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ぼくは、あるきだした。





 罰は、貰った

 けれど、それは決して償いにはならないのだと、気が付いた




+++




 陽射しが、とても暖かに大きな窓から差し込んでいた。

 昼間の陽光に目を細めて、私は窓の外を見やる。

 雨なんて降る様子もない青空が広がって、風が吹いたのか木々がざわざわとざわめいた。

 それを見て、その下でいつも楽しそうに笑っていた少女を思い出して、唇を噛む。

 こんな些細な光景ですら、もうあの子は見られない。

 私が光を奪った私のきょうだいは、今も静養中だ。

 一人で出歩くことすら危ない。

 私があの可愛らしいきょうだいから、光を奪って暫くが経った。

 私は、その罪に対するようなわずかな罰を得た。

 大人になる過程で得るはずの性分化が出来ず、他者との接触が困難になった。

 けれど。

 けれど、ヨウスイの両目は元には戻らない。

 それは、初めから分かっていたことだった。

 私が罰を受けても、あの子の瞳は戻らない。

 ヨウスイは、これから先、この青空を見る事なんて出来ないのだ。

 ゆっくりと、息を吐く。それは溜息にも似ていた。

 どうすれば、良いのだろう。

 どうすれば、私はただ一人のきょうだいに償うことが出来るのだろう。

 考えても、答えは出ないままだ。

 私は、知らず俯いていた顔を、ゆっくりと上げた。

 ヨウスイは今、屋敷の奥まったところに部屋を移し、母様と一緒にいるのだと父様は言っていた。

 ならば、もうそろそろ起きている時間だろう。

 会いに行こうか、と思案して、それを行動に移すべく動くことにする。

 座っていた椅子から立ち、椅子を戻して部屋を出た。

 ドアの前から左右へまっすぐ伸びる廊下を、奥の方へと歩き出す。

 この屋敷は広いけれど、我が家だから間違えるはずもない。

 だから、私の足が廊下の途中で止まったのは、決して迷ったわけではなく、ただ、声が聞こえたからだった。


「お願いです、ヒョウガキ様」


 それは、多分私と同世代くらいの少年の声だった。そして、その声が呼んだのは父様の名前だった。

 父様に、子供の客人というのは珍しい。

 私は目を丸くして、声のした方を見やる。

 父様が客人を通す応接室がそこにはあって、更に、閉じ損ねたのかドアが少しだけ開いていた。

 足音を消して、そちらへそっと近付く。

 そのまま、私はそこから中を覗いた。

 そこには、ソファに座る父様と、そして客人らしい少年がいた。父様の真向かいに座っている。

 背中がこちらを向いていて、顔は分からない。ただ、大地色の長髪を、まとめることなく肩から流しているのが窺えた。

 少年は、先程の言葉の続きだろう言葉を吐く。


「教えてください、ヒョウガキ様。どうして、『忌み子』なんですか」


 問う声は、まるで詰問するように鋭く尖っていた。


「何でチノが、…………チノさんが、そう呼ばれなきゃいけないんですか」


 『忌み子』。

 会ったことは無いが、そう呼ばれる存在を私は知っていた。

 <地王>ウテン様が引き取ったという、不思議な子供だ。

 額に精霊の証である石を持たず、左の頬に妙な痣を受けた者。呪われた子。

 何の呪いで誰がかけたかも分からないのに、その子供は恐らく、その名前を享受してきたのだろう。

 私が見ている前で、父が軽く肩を竦める。


「さぁな。そう呼んでいたのは、あれの周りに居た連中だ。別に、名付けてはいない」


「どうして、そう、呼んだんですか」


 父様のはぐらかすような言葉に、彼は食い下がった。

 父様が、彼を見やる。


「……知って、どうする」


 声がひやりと冷たいことに、私は気が付いた。

 温度の無いその声は父様の属性にとても相応しく、だからこそ不思議だった。

 父様は、むやみにあんな声を出したりはしない。

 まるできりつけるようなその冷たさにも怯むことなく、少年がはっきりと答える。


「知れば、きっと、不安にさせずに済むと思うんです」


「誰を」


「チノさん、を」


 ただそのために、とそう告げる彼の声がまっすぐで暖かなのが、扉越しの私にも分かった。

 私は、その『忌み子』に会ったことが無い。

 ただ、そういう存在が居るらしいと認識するくらいだ。

 けれど多分、父様の前に立つ彼は、そこから進んでいるのだろう、と思った。

 出会い、知り合い、そして更に理解しようとしているのだ。

 父様の表情が、ふ、と和らぐ。

 私には分かった。あれは笑みだ。


「……あの子には、何もない」


 囁きは深く、静かで、穏やかだった。


