バレンタイン番外編
本編とは繋がりのない、バレンタイン特別編です(*^^*)
「アナイス様、これをどうぞ!」
雪がはらはらと舞い散る、寒い冬の日。
ノエランは、両手いっぱいに乗せたチョコレートを差し出した。
「まあ、美味しそうですね」
アナイスが微笑んで受け取ると、ノエランは満足そうに顔をほころばせた。
「今日は大切な人に、『ありがとう』を伝える日なんだそうです!」
どこか自慢げに話すノエランの様子に、アナイスは思わずくすくすと笑い声を漏らす。
「ノエラン様、よくご存じですね」
そう言われると、ノエランは少し照れたように視線を泳がせ、そっと背伸びをした。
アナイスが視線を合わせるように屈み込むと、彼は内緒話をするように耳元で囁いた。
「アナイス様……お家に来てくれて、ありがとうございます」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
アナイスは慈しむように微笑み返した。
「こちらこそありがとうございます、ノエラン様」
二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑い合った。
部屋に戻ったアナイスは、もらったチョコレートを一粒口に含んだ。
広がる甘さに、自然と頬が緩む。
(大切な人に、ありがとうを伝える日……)
ノエランの言葉を思い出すと、脳裏には自然とセルディアンの姿が浮かんだ。
アナイスは躊躇うように視線を彷徨わせた後、窓を拭いていたリセに遠慮がちに声をかけた。
「リセ、あのね――」
事情を聞いたリセは、ぱっと表情を輝かせると「お任せください!」と元気よく返事をして、部屋を飛び出していったのだった。
その日の夜。
アナイスは、リボンが掛けられた小箱を手に、セルディアンの部屋の前に立っていた。
相談を受けたリセは、一度部屋を飛び出した後、すぐに戻ってきてアナイスを厨房へ連れて行った。
そこには、満面の笑みで待ち構える公爵家料理長、ロレンツォの姿。
ロレンツォの指導のもと、アナイスのチョコレートケーキ作りが始まった。
慣れない作業に悪戦苦闘しながらも、なんとか焼き上げたものの……。
アナイスは、手元の箱に視線を落とした。
この中に収まっている“物体”――。
やはり、セルディアンに渡すのはやめるべきではないか。
そう思い、アナイスが踵を返そうとした、その時。
ガチャリ、と音を立てて扉が開いた。
そこには、少し呆れたような顔をしたセルディアンが立っていた。
アナイスは反射的に、箱を後ろ手に隠す。
「いつまでそこに突っ立っているんだ」
「……私が来たと、分かったんですか?」
驚いて問いかけると、セルディアンは自慢げに自分の耳を指さした。
「狼は耳がいいんだ」
彼はそう言って扉を大きく開く。
「ほら」
セルディアンの表情は、どこか柔らかかった。
その体温に背中を押されるようにして、アナイスは静かに室内へと足を踏み入れた。
「あの……その……」
部屋に入ったものの、肝心の箱を渡す勇気が出ない。
もじもじと視線を彷徨わせる彼女に、セルディアンが怪訝な眼差しを向ける。
「なんだ。珍しく歯切れが悪いな」
そろりと顔を上げれば、真っ直ぐな視線がぶつかった。
アナイスは意を決して小さく息を吸い込むと、後ろに隠していた箱を勢いよく差し出す。
「あ、あの! いつも、ありがとうございます!」
その勢いに気圧されたように、セルディアンが目を丸くした。
「これは?」
「えっと……感謝の気持ちを込めたの……ですが……」
自信のなさから、アナイスの声は次第に小さくなっていく。
セルディアンは、そっと差し出された箱を受け取った。
無言のまま、彼が丁寧にリボンを解いていく。
アナイスは緊張のあまり鼓動が早鐘のように打ち鳴らされ、思わずぎゅっと目を瞑った。
「……」
箱が開けられる。
そこには、お世辞にも形が良いとは言えない、不格好なチョコレートケーキが収まっていた。
店で売られているものでも、ましてや料理長が作ったものでもないことは明白だ。
セルディアンの視線が、アナイスへと向けられる。
顔を真っ赤に染め、俯いたまま震えている彼女の姿。
「……君が作ったのか?」
声をかけると、彼女の肩がびくりと跳ねた。
そして、消え入るような動作で小さく頷く。
「……」
再び沈黙が流れる。
不安に耐えきれなくなったアナイスは、勢いよく顔を上げた。
「こ、こんな不格好なケーキ、公爵様にお渡しするには失礼でしたよね!」
セルディアンの手から箱を奪い返そうとするが、彼はそれを避けるように高く掲げた。
アナイスがいくら背伸びをしても届かない。
「俺のために、作ったんだろう?」
「……そうです、けど……」
俯いて認めると、頭上から微かな笑い声が降ってきた。
アナイスが顔を上げると、セルディアンはスタスタとソファへ向かい、腰を下ろした。
彼女も戸惑いながら、その隣にそっと座る。
セルディアンはまじまじと箱の中を見つめると、おもむろにケーキをひと口分千切り、そのまま口に放り込んだ。
その様子を、アナイスは息を呑んで見守る。
セルディアンは味わうようにゆっくりと咀嚼し、再びアナイスを見た。
「……悪くない」
口元をわずかに上げる。
その眼差しは、ひどく優しくて。
アナイスの胸が、きゅっと締めつけられる。
セルディアンは、もう一口。
まるで大切なものを確かめるように。
その姿から、アナイスは目を離せなかった。




