贖罪の瞳
この身が生きているなんて
こんな愚かな私が、生き続けるなんて
これは一体
何の冗談だというのか
+++
「おめでとうございます、スイキ様!」
ある日、目が覚めた瞬間に、私を起こしに来た使い女が突然祝いの言葉を述べた。
そうして、目を瞬かせている私の前から、軽やかな足取りで部屋を出ていく。
一体なんだと言うんだ?
戸惑いながらそれを見送っていた私は、使い女の足音が聞えなくなってから、まさか、と思いついて寝台を降り、部屋に置かれている姿見の前に向かった。
私の姿を反射す鏡の前に佇み、じっと見詰める。
そこには、何も出来なかった無力な子供が立っていた。
「……!」
そして、その両の耳の色が赤かった。
それがどういう事なのかを、瞬時に理解する。
私は、水の精霊だ。
純粋な水の精霊というのは精霊の中でも特異な存在で、ある一定の時期までは両性体だ。
数日間耳を赤く染め始めると性分化が始まり、そして性別が決まった時、初めて一人前と言われている。
私の体は、的確に時を刻んでいるのだ。
耳に触れて、更にじっくりと、鏡の中に佇む子供を見詰めた。
「……どうした、スイキ……」
小さな声で、まるでそこに誰か居るように、そっと呟く。
姿見に映された子供が音無く口を動かして、その瞳が私を反射している。
「全然、嬉しそうじゃないな」
笑いを込めた声は本当に小さくて、骨を伝って私に届いただけだった。
昔、私は早く大人になりたかったのだから、本来なら大喜びをしているだろうに。
それと真逆の心を込めた瞳のまま、私はただ一人、鏡の前に立ち尽くしていた。
+++
私の部屋から出て行った使い女は、そのまま館中にそれを伝えて回ったらしい。
私が着替え終えて室外へ出ると、そこを歩いていた使い女が、満面の笑みで祝いの言葉を述べた。
「おめでとうございます、スイキ様!」
「……ああ」
ありがとうとはどうしても言えずに、ただ、短く声を漏らして歩き出す。
使い女は、私の背を見送って、そしてパタパタと駆けていった。
それを少しだけ見送ってから、そのままヨウスイの部屋へ向かう。
私は毎日ヨウスイの元へ通っていた。
もはや日課となっている道のりを、ただぼんやりと歩く。
時折すれ違う使い女達が、やはり祝いの言葉を私へ投げて寄越した。
それに先ほどのように小さく返事を返してから、ようやく辿り着いた部屋の扉を、そっと押し開く。
「誰? 兄様?」
部屋に入れば、扉の軋みに気付いたのか、そんな声が部屋の主から掛かった。
「ヨウスイ」
名を呼んで近付くと、幼いきょうだいは嬉しそうに微笑んだ。
その、可愛らしいだろう顔を、瞳を覆った痛々しい包帯が阻害する。
足を進めて、クッションの群れの中で座り込むヨウスイのそばへ行く。
そして隣へ座り込むと、小さな手が私の体に触れた。
「兄様」
私を兄と呼ぶ、ヨウスイは微笑んだままだ。
幼い手がそっと私の体を伝って、私の首から頤に触れ、そのまま少し冷たい指先が私の唇へ触れる。
私も手を伸ばし、その瞳を覆いつくした包帯越しに、その顔に触れた。
「……痛むか?」
「ううん。もう、全然」
私の問いへ、すぐさま否定の声が上がる。
私は、口元へ触れてくるヨウスイに伝わるように、懸命に微笑を浮かべた。
「……良かった」
何が良かったものか。
私は、偽りの笑みを浮かべたまま、ヨウスイの瞳を撫でる。
私が喚び出した水龍によって奪われた妹の瞳は、決して戻らない。
私が潰したヨウスイの双眸は、もう光を見ることが出来ない。
それを思うだけで悲しく、できることならこの瞳を代わりに差し出したい程だ。