「性別も、魔法石も、その属性もだ。あの子供には、『自分』を分類するための手段が何一つ無い」


 父様は、そう述べてから一息吐き、そして目の前にいる少年を見たまま続けた。


「お前は知らんだろうが、あの子供には特別な力がある。……体質、と言った方が良いかも知れないな。本人の意志ではどうにも出来ない能力だ」


「能力……?」


「そう。傷付いた自分の身体を癒すために、周囲から力を吸い取る」


 父様の身体が傾いて、柔らかな応接室のソファにその背中が預けられた。ゆったりと、その視線が天井を見上げる。


「あの子供が望んだ訳じゃない。ただ、あの子は全てを統べるだけだ」


「……どういう、ことですか」


 少し身を乗り出して、少年が訊いた。

 父様も視線を戻し、彼を見る。


「あの子には属性が無い。力をしきる物が無い。故に……言わば、全てを扱えることになる」


 しっかりと答える、その声に曖昧さは無かった。


「たとえば私よりも水を操り、セイクウよりも風を手繰り、カルライよりも炎を使い、ウテンよりも大地を動かすことが出来る、ただ一人だ」


 自分を含めたどの<王>よりも『忌み子』は力に恵まれているのだと、父様は言葉を繋げた。


「強大な力は、怖ろしい。そう思うんじゃないか?」


 そこまで彼へ告げてから、つい、とその青い双眸がこちらを見た。

 しっかりと見つめられて、とたんに自分の行動を羞じてしまい顔に血が上る。こんなのはただの盗み聞きだ。

 慌てて足を一歩引いたところで、水かきのある大きな手がひらひらと私を手招いた。


「入ってきなさい」


 そう呼ばれては、逃げ出すことも出来ない。

 私は、仕方なく入室した。

 客人である少年と部屋の主へ一礼し、私を招き入れた父様の傍まで歩く。

 そしてその横に立った私を示して、父様は目の前に座る土色の髪の少年に目を戻した。

 突然現れた私に、客人は戸惑ったようにしている。

 額の石からすると、炎の精霊だろうか。燃えさかる炎と同じ、真っ赤な瞳をしていた。


「紹介しよう。息子の、スイキだ」


 はっきり、そしてあっさりと吐き出されたその言葉に、私は目を見開いた。

 それから、父様を見下ろす。父様は、その視線を上げもしない。

 どうしてと尋ねかけて、でも口から声が出なかった。

 父様は私を息子と呼んだ。

 性分化しなかった未熟なこの身を、『息子』と、そう呼んだのだ。

 胸の奥が痛くなって、眉を寄せる。

 それでも、挨拶のために改めて、同世代だろう客人へ頭を下げた。


「スイキ。こちらは、<炎王>の息子だ。カエン……だったな?」


 父様がそう言うと、目の前に座っていた少年は複雑そうに笑ってから頷き、私と同じように頭を下げた。

 それから、その手をこちらへと差し出す。


「よろしく、スイキ」


 呼び捨てられて、はっきりと『男』扱いされていることを認識した。

 それは、嫡男として育てられてきたのだから喜ぶべきなのか。

 それとも、罰を受けている身でありながらと己を羞じるべきなのか。

 戸惑いながら、とりあえずはゆっくりとその手へ手を伸ばす。

 近付いて伝わる体温に、背中がじったりと汗を掻くのが分かった。

 気持ちが悪い。

 けれどこれは体質で、そうだこれも私へ与えられた罰の一つだ。

 しっかりと握手を交わせたのは多分ほんの数秒で、あとは逃げるようにその手から逃れてしまった。

 これは、もしかしたら心証を悪くしたかも知れない。

 思いながら窺うと、カエンという名の彼は戸惑ったようにして目を丸くしているだけだった。

  その様子に、ほ、と息を吐いたところで、声が乱入してくる。


「スイキ、スイキ、スイキぃーっ!!」


 それは、少し前に出来た、樹木属性を持つ友人の、私の名前を連呼する声だった。



 

+++




「スイキいた! 今すぐ! 今、出られないか!?」


「……本当に、どうしたんだ?」


 慌てた様子で勝手に入ってきた客人に、不思議に思って問いかける。

 すると、ただひたすら慌てた様子で、モクカは説明を口にした。


「さっき、そこで! ほら崖あるじゃん、あそこの下で! 子供が落ちてたんだよ、酷い大怪我で! だから早く行こう!」


 上手くまとめられていないその台詞に、少し目を瞬かせてから、大きく見開く。

 まとめると、『崖の下に大怪我した子供がいる』ということだ。

 数秒考えて、その恐るべき事態に眼を見開いた。


「……何だと!?」


「だから、子供だよ! 髪が黒くて、そうだ顔に包帯も巻いてた! 左半分くらい覆ってたし、他に悪いところあったのかも! 動かせないくらい酷いし、早く、早く行かなけりゃやばいよ!」


