 それでもどうにか起こして、覚束ない足取りの妹を部屋まで連れて行くとそっと布団を被せた。

 まだまだ手のかかる妹がちゃんと寝たのを確認すると、私も電気を消して自分の部屋へと入った。


 次の日はやはり予報通り、雨がザーザー音を立てて降っていた。


「明菜、悪いんだけど美晴を起こしてくれる? そろそろ起こさないと遅刻しちゃう」


 母に言われて私は妹の部屋へ向かった。扉を開けると、案の定美晴はすやすやと寝息を立てて眠っている。


「美晴、起きなさい。学校遅刻するよ」


 ガバッと布団を剥いで起こすと、美晴はやや不機嫌そうに唸り声を上げた。

 せめてものの抵抗なのか、必死に私から布団を取り返そうと手を伸ばすけれど、あと少しのところで届かない。

 そんな様子もまだまだ幼くて可愛らしい。思わず微笑みそうになるのをこらえて私は再び声をかけた。


「みーはーるー。いい加減にしなさい」

 

 美晴は再び唸ると、今度はうつぶせの体勢になった。

 私はその時、少し異変を感じた。美晴は朝は弱いけれど、ちゃんと私は起こしたらわりとすぐに起きるのに。

 こんなにぐずるなんて、中学に上がってからは見たことがない。


「美晴」

「お姉ちゃん、私、学校行きたくない」


 妹は泣いていた。小さな肩が震えている。声を押し殺して泣いていた。


「どうしたのよ、一体」

「行きたくない」

「じゃなくて、なんで」

「うるさい」


 美晴は布団を被るとそのまま何も言わなくなってしまった。

 私はその小さな背中をそっとさする。


「仕方ないわね。私はお母さんに話しておくから、今日は休みなさい」

「……」

「その代り、明日はちゃんと学校行くのよ」

「……」


 返事はなかったけれど、美晴は小さく頷いた。




「どうしたのかしら、美晴」


 母が心配そうに呟いた。

 学校が休みの私は、お茶を飲みながら母の話を聞いていた。


「今まで学校に行きたくないなんて、言ったことない子なのに……。今流行りのいじめとかじゃないでしょうね」


 妹はどちらかといえば学校が好きな方で、よく家でその日あったことをよく喋っている。


 ――お姉ちゃん、今日はね、友達がねこんな話をしていてね――


「分からないけれど、いじめとかそういうのじゃ、ない気がする」

「なんで?」

「だってあの子、毎日学校のこと楽しそうに喋ってるじゃない。そんな子がいじめられているなんて、あまり考えられないわ」


 そうかしら、と母は首を傾げる。確信はないけれど、たぶんそんな理由じゃない。 

 なんとなく、様子を見ていたらそんな気がした。


「昨日までは普通だったのにねえ……」

「もう一度私が聞いてみるわ」

「今度はお母さんが行こうか?」

「大丈夫」


 不安げな母を元気づけるかのように私は微笑み、再び妹の部屋に入った。


「美晴」

 

 なに、と小さく布団から声が聞こえる。

 朝からずっとこの体勢なのだろうか。よく疲れないものだと、こっそり笑う。


「そろそろ意地張ってないで、ちゃんと教えて。何かあったの?」


 鼻をすする音が聞こえる。

 普通はあまりこんな風に聞かない方がいい、なんてどこかで聞いたことがある気がするけれど、却って美晴には逆効果だ。

 昔から諭すように声をかければ、耐えきれず美晴は白状する。


 しばらくの沈黙の後、思った通り、おもむろに妹は口を開いた。


「……今日が、晴れだったら、学校に行こうと思っていたの」

「え?」

「晴れだったらね、きっと平気だと思ったの。なのに、今日はやっぱり雨だったから、行きたくなくて」


 支離滅裂でさっぱりな話に首を傾げていたら、今度は急に美晴は布団から出てきた。


「お姉ちゃんにはきっとわからないよ」

「どうしたのよ、一体」

「お姉ちゃんはきれいで、頭もいいから、私の気持ちわからない」


 そう言うと妹はわっと再び顔を覆って声をあげて泣き始めた。


「……夏帆ちゃんがね、私が、長岡くんが好きだってことばらしちゃったの」

「誰に」

「長岡くんに」


 嗚咽混じりに話す妹の声に傾け、ようやく教えてくれた内容をまとめると、友達の夏帆ちゃんがうっかり口を滑らせて長岡くんに美晴が好意を抱いていることを話してしまったらしい。

 それを知った美晴は夏帆ちゃんに「うそつき、大嫌い」と言ってしまったらしく、学校に行けなくなってしまったというわけだ。


「あんな言い方……しなくてもっ……よかったのに。別に、そこまで責める……つもりじゃなかったのに……」


 夏帆ちゃんにも、長岡くんにも合わす顔がないとわんわん泣く妹に、私は過去の自分を重ねた。

 私も美晴と同じ年くらいのとき、好きだった先輩本人に好意を抱いていることがばれたことがある。

 先輩から「明菜ちゃんって、本当に俺が好きなの?」と聞かれたとき、臆病な私は「違います」と思わず返事をしてしまったこと。


「でもなんで、今日が晴れだったら学校に行くつもりだったの?」

「私の名前が、美晴だから。昔から晴れの日には、いいことがあったの。友達とけんかしても、ちゃんと天気が晴れだったら、仲直りができたの。……だから、今日が晴れてくれたら、きっとごめん、って言えると思ったのっ」

