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フクロウ令嬢と狼公爵  作者: おはよう


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79話


「一つ、よろしいですかな?」


カースヴェル側の弁論人が、ゆっくりと立ち上がった。


「その“レサルギア”という薬が、いかに恐ろしいものかは理解いたしました。……しかし、それが本法廷と何の関係があるのか」


どこか余裕を含んだ声音。

事の本質に気づいていない者特有の、どこか軽い響きだった。


「改めて申し上げますが――ノエラン・ルヴァルティエ様には、健全なカースヴェル家での養育こそが相応しい」


一拍、わざとらしく間を置く。


「……粗暴な公爵と、得体の知れぬ令嬢の元などではなく」


弁論人の視線が、ゆっくりとアナイスへと向けられる。

値踏みするような、露骨な侮蔑を帯びた眼差しだった。


アナイスは、それを真正面から受け止めた。

逸らすことなく、ただ静かに見返す。



「……健全、ねぇ」


静まり返った大法廷に、低く落ちるセルディアンの声が響いた。


その声音に、空気がわずかに軋む。


ゆらり、と動き出すその姿は、獲物を見つけた狼そのものだった。


紅い瞳には、隠しきれない怒りが滲んでいる。

その場にいる誰もが、彼の一挙手一投足から目を離せなかった。


ゆっくりと歩みを進めるセルディアン。

その姿を一瞥したカリスは、内心で小さく息を吐く。


(……彼女を侮るとは。本当に、愚かしいことだ)


その手にしていた書面が、音もなく歪む。

カリスはセルディアンに道を譲るように、一歩下がった。


「その“恐ろしい薬”を、誰が作らせたのか――お前は知っているか?」


弁論人の前に立ったセルディアンは、わざとらしいほどゆっくりとした動作で、彼のネクタイへと手を掛ける。


「そして、それを“誰が”売ったのか――知っているか?」


わずかに力を込める。

ネクタイが締まり、弁論人の呼吸を容赦なく奪う。


「……っ!」


――このまま、締め上げられる。


本能的な恐怖に、弁論人の奥歯が細かく震えた。


セルディアンが、視線だけでカリスに合図を送る。

それを受けたカリスは、ひとつ小さく咳払いをすると、何事もないかのように口を開く。


「この“レサルギア”という薬――これ以外にも複数の違法薬物が確認されていますが、いずれも“ベルベ商会”を通じて取引されていたことが判明しています」


カリスは、ベルベ商会の取引履歴と多数の証言がまとめられた書面を、陪席判事へと差し出した。


“ベルベ商会”――


その名が出た瞬間、傍聴席の一角に、明らかな動揺が走る。

何人かが、無意識のうちにカースヴェル家へと視線を向けていた。


その変化を、カリスは見逃さない。


「このベルベ商会は、カースヴェル侯爵が運営する商会の一つです」


一拍。

わずかに視線を巡らせる。


「……それを示す証拠もございますが――すでにご存知の方も、いらっしゃるようですね」


カリスは無表情のまま、手にした書面を差し出した。


それは、ベルベ商会の登記簿。

そこには、はっきりとカースヴェル侯爵の家紋印が捺されている。


受け取った陪席判事の表情が、みるみるうちに険しさを帯びていく。


それを横目で確認した主判事は、カースヴェルへ鋭い視線を送った。

それは、カースヴェルの行いを非難するものではなく――

尻尾を掴まれたことへの、苛立ちを滲ませたものだった。


「教えてくれ、弁論人」


セルディアンは、ネクタイを掴んだまま、その身体を引き寄せるように力を込めた。


「お前はまだ、カースヴェルが“健全”だと言うのか?」


間近に迫る、狼の圧倒的威圧。


弁論人は動かない首の代わりに、必死に視線だけを彷徨わせた。

それを確認したセルディアンは、ふっとネクタイから手を離す。


支えを失った弁論人は、その場に尻もちをついた。


「ゲホッ、ゲホッ……!」


咽る声に、陪席判事がはっと顔を上げる。

そして、すぐさまセルディアンへと視線を向けた。


「……ルヴァルティエ公爵。手荒な行為はお控えください。これ以上続くようであれば、退廷を命じます」


その苦言にも、セルディアンは意に介した様子もなく、肩をすくめる。


「悪いな。――愛しい婚約者が侮辱されて、少し頭に血が上った」


そう言って、セルディアンは踵を返す。

そして被告席へ戻ると、隣に座るアナイスの肩を引き寄せるように抱いた。


「……ありがとうございます、公爵様」


アナイスの小さな囁きに、セルディアンはわずかに目元を緩めた。



「よろしいですかな?」


それまで沈黙を保っていたカースヴェルが、静かに口を開く。


「……確かに、ベルベ商会は我がカースヴェル家が保有する商会の一つではありますが――私は多くの商会を抱えておりましてね。細かな運営は、すべて下の者に任せております」


取り繕うように、カースヴェル侯爵は笑みを浮かべた。


「まさかベルベ商会が、そのような恐ろしいことに手を染めていようとは、夢にも思いませんでした。……いやはや、どうやら私は騙されていたようですな」


まるで己こそ被害者であるかのように言葉を並べる。

その姿に、セルディアンは小さく舌打ちした。


「……よく回る口だな」


その一言とともに視線を送ると、カリスは静かに頷いた。


「……“レサルギア”をはじめとする違法薬物の製造に関与した医師も、すでに拘束しております」


カリスはゆっくりと歩み出る。


そして、裁判が始まってから初めて――主判事の前へと立った。


差し出された書面を、主判事はほとんど奪うようにして受け取る。


そこに記された医師の名を目にした、その瞬間――


「……この医師は……」


静まり返った大法廷に、主判事の呟きが落ちた。


その反応に、カリスの口元がわずかに歪む。


それを見た主判事は、はっとして口元を押さえた。

一瞬遅れて、自らの失言に気付いたかのように眉が歪む。



裁判が始まってから、ルヴァルティエ側があえて主判事を無視し続けていた理由。


それは、この男の“隙”を引き出すため。


権力を笠に、思い通りに事を運んできた男。

その自尊心は、意図的に軽んじられることで削られていく。


積み重なった苛立ちは、やがて判断を鈍らせる。


そして今――本来ならば決して反応してはならない場面で、思わず口を開かせた。


「……主判事?」


陪席判事の訝しげな声が響く。

見渡せば、傍聴席の人々もまた、不審げな視線を主判事へと向けていた。


皇室と繋がりの深い元老院の一員である男が、違法薬物に関与した人物の名に反応を示した。


それだけで――

皇室と、その医師との間に何らかの関係があるのではないか。

そんな疑念を抱かせるには、十分だった。


(本当に、ジュリアスはいい人選をしたな)


その様子を愉しげに眺めながら、セルディアンは心中で本日二度目となる賛辞をジュリアスへ送ったのだった。



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