 思い出したのか青くなって、モクカが手を伸ばして半開きの扉を大きく開かせる。

 私が触られるのが嫌いだと知ってから、モクカはその手をむやみに差し出したりしない。

 私は後ろを振り向いた。

 父様に指示を仰ごうと口を開きかけ、真っ青な顔をしてこちらへ駆けてくる父様の客人を見つける。

 寄り添われては大変だと、驚きながら身を引いた。


「そ、その子、チノじゃなかったか!?」


 モクカの手を捕まえて、彼は言った。声は不安に揺れていて、モクカの顔の顰め方からして、手には非常に力が入っているようだ。

 チノ、というのは、聞いた覚えのある名前だ。

 私は思案し、納得する。

 つい先程聞いたじゃないか。

 忌み子の名前だ。

 戸惑いを浮かべたモクカが、わずかに瞳を揺らして問いに答える。


「分からない、見たこと無い子だったのは確かだけど……」


「黒い髪で、黒い目で! ……そうだ、しゃべらなかっただろ?! 呻き声一つ出さなかっただろ!?」


「声?」


 言われて、ええと、とモクカが考え込む。

 それから頷いて、それを見た彼はモクカの手を放して目の前の襟首を掴んだ。

 がくがくと揺さぶられて、モクカが間抜けに無明瞭な声を零す。


「何処だ!? 何処にいたんだ!?」


 とてつもなく必死な様子に眉を寄せてから、私はとりあえずその動きを止めようと思って手を伸ばした。

 その子供の居場所を知っているのはモクカだけなのだ。

 そんなことをしている暇があったら、さっさと向かったほうがいいに違いない。


「わ! ちょ、ちょっと待てって!」


 けれどモクカが彼を突き飛ばしたので、彼の服に触れようとしていた手は引っ込めた。

 モクカの目が、私を見る。


「早く行こう、スイキ! あのまんまじゃ危ないって!」


「ああ、分かった。……父様!」


 私は父様を見た。

 青い瞳がこちらを見て、そうしてその口が言葉を零す。


「私はすぐに出ることが出来ない。スイキ、先にお前が行け」


 その言葉は、冷たすぎるほどに淡々としていた。

 けれど、それは事実だったから、わかりました、と頷いて応える。

 父様は<氷王> 様だ。

 怪我人を連れてきたならすぐに治療をしてくれただろうが、すぐさま館を飛び出すことはできない。

 父様が館から離れるためには、父様の代わりを務められる水の精霊を何人か呼び寄せて、館に待機させなくてはならないのだ。


「もしも手におえないほどなら、すぐに引き返してきます」


 私はまだまだ未熟だから、恐らく完治させることは難しいだろう。

 けれど私がある程度の処置をしておけば、その間に父様は準備をしてくれるに違いない。

 私の言葉に<氷王>である父様は頷き、それから立ち上がった。


「おい、そこの」


 冷たい氷のような色の目が、モクカを見ている。


「……俺ですか?」


 視線を受けて、モクカが自分を指差した。


「そうだ。モクカ、だったか。お前だ」


 言いながら父様は歩き、カルライ様のご子息の背後に佇んで、モクカを見下ろす。


「お前が言う、その怪我をしている子供というのは恐らく忌み子だが。それでも、助けたいか?」


