私じゃ駄目なの?
ヤンデレが出てきます。
玄関のドアが閉まる音で、帰ってきたと分かる。時計はもう九時を過ぎていた。
「ただいま」
少しだけかすれた声。毎日同じ時間、同じ調子。
「おかえり」
リビングから返すと、姉は一瞬だけこっちを見て、すぐに目を逸らした。
「ご飯、先に食べてていいから」
「姉さん...」
その声は届かなかった。
姉さんはそれだけ言って、自分の部屋に入っていく。今日も、話せなかった。
同じ家に住んでいるのに、顔を合わせる時間はほんの数分。
小さい頃は、もっと隣にいたはずなのに。昔の姉は、よく笑っていた。
宿題を見てくれたり、くだらない話で笑ったり、寝る前に「おやすみ」と言いに来たり。でも今は、仕事で疲れて帰ってきて、部屋にこもるだけの人。
仕方ないって分かってる。分かってるけど少しだけ、寂しい。
「ねえ、その人って彼女?」
放課後、帰り道。
隣を歩くクラスメイトが、からかうように笑った。
「違うって。ただの友達」
「ほんとに?」
「ほんとだって」
軽く笑って流す。それだけの、なんでもない会話。
でもその時、ふと視線を感じて振り返った。誰もいない。
気のせいか、と思ってそのまま歩き出した。
夜。
リビングの電気をつけると、ソファに姉が座っていた。
「びっくりした~姉さん起きてたんだ。」
珍しく、まだスーツのまま。
「うん」
短い返事。いつもならもう部屋にいる時間だ。
「どうしたの?」
そう聞くと、少しだけ間が空いた。
「今日、誰といたの?」
不意打ちみたいな質問だった。
「え?」
「帰り道。楽しそうだった」
心臓が、ひとつ遅れて跳ねる。
「……見てたの?」
「たまたま仕事が早く終わって帰ってたの...」
その言い方が、やけに引っかかる。“たまたま”にしては、具体的すぎる。
「女の子だったよね」
「……まあ、クラスメイトだし」
「ふーん」
姉は視線を落としたまま、指先を軽く握ったり開いたりしている。
落ち着かない時の癖だ。昔から、変わってない。
「最近、あんまり話さないね」
「そっちが忙しいんだろ」
「それでも」
そこで言葉が止まる。何かを飲み込むみたいに。
「私、待ってるのに」
小さな声だった。でも、はっきり聞こえた。
「帰ってきても、部屋にいるし」
「疲れてるんだよ」
「分かってるよ」
「少しでも良いから声掛けて欲しかった。」
即答だった。分かってる。でも、それでも。
そう言われてる気がした。姉が立ち上がる。
一歩、二歩。ゆっくり距離を詰めてくる。
逃げる理由はないはずなのに、なぜか足が動かなかった。
「他の子とは、普通に笑うんだ」
「……それは」
「私の前だと、あんまり笑わないのに」
その声は責めているというより、確かめているみたいだった。
自分がどう見えているのかを。手首を掴まれる。
強くはない。でも、確実に離さない力。
「ねえ」
顔を上げた姉の目は、少しだけ潤んでいた。
「私じゃ、ダメなの?」
問いかけなのに、答えはもう決まっているみたいな言い方だった。
距離が近い。近すぎる。昔なら、こんなの普通だったのに。
今は違う。
「……ダメとかじゃなくて」
「じゃあ何?」
すぐに返される。逃げ道を塞ぐみたいに。
「俺、別に誰とも——」
「嘘」
遮られた。
「さっき、すごく楽しそうだった」
その一言に、何も言えなくなる。
「ねえ、私よりあの子がいいの?私は1人の男として好き。」
さっきよりも、少しだけ近くで。
「ちゃんと、こっち見てよ。私を受け止めてよ。」
視線を上げると、まっすぐに見られていた。
怒りじゃない。悲しみでもない。置いていかれるのが怖い、みたいな目。
ずっと一緒にいた人なのに。こんな顔、知らなかった。
心臓がうるさい
「僕の初恋は姉さんだった。」
気づいたら、そう言っていた。自分でも分からないまま。
姉は少しだけ驚いた顔をして、そして—ほんの一瞬だけ、安心したように泣いた。
「バカ。バカ、でもよかった」
その声は、どこか危うくて。でも同時に、少しだけ救われたようでもあった。
この人は、最初から変わってなかったのかもしれない。
ただ、俺が見てなかっただけで。
愛は結晶だ。




