表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/13

9



大気そのものが悲鳴を上げていた。

レイドボス「静寂の捕食者」が放つ、漆黒の衝撃波が周囲の瓦礫を塵へと変える。

逃げ遅れたハンターたちが絶望に目を見開く中、その爆心地へと突っ込む二つの影があった。



「――合わせろ!」



コウタの咆哮と共に、巨大な大剣が闇を切り裂く。

ボスの外殻に叩きつけられた一撃は、地響きを立ててその巨体を一瞬だけ硬直させた。

常人ならその反動で腕が砕けるはずの衝撃。

だが、コウタの脳裏には、ネットで豪語した「最強の騎士」としての誇りと、隣を走る「彼女」への、言葉にならない信頼だけがあった。



「大丈夫よ!」



コウタの剣が作った、針の穴ほどの隙間。

カナはその狭間を縫うように、重力を無視した速度で肉薄した。

二本の短剣が閃光となり、ボスの関節部に深く突き刺さる。

溢れ出した魔力の奔流が彼女を吹き飛ばそうとするが、カナは歯を食いしばり、さらに深く刃を抉り込ませた。



「……嘘でしょ、あの二人。ボスの攻撃を、全部紙一重でかわしてる……」



「一歩間違えれば即死だぞ。なのに、まるでお互いの呼吸が見えてるみたいだ!」



後方で固唾を呑んで見守るハンターたちが、戦慄に震える。

コウタが防げば、カナが刺す。

カナが跳べば、コウタが道を作る。

それはもはや、数ヶ月の付き合いで到達できる域を越えていた。

互いに隠している「醜いリアル」や「虚飾のステータス」など、この極限状態では何の価値もない。

ただ、鉄仮面の下に宿る、剥き出しの闘争本能と、相手への依存だけが二人を突き動かしていた。


ボスの触手が、死神の鎌となってコウタの側頭部を狙う。

防ぐ暇はない。

だが、コウタは一ミリも動かなかった。

その信頼に応えるように、横から飛来したカナの短剣が触手の軌道を弾き、間一髪でコウタの頭上を通り過ぎさせる。



「……信じてるわよ、騎士様!」



「ああ。君の背中は、地獄の底でも俺が守る!」



二人の連携が加速する。

大剣の旋風がボスの触手を薙ぎ払い、短剣の乱舞がその核を露わにしていく。

周囲の熱狂は最高潮に達し、誰もがこの二人の「無名の英雄」の勝利を確信し始めていた。


だが、世界が静止した。

ボスの核が赤黒く脈打ち、全てを無に帰す「終焉の咆哮」を放とうと膨れ上がる。

回避は不可能。

二人は互いを見つめ、無言で武器を握り直した。



「……最後の一撃だ。全力で行くぞ!」



「ええ、最高のフィナーレにしましょう!」



二つの影が、光り輝く核へと同時に飛び込んだ。

大剣と短剣が交差し、極大の魔力が衝突する。

その輝きは、戦場全体を白く染め上げた。


 


