ロウロウ
私の一日は、もう、ぴくりとも動くことのできない彼の尿道に繋がれた尿パックに溜まった、それはもう大量の山吹色をした尿を処理することから始まる。更に必要であれば、布おむつに溜まった大便を処理することもあるが、どうやら今日はその必要がないらしい。しかし、大便が出ていないというのも不安なものである。
介護に携わったことのない人間からすれば、汚物の処理という、そんな汚らしい一日の始まりは考えられないことだろう。清々しい朝日を体一杯に浴び、希望に満ち満ちて生きていく。そんな生活は、既に私からは消え失せてしまっている。ただ淡々と、嫌悪を示すこともない、無味乾燥な一日が日常のこととなってから、どれだけの時間が経過しただろうか。たった一日なのかもしれないし、もう何年もこうして汚物の処理から始まる生活を送っている気もする。もしかすれば、これは悪夢なのかもしれない。悪夢ならば覚めてくれと、一体何度願ったことだろう。愛する人がこのような情けない状態になるなんて、考えたこともなかった。――いや、いつかはくるかもしれないと覚悟はしていた。だが、いざ最悪の状態に陥ってみると、とても耐えられるものではなかった。愛する人は日に日に衰弱していき、言葉を失い、もう死を待つばかりである。
先に思ったことは、もはや瑣末な事柄だ。今はただ、彼に一日でも長く生きていてほしい。死の悲しみを、一日でも遠く延期したい。だから、私は彼に奉仕し続けるのだ。喩え汚物をぶちまけられても、私の問いに何も答えなくとも、もう、動くことがなくとも。
尿パックに繋がれた管を外し、紫色をしたバケツに中身を流し込む。黄色の補色である紫を選んだのが間違いだったのだろうか、単なる尿が毒々しい液体に見えて仕方がない。その液体は強烈な刺激臭を放つが、慣れてしまえばどうということではない。それに、これは愛する人の排泄物なのだ。見も知らぬ他人ならばまだしも、身内である。私にとって、その処理を嫌悪する理由は皆無だ。バケツの中身を便器に流しこみ、水を流す。
次に脈拍と血圧を確認し、状態を書き留めておく。私は、脈拍を測る動作が堪らなく怖い。空調機器で室温は適正に保たれているのだが、彼の体は日を追う毎に冷たく、温かみを失っていっている。徐々に近づいてくる死を、身をもって感じてしまう。いつ彼の体から完全に体温が失せてしまうのか、恐ろしくて堪らないのだ。だがこれを怠れば、派遣されてくるホームヘルパーの方に申し送りができない。申し送りさえなければ、今直ぐにでも脈拍の確認などやめてしまいたい。彼が衰弱していく様は、姿だけでよくわかる。だからこそ、それ以上衰弱の度合いを確認したくないのだ。現実を直視していない、人間はいつか死ぬのだと笑われるかもしれないが、恵まれた生活を送り、介護とは無縁の輩に何が理解できようか。そんな輩が眼前にいるのならば、「明日は我が身」と言ってやりたいところだ。いつまでも無関係でいられないのが、介護というものだ。施設に入れれば良いという意見もあるらしいが、どこにそんな金があるというのか。これもまた、ある程度恵まれた人間にしかできない、一種の贅沢だ。
苛立つ私の殺気を感じ取ったのか、彼は小さく「う」と呻いた。私は小さく謝罪し、彼に未だ朝食を食べさせていないことに気づいた。朝食と言っても、固形物ではなく、流動食だ。ぶら下がっている濃流動食のパックを取り替えると、それだけで食事は終わり。噛むこともなく、味わうこともない。食事の楽しみすらも、彼にはない。ただ、生きているだけの彼。そんな人間に生きる価値があるのか。そんな人間を生かしておくなんて、税金の無駄遣いだ――。多くの人達から、そのような心無い言葉をぶつけられてきた。初めのうちは猛烈に反論したものだが、今となってはどうでも良い。心が麻痺して鈍感になってきたのもあるだろうが、彼が生き続けられることが嬉しくて、嬉しくて仕方ないのだ。
しかし稀に、それは私の自己満足なのではないだろうかと考える時がある。何せ、彼は本当に生きているだけなのだ。自分で行えることといえば、息をして、排泄することだけ。そんな当たり前の行為に幸せを感じているとは、到底思えない。そんなことに幸福を見いだしているのは、私だけだ。もしかすれば彼は、もう死なせてくれと願っているかもしれないではないか。そう思うと、胸が万力で締め上げられるような心苦しさに陥ることがある。彼が死を望むならば、そうしてやるのが正しいのかもしれない。だが、私にはできない。喩えそれが自己満足であっても、彼が死を望んでいたとしても、いつか彼が元気に挨拶をしてくれる日がくるかもしれないと、期待せずにはいられない。私の母が死んだ時、少しでも生き返るかもしれないと有りもしない希望に縋りついた時と同様に、淡い希望を拠り所とするしかないのだ。