けれど、それはできないことなのだと、父様が言った。
他者の一部を与えることは出来ないと。
失われた物は戻せないと。
ああ、でも、ならばどうしたら良いのか。
償うことすら、許されないというのか。
「……兄様?」
そっと、尋ねる声がする。
目を向ければ、ヨウスイが少しだけ不思議そうな顔をしていた。
私が黙り込んでいたからだろう。
私は、何でもないと微笑を深くする。
「そう?」
少しだけ心配そうにして、けれど他の事を思い出したのか、ヨウスイは笑みをその顔に広げた。
そして言う。
「兄様、おめでとう!」
寄越された祝福に、体が少しばかり強張った。
それがなんに対する祝福なのかは、尋ねなくても分かる。
「きっと兄様なら、素敵な男の人になるわ」
楽しみねと微笑む、無邪気な声が、耳をくすぐった。
そうだったら良いが、と通常通りに返す自分の声が、ひどく遠い。
そんな、酷い事を、言うな。
頭の中で誰かがそう叫んでいるのを、どうにか無視した。
口を閉ざすことも出来ずに、滑稽な笑みを浮かべていた私の口元に触れて、ヨウスイも笑う。
まるで己のことのように、嬉しそうだ。
その目を潰したのは私なのに、どうして私を祝福できるのだろう。
「スイキ様」
部屋の扉が開いて、使い女が入ってきた。
そして、父様と母様が呼んでいるのだと、私に告げた。
+++
父様と母様は、私へ祝いの言葉を掛けて、宴を開きたいと言った。
性別化が終わってからが良いとそれを辞退して、私は二人の生活する部屋から出る。
足はゆっくりと廊下を辿って、そのまま己の部屋へと行き着いた。
扉を開いて、閉ざして、少し前まで寝転んでいた寝台の上へと飛び込む。
シーツの海は柔らかく私を受け止めて、僅かに埃が立った。
ゆっくりと、目を閉じる。
何故だか、とても、眠い。
体の力を抜いたら、すぐにでも睡魔に攫われて行きそうなほどに、眠い。
このまま眠ってしまおうか、と、暗闇の視界の中考える。
今日は父様の機嫌も最高潮だったから、少しくらいうたた寝しても怒られはしないだろう。
何か用事があって誰かがこの部屋へ入ってくるまで、眠ってしまおう。
そう決めて、ゆっくりと体から力を抜いた。
予想通り、すぐさま襲って来た睡魔は、慌てたように私の意識を連れ去っていく。
まるで現実から逃げ出したいようだと自嘲して、私は、僅かに引き止めていた意識を手放した。
+++
目が覚めた時、部屋は薄暗かった。
すでに夜だ。
息を吐いて寝台を降り、そっと部屋を出る。
静かな廊下はいつもと同じで、けれど廊下にある窓の硝子に映りこんだ己の姿が、いつもと同じではないのだと私へ告げた。
色の変わった両の耳。
ヨウスイをあんな目に遭わせたのに、ヨウスイの目は二度と光を得られないのに、私の体は何一つ失うことなく、ただ時を刻む。
何か叫びたい衝動に駆られて、けれどそんな真似をしたらきっと皆を驚かせるから、私は走り出した。
廊下を駆け抜けて、両開きの扉を押し開いて館から出る。
その半分を巨大な湖の上に、残り半分を岸辺の花畑へと乗り上げた格好の住処へ背中を向けて、私の足は森へと向いた。
ただがむしゃらに脚を交互へ動かして、木々が入り組む森の中を行く。
木々は私を阻むように手を繋いでいたけれど、その下を潜って更に突き進む。
やがて、息が苦しくなるほどに進んだ時、不意に目の前が開けた。
驚いて、立ち止まる。
そこには、小さな泉があった。
木々が円形に作り上げたその水面には、空からの月光が煌いている。
そして、その中央辺りに、人がひとり浮いていた。
「……!」
大きさから見て、私と同年代くらいの子供だろうか。