ボスの核が、ドス黒い光を放ちながら限界まで膨張した。

「終焉の咆哮」――全てを塵に変える全方位への魔力放射。

その直撃コースにいたのは、核へ肉薄していたカナだった。



「……っ、間に合わない!」



カナが短剣を交差させ、死を覚悟したその瞬間。

視界を、巨大な背中が遮った。

コウタが、一切の躊躇なく彼女の前に立ち塞がり、大剣を盾にその奔流を真っ向から受け止める。


衝撃波がコウタの全身を叩き、強固なはずのフルフェイスヘルメットに無数の亀裂が走った。

鉄が軋み、内部のバイザーが粉々に砕け散る。

コウタの視界が赤く染まり、ヘルメットの機能が完全に死んだ。



「……… 私は大丈夫!だから、逃げて……!」



カナの叫びも、もはやコウタの耳には届かない。

視界を奪い、呼吸を妨げるだけの重い鉄塊。

コウタは、もはや「騎士」の記号でしかないそれを、血まみれの手で力任せに剥ぎ取った。



「――おおおおおおお!!」



コウタは、砕けたヘルメットを戦場の泥の中へと投げ捨てた。

露わになったのは、社長令嬢に愛される騎士でも、最強のハンターでもない。

無精髭を生やし、ボロアパートで必死に生きる、あの「不審者」の素顔だった。


だが、その瞳に宿る光だけは、どんな嘘よりも鋭く、気高い。

コウタは剥き出しの素顔で、魔力の暴風を突き進む。

一歩、また一歩。

皮膚が焼け、髪が逆立つほどの熱量の中、彼は大剣を天高く掲げた。



「これで……終わりだ!!」



渾身の力で振り下ろされた大剣が、ボスの核を真っ二つに叩き割った。

絶叫と共に、巨大な災厄が内側から崩壊を始める。

光の粒子が戦場を包み込み、ゆっくりと、けれど確実に、死の静寂が戻ってきた。


コウタは荒い息を吐きながら、剣を杖代わりに立ち尽くしていた。

ヘルメットを失い、ボロボロになった自分の姿。

隠したかった「リアル」が、今、戦場の数千人のハンターたちの前に晒されている。


そして、背後には。

自分をかばってくれた「理想の騎士」の素顔を、信じられないものを見るような目で見つめている、鉄仮面の彼女がいた。




崩壊したボスの巨体が、光の塵となって夜空へ溶けていく。

静寂。

そして、次の瞬間、地を揺らすような喝采が沸き起こった。



「やった……! 本当に、あの化け物を倒したぞ!」



「あの二人が……後方組の二人が、俺たちを救ったんだ!」



数千人のハンターたちが、狂喜乱舞しながら中心地へと駆け寄ってくる。

だが、コウタにはその声すら遠く感じられた。

肩を上下させ、血と煤にまみれた素顔を晒したまま、彼は真っ先に背後の人影を振り返った。



「……おい、大丈夫か!」



コウタは、膝をついたまま動かない鉄仮面の彼女――カナのもとへ駆け寄った。

自分を庇ってくれた騎士が、忌まわしい不審者だという現実に打ちのめされているとも知らず。

彼は、ただ純粋な心配だけを瞳に宿し、彼女の肩を掴もうとした。



「怪我はないか? 酷い衝撃だったが……返事をしてくれ!」



コウタの手が、彼女のヘルメットに触れる。

その瞬間、カナは弾かれたようにその手を振り払った。

ヘルメットの奥から、小さく、震える吐息が漏れる。



「……っ。来ないで……見ないでよ……!」



「……え?」



困惑するコウタを置き去りにして、カナはふらつく足取りで立ち上がった。

周囲からは、二人を称える英雄への喝采が、いよいよ間近にまで迫っている。

「名前を教えてくれ!」という期待に満ちた叫び。


コウタが周囲の熱狂に一瞬だけ視線を奪われた、その隙だった。


熱狂の渦が二人を飲み込み、人々が「英雄」を取り囲んだ時には。

そこには、大剣を握ったまま茫然と立ち尽くす、素顔のコウタ一人しか残されていなかった。



「……相棒?」



コウタは周囲を見渡すが、あの小柄な鉄仮面の姿はどこにもない。

ただ瓦礫の陰に、彼女が使っていた歪んで使い物にならなくなったヘルメットだけが、脱ぎ捨てられた殻のように転がっていた。


コウタはそれを愛おしく回収した。

 

人々は、素顔のコウタを「不審者くん」だと気づく者もおらず、ただ目の前の勝者を英雄として担ぎ上げる。

だが、その喧騒の中心で、コウタは言いようのない喪失感に襲われていた。


コウタは、泥にまみれた自分のボロい靴を見つめた。

自分を「騎士」と呼び、この汚い手を取ってくれた彼女の感触だけが、非現実的なほど鮮明に、右手に残っていた。




コウタは、熱狂に沸くギルドの祝勝会を、体調不良を理由に辞退した。

英雄としての報酬、差し出される酒杯、そして向けられる羨望の眼差し。

そのどれもが、今の彼にはなにも満たすことができなかった。

ボロアパートの薄暗い一室。

コウタはベッドに倒れ込み、泥だらけの拳を見つめた。


(……彼女は、どこへ行ったんだ)


脳裏をよぎるのは、最後に見た鉄仮面の彼女の、怯えたような、拒絶するような動作。

そして、その奥から聞こえた震える声。

救ったはずなのに、自分は何か取り返しのつかない過ちを犯したのではないか。


後悔だけが、暗闇の中で重く膨らんでいく。


その時、枕元で端末が小さく震えた。

届いたのは、あの「ネットの敵」であるカナからの通知だった。



『カナ:ちょっと。生きてるの?

レイドが終わったって聞いたけど、あんたみたいな雑魚、魔物に踏み潰されて死んでるんじゃないでしょうね。

一応、安否確認してあげてるんだから、ありがたく思いなさいよね』



コウタは、その文字をぼんやりと眺めた。

いつもなら「お前こそ、逃げ回って腰でも抜かしたか」と即座に言い返すところだ。

だが、今の彼には、この「嘘」の応酬に付き合う気力すら残っていなかった。

彼は無言で画面を閉じ、端末を床に放り投げた。



同じ頃。

カナは、自分の部屋の隅で、震える指で端末を握りしめていた。

彼女の足元には、汚れを拭いもせず投げ出されたブランド物のワンピースと、歪んだ鉄の仮面が転がっている。


(……返信がない。なんで)


数分おきに画面を更新するが、既読すらつかない。

いつもなら、どんなに汚い言葉でも、一分以内には何かしらのリアクションがあったはずだ。

その沈黙が、今のカナには何よりも恐ろしかった。


彼女の脳内では、あの戦場の光景が無限に繰り返されている。

自分を救った、あの騎士の素顔。

そこにいたのは、自分が貶し嘘を吐き、見下していたはずの、あの「不審者くん」だった。

その事実は、彼女のプライドを、そして唯一の心の拠り所だった「理想の騎士像」を、容赦なく粉砕した。



『カナ:……何よ、無視しないでよ。

調子に乗ってるの? 社長令嬢とでも会ってるわけ?

