第2話
「2人共、まだお風呂入らないなら、先に済まさせて貰って良いかな?」
午後6時
夕食の時間は7時からになっている。
ご飯を食べてからお風呂にしようか、と思いつき、しかしそれは嫌だと直ぐに考え直した。
「あぁ、入ってきたら。俺は大浴場の方で済まるから」
そう言って、僕はタオルと案内人から貰った服を袋から取り出し支度を始めた。
流石に同じ服を何日も着るのは嫌だと思っていたが、案内人に自分が向こうの世界で着ていた様な普通の私服を渡された時は少々驚いた。
黒地にドクロと多色のスパンコールを散りばめた長袖に、少しだぼっとしたジーンズ。
他にも半袖や下着、上着等が詰められた袋を渡されている。
もしかしたらと思ってアリアの袋の中身を覗いてみたが、やはりそれぞれに合わせた服を用意しているのだろう。
アリアが渡された袋の中身には、今着ているのと変わらない黒のアカデミックドレスと白のYシャツ、ズボンだけだったから。
そういう訳でまぁ僕としては、何日も着っぱなしだった制服をもう食後まで待てない位早く着替えたい所何だ。
「良いのかい」
「エディは大浴場が嫌何だろ?」
至極当たり前の事を言った積もりだったが、エディは僕の顔を見て黙ってるだけである。
「じゃあアリア、行ってくるね」
僕も敢えて返事は待たず、ずっと窓の方を向いているアリアに話し掛けた。
「・・・行く」
「え?」
「早く着替えたいから行く」
彼はそう言ってサッと身支度をし、ドアの向こうに立ってから僕に視線を合わせた。
「じゃあ行こうか」
僕は少しだけ微笑みを浮かべ、大浴場の方へと歩く。
アリアはそれに応える事は無く、僕の後ろをついて行ったのだった。
「──ねぇ、一つ質問して良い?」
大浴場は閑散としていた。
人混みの少ない、と言うより2人しか居ない脱衣場で、僕は前から気になっていた疑問を尋ねてみる事にする。
本当は手当てして貰った時に尋ねていた方が自然だったと思うが、あの時は知り合って日も浅かったし、何となく尋ねてはいけない気がして聞けなかった。
しかし今なら、今なら大丈夫ではないかと思うのだ。
「何」
アリアはローブを脱ぎ畳み、その間上に新しい服を置こうとしている。
「アリアは何で医学知識に詳しいの? ・・・それに君は年の割に聡明過ぎる気がする。アリアはどこで学んだの?」
尋ねた瞬間──アリアの動きが一瞬止まった事を、僕は見逃さなかった。
──聞いてはいけなかった?
「・・・ごめん、言いたくないなら構わないから」
「・・・入ろう」
そう言ってアリアは僕の横をすり抜け、大浴場へ向かった。
それを見て、やはり尋ねたのは間違いだったと認識する。
アリアはエディの様に多くは語らない。だが、僕の感情にずけずけと踏み込む事はしなかった。
それを居心地の良い距離だと思ったのは自分だったのに。
──いや、正確に言えばナツキの意志だったが。
「賢治」
僕らしく無い、判断が鈍ってるんだ。
「遅れる。中で話すから」
「・・・・・・え?」
素早く髪と体を洗いお湯に浸かる。
こんなに広い大浴場を貸し切りの様に使えるのは贅沢かも知れないな、とぼんやり考えていた。
──大浴場がいつもこうなら、エディだって来るだろうに。
「医学部に転向するから」
ポツリとアリアが言葉を洩らす。
「医学部って・・・アリア何歳?」
どう上に見積もったって13歳。飛び級ならともかく大学を僕位の年で行けれたりするのか。
「・・・14歳。パリ大学の神学部。でも医学部に変える予定。だから学んでる最中」
単語の羅列とも言えない台詞で、淡々と言葉を紡ぐ
というより・・・僕と同い年だったんだな。
──でもそこで更に疑問が浮かぶ。
「アリアは何年生まれ?」
「1233年」
「えーと確か・・・その当時、フランスの大学はカトリック教会の要素が強かった筈だ。だからキリスト教にちなんで主題は神学。神学は学問のうち最も名望があり、かつ最も難しい領域だろ? キリスト教聖職者養成の神学部から何故わざわざ医学部に変えるの?」
「・・・・・・」
父の書庫の中にあった膨大な数の本の一つに、中世ヨーロッパの大学についてまとめた内容のものがあった事を段々と思い出す。
当時パリの教師は教会から給料を貰っていた。それにパリ大学は元々ノートルダム大聖堂付属の神学校が昇格したものである。
そのためイタリアと比べパリの大学はキリスト教文化が色濃く根付いており、神学が一番ステータスの高い学問だと認識されていたのだ。
まぁ現在の日本から見れば、神学を学ぶ事より法律家や医師を養成する法学部や医学部の方が良いと思うが。
「なぁ・・・パリ大学ってヨーロッパ各地から多くの優れた学生が集まった学校だろ? その中でもトップクラスの神学部を変わりたいって事は・・・そんなにアリアは医者になりたいの?」
だがアリアは僕の問い掛けには応えず、視線を合わせる事もしなかった。
その横顔から彼が何を思っているのか読めなくて、なのに僕は調子に乗って質問し過ぎている事にも気付けなかった。
「・・・何で上や下をつけるの」
「だって、それは人には能力に差があるから・・・」
「能力がある人だけが神学を学び、ないと判断された人はその他の学部が似合ってる、と言いたいの・・・? その人の感情や意思はどうでもよいの?」
「そ、そこまで言ってないよ。只・・・認められた能力を生かさない何て、勿体ないだろ」
──何なんだろう、この胸騒ぎは。
アリアは何でこんな事を気にするんだ?
「・・・能力を認めてあげる、何て、何でそんな大層な事が言えるの」
不意にアリアの瞳が僕を捉える。
真っ直ぐで鋭く、澄んだ氷柱の様な冷たい瞳。
「──賢治も」
僕はこの瞳に見覚えがある。
冷たくて聡明で、そのくせ自分の痛みに鈍感でどこまでも純粋な人。
「君はいつも何かに怯えてる」
「!」
「逃げてばかりで、何も見えてない。だから自分の感情に怯えてる・・・」
──一瞬の静寂が酷く恐ろしかった。
見つめ合った時間は5秒にも満たなかった筈なのに、永遠にさえ思える程長く感じた。
心拍数は否応無しに上がり、熱っぽさと心臓を鷲掴みされた様な感覚に吐き気が込み上げる。
気付けば湯船から出て、脱衣場のトイレで吐いていた。
「う・・・っえ、はっはっはぁー」
最悪な気分。
自分の興味本位で詮索して、アリアの気持ちを考えなかった報いだ。
解らないけど、けど確実にアリアの痛みに触れたんだ。
「・・・・・・」
あんなよく喋って感情表に出すアリア、初めてみた。
“君はいつも何かに怯えてる”
──彼は知ってて触れないでいてくれてたのに。
「痛い・・・」
無知にも似た罪悪感が、僕の心を潰れる程圧迫していた。