一房ずつ濃さの違う緑の髪は長く、水に浸って広がっている。
体からは、力も抜けているようだ。
まさか、溺れているのか。
「…………おい!」
声を上げながら、泉を満たす水へ頼み込んで、その子供の体を弾き上げた。
うわ、などと声を上げながら、子供は泉の岸へ尻餅を付く。
自分に起きた状況を理解できていないのだろう、子供はきょろきょろと視線を彷徨わせて、そして私を見つけた。
正面から見たその顔立ちは少年のそれだった。
褐色色の肌をしていて、同じ色をしたその耳は真横に長く伸びている。
どうやら意識はしっかりとしているらしい彼の、エメラルド色の瞳を睨みつけた。
「こんな所で溺れたら、誰も助けになんか来れないだろう!」
言いながら、掌を彼へと向けて、小さな声で水たちに願いを呟いた。
水は私の願いに耳を傾けて、少年の体から剥がれ落ち、急速にその体が乾いていく。
「あぁ……ありがとう」
言って、彼は立ち上がった。
手で、先ほど尻餅を付いて汚れてしまったのだろう箇所を叩いている。
「でも、俺、自分で入ったから。溺れてないからね」
誤解しないでよと少し高い声が言って、その言葉に眉を寄せる。
落ちて溺れたのでないとすれば、泳いでいたか、入水自殺か。
穏やかな方だろうと見当を付けて、ため息を一つ。
「……泳ぐなら、昼間にしろ」
「いや、泳いでた訳でも無いんだ」
「じゃあ何だ」
やっぱり入水自殺か。
「え? ええっと……」
私の視線に込められたものに気付いてか、彼は少し目を彷徨わせて眉を寄せる。
少しだけ言い訳を考えるように間を置いて、そして彼は口を開いた。
「やっぱ、泳いでた」
先程否定した筈の言葉を肯定して、誤魔化す様に少年は笑う。
何なのだろう、こいつは。
少し考えて、けれど別に本当の理由を言及する必要性など無いから、そうか、と呟いた。
うん、そう、と頷いて、彼は泉へ目を向ける。
その瞳には、僅かに寂しげな、切なそうな色が浮かんでいた。
けれど、それからこちらを向いた視線には、その感情の欠片も滲んでいない。
「あ、なぁ、あんた、誰?」
問われて、軽く眉を上げる。
「……私を、知らないのか?」
私は、<氷王>の子供だ。
よく知られている方の部類に入っているだろうと思っていたから戸惑えば、うん、とあっさり彼は頷いた。
「そんな綺麗な顔、見たこと無い」
そんな風に言われて、一瞬む、とする。
私は、『息子』として育てられてきた。
外見を賛美されても、嬉しさは皆無だ。
私の反応には気付かずに、彼は私へと近付いた。
「俺、モクカって言うんだ。あんたは?」
先に名乗られて、仕方なく答える。
「……私は、スイキだ」
私が名前を答えても、彼は何も驚きはしない。
やはり、彼はまったく私を知らないらしい。
そして、微笑んだままの彼は、そっと私へ手を差し出した。
「……何だ?」
「家、何処? 送るよ」
「何……?」
「一人歩きは危険だよ。綺麗だしさ」
そんなに変態なんて出ないけどさ、などとのたまう彼を見て、眉間に皺が寄ったのが分かった。
もしかして、私をただのか弱い子供だとでも思い込んでいるのか。
ふざけた話だ。だが、先程から『綺麗』などと形容されているし、そうなのかも知れない。
不愉快だ。
思いながら、そっと、差し出されたままの彼の手へと手を伸ばす。
そして、その袖を掴んだ。
父様から習った通りに、そこを支点にして足払いを掛け、軽く引いて振り抜き、私と同等程度の大きさの少年の体を転ばせる。
「あだ!」
地面へと背中をしたたか打ち付けたらしく、情けない潰れた声が出た。
