第3話
19号室の前で立ち止まりながら、僕は警戒態勢を取っていた。
大袈裟だけど、この世界に来てからは些細な事でも用心している。
特に素性も知らない人間の部屋を訪れるのは、無謀過ぎる事だから。
その上、ネームプレートの中にあれが仕込まれてあったら尚更・・・
でも、今更言ったって仕方ない事を、僕は知ってる。
ここまで来といて、帰る訳にもいかないんだ。
「よし・・・」
僕は何時通りの顔でドアを2〜3回ノックした。
走る様な足音と共に、直ぐに扉が開かれる。
「はいはい、どなたですかー?」
顔を覗かせてこちらを見るのは、黒地のマントに身を包み、艶のある黒髪を腰まで伸ばした女性。
真っ白な肌に宝石の様な緑の瞳。年はおおよそ15〜25歳で、その美しくも妖艶な外見に、子供の様な声がアンバランス──と言うのが、おおよその僕の彼女に対する第一印象であった。
うーん・・・どうしよう?
ここで下手な事は出来ない。様子見も兼ねて、取り敢えずネームプレートを渡す事にした。
「あ〜! 拾ってくれたんですか!? 親切何ですねっ、わざわざありがとうございますー」
ネームプレートを差し出した瞬間、彼女の顔が輝いたかと思うと嬉しそうに声を挙げた。
僕に口を挟ませる間を一切与えず、人なつっこい笑顔でネームプレートを受けとり、何度も感謝を述べる。
・・・これが演技だとしたら、大したもん何だけどな。
僕はと言えば、表情こそ崩さない様に気を張ってるものの、内心かなり拍子抜けしていた。
少し神経質になり過ぎたか・・・?
「いや、たまたま拾っただけなので。じゃあ失礼します」
これ以上気に掛ける必要もない。そう判断して、僕は一礼し帰ろうとしたが
「待って下さいっ、宜しければ美味しいお茶菓子でもどうですか?お礼ってゆー事で、ね?」
「・・・いや、遠慮しておきます。それにどこからお茶菓子を用意するつもりですか?」
引き止めようとする彼女に再び怪しさを感じつつ、適当にあしらおうと考えていた、が
彼女の次の行動に、僕は頭を凍りつかせる事になる。
「あぁ、心配しなくても・・・ほら! 粗茶も用意出来ますからっ」
「・・・・・」
場にシーンとした沈黙が走った。
彼女の無邪気なニコニコ顔が、僕の口を更に重くさせる。
・・・待て待て。これは、僕はどう反応すれば良い?
てゆうか、今の何だよ。手の中からケーキが一瞬で・・・いやいやまさか。手品で動揺でも誘うつもりかよ?
何でも無い風な自分を演じて見せるものの、正直この有り得ない現象に頭がついていかない。
駄目だ──冷静にならなきゃ。動揺を相手に悟らせるな。
「それ、すごいですね。手品か何かですか?俺には手の中からケーキが出て来た様にしか見えなかったんですが・・・」
長い沈黙の後、笑顔でやっとそれだけ言った。
「手品って何ですか? もしかして、これあなたには出来ないんですか?」
そう言って、今度はもう一方の手からお茶を出した。
はいどうぞと渡されるが、渡されても正直どうすればよいか分からない。
「あの、本当にあなたが出したんですか・・・?」
それは無いだろ、と疑いの眼差しを向けた。
魔法何て人間が作り上げた空想のものであって、現実にある何て有り得ない。
只──どこかで、もしかしてと思う自分もいる。
この世界に影響されて、僕の信じてきた常識は大きく覆されてきた。
空間移動、仮想世界──未来と過去の人々が集まり、生死をかけたゲームをさせられる。
普通に考えていたのでは、精神が持たない。
よく見れば──彼女の格好は魔女そのままなんだ。
受け入れ難いが・・・魔法何て非科学的な代物もあるのかも知れない。
だか、仮にそうだとしても新たな疑問が頭をかすめる。
僕はゆっくりと目線を手元に落とし、食べても平気かどうかを考えた。
頭の中に浮かび上がったのは、毒入りを僕に食べさす魔女の光景。
手をつける事に躊躇している僕を、目敏い彼女は見逃さなかった。
「ふふ・・・。幼いのに意外と用心深いんですね。もしかして、毒でも入ってると思いました?」
「・・・・・・」
──思考が、読まれてる?
「この状況で全く疑わない方がおかしいですよ。大体ネームプレートに小型カメラが仕込まれてる時点で、ある程度警戒はしてました」
ここは下手な事は言わず正直な感想を述べておく事にした。そう──先ほど発見したのは小型カメラ。
彼女の格好から、現代的な小型カメラは想像出来ないが
つまり、いつでも探し出す事は出来た。それをしなかったのは、何か他の狙いがあったからに他ならない。
例えば、観察。
例えば、部屋に誘き出す。
目的何て、いくらでも想像出来る。
ふーん、と顔を俯かせたかと思うと、ニッコリ微笑んで再び喋り出した。
「そっかぁ。なかなか賢いんだね! まぁ私もそう考えるかな〜 でもその中に毒が仕込まれてるとしたら、もう1人は死んでるね」
全く焦る様子も見せない彼女に少々面食らっていたが、最後に淡々と言いのけた物騒な台詞に思わず息を止めた。
「例えばぁ──君と一緒にいる可愛い女の子とか?」
「・・・え?」
「やだ、そんな恐い顔しないで下さいよ〜。毒何か入れてないから体に害はありませんよっ、でも全然警戒しないんだもん。よくあんな無防備で勝ち残れましたね? あ〜次の対戦相手はあの子が良いなぁー」
「・・・おい」
「あ、怒っちゃいました? ふふ、気に障ったんなら謝りますよ。私も桜雪ちゃん素直で好きだし。まぁお大事に・・・って言っても、右手は完治してるけど」
「え? 何で・・」
あんたがそれを知ってるんだ?
──と言い終わる前に、何故か食堂の前で立っていた。
特に驚きもしない。──どうせやった奴が誰かも分かりきっている。
「瞬間移動・・・って奴?」
馬鹿馬鹿しいけど、漫画みたいな話だよな。
だって有り得ない。
この世界もゲームも魔女も魔法も。
全部、嘘だよって言われれば、そうだよなって頬をつねって、僕はこの夢から目覚めるのに
今なら──まだ目覚められるのに。
「夢でも現実でも馬鹿なんだよな」
蔑みにも似た笑い
階段や食堂内から聞こえるがやがやした声に誘われて
僕は静かに扉を開けていたのだった。