 囁いて訊ねる声には、何の感情もこもっていない様だった。

 私は、湖の底みたいに静かなその目を眺めた。

 何故、そんなことを聞くのだろう。

 父様は、その子を助けたくはないのだろうか。

 忌み子だから?

 そこまで思考が動いてから、いいや、と内心で首を振った。

 恐らく、そうじゃない。

 これは、モクカを試しているのだ。

 それが、何故かは分からないけれど。


「……忌み子?」


 モクカが小さく呟く。

 驚いたように目を見張ったモクカは、少しだけ考えて、けれどすぐに拗ねたような表情に変わった。


「だって……」


 エメラルドの瞳には『必死』を宿して、まるで叫ぶようにモクカは言う。


「だって早く助けなきゃ死んじゃうだろ!」


 そうか、と父様は頷いた。

 その動きを見ている暇すら惜しいのか、早く連れて行け、と、カルライ様のご子息が声を上げる。

 それに弾かれたように、頷いたモクカが走り出した。

 慌てて、私も茶髪の彼も走り出す。廊下から玄関、そして外へ。

 何かを確認するように、ちらりとモクカがこちらを見やったので、その目をじろりと睨みつける。

 転んだらどうするつもりだ。

 私の憤りを感じたのか、モクカは慌てて元通り前を向いた。




+++



 辿り着いた森のすぐ傍で、私は、ぐったりと座り込んでいた。

 足に力が入らない。

 それが何故かは分かっている。

 怪我して倒れていたあの子供の、特異体質の影響だ。

 駆け付けて、自分では治せないほどに深い怪我なのを確認して、とりあえずの応急処置を施した。

 その際に、あの子供が私の身体からエネルギーを吸い取ったのだ。

 そうされたのは僅かな時間だし、私にはその怪我を治せないから出来る限りは与えるつもりで、けれどそれでも到底足りないほどにあの子供の怪我は深かった。

 痛いだろうに、申し訳なさそうに私を見上げていた右目を思い出して、項垂れる。

 近付いたのは私だし、あの体質は本人ではどうにも出来ないのだろうに、きっとあの子供はいつもあんな顔をするのだろう。

 言葉を交わすこともなかったのに感じ取れるくらいに、穏やかな目をしていた。

 私は溜息を吐く。

 怪我すら完治させられず、あんな目をさせてしまった自分が情けなくて、涙が出そうだった。

 何処にいたって、私は役に立たない。


「なぁ、大丈夫か?」


 ふと、私と同じようにここへと移動してきたモクカが、こちらへと近寄ってきて尋ねた。

 心配されていることを感じ取り、私は頷く。


「……ああ」


 それから、目を閉じて、手で顔を覆う。


「……力が、全然足りなかった……」


 結局応急処置しか出来なかった子供を置いて、私達は今ここにいる。

 動かして大丈夫なのかそれすら分からない状態で、あの子供を連れて行くことは出来なかった。

 屋敷から一緒に来たカエンだけを残して、今から父様を呼びに返るのだ。

 私の足が動かないのと、往復するなら風の精霊を呼んだ方が早いから、ということで、モクカは彼等を呼ぶ陣を書いていた。さっきは慌てすぎてそのことに気付かなかったらしい。

