第4話
「ねぇってば」
彼は再び僕の前に姿を現していた。
少し前までもう二度と会えないって思っていたのに、何だか不思議な気分に可笑しくなる。
「ぅあ゛・・・げほっ!」
何か喋り掛けようとして空気を多く喉に通したら、途端にむせて咳き込んだ。
「あ、あぁあ゛ー!って・・・やっぱまだ痛い」
元々周りの男子より声色は低い方だったけど、今は益々しゃがれて老人の様になっている。
何回か咳き込んで、ゆっくりと深呼吸してから彼の方を向いた。
黒い肌に黒い髪、大きめな瞳は澄んでいて綺麗だ。
此処に来る前は、アフリカの地域にでもいたのかな。
それとも白い衣装からしてインドなのだろうか。
「ごめんな」
言葉はすんなりと自然に出ていた。
「もう死のうなんて思わないよ。まだ、もう少し悪あがきしたいから」
彼は少し驚いた様に黙っていたけど直ぐに微笑み、そっか、と言った。
「──じゃあ僕はもう要らないね」
「へ?」
目を瞬かせ、彼の言った言葉の意味に頭を働かす。
「君はゲームに勝ったんだよ」
「ちょ・・・ま、待って。訳分からないんだけど」
ニコニコと少年は微笑み続ける。
「だって君は自分にとっての泉が何か分かったでしょ? 見つけた時点でゲームは終了さ」
そう言われれば確かにそうだけど──でもそれなら、この違和感はなんだ。
何か変だ。
何が? 何がおかしいんだ?
僕が思案している間も少年は優しげな笑みを崩さない。
「・・・君、ほんとにゲームの参加者なのか?」
喉から言葉がこぼれ落ちた。
それは無意識に発した言葉だけど、口に出した後の方が更に彼の存在を疑わしく感じさせる。
「違うよ」
彼は笑ったまま、そう答えた。
「じゃあ、君は誰なんだ」
「案内人・・・かなあ? どちらかと言うと仕掛け人の役割だけど」
──案内人?
「今回は君だけちょっと特別ルールなんだよね。君が開始時間に食堂にいなかったからさ」
淡々と喋る彼の──否、案内人の台詞に何か言葉を返す気ににはなれず、黙って聞いていた。
「君にはルール説明もされてないし、食料や道具も配布されてない。それじゃあ不利だから僕が君の手助けを任されたって訳」
「・・・・・・」
「初めは少し面倒臭い人間だなぁって思ってたけど、うん。最初とは随時顔つきが変わって良い感じだっ・・・って、あれ? 何だかあんまり嬉しそうじゃないね?」
「・・・そう言う君は、やけに嬉しそうだけど」
「嬉しいさ。だって君は今回の最初の勝者だもんっ」
今回は内容が曖昧というか、抽象的で分かりにくいからゲームにするには良くないけど、と、不満げに洩らす。
「・・・話が違うとか思ってる? 僕が参加者だって嘘吐いたから」
先程までの笑顔を引っ込め、心配そうに僕を見る。
「まさか」
その憂いを帯びた瞳が痛々しくて、僕は即答した。
「君がどんな存在であろうとも、僕は君自身の言葉に、行動に救われたんだ。まぁ、少し残念な気持ちもあるけど・・・本当に感謝してる。ありがと」
それが今の率直な気持ちだった。
勿論彼が案内人だった事には驚いたし、今までの態度が計算されたものなのかと考えると悲しくもあったけど、それを含めたって感謝の念ばかりだ。
心が穏やかになれるのを、こんな風になれるのを僕は長い間待っていたのかも知れない。
僕はきっと、今の僕が一番好きだ。
「戻ったら、しなきゃいけないがあるんだよ」
先ず戻ったら、桜雪やアリアに謝らないといけない。
其処にいない心配なんてしない。大丈夫だ。どんなゲームだろうと2人は勝ち残ってる。
