72話
セルディアンは黒いタイを静かに締めると、窓の外へ目を向けた。
降り積もった雪が、朝日を弾いて白く輝いている。
狩猟大会から程なくして、ジュリアスから一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは一言だけ。
『幸運を』
それだけで、ジュリアスの意図は十分に読み取れる。
頼んでいた“手回し”が行われたのだろう。
セルディアンはこれから起こることに思いを馳せると、にやりと口元を引き上げた。
その時、部屋の扉を叩く音が響き、カリスが姿を現した。
「公爵様、馬車の準備が整いました」
「ああ」
セルディアンは短く応えると、カリスの肩をとん、と叩いた。
「ご苦労だったな」
カースヴェルの悪行を調べる間、裁判までの時間稼ぎに尽力したカリスを労う。
カリスは僅かに目を見開くと、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「やめてください。公爵様に労われるなんて……槍が降ります」
「言ってろ」
言葉の応酬にセルディアンは笑うと、カリスと共に部屋を後にした。
部屋を出ると、ノエランの姿があった。
その瞳はどこか心配げに揺れている。
ノエランに詳しい話はしていない。
けれど、聡明なノエランは屋敷内に漂う緊張感を感じ取り、なんとなく事情を察していた。
「あの……お父様……」
ノエランが小さく呟くと、セルディアンはカリスに視線を送る。
カリスは頷くと、一礼してその場を離れた。
セルディアンは膝をつき、ノエランと視線を合わせる。
「ノエラン」
「……はい」
ノエランは返事をすると、そのまま俯いた。
二人の間に流れる沈黙。
そのわずかな気まずささえ、今ではどこか懐かしく感じられ、セルディアンは小さく笑った。
そっとノエランの頭を撫でる。
「ノエラン。……お前はどうしたい?」
今まで、ノエランの意思を確認したことはなかった。
カースヴェルへ行くことも、ルヴァルティエでセルディアンのもとに居ることも。
優しく問いかけると、ノエランは勢いよく顔を上げた。
「ぼ、僕は……お父様と一緒に居たいです!」
その目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
以前よりずっと親子としての関わりが増えた今。
それでもノエランは、不安を完全に拭い去ることができなかったのかもしれない。
(もっと早く聞いてやればよかったな)
セルディアンは内心で苦笑すると、ノエランをそっと抱きしめた。
どこか不器用な手つき。
けれど、ノエランにとっては何よりも温かいものだった。
「ああ、一緒にいよう」
「……はい」
力強く答えるセルディアンに返事をするノエランの声には、安堵の色が含まれていた。
ノエランと共に階段を降りると、そこにはアナイスの姿があった。
手を繋ぐ二人の姿を見て、アナイスは柔らかく微笑む。
「おはようございます。公爵様、ノエラン様」
「ああ」
「おはようございます! アナイス様!」
ノエランはアナイスの前まで来ると、少し照れたように視線を彷徨わせた。
その様子に首を傾げていると、ノエランはアナイスを見上げた。
「あの……アナイス様」
「はい、なんでしょう?」
優しく問いかけると、ノエランはそっとセルディアンの手を離し、両手を広げた。
「……ぎゅーって、してくれますか?」
「……!」
少し頬を赤らめ、はにかむノエランの愛くるしい姿に、アナイスは一瞬動きを止める。
そして膝を折ると、ノエランを優しく抱きしめた。
「もちろんです」
抱きしめる腕に力を込めると、ノエランは嬉しそうに頬を擦り寄せた。
手を振るノエランに見送られ、セルディアンとアナイスは馬車に乗り込む。
アナイスが窓越しに手を振り返すと、ノエランはにこにこと笑顔を浮かべていた。
「……君のおかげだな」
「え?」
呟きにアナイスが視線を向けると、セルディアンは温かな眼差しでノエランを見ていた。
そして、小さく手を挙げる。
その様子に、アナイスは笑みを浮かべた。
「公爵様とノエラン様のお気持ちが通じ合って、良かったです」
「……ああ」
応えるセルディアンの声は柔らかい。
アナイスは自身の手を握りしめた。
これから巻き起こるであろう戦い。
万が一にも、カースヴェルの手にノエランが渡るようなことになったら――
そう考えると、胸の奥に緊張が走った。
その様子に気付いたセルディアンは、不敵に微笑む。
「心配するな。ルヴァルティエは“宇宙一”だからな」
「…そうでしたね」
アナイスはそっと手の力を抜き、微笑んだ。
セルディアンがいれば、すべてが上手くいく。
そんな気がした。
二人を乗せた馬車が、ゆっくりと動き出す。
向かう先は、帝国裁判所。
――今日、カースヴェル家を潰す。