 後は、呼び出された風の精霊を待つだけだ。


「……駄目だった……」


 小さく呟くと、モクカの声が私の上から落ちた。


「仕方ないだろ? 足りなかったんだから」


 声は淡々としていて、思わず顔を上げる。

 見上げた先で、モクカは突然動いた私に驚いた顔をしていた。

 その口が、だってさ、と言葉を続ける。


「俺達まだ子供じゃん?」


 まるで自分を弁護するようなその言葉は、でも、卑屈な響きなどなかった。

 例えば雲を雲だというような、当然なことなのだと囁く響きを持っていた。


「勉強し続けて人生もようやく下り坂って感じの<氷王>様達と、張り合える訳ないしさ」


 ね、と微笑むモクカに、思わず呆れた視線を向けてしまう。


「下り坂って……」


 未だ<王>としての力を誇る父様を、そう称するのは恐らく目の前のこいつくらいだ。

 私の視線を受け止めて、モクカが肩を竦める。


「でもさ、背伸びしたって仕方ないし」


 モクカは言う。


「出来ないことを誤魔化したって、出来るようにはならないしな」


 それは真実だ。

 どう足掻いたって、出来なかったことがすぐさま出来るようになる筈がない。

 私はきょうだいの目を元には戻せないし、あの大怪我をした子供の怪我すら治せはしない。

 俯きそうになった私へと、だけどさ、とモクカは笑いかける。


「これから勉強して出来るようになれば良いだろ?」


 それだけの事なのだと、笑った彼は指を一つ立てた。


「俺もスイキも、まだまだこれからだって!」


 明るい声が、そう言った。

 私は、瞬いてモクカを見上げる。

 私には知識がない。力が足りない。

 ならば、それらをこれから身につけていけばよいのだと、彼は笑って言う。

 モクカの主張は、すとんと、私の胸へ落ちた。

 そうだ。

 そうだ、その通りだ。

 罰を求めて、罰を得て、立ち止まるだけでは何も終わらない。始まりもしない。

 償いたいのなら、私はまず立ち止まることを止めなくてはならないのだ。

 それはとても簡単な答えで、けれど確実に私が欲していたものだった。


「……当たり前だ」


「あ、何それ。人がせっかくさぁ」


「慰め方が下手だな。私ならもっと上手く出来る」


「うっわ、酷ぇ」


 私は、きっと、一目で分かるほどに意気消沈していたのだろう。

 目の前の優しい友は、だから今みたいなことを言ったのだ。

 心遣いがくすぐったくて、思わず叩いた憎まれ口に、むう、とモクカが頬を膨らませている。

 けれどそのエメラルド色の瞳が安堵を浮かべているのが分かって、私は小さく笑った。




+++




 館に戻り、父様に出立して貰った。

 程なくして父様は戻ってきて、あの子供はウテン様の元へ届けたのだと言った。

 それから暫くモクカと過ごし、日が暮れた頃に彼を送り出して、私は一人きりの部屋に居る。

 外は、もう暗闇だ。

 私は、自分の掌を見下ろした。

 この手は、まだ、小さい。

 けれど、これから育つことの出来る手だった。

 私はまだ幼い。

 つまり、学ぶための時間が多い、ということだ。


「……よし」


 私は頷き、部屋を出る。

 日が暮れてすぐに明かりの灯された廊下は長くて、そのまま辿ればすぐに、転ぶこともなく父様の私室へと辿り着くことが出来た。

 扉を叩こうとして、ふわりと扉が動く。

 きちんと閉ざされていなかったようだ。

 そして、昼間と同じように、そこには誰かが訪れていて、その声が漏れ聞こえた。

 昼間と全く同じ状況に、このままでは盗み聞きになってしまうと気がついて、とりあえず離れようと動き出した私の足を、中から聞こえた言葉が引き止める。


「チノちゃんの様子はどうだった?」


 チノ、というのは、あの大怪我をしていた子供の名前だ。