彼が衰弱し始めたのは、何年前だっただろうか。そんなことはもう頭の片隅にも残っていないのだが、これだけは覚えている。あの日は、彼の誕生日であり、私の誕生日だった。そして今日が、その日だ。
物忘れが激しい等の諸症状は以前からあったのだが、私は近づいてくる老いに気づくこともなく、今年の誕生日はどのようにして祝おうかと、何日も前から、一所懸命思索していた。もちろん私のためではなく、彼を喜ばせるためだ。
そして当日。いつものように朝起きて、彼に挨拶した時、異常に気づいた。彼が「あんた誰だ」と喚き、泣き叫んだのだ。初め、彼がふざけているのだと思っていた。若い頃から悪戯が大好きで、私は何度も肝を冷やしたことがある。今回も、巧みな演技だと思ったのだ。しかし、現実は悪戯ほど可愛いものではなかった。
私がどれだけ「悪戯はやめてよ」と窘めても、彼はやめなかった。それどころかいよいよ声を荒らげて泣き、喉が張り裂けんばかりの大声で「助けてよ、お母さん!」と言い始めたのだ。これが幼児退行であると知ったのは、それから少し後だ。結局、誕生日は祝わずに終わった。
あれから何年経ったのかわからないが、彼が壊れてしまったあの日から誕生日を祝っていないことだけはわかる。慣れない介護に精神を磨り減らし、時には泣きながら、それでも試行錯誤を続ける生活だった。今となっては恥ずべきことだと思うが、何故私がこんな目に遭わなければならないのかと神を憎み、そして何度も彼を殺そうかと企んだ。苦痛に満ちていた介護生活から解放されるためには、そうするしかないと思っていた。そんな精神状態では、誕生日を祝う余裕なんてあるはずがない。だが、最近は感覚や心が麻痺したのか、彼がもう氷の刃のような言葉を吐き出さなくなったからか、それとも私が成長したのかわからないが、心に僅かばかりの余裕が生まれてきた。数年ぶりに、誕生日を祝うのも悪くないかもしれない。
そうだ、誕生日を祝おう。あの日成し遂げられなかった誕生日を、今祝おう。来年もあるかどうかも判断がつかないのだ。先送りにすれば、きっと私は後悔する。これも自己満足なのかもしれないが、きっと彼も喜んでくれる。誕生日を祝われて不愉快に思う人間はいない。彼も、毎年楽しみにしてくれていたではないか。彼を生かしているという罪を正当化するためでも良い、誕生日を祝おう。
しかし私ももう結構な歳だ。若い頃のように、しっかりとした飾り付けをして、大きな誕生ケーキに、更に豪勢な食事を作るような、派手な誕生日を祝うことはできない。歳を言い訳としているように聞こえるだろうか。これだけは言わねばなるまい。最近、私は包丁を握る手が震えてしまうのだ。まるで意に反して彼を殺そうとしているかのようで、刃物に触れることが恐ろしくてならない。だから私は、もう何年も料理を作っていない。今回の誕生日が質素になってしまうのは寂しいが、彼も理解してくれるだろう。
それならば、少ない年金を絞ってでも、豪勢なケーキを買おう。私はそう思い立ち、近所にある、美味しいと評判の店に出向いた。本当に美味しいのかどうかは知らないが、私も、彼も食べやしない。だからといって、手を抜くわけにはいかない。今できる限りの、精一杯の気持ちをケーキに込めるのだ。
反応することはないのだが、彼に「行ってきますよ」と声をかけ、アパートの階段をゆっくりと、それこそ亀のような歩みで降り、杖をつき、腰を海老のように折り曲げながら歩く。息を切らしながら歩を進めていると、その横を溌剌たる青年と、清楚な少女が駆けていく。私も彼も、あのような時期があったなと、追憶する。
最近どうにも記憶力が曖昧だが、変わらずに覚えていることがある。若かりし頃の、彼のことである。元気に走り回り悪戯をしては私を困らせてばかりいて、それを怒ると、消沈した様子で素直に謝ってくれた彼。彼の落ち込んだ顔を見ると、むらむらと沸き上がっていた怒りの炎も鎮火し、更に彼が愛おしくなり、彼を抱き締めずにはいられなくなった。そして同じことは何度も繰り返され、その度に私と彼の絆は深まった。絆が崩壊する時がくるなんて、あの時は考えもしなかった。懐かしいあの時を思い出すと、思わず涙が頬を伝う。