それを見下ろして吐き捨てる。
「結構だ。自分の身くらい、自分で守れる。こんな風に」
私の言葉を聴いていた彼は目を丸くして、それから嬉しそうに笑って跳ね起きた。
「すっげ、スイキって強いんだ!」
「……あ、ああ。まあ、な」
突然喜ばれて訳が分からずに、けれどとりあえず頷いた。
そして、彼は私の手から自分の手と袖を取り戻し、じっとこちらを見て来る。
「俺と、今度組み手してくれない?」
突然、何を言い出すのだろうか。
目を瞬かせて、何かを間違えていないかと確認する。
「……私が?」
「そう!」
私の問いかけに、けれどモクカと名乗った子供はしっかり頷いた。
変な奴だな、と私は目の前の相手を見つめる。
普通、突然転ばされたら怒るのではないだろうか。
「……いいぞ」
少しだけ考えて、それから小さく頷く。
自分の口元に、僅かな微笑が浮かんだのが分かった。
「明後日、で良いか?」
「明後日? うん!」
急だと驚くかと思ったが、少年はあっさりと頷いた。
そして、約束だねとその手が伸びてくる。
小さな掌に手を掴まれそうになって、思わず避けた。
素肌に触れることが叶わなかった彼の指は、私の袖を捕まえて上下に振る。
握手みたいなものだろう。
されるがままになりながら、私は戸惑って己の手を見た。
触れられる、と思った時に、思わず避けてしまった。
何故だろうか。
考えてもよく分からず、すぐにその疑問を放棄する。
空には高く、月が昇っている。
何も言わずに出て来てしまったのだから、そろそろ、帰った方が良いだろう。
「じゃあ、帰るから」
告げてやんわりと腕を振ると、彼はあっさりと私の手を開放した。
「あ、送ってく」
「……もう一回、投げ飛ばされたいか」
「いやいや、家見たいだけだから。行く行く」
手を掴んでやろうかと思って手を伸ばすと、するりと避けられる。私の顔を見返してくる彼はとても笑っている。
嘆息して、肩を竦めた。
「……勝手にしろ」
言い置いて、先に歩き出す。
後ろを付いてくる気配がしたが、振り向かない。
帰り道は、進めば進むだけ道が拓かれていった。
恐らく、彼がいるからだろう。
私の後ろを歩く彼は、十中八九、樹の精霊だ。
彼の為に、木々が道を拓いていく。
葉の合間から落ちてくる月光が足元を照らして、静かに、私達は歩いていた。
ふと、肩越しに後ろを見やる。
そこにあった光景に、思わず呆れた声を漏らした。
後ろから歩いていた彼が、空を仰ぎながら歩行している。
何処の子供だ。
「……おい、あー……モクカ」
名乗られた名前を思い出しながら呼ぶと、驚いたように視線が此方を向く。
転ぶぞ、と告げると、あははごめん、と彼は笑った。
それから、その口が、そういえば、と動く。
「ねぇスイキ」
「……なんだ?」
「スイキって、男? 女?」
至極あっさりした問いだった。
多分、彼に他意はないのだろう。
私の歩みが、止まる。
男になるか、女になるか。
これからどうなるかはまだ分からない。
もうじき、だろうけれど。
今は。
「……どちらでも無い」
足を再度動かしながら、ゆっくりと、どうにか押し出した声は酷くあっさりと響いて、そっか、とモクカが軽く返した。
そして、更に残酷な声が言う。
「あれだね、スイキは綺麗だからどっちでも特だね」
ぼんやりと独り言のように呟く彼から、そっと目を逸らす。
「……どうかな」
男になるか、女になるか。
私の体は着実に時を刻む。
もうじきどちらになるかも決まる。
ただ分かるのは、私からは何も奪われてはいない、ということ。
私の呟きが聞こえたのか聞こえていないのかは分からないが、モクカはそれ以上何も言わず、歩き続ける私の後を付いてきた。