それから・・・それからエディの事を話さなきゃな。
──その事で二度と彼らと居られなくなったとしても。
「・・・実はもう一つあるんだ」
「え、ごめん、何か言った?」
「僕は、人間じゃないんだ」
「・・・あ?」
「この任務の為だけに造られた機械だ。血も出るし喉も渇くけどね」
「嘘じゃ──」
「ないよ。そして僕の最後の役目は、君を食堂まで無事に帰す事。それが済んだら僕の心臓は停止して体も消える」
「停止・・・?」
それじゃあまるで、スイッチで動く人形じゃないか。
何だか現実離れし過ぎているせいか、余りにも彼の口調が淡々としているせいか──頭が言葉の意味を理解するまで少し時間を要した。
だけど僕の脳裏に、彼のパーツが工場で組み込まれている姿が浮かんだ瞬間──途端にそれが生々しく思え、驚愕と悲壮感に口元を押さえてた。
実際の過程など知りもしないのに、僕の想像は急速に膨れ上がり自分の首を絞めようとする。
だって彼が、彼が人間じゃないなんて変だろ。
僕は彼にゆっくりと近付き、確かめる様に腕に触れた。
「・・・はは、嘘だろ? 柔らかい上に体温まであって、全然普通の人間と変わらな」
「──賢治」
諭す様な口調に体が強張る。
僕はその時初めて彼に名前で呼ばれた。
「・・・変わらないのに」
それでも人間じゃないのだ。
彼はちょっと驚かせたかな? と言って肩を竦めた後、ふと背を向け視線を地平線に移した。
少し強くなっている風によって靡く前髪を整えもせず、僕も同じ方向に視線を移す。
──もうすぐ太陽が沈む。
夕焼けにセンチメンタルなんて感じた事もないのに、今日だけは何だか物悲しくて、感傷的な気分にさせられる。
それともこれが普通の人間の感情なのだろうか。
分からない。まだ考えたくもない。
「さあ、そろそろ戻ろうか」
「え、否、もう少しここに・・・」
いたい、と言いかけて言葉を濁す。
彼が背を向けたのは僕を気遣っての事なのかと考えれば、留りたいなんて言っては駄目だ。
だけどそれでも、じゃあ帰ろうかな、と賛同したくはなかったんだ。
「せ、せめて、日が沈むまで」
「・・・・・・」
彼の沈黙が何だか怖かった。
一瞬の静けさの後、彼は太陽に背を向け僕を見つめた。
「賢治、本当に優しくなったね」
「? そうだとしたら、それは君のお陰だよ」
何を唐突に? と思いながらも、話を合わす。
その台詞に彼は少し躊躇う様に髪を耳に掛けた後、何か考えているのか揺らいでる瞳を閉じて動きを止めた。
「──一番最後に知るより、今知った方が良いのかな」
黒く濃い睫が僅かに開いた彼の瞳を隠していた。
「それとも知らない方が楽なのかな」
その姿は答えの無い問に解答を当てはめようとしているみたいだった。
長い自問自答の後、彼は独り言の様に呟く。
「君はやっと自分の道を自分らしく歩ける様になれるのに、それを邪魔したくない」
君に取って悲しい話だから、と、付け加えて。
彼は楽しそうでも悲しそうでも無い表情で僕の顔を見つめてから静かに、だから選ばせてあげる、と言った。
僕はその時初めて、彼が精密な機械の様に感じた。
感情の窺えない瞳が僕を捉える。
「──聞きたい?」
それが僕の全てを左右するかの様に思えたのは──多分気のせいじゃない。
どっちが正解とか考える事させ思い付かなかったし、そんな問題でもなくて
只僕はその時
何故ゲームをするのか知れる気がしたから。
頷いたのは本当にそれだけだった。
「──────」
全てを聞きおえた後に残ったのは、後頭部を鈍器で殴られた感覚だけだった。