54話
「それで?」
セルディアンの低い声に促され、男爵は迷うように視線を彷徨わせた。
やがて観念したようにポケットから小袋を取り出し、静かにテーブルの上へ置く。
「……レサルギア……」
思わず零れたアナイスの呟きに、男爵は深く項垂れ、夫人は堪えきれぬようにすすり泣き始めた。
「聞かせてもらおうか?」
セルディアンは身を乗り出し、小袋――レサルギアを指先で軽く弾く。
それを合図にしたかのように、男爵はぽつり、ぽつりと語り始めた。
二年前。
娘の生活態度に頭を悩ませていた男爵のもとへ、医者を名乗る謎の男が現れたこと。
そして――その後、変わり果てた姿となったミランダ嬢の現在に至るまで。
その内容は、ウィルがもたらした報告書と寸分違わぬものだった。
話を聞き終えたアナイスは、胸に引っかかっていた疑問を口にする。
「いくら困っていたとしても……得体の知れない薬に、疑問は感じなかったんですか?」
「そ、それは……」
男爵夫妻は視線を彷徨わせ、口籠ると、そのまま沈黙した。
その様子を見て、セルディアンは鼻で笑う。
「大方、“信頼”できる人物の口添えでもあったんだろう?」
「……」
沈黙は、何より雄弁な肯定だった。
――恐らく、その人物はカースヴェル。
アナイスは、そう確信する。
「その方の名を……告発してください」
真っ直ぐに見据えるアナイスの視線から、夫妻は逃げるように震えるばかりで、顔を上げることすらしなかった。
それほどまでに、カースヴェルの名は恐ろしいのか。
アナイスは、ぎゅっと両手を握りしめた。
セルディアンは一瞬だけアナイスに視線を送ると、立ち上がる。
「言いたくないなら、それで構わない。これが手に入った以上、潰す手はいくらでもある」
そう言って、レサルギアの小袋を掴み、懐へ仕舞い込む。
その瞬間だった。
「や、やめてください!!」
男爵が転げるように床に膝をつき、セルディアンの足元に縋り付いた。
「その薬が……その薬がなくなれば……!!!」
「はっ」
セルディアンは冷ややかに笑い、再び小袋を取り出すと、見せつけるように揺らした。
「やはりな。お前たちの“恐れ”は、これか」
男爵夫妻の視線は、小袋の動きに合わせるように、必死に揺れている。
アナイスは理解できずセルディアンを見ると、彼は軽蔑を隠しもせず、鼻で笑った。
「君も見ただろう。薬が切れた令嬢の姿を」
――薬を求め、暴れ回るミランダ嬢。
――そして、与えた途端に大人しくなった姿。
「……まさか」
辿り着いた考えに、アナイスは信じられない思いで、夫妻へと視線を移す。
「あなた達の“恐れ”は……薬が手に入らなくなること?」
薬がなければ、娘を抑えられない。
それは、カースヴェルの名を口にする恐怖よりも、なお大きい。
だが――
薬を与え続ければ、ミランダ嬢は確実に……。
理解できない。
アナイスの視界が、ぐらりと揺れた。
「……貴方達は、自分達の手で……我が子を殺すつもりですか?」
「なんてことを言うの!!」
夫人が悲鳴のように叫び、必死に首を振る。
「私たちが……そんな恐ろしいこと、そんな……!」
すすり泣きながら男爵に縋り付く夫人。
だが、男爵は項垂れたまま、何一つ言葉を発しなかった。
その二人を見下ろすセルディアンは、胸元から小切手を取り出すと迷いなく数字を書き込む。
それを、床に伏す夫妻の前へ放り投げた。
「国を出ろ。まともな医者に診せれば……今より悪くなることはないだろう」
そう言い残し、セルディアンは呆然と立ち尽くすアナイスの肩を抱いた。
そのまま踵を返し、迷いなく部屋を後にする。
セルディアンが、再び夫妻へと視線を向けることはなかった。