 

 美晴は、自分の言葉を吐き出すあと一歩の勇気が、欲しかったらしい。

 誰もが通る道、懸命に大人へと階段を上ろうとする姿に、胸が苦しくなった。


「お姉ちゃんもね、昔同じようなことがあったの」

「ほんと?」

「うん。でもお姉ちゃんは勇気がなくて、何も言えなかった。でも美晴は違う。きっと、言えるよ」


 でも明日も雨だし、なんて頼りない声で呟く妹の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「お姉ちゃんが明日、晴れにしてあげようか」

「え」


 無理だよ、と妹は言う。それもそうだ。だって明日も降水確率九十パーセント、きっと今日と同じような雨に決まっている。

 誰もがそう思うに違いない。

 けれど、私はひとつだけ魔法が使える。


「お姉ちゃんの、てるてる坊主で」


 にこっと笑ってみせると、怪訝な顔で妹は見つめてきた。

 ティッシュを取り出し、くるくると丸めててるてる坊主を作る私に少し茫然としているようだ。


「恥ずかしいよ、お姉ちゃん」

「どうして」

「だって、私もう中学生だもん。そんな子供だましみたいなの、嫌よ」

「まあ、見てなさい」


 見る見るうちにてるてる坊主は形をなし、私はマジックペンで顔を描くと完成したてるてる坊主を妹に手渡した。


「はい」

「はいって……どうするの」

「美晴が部屋に飾るのよ。そして、願い事をするの。明日晴れますようにって」


 嫌だよ、と渋る妹をせかして窓にてるてる坊主を飾らせた。

 

「ほら、お願いしなきゃ」

「恥ずかしいよ」

「早く、ねっ」

「もう……明日晴れますように」


 私が満足そうに笑うと、これでいいでしょ、と妹は恥ずかしそうに目線をそらした。

 妹は半信半疑だったけれど、答えは次の日になれば一目瞭然だった。



「晴れた……」


 翌日妹の部屋に入ると、驚いたように彼女は目をしばたかせていた。

 昨日の土砂降りの雨が信じられないくらい、空は雲ひとつない快晴で、カーテンの隙間からは明るい光が漏れている。


「ねっ、言った通りでしょ」

「お姉ちゃんどうして、ねえ、なんで晴れたの。だって、今日は雨って予報だったのに」

「ふふ。さぁ、早く準備しなさい。遅刻しちゃうわよ」


 妹は慌てて学校に行く準備を始めた。

 単純といえば単純、まだまだ幼さを残す妹に微笑みながらも、次第に自分で新しい世界に向かう姿に一抹の寂しさを覚える。

 まだまだ自分だって学生だというのに、年がこうも離れてしまうと、母親のような目でつい妹を見つめてしまう。

 そんな自分に苦笑いすると、玄関の前に、ふたつの影が立っているのが視界に入った。


「美晴」


 鏡の前で髪をとかす妹に、背後から声をかける。


「夏帆ちゃんと長岡くん、迎えに来ているよ」

「え、うそ」

「本当だってば。早く行きなさい」


 美晴はばたばたと鞄を掴むと、慌てて玄関の外へと飛び出した。

 窓の隙間からそっと外を伺うと、三人の笑顔がそこにはあった。



「――へえ、そんなことがあったの」


 私の話を聞いた母はくすくすと笑う。


「もう中学生だって背伸びをする姿も可愛らしいけど、まだまだ子供なのね」

 

 まだ私も頑張らないとね、と言う母に私は目を細める。


「でもどうやって明菜、天気を晴れにしたの?」

「ううん、あんなのただのはったりよ。でも、きっと晴れになるような気がしたの」

「じゃあもし、晴れなかったらどうしたの」


 さあ、考えていなかったわ。なんていい加減な返事をする私に母はまた声をあげて笑った。


「もう、呑気なものねえ」

「仕方ないじゃない、私だって普通の女の子なんだもの」


 てるてる坊主は、私たちのお願いを叶えてくれた。

 少しの幸せの余韻を残して。

 きっと妹は今日も笑って帰るだろう。そして今日も私に話すのだ。

 学校でその日あったこと、友達のこと、先生のこと、そして初めてできた好きな人のこと。


 ――お姉ちゃん、今日はね――


 また困った時はあの小さなてるてる坊主に願いをこめよう。

 部屋の隅っこに飾って。

 

 まだまだ夏は遠い。けれどきっと、雨も悪くはない、そう妹もいつか思えるようになるだろう。



 




 ――てるてる坊主に願いを――



 




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― 新着の感想 ―
[良い点] 屈託のない姉妹の会話が丁寧に描きこまれていて、とても読みやすかったです。雨の日から一転、すっきり晴れた朝のラストも好感が持てました。 [気になる点] これは良い点でもあるので、直す必要はな…
[良い点] 仲のいい姉妹の会話が屈託なく描かれていて、とても好感が持てました。雨の夜から一転、晴れの日を丁寧に描いたラストの展開も好きです。 [気になる点] 良い点でもあるので、特に直すべきではないの…
2013/04/12 15:44 橋本ちかげ
[良い点] ト書きとセリフのバランスが良くて読みやすい。 [一言] あったかい気持ちになれました。 願い事するってことをずっと忘れていたことに気がつきました。
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