68話
ジュリアスはセルディアンに視線を送ると、一つ瞬きをした。
それに応えるように、セルディアンは軽く頷く。
そしてアナイスの傍から離れると、ランスへ声をかけた。
「令嬢と先に戻っていてくれ」
「かしこまりました」
ランスは頷くと、アナイスへ向き直る。
「アナイス様、馬車に戻りましょう」
「はい。…ジュリアス皇子、お会いできて良かったです」
アナイスが笑顔でそう告げると、ジュリアスは穏やかに微笑んだ。
「うん、また会おう」
軽く手を挙げるその仕草に一礼し、アナイスはランスと共にその場を離れる。
やがて二人の後ろ姿が見えなくなると、セルディアンはゆっくりとジュリアスへ視線を戻した。
「セリオン侯爵令息のことか?」
鋭い眼差しで問うと、ジュリアスは静かに頷く。
「十五年前の渡航記録を確認した。だが、ソラリス家の名は無かったんだ」
「偽造か?」
セルディアンは意図を探るようにさらに目を細める。
しかしジュリアスは、首を横に振った。
「“無かった”んだよ。…十五年前の記録が、丸ごとね。」
「誰かが持ち去ったか…。」
セルディアンは思案するように顎へ指先を添えた。
「最初は、ソラリス家を追う誰かの仕業かと思ったんだけど…」
ジュリアスが言うと、セルディアンはその先を引き取る。
「むしろ、追わせたくない誰かの仕業だな」
ジュリアスは静かに頷いた。
「皇族なら、渡航記録くらいはいつでも見られるからね。」
「だからこそ、隠した……か」
セルディアンの脳裏に、一人の人物が浮かぶ。
――先代ルヴァルティエ公爵。
アナイスは本来、ルヴァルティエ家に預けられる予定だった。
以前バルナールから聞いた話によれば、先代公爵とソラリス侯爵は旧友の間柄だという。
友の家族を守るために動いたとしても、不思議ではない。
そしてルヴァルティエ家は、古くから監査として帝国民の出入国管理に関わってきた家門。
記録を持ち出すことなど、決して難しいことではない。
思考を終えると、セルディアンはジュリアスへ視線を戻した。
そして、にやりと口元を吊り上げる。
「で? 優秀な皇子様が、“無かった”で終わるわけないよな?」
「君って奴は……」
挑むような視線に、ジュリアスは肩を竦める。
呆れたように笑いながらも、懐へ手を入れた。
取り出したのは、一枚の紙片。
それをセルディアンへ差し出す。
受け取ったセルディアンは、鋭い視線で素早く目を走らせた。
「……これはこれは」
内容を確認した瞬間、愉しげに口元が歪む。
紙に短く記されていたのは、ある国の名。
――アストラ連邦。
複数の国と州が結びついて成立した国家連合。
それぞれが強い自治権を持つため、内部事情を詳しく探ることは容易ではない。
そして何より――
アストラ連邦とインペリオス帝国は、長きにわたり緊張関係を保ってきた国同士だった。
それゆえ、帝国の人間が容易に手を出すことはできない。
ましてや、皇族の人間であれば尚更だ。
――しかし
「君は例外のようだな」
セルディアンが言うと、ジュリアスは肩を竦める。
「いがみ合っているのは、どっちの国も頭の固い爺共さ」
皇子らしからぬ口調でぼやくジュリアスに、セルディアンは意味深長な視線を送る。
「君の父上に、君の有能さを気付いてほしいものだ」
その言葉に、ジュリアスは諦めたような乾いた笑みを浮かべる。
「気付いたところで、変われないさ」
ジュリアスの父――皇帝は、すでにこの世を去った前皇后の息子であるジュリアスを快く思っていない元老院や、現皇后の言葉に従うばかりの男だった。
見栄っ張りではあるが、気が弱い。
周囲の意見をはねのけてまで、ジュリアスに玉座を譲るとは到底思えなかった。
「“手遅れ”にならなければ、変わらない……か」
セルディアンはそう呟くと、“手遅れ”という言葉に合わせるように、親指で首を切る仕草をしてみせた。
それが意味するものは――
反逆。
「あまり血を流したくはないんだけどね」
ジュリアスは、わずかに悲しげな目を細めた。
その言葉に、セルディアンは彼の肩へ手を置く。
「心配するな」
そして、にやりと口元を歪めた。
「血を浴びるのは、狼の仕事だ」
その瞳は鋭く、自信に満ちて光っていた。
「頼もしいけど、そんなこと言っていいの? 君にも守るものができただろう?」
先ほど会った令嬢――アナイス。
彼女を前にしたセルディアンは、ジュリアスが今まで見たことのない姿を見せていた。
冷酷無慈悲と噂される男とは思えないほど柔らかな視線。
人を斬ることに迷いのないその手で、優しくアナイスに触れていた。
その様子から、セルディアンの想いは十分に伺い知れる。
ジュリアスは楽しげに目を細めた。
まるで誂うような視線に、セルディアンは居心地悪そうに咳払いをする。
「……ただの契約だ」
「契約、ねえ」
ジュリアスが探るような視線を送ると、セルディアンはわずかに目を逸らした。
いつも自信に満ち溢れている男の、珍しい反応。
それが可笑しくて、ジュリアスは声を上げて笑った。
「とやかく言うつもりはないけど……手放せるの?」
「……」
セルディアンの脳裏に、いろいろな表情を見せるアナイスの姿が浮かぶ。
彼女を、手放す。
そう考えただけで、胸の奥がちくりと痛んだ。
その痛みの理由に意識を向けようとしたーーその時。
森の奥から、空気を切り裂くような銃声が響いた。
空気が震え、木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
銃声がしたのは、アナイスとランスが向かった方角だった。
そう気付いた瞬間、セルディアンはクラヴィスへと飛び乗る。
一瞬だけジュリアスへ視線を向けると、いつの間に現れたのか護衛たちに囲まれたジュリアスが小さく頷いた。
それを合図に、セルディアンはクラヴィスへ駆け出すよう命じる。
クラヴィスは短く鼻を鳴らすと、
蹄で雪を蹴り上げ、舞い上がる粉雪を纏いながら
白銀の森を一気に駆け出したのだった。