……返信しなさいよ……』



カナは、何度も何度もメッセージを打ち込んでは消した。

繋がっていたい。

けれど、今さらどんな顔をして彼と話せばいいのか分からない。

あんなに見下していた男に、自分は命を救われ、あまつさえ「あんたが隣にいるなら、まだ戦える」とまで言ってしまったのだ。



『カナ:……ねえ。返事してよ。お願い……』



最後の一文は、送信されることなく削除された。

繋がらない電波の先で、二人は同じ夜の静寂に怯えていた。

一人は、理想を失った喪失感に。

一人は、真実を知った絶望に。


ネットの嘘という防波堤が、静かに、けれど確実に崩れ始めようとしていた。




あの大戦から数日。

ギルドの掲示板前には、以前と変わらぬ日常が戻っていた。

だが、そこに立つコウタの心象風景は、あの日を境に致命的な欠落を抱えたままだ。


コウタはフードを深く被り、周囲の喧騒から逃れるように壁に背を預けていた。

視線は無意識に、群衆の頭上を彷徨う。

探しているのは、かつて自分の隣で短剣を振るった、あの「歪んだ鉄仮面」だ。

だが、あの激闘で砕け散ったあのヘルメットは、もう二度と現れることはない。


(……どこにいるんだ。あの日、何も言わずに消えて……)


胸を締め付けるのは、救えなかった後悔ではない。

自分の「素顔」を晒した瞬間に、彼女が逃げ出したという事実だ。

結局、自分という人間は、鉄仮面を被らなければ誰にも必要とされない存在なのだという絶望が、彼の背中をさらに丸めさせていた。



「……ねえ。あんた、またそんなところで陰気な顔してるの?」



不意に横からかけられた声に、コウタは肩を跳ねさせた。

そこにいたのは、以前のように高圧的な態度ではない、どこかぎこちない笑みを浮かべたカナだった。


彼女の頭には、新品の少しだけ装飾のついたヘルメットが携えられている。

だが、彼女はそれを被ることなく、脇に抱えたまま、まっすぐにコウタの素顔を見つめていた。



「……なんだ。またお前か。

言っておくが、今日はブランド品を汚すような真似はしてないぞ」



「そんなこと言ってないじゃない。……ただ、その。

あんた、今日もあいつを探してるんでしょ。あの『鉄仮面の女』を」



カナの言葉に、コウタは沈黙で応じた。

図星だった。

目の前にいるカナが、どんなに殊勝な態度で自分に話しかけてこようとも、今のコウタにとっては「ノイズ」でしかない。

彼が求めているのは、言葉を交わさずとも魂が通じ合った、あの無機質な鉄の仮面だけなのだ。



「……そうだよ」



コウタは、目の前のカナを拒絶するように視線を外した。

カナの手が、抱えたヘルメットの縁を、白くなるほど強く握りしめる。


カナは、言いたかった。

ここにいるわ。あの時、あんたの隣で震えていたのは、私なの。

あんたに助けられて、あんたの素顔を見て、胸が張り裂けそうになったのは、私なんだって。

でも、コウタの瞳に宿る「鉄仮面の彼女」への執着があまりにも純粋すぎて、彼女は真実を口にする勇気を失っていた。



「……そう。あんたって、本当にバカね。

目の前にいる『私』も見ないで、ずっと幻を追いかけてればいいわ」



カナは、吐き捨てるように言って、新調したヘルメットを乱暴に被った。

視界が塞がり、鉄の匂いが立ち込める。

その瞬間、コウタの体が、条件反射のように彼女の方へと向いた。

鉄の無機質な輪郭。その「記号」を見ただけで、彼の心に微かな期待が灯る。


だが、そのヘルメットは以前のものとは違う。

コウタはすぐに、落胆したように肩を落とした。



「フン」



「……もう行くわ」



カナはヘルメットの奥で、誰にも見えない涙を流した。

自分が追い求めていた「騎士様」は、確かに目の前にいる。

けれど、その「騎士様」が愛しているのは、自分が捨てたはずの「偽りの姿」だけ。


二人は、最も近くにいながら。

お互いの「嘘」と「真実」が複雑に絡み合い、決して交わらない平行線を歩み続けていた。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