62話
皇族の到着を告げるラッパの音を受け、アナイスとセルディアンは森を抜け、開けた場所へと姿を現した。
集まった貴族たちへ視線を走らせるが、カースヴェル家やドーラ家の姿は見当たらない。
やがて、列をなして進んできた皇族の馬車がゆっくりと動きを止める。
ざわめいていた貴族たちは一斉に静まり、順に頭を垂れた。
アナイスとセルディアンもまた姿勢を低くする。
だが、その礼は他の貴族より浅い。
頭一つ分、高い位置。
それは皇族に敬意は払うが、無条件の忠誠を誓うわけではないという意思表示。
国民に忠誠を誓うセリオン家も、皇室に懐疑的なルヴァルティエ家も――建国以来、その姿勢を崩したことはなかった。
やがて馬車の扉が開く。
ゆっくりと地に降り立った皇帝は、二人の姿を認めた瞬間、わずかに目元を歪めた。
忌々しさを隠そうともしない表情。
その隣に立つ皇后は、そっと皇帝の腕に触れる。
扇子で口元を隠しながら、目元だけで柔らかく微笑んだ。
皇帝と皇后に続き、皇子たち、そして皇族の諸侯らが次々と降り立つ。
一通り揃ったところで、皇帝は居並ぶ貴族たちへ視線を巡らせた。
「……皆の者、面を上げよ」
低く、重い声が響く。
その言葉に従い、貴族たちはゆっくりと顔を上げた。
だが、その動きは揃わない。
迷いなく視線を向ける者。
わずかに遅れる者。
躊躇いを滲ませる者。
その微妙な差異こそが、今この場に立つ貴族たちの“忠誠の向き”を雄弁に物語っていた。
その様子に、皇帝は小さく舌打ちをする。
そのわずかな仕草さえ、遠目に見つめていたアナイスの目にはっきりと映った。
どうやらこの皇帝は、腹の内を隠すのがあまり得意ではないらしい。
そっと隣のセルディアンへ視線を向ける。
彼はといえば――
まるで面白い見世物でも眺めているかのように、薄く笑っていた。
(……こちらは、隠す気もないみたい)
胸の内で小さく苦笑する。
それでも、唇に浮かべた微笑は崩さない。
やがて皇帝から、狩猟場となったルヴァルティエ領への形ばかりの謝意が述べられる。
声音は整っているが、そこに誠意は感じられない。
短い挨拶が終わり、狩猟大会の開始が宣言されると、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
貴族たちはざわめきを取り戻し、それぞれ馬を引いて森へと散っていく。
アナイスがセルディアンと共に森へ足を踏み入れると、ランスが一頭の黒馬を引いて現れた。
堂々とした体躯を持つ、巨大な黒馬。
「美しい子ですね……」
思わず呟き、アナイスはそっと歩み寄る。
見上げるほどの巨躯。
艶やかな黒いたてがみは陽光を受け、静かに輝いていた。
馬はアナイスの気配を確かめるように鼻を鳴らし、ゆっくりと頭を下げる。
驚かせぬよう指先でそっと撫でると、黒馬は甘えるように頬を寄せてきた。
まるで、初めから心を許していたかのように。
「ふふ……可愛い。この子の名前は、何というのですか?」
撫でながら問いかけると、セルディアンはわずかに複雑な表情を浮かべた。
「……クラヴィスだ」
短い返答。
「クラヴィス。よろしくね」
名を呼ばれた黒馬は、さらに嬉しそうにアナイスへ頭を擦り寄せる。
その様子に、セルディアンは小さく肩を竦めた。
「馬まで手懐けるのが早いのか」
低い呟き。
背後で控えていたランスは、口元を引きつらせながら苦笑する。
公爵の愛馬が、これほど素直に懐く姿など滅多に見られるものではないのだから。




