77話
「静粛に……!」
大法廷内のざわめきを収めるように、主判事は木槌を叩いた。
何度目かの音で、ようやく辺りは静まり返る。
「……ルヴァルティエ公爵、何か反論はあるかね?」
主判事の声に、アナイスはセルディアンを見上げた。
その視線に、セルディアンは静かに頷く。
「判事様、私が発言してもよろしいでしょうか?」
「……許可しよう」
主判事の言葉を受け、アナイスは穏やかな笑みを崩さぬまま立ち上がった。
「まず、一つ訂正させてください。
両親の死後、遠縁を名乗るドーラ男爵家が我が家にやって来ました。ですが、彼らが正式に私の“親”となった事実はありません」
背筋を伸ばし、堂々と語るアナイスの姿を前に、
“精神を病んだ令嬢”などと思う者は、この場には一人もいなかった。
「ですので――血の繋がりのない親のもとで生きる辛さを知っているか、と問われても私には分かりません……ですが」
アナイスの視線が、まっすぐカースヴェル侯爵へ向けられる。
「悪意ある者のもとで生きる辛さなら、よく知っています」
脳裏に浮かんだのは、薬の離脱症状に苦しんでいたミランダ・フォンテ男爵令嬢の姿だった。
アナイスの眼差しには、人の命を、尊厳を踏みにじるカースヴェルに対する侮蔑の色が滲んでいる。
気持ちを落ち着けるように、ひとつ息を吐くと、アナイスは眉を下げた。
「……我が家にやって来たドーラ家は、私を屋敷の外の納屋へ追いやり、一日中働かせました。
そして、セリオン家の財産を使い込み、領地民から“税”と称して金を搾取しています。
……セリオン領の現状は、皆さんもご存知でしょう?」
アナイスが傍聴席へ問いかけると、そこに居並ぶ者たちは一様に眉を寄せ、静かに頷いた。
「そして彼らは、私に……薬を盛る計画まで立てていました。
それを知った私は、命からがら屋敷を逃げ出したのです」
“薬”という不穏な言葉が口にされた瞬間、傍聴席から息を呑む音が漏れる。
その反応に、アナイスはわずかに口元を緩めた。
周囲には気付かれないほどの、ほんの小さな変化。
だが――セルディアンは、それを見逃さなかった。
(……まったく、面白い令嬢だ)
今、目の前に立つアナイスは、いつもの凛とした力強さを潜め、触れれば壊れてしまいそうなほど儚く見える。
そんな、か弱き令嬢の口から語られるドーラ家の悪行。
そして、“薬”という不穏な言葉。
聴衆は皆、アナイスへ同情の眼差しを向けていた。
――アナイスの思惑通りに。
この後に明かされる事実が、より強い衝撃となるようにするための布石。
セルディアンの愉しげな視線に気付いたアナイスは、ほんのわずかに目元を緩める。
それは、セルディアンの予想が的中していたことの証だった。
「判事様、こちらをご覧ください」
アナイスは開廷前に、ウィルより預けられた書面を差し出す。
手を伸ばした主判事をあえて無視し、陪席判事へと手渡した。
主判事の鋭い視線を受けても、アナイスは微動だにしない。
「これは、ドーラ家が入手した“薬”の詳細です」
「レサルギア……?」
陪席判事が書面に記された薬の名を読み上げる。
聞き慣れない名に、その場にいる皆が怪訝そうに首を傾げた。
――カースヴェル家の者たちを除いて。
「初めて聞く名ですが……これは?」
もう一人の若い法官が、書面を覗き込みながら疑問を口にする。
それに応えるようにカリスが立ち上がるのを確認すると、アナイスは静かに一礼し、被告席へと戻っていく。
「梟は、見せ方もお上手だったんですね」
すれ違いざま、カリスはアナイスにだけ聞こえる声で囁く。
中央へ向かって歩いていくカリスの口元には、愉しげな笑みが浮かんでいた。
それを見たアナイスは、優秀な補佐官に褒められたような気がして、胸の奥がほんのりと温かくなるのだった。