やがて森を抜けて、見慣れた屋敷が視界に入る。
「ここだ」
立ち止まって指差すと、追いついて来た彼が、驚いたように目を丸くする。
驚いたような戸惑ったようなその顔に、ここが<氷王>ヒョウガキの家だとは知っているのか、と把握した。
「え? ここ? だって、ここ<氷王>様の家じゃない?」
「そうだ」
「で、ここがスイキの家?」
「そうだ」
「……えっと」
つまり、えっと、と呟いて、少し考え、それから大真面目に、彼は私を見た。
「スイキって、ここの使い女とかの、子供とか?」
あまりにも真面目に言うから、思わず噴出してしまった。
+++
「遅かったな、スイキ」
モクカと名乗った少年と別れてから何も言わずに出た館へ戻ると、開いた扉の中へ足を踏み入れる前に、私へとそんな声が落ちた。
ゆっくりと、顔を上げる。
「……父様」
館の主が、そこに佇んでいた。
使い女達は、もう帰ったのだろうか。
いつもなら出迎える筈もない人が佇んでいることに目を瞬かせながら、そんなことをぼんやり考える。
私の視線の先で、ふと何かに気付いたように、父様が目を見開いた。
「スイキ? お前……!」
「はい?」
驚愕に満ちた声に、首を傾げる。
私の戸惑いには気を払わずに、父様の大きな手が私の顔へと近付いた。
その掌が己の頬へと触れる寸前に、背中を走り抜けた悪寒に弾かれて顔を背ける。
「……スイキ……?」
「あ……」
どうしたんだ、と、驚いたような戸惑ったような声を出す父様に、けれど私は答え切れず、ただ二歩ばかり後退した。
父様は戸惑っているけれど、私のほうがその感情は大きいだろう。
どうして、顔を背けてしまったのだろうか。
あの大きな掌に頭を撫でられるのがとても好きだった筈なのに、その温もりが触れると思ったその瞬間に、湧き上がったそれは、記憶にあるその瞬間とはまったくの正反対だった。
嫌だった。
その温度を、感触を、感じることが嫌だったのだ。
「…な、んで……?」
呟く己の声は小さく掠れて、ひゅう、と吐いた息は惨めたらしく音を奏でた。
父様は眉を寄せて、更にその手を近付けようとする。
けれど、その手を凝視しながら体を強張らせ、どうにか逃げないようにと足へ力を入れる私に気付いて、動きを止めた。
「……来い、スイキ」
体勢を戻してから、父様が言い放つ。
見上げた先で父様が私へ背中を向けて、肩越しに私を見た。
「中へ入って、私の部屋へおいで」
もっと幼かった頃に言われたような、優しい声が振ってくる。
私は頷き、その背中を追いかけるようにして館へ入ってから扉を閉ざし、歩き出した父様の影を踏むようにして、その後ろに続いた。
父様が書斎へ入り、開かれたままの扉から私も入室する。
扉の傍に佇む父様の暖かな温度に身を震わせながら、それでも隣りに立つ私に父様は嘆息した。
そして手を離して扉を閉ざし、父様は書斎にある大きな椅子へ座る。
「スイキ。見てみなさい」
そう言って、椅子に掛けたまま、父様はその手で部屋の一角を示した。
目をやれば、そこには姿見が立てかけられていた。
戸惑いながらも、言われるままに姿見の前に立つ。
そこには、幼い子供が映っていた。
今朝、見たのと同じ顔がそこにいた。
ただ。
「……え?」
その耳の色は、赤くない。
光の加減だろうかと、耳を摘んで少し傾ける。
変化は無い。
元の色だった。
元の色に、戻っていた。
驚いて、私は父様を見る。
父様は眉を寄せて、そしてゆっくりと頷いた。
私は、己の体を見る。
一昨日とも、昨日とも、今朝とも、何も変わった様子は無い。
