第7話
──北欧の魔女は神話的な存在だと伝えられている。
アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドに住んでいた魔女はあまり群れる事をせず、ひとり森の奥に暮らしていた。
ヨーロッパでありながらキリスト教の影響を殆ど受けていない為か、一概に
「邪悪」と定義付けられる事も無く、住民にとって魔女は孤独に生きる賢者であり穏者とされた。
西欧に比べ魔女裁判もかなり少なかったらしいが──それは住民の美しいものを好み、寒さに耐え忍ぶ静かで穏やかな性格所以からかも知れない。
「くそ・・・」
一度は軽くなったと思った頭痛がまた再びやって来た。
食堂へ向かおうとしても、足はなかなか進んでくれない。
もう何度よろめいたのだろうか。
「・・・っ」
胃から込み上げる猛烈な吐き気。
全身を逆流してくる様な不快感と、鳥肌が立つ様な一瞬の寒気が押し寄せた。
──駄目だ、ここは絶対に不味い。
壁を背にゆっくりと腰を下ろし、背中を丸める。そして口を噤み、必死に吐き気を我慢する。
昨日も今朝も──そういえばご飯を食べていない。
目眩や吐き気が頻繁に襲ってくるのは、栄養不足が原因なのだろうか。
こんな状態で本当に5回戦が出来るのか・・・?
「あれ、大丈夫ですかー?」
一瞬の静寂。
何時からここに居たのか──気が付けば膝を折って僕の高さに合わせる、聞き覚えのある声の主の黒皮のブーツが目線に飛び込んだ。
口は抑えたまま俯いた顔をゆっくりと上げ、焦点の合わない瞳で彼女を虚ろに見つめる。
「ま・・・じょ」
「? 何ですか、まじょって」
ドロシーって桜雪は呼んでたな・・・
捜す積もりは始めから無かったけど──向こうから現れる何て思わなかった。
否・・・別にどうでも良い。
「部屋に戻れば」
必要最低限の言葉を掠れた声色で紡ぐ。
「けんちゃんは此処で何してるの?」
しかし、彼女はなかなか立ち去ろうとしなかった。
不思議そうな、だがどこか面白がってそうな表情で僕を見つめ続ける。
「放っといて下さい・・・」
本当に、頼むからソッとしてくれ。
さも迷惑と言わんばかりに睨み付け、顔を背ける。自分から立ち上がって去りたくても、まだそこまで行動出来る程症状は和らいでいなかった。
「じゃあ5回戦はペロリと喰われちゃいますね」
「!」
彼女の言った、ペロリと喰われる──の台詞が狼を差してる事位、理解出来ない僕では無い。
確かにこの状況で真っ先にやられる確率が高いのは僕だ。
言い返す言葉も気力も無い。しかし同時に何とも言えない苛立ちと悔しさが沸々と沸き上がる。
それでも顔には出さないのは、相手の思う坪だと思ったからだ。
「何とかしてあげても良いですよ」
「・・・え」
「ちょっと苦いですけど、これを食べれば治ります」
そう言ってポケットをゴソゴソとさせ、薄い紙に包まれた円形の何かを目の前に差し出した。
ゆっくりとそれを開けば、ハーブクッキーの様なお菓子が2枚顔を覗かせる。
「数分もすれば効果が出ますけど・・・まぁ食べるかどうかはけんちゃん次第ですけどねー?」
膝を折った姿勢のまま両手を頬に当て、ニッコリと、客観的に見ればかなり可愛らしい笑顔を僕に向ける。
「・・・・・・」
そんな、別に疑っても良いよ、みたいな口調で差し出されたら益々怪しく見える物だ。
食べて大丈夫と言える保証は無い。彼女は只差し出しただけで、信用するかは僕次第。
少しの躊躇いの後──一口かじる。
サクッとした歯切れの良い音が口の中でする。そして僅かな苦味が口に溶け込んだが──思ったより不味いとは感じなかった。
甘味は無いが健康に良さそう、といった感じである。
吐き気は残っていたがその勢いで2枚とも食べ終え、残った薄い紙を丁寧に折って女性に返す。
「ご馳走様でした」
信用出来なくても、これが一番合理的で正しい行動だ。
「・・・そーゆう考え方嫌いじゃないですよ」
「それは・・・少しは期待しても良いって意味ですか?」
目の前の女性──ドロシーは微笑んだまま、さぁどうでしょう、と答えにならない曖昧な返答をして──暫くした後でふと思いついた様に、ねぇ、と僕に話し掛けた。
「・・・まじょって私のあだ名なのかなぁ?」
「僕の時代では、この前のあなたみたいな格好の人をそう呼びますね・・・」
しかし目の前に居る彼女の今日の格好はこの前と随分違っていた。
緑色のワンピースに黒のカーディガンの様黒皮のブーツの靴を履いた一見極普通の女性である。
どことなく古めかしい感じがするから、多分昔のヨーロッパの服装なのではないだろうか。
「──黒の尖り帽子に黒のマント姿、箒に跨って夜空を飛んで病気や災いを人々に巻き起こす、そんなイメージは中世のキリスト教会が勝手に植え付けたものですよ?」
「え」
ふと目線を上げて息を呑む。一瞬彼女の目が妖しく光り、僕は思わず本当に人間なのか疑った。
口調も声色も変わらないのに、彼女の美しい緑色の瞳から目が離せない。
「私の地域ではそんなに被害も無かったですけど、西欧の方は酷かったみたいですねー」
「・・・魔女狩りの事を言ってるんですか?」
息苦しさを感じながらもやっと、絞る様に声を出す。
「私にとっては未来の話、けんちゃんにとっては過去だけどねっ」
──未来の話? 何故だ? 彼女が中世以前に生きていたのなら──何故魔女狩りの事実を知っているんだ。
「──私の名前は」
気持ちとは裏腹に、無意識に体がビクッと震える。
「Drotea Clausen (ドローテア クラウセン)です。ドロシーって呼んで下さいねっ」
「え、えぇ・・・」
「さて・・・お腹が空きません? 昼食食べましょうよ。ほら、ふふ・・・もう立てますよね」
「・・・あ」
ドロシーが僕の両手を掴むと同時に、体は嘘みたいに軽くなる。気が付けば両足がしっかりと床についていた。
偏頭痛も吐き気も何時の間にか消えていて、むしろ良好な位に調子が良い。
「・・・・・・」
「けんちゃん良い子だからね。ね、部屋に戻って食堂行きましょー?」
僕は訝し気にドロシーを見つめながら、それでも小さく頷いていた。
別に信用してる訳じゃ無いし、彼女が時折見せる不気味さや苛立つ喋り方と身振りは勿論嫌だけど、そう邪険にしなくても良い──それ位にはドロシーに対して譲歩出来たんだ。
「顔色が良いね」
昼食を食べている最中、アリアは僕の顔を見ながらそう呟いた。
「あぁ、何か治ったみたい・・・」
喋りながら無意識にドロシーの方を見れば、目が合った彼女にニッコリとウインクされる。
僕は只々苦笑いを浮かべた。
その一連の態度を見ていたエディが、不思議そうに僕に尋ねる。
「あれ、賢治何か態度が優しくないかな? 朝は無視してたのに・・・」
「気のせいだ」
「もしかして捜してた時に・・・」
「何も無いっ」
ドロシーはクスクスと小さく笑う。
朝食の時に比べ、終始和やかな昼食を迎えたのだった。