7話
アナイスは太陽の眩しさに目覚めた。
少し眠気の残る彼女は、ぼんやりと天井を見上げながら呟く。
「こんなにゆっくり眠れたのは……いつぶりかしら……」
あくびを噛み殺しながらふと窓を見ると、太陽は高く昇っており、昼の空気が漂っている。
その瞬間、はっとして跳ね起きた。
「ひ、人様のお宅でお昼まで眠りこけるなんて……!」
アナイスは顔を真っ赤にして慌てふためく。
そこへ、静かに扉が開いた。
入ってきたのはメイドのリセ。
部屋の主が目を覚ますまで、扉の前で控えていたらしい。
アナイスは申し訳なさそうに、そして少しバツが悪そうに微笑む。
「おそよう……ございます」
独特な挨拶に、リセはクスクスと笑いながら答える。
「旦那様が、『ゆっくり寝かせてやれ』と仰っていましたので、お声はかけなかったんです」
「……公爵様のお心遣いに、感謝しなくてはいけませんね」
アナイスは恥ずかしそうに俯くが、その頬にはどこか温かい色が差していた。
「さあさあ! お腹も空いていますよね? 食事の支度をしている間に、お支度のお手伝いをさせてください!」
リセの一言に、どこからともなく数人のメイドたちが現れた。
その目がギラギラと輝いて見えるのは――気のせいではない。
そこからは、嵐のような時間だった
湯浴みをし、その間に顔に色んな物を塗られ、髪には手際よく整髪油が塗り込まれる。
風呂から上がれば、メイクブラシを武器のように携えたメイドたちが彼女を取り囲み、丁寧に化粧を施していく。
やがて、彼女に一着のワンピースが差し出される。
それは派手すぎず、しかし決して地味ではない。
春の花のような、淡い薄紅色の布地だった。
アナイスはワンピースに袖を通すと、その着心地に思わず目を見張った。
――ぴたりと、自分の体に合っている。
しかも、裁縫の細部にまで気が配られており、流行のデザインでもある。
どうやら、わざわざ自分のために用意されたものらしい。
客室の主が目を覚ますまで静かに控えるメイドといい、服の用意の早さといい――
ルヴァルティエ家の人々は、なんと優秀なのだろう。
アナイスは内心で感心しながら、そっとスカートの裾を整えた。
支度を終えたアナイスを見て、メイドたちはそれぞれに反応を示した。
ほうっと見惚れる者。ひと仕事を終えた誇らしげな者。
その様子に戸惑っていると、背後から穏やかな声がした。
「皆、この時を楽しみに待っていたんですよ」
振り返ると、そこには優しい表情をした年配のメイドが一人立っていた。
年配のメイドは礼儀正しくお辞儀をして挨拶をする。
「はじめまして、アナイスお嬢様。私はルヴァルティエ家でメイド長をしております、エーナと申します」
アナイスはにこやかに微笑む。
「エーナ、はじめまして。アナイス・セリオンと申します」
使用人の自分に対しても礼儀をもって挨拶をするアナイスの姿に、エーナは笑みを深くした。
「ルヴァルティエ家には長く女主人がおりませんでしたので、皆、燻ぶっておりました」
その言葉に、周りの若いメイドたちは「うんうん」と頷く。
そしてエーナは、茶目っ気たっぷりに言った。
「まさか、旦那様にお化粧をするわけにはいきませんからね」
その冗談に、アナイスの脳裏に化粧をしてドレスを着たセルディアンの姿が浮かび――思わず吹き出す。
「ふふっ……笑っては、公爵様に失礼かしら」
アナイスの笑い声につられ、部屋に集まるメイドたちも花を咲かせたように笑うのだった。
………
アナイスの支度が終わると、それを待っていたかのようにブランチが運ばれてきた。
焼き立てのクロワッサンに彩り豊かなサラダ、具沢山のスープ、そして新鮮な果物。
香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。
先ほどまで賑やかだったメイドたちはそっと退室し、部屋にはアナイスとリセだけが残った。
リセはお茶の準備をしながら声をかける。
「さあ! お嬢様、お召し上がりください! 久々のお客様に、シェフが腕によりをかけたんですよ!」
アナイスは穏やかに笑い、「とっても美味しそう」と言いながら静かに目を伏せて食前の感謝を祈る。
その姿はまるで女神のようで、リセは息をのむ。
(こんなに美しい人、見たことないわ……)
短い祈りを終えたアナイスはスープを一口含み、思わず目を見開いた。
「美味しい……」
その一言に、リセはまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑った。
「シェフのロレンツォさんは、皇宮で腕を磨いたあと、ルヴァルティエ家に招かれた方なんですよ!」
アナイスは微笑んで頷く。
「ふふ、本当にルヴァルティエ家には優秀な方がたくさんいるのね。」
リセは元気よく答える。
「そうなんです! 私も見習わなきゃ!」
するとアナイスは優しく言った。
「あら、あなたも優秀な人のひとりよ?」
その言葉にリセの顔が真っ赤になる。
「ア、アナイスお嬢様〜!」
下っ端の彼女は、日々先輩たちに必死でついていく毎日だった。
そんな自分を励ますアナイスの言葉に、胸の奥から力が湧く。
「お嬢様! 私、もっともっと頑張ります!!」
アナイスは微笑みながらその様子を見守り、温かい気持ちで食事を続けた。
食後、アナイスはリセに声をかける。
「ペンと、何か書けるものはあるかしら?」
リセは首を傾げながらも引き出しを開け、ガラスペンと小さなメモ帳を持ってきた。
「こちらにございます」
アナイスはにこりと微笑み、「ありがとう」と礼を言う。
そしてペンにインクを浸し、さらさらと美しい筆致で文字を走らせた。
――『美味しい食事をありがとう。特にサラダのドレッシングが気に入りました』
紙に流れるその文字に、リセは思わず見惚れる。
アナイスはメモを丁寧に折り、食器を載せた盆の上にそっと置いた。
「ふふ、どうしても伝えたくて。」
リセは感激して言う。
「きっとロレンツォさん、泣いて喜びますよ!」
そんな会話をしていると、執事バルナールが控えめにノックをして声をかけた。
「アナイスお嬢様。お食事が終わりましたら、旦那様の執務室へお越しください。」
アナイスはすっと背筋を伸ばし、凛とした声で答えた。
「分かりました。伺います。」
その横顔には、昨夜までの不安の影はもうなかった。
窓の外では、雪解けの光が柔らかく庭を照らしていた。