涙でぼやける眼前には、絢爛たる装飾を施された店がそびえ立っていた。ああ、いつの間に到着したのかと、私は驚きを禁じ得なかった。この調子ならば、私も彼のようになるのは時間の問題だろう。その時は、誰が私の面倒を見てくれるだろうか。その時は、誰が私を愛してくれるだろうか。――そんな人間はもう、この世にいない。私は孤独のうちに死ぬ。そして誰にも気づかれることなく腐敗し、土に還る。彼にそんな孤独を味わわせはしない。絶対に、彼より先に逝かない。
また来世でも、彼と同じ星の下に生まれ落ちることができるだろうか。喩え人間でなくとも、それこそ獣や、虫で良い。彼と一緒であれば、その時は現世よりも、もっと、深く、永く、彼を愛そう。
掠れる声でホールケーキを注文し、心地良い重みを携えながら帰宅する。家を出た時と、彼の様子には一切変化がない。その変化のなさが嬉しくもあり、同時に恐ろしくもある。
ケーキの箱を開き、中身を丸い卓に置き、彼の耳元で語りかける。
「ねえ、ケーキ、買ってきたよ。美味しそうだね。大きな苺が乗ってて、とっても美味しそう。クリームも沢山。ほらほら、他にも沢山果物が乗ってるよ。美味しそうだねえ。これ、中央にチョコレートがあるね。これ、あげるから。チョコレート、好きだったよね」
まるで独白である。会話をしているとは到底思えないが、寂しくなんてない。こうして虚空に向かって言葉を発していると、本当に彼は危ういのだという現実を、まざまざと思い知らされる。
ふと、何かが彼の頬に落ちた。
私の、涙だった。
――私は、寂しくなんてない。
寂しくなんてないのに、どうして涙が眦から零れ、頬を伝うのか、わからない。何だ。私の心はまだ生きているんじゃないか。そうでなければ、こんな深い悲しみに落ちることはないはずだ。何が、心が麻痺した、だ。ただ見たくない現実から目を背けていただけじゃないか。逃げられないのだ。現実は闇のように心を覆い尽くし、浸食していく。私はそれに立ち向かおうともせず、心は死んだのだと思い込み、闇は常に目の前に迫ってきているのに、見えないふりをしていた。私はこの深い闇と戦わなければならない。それに勝つために、私は全てを掻き消す眩い光になろう。
涙を拭き、彼の枯れた頬に両手を当てる。そして軽く口づけをした。すると、不思議と彼の顔が笑ったような気がした。目を擦ってもう一度顔を見てみると、相変わらず瞑目して、口を固く閉ざしていた。気のせいでも良い。彼は笑った。それだけで幸福に満ち溢れるようだった。
さあ、誕生日を祝おう。硝子の杯にオレンジジュースを注ぎ、ホールケーキに付属していた蝋燭を立て、それぞれに慎重に火を灯した。それから明かりを消し、雰囲気を作る。未だ昼間だから真っ暗にはならないが、これで良いだろう。蝋燭の火が幻想的な雰囲気を醸し、高台から彼と見た夜景を思い出させる。
あの時、彼は本当に嬉しそうだった。「こんなもの、見たことないよ!」と、常時興奮している様子だった。私もその姿を見て幸せだった。彼は周囲に張り巡らされている鉄柵によじ登り、歓声をあげた。「危ないよ」と、私が口にした時には遅かった。彼は足を滑らせ、頭から落ちた。狼狽しながら柵に近づくと、彼はぬっと顔を見せ、舌をぺろりと出して笑った。どうやら足を鉄柵に絡めていたようで、落ちなかったのだった。「悪戯にもほどがある」と、あの時ほど彼に対して激しい怒りをぶちまけたことはない。今となっては、捨て難い思い出だ。
追憶を絶ち切り、今は現実を見る。この日がいつか、美しい思い出となることを祈って。
「誕生日、おめでとう。何年ぶりの誕生日会かしら。ねえ、今年で何歳になるんだっけ? えっと、確か七十歳だったかしら? そうそう、そうだわ。それで、私は九十五歳。君が生まれた時、本当に嬉しかったなあ。まさか私と同じ誕生日に生まれてくるなんて、思ってなかった。ねえ、覚えてる? 公園で私を困らせたこととか、高台で落ちそうになったこと。あの時は、私、本当に心配したんだよ? あ、昔話なんて、どうでも良いよね。ごめんね、早くケーキ食べたいよね。君、ケーキが大好きだから、これ全部食べて良いんだからね。それにしても、まさか親が子を介護するなんて、考えなかったなあ。あ、別に迷惑じゃないからね。君にはもっと長生きしてもらわなきゃ。さ、早く始めましょう。本当に、誕生日おめでとう。蝋燭を消す前に、ちょっと、待って。お願いがあるの。君じゃなくて、神様に。……どうか、また来年も――」
――また来年も、愛する息子のために、こうして誕生日を祝えますように。
社会問題をどう捉えるか。そこが問題であります。