無い、けれど。
「……私、は……性分化、したのですか?」
鏡を見たまま、そっと尋ねる。
この耳が色を失った以上、そうであることに違いなかった。
私は、大人になってしまったのだ。
何の障害も無く、何の滞りも無く。
ヨウスイは未だ光無い世界で行き続けているというのに。
絶望的な気分になりながら父様を見つめる私へ、けれど、父様は首を振って返す。
「……お前は、まだ、性分化していない」
「……え?」
父様の言葉に、目を見開く。
父様の耳が、不機嫌に少し揺らいだ。
「性分化すれば、気配が変わる。姿形で分からなくても、女性体か男性体か、伝わるそれですぐに分かる」
けれど、と言葉を置いて、父様の瞳が微かに揺れた。
「……けれど、スイキ。お前には変化が無い」
それは、つまり。
私は、目を大きく見開いた。
体ごと父様へ振り返り、その椅子へ近付く。
空気を伝わる温度に吐き気がする直前で足を止めて、じっとその顔を見る。
何かを悔いるように眉を寄せる父様を、じっと、見る。
「……じゃあ、父様。父様、私は……」
水の精霊が、性分化するのは生涯の間でただの一回。
そして、私はそれを性分化することなく終えた。
だから、つまり。
「……ああ。そうだ」
私の声には期待が入り混じってしまっただろうか、苦しげに声を漏らして、父様はその目を伏せた。
「お前は、もう、性分化出来ない」
大人に、ならない。
父様が目を閉じてくれて良かった、と、心からそう思った。
何故なら、私の唇はきっと、弧を描いたからだ。
上がってしまった口角を無理やり引き下ろして、私はそっと己の体に触れる。
二度と、『一人前』となれなくなった出来損ないの体に触れる。
何という事だろう。
「……すまない、スイキ。何か手立てはあるはずだ。必ず、それを見つけてやる」
言い放ち、父様の手が拳を握る。
「だから、それまで待っていろ」
必ず見つけてやるからと繰り返して、父様が瞳を開き、私を見た。
その深海色の瞳には決意が漲っていて、激しく強い言葉に私はそっと息を吐いた。
そして、ゆっくりと首を振る。
「いいえ、父様」
どうかそんなことはしないでと、声には出さずに懇願した。
手を伸ばして、その手へと指先を触れさせる。
それだけで、胃の中の物全てを吐き出したくなるような吐き気が湧き上がった。
ゆっくりと、指先を父様から離す。
ああ、これもだ。
生理的に浮かんだ涙で睫毛を濡らしたまま、私は父様を見つめた。
「これは」
これは。
「罰です」
罰だ。
私の言葉に、父様が目を見開く。
その深い青の瞳に、私の姿が良く映り込んだ。
「……お前が罰を受けても、あの子の目は元には戻らない」
少しの沈黙の後、父様は声を絞り出した。
その言葉にはゆっくりと頷いて、それから首を振った。
「私は、罰されたんです」
罪に見合うのかは分からない。
足りないような気もする。
けれど、確かに、私は罰を受けたのだ。
「罰を、受けた」
私の呟きに、父様は痛みを感じたかのようにその瞳を細めた。
そして、私へと手を伸ばし掛けて、下ろす。
触れ合うことがそのまま私への苦痛となることを、もう父様は知っている。
私は、それを、じっと、見ていた。
本当は、歓喜の声を上げて両手を叩き駆け回りたいほどに嬉しかった。
けれど、そんなことをすれば、恐らく父様は私を叱り、そして己を責めるのだろう。
だから、それから声を漏らすことなくゆっくりと俯き、私は目を閉じた。
+++
償いたくて望む罰は
もう、罰とは呼べないのかも知れない
けれど
私へと、罰は与えられた
私の願いが
叶えられた
next