 私が応急処置しか出来なかった、あの子供の名前だ。

 私は、思わず中を窺う。

 父様の姿も、尋ねてきている客人の姿も見えなかった。

 父様の声が、客人へ答える。


「殆ど完治している。怪我している癖に動いていたから、思わず叱ってしまったがな」


「うわ、ヒョウガに怒られたら泣いちゃうだろ?」


「そんなに柔じゃないだろう」


 会話を聞いて、私は目を瞬かせた。

 父様にここまで普通に話し掛ける人は、あまりいない。

 更に言うなら、父様の名前を『ヒョウガ』と縮めて呼ぶのは、三人しかいないはずだ。

 セイクウ様はモクカを送っていったはずだし、ウテン様は今館に怪我人が居るのだから外出するはずもないだろう。

 なら、ここにいるのは<炎王>様じゃないだろうか。


「大体、お前はそんなことを聞きに来たんじゃないだろう? カルライ」


 私が思いついた名前と、父様が呼んだ名前は同じだった。

 <炎王>カルライ様が、小さく笑い声を漏らす。


「いや、一応それも聞きに来たんだぜ? 後は、あー……暇つぶし?」


「ふざけた男だな、相変わらず」


 父様の声は冷え冷えとしている。

 けれど、少し楽しそうだった。

 父様がこんな声を出すのは、私達家族の前か、友人の前だけだ。

 私は、そっと扉を押した。

 音を立てないように、そっと閉めていく。


「スイキ」


 それを、名前を呼ばれて阻まれた。

 驚いて動きを止めてしまった私の前で、扉が開かれる。

 扉を開いたのは赤い髪の<王>で、カルライ様だ。じっと見上げて、昼間来ていたカエンに似ているな、と何となく思う。親子なのだから当然と言えば当然だろうか。

 部屋の奥にいた父様が、僅かに微笑みながら手招きをする。

 一度カルライ様に頭を下げてから、私は父様の元へと歩いた。


「どうした? 何か、用事か」


「え、あ、はい、父様。でも」


 客人が来ているのだから、私を構うこともないだろう。

 そう言った気持ちを込めて見上げると、今度は大きく表情を動かして微笑んだ父様が、そのままの笑顔をカルライ様へ向けた。


「というわけだから帰れ」


「父様!?」


「はいはい。またね、あー……スイキ、くん?」


 いつもなら決して客人に使わないような退室命令に、けれど気にした様子もなくカルライ様は従って、先程開いた扉から外へ出た。

 手を振ったその姿が、ぱたり、と扉を閉ざされて見えなくなる。


「あの、父様……」


「構わん。どうせただの時間潰しだ」


 気にすることはない、と優しい声で言われて、それで? と促された。


「お前の用事は何だ? スイキ」


 湖の底みたいな青い瞳が、私を見下ろす。

 それを、私はまっすぐに見上げた。

 父様は、大きい。

 私よりも大きくて、私よりも物事を知っていて、私よりも強い。

 その父様が、ヨウスイの目は治せないのだと言っていた。

 けれど、私の身体を性分化する術を、前例が無いそれを調べてやると言っていた。

 見つけてやると言っていた。

 同じように、きっと、ヨウスイの目を治す方法も探しているだろう。

 ならば。

 ならば、私も。


「父様」


 深く息を吸い、そして私は父様へ言葉を紡いだ。


「私は、ヨウスイの目を、治したいです」


 ただの手伝いで良いから、させてくださいと願う。

 父様の目が、驚いたように丸く見開かれる。

 それから数拍を置いて、わずかに微笑み、父様は頷いてくれた。

 



+++




 罰ならば貰った

 けれど、そう、それで償いには、なりはしない

 だから、私は


 その先へ進むために、歩き出した




end


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