51話
「――蛇の尻尾だ」
ウィルはそう言うと、数枚の紙を差し出した。
ルチェを介して手紙を送ってから、さほど時間を置かずに、ウィルはルヴァルティエ邸を訪れた。
普段はどこか締まりのない、へらへらとした表情を浮かべていることの多い彼が、珍しく真剣な顔をしている。
その様子に、只事ではないとアナイスは自然と背筋を伸ばした。
だが、書面に目を通した瞬間――
想像していた以上の内容に、彼女の表情はみるみる険しくなる。
「……なんてこと……」
呟くように漏れた言葉とともに、アナイスは隣に座るセルディアンへ視線を送った。
彼もまた、同じように眉を寄せ、沈痛な面持ちで書面を睨んでいる。
「はっ……」
短く息を吐き、セルディアンは吐き捨てるように言った。
「帝国の侯爵ともあろう人間が、こんなことで金儲けをしていたとはな」
その目には、はっきりとした軽蔑の色が宿っている。
セルディアンは手にしていた紙束を、まるで触れていることすら不快だと言うように、テーブルの上へ放り投げた。
乱雑に散った書面を、傍らにいたカリスが拾い上げ、中身に目を通す。
次第に、彼の表情も歪んでいった。
「……人間のすることとは、思えませんね」
静かな声だったが、その奥には明確な嫌悪が滲んでいた。
アナイスは再び、手にした書面へと視線を落とした。
それは、探し続けていたミランダ・フォンテ男爵令嬢について記された報告書。
そこには、彼女に何が起こったのかが、簡潔に記されていた。
アナイスは、最後に書かれていた文字を、無意識になぞる。
――“レサルギア”。
初めて耳にする名に、思わず首を傾げると、その様子を見ていたウィルが口を開く。
「…薬だ」
静かだが、重みのある声。
「……薬?」
「ああ」
短く頷いたウィルの表情は、より一層険しかった。
「詳しい事までは掴めなかったが……男爵令嬢の状態を見れば、碌な代物じゃないのは確かだろう」
そう言って、ウィルは顎でアナイスの手にした書面を示す。
――令嬢の状態。
報告書によれば、
ある日、フォンテ男爵が連れてきた医師から処方された“精神を落ち着ける”薬を、彼女は服用したという。
それから数日後、男爵を長年悩ませていた娘の生活は、まるで嘘のように変わった。
夜ごと外を出歩くことはなくなり、
次々と変わっていた男たちの影も消えた。
奔放だった令嬢は、落ち着いた物腰の淑女へと変わっていったのだ。
――しかし。
次第に、彼女は思うように体を動かせなくなり、
やがて、言葉すら発することができなくなった。
けれど、薬を欲する時だけは、男の力でも抑えきれないほど激しく暴れ回った。
まるで“悪魔”が取り憑いたかのように。
その様子に、手に負えなくなった男爵は、娘を教会へと託した。
娘を案ずる男爵夫人と共に。
そこまで読み返したところでアナイスは、胸の奥から込み上げるものを感じ視線を反らせた。
「それで、男爵令嬢は今どこに?」
眉根を寄せたまま問いかけるセルディアンに、ウィルは肩を竦める。
「恐らく、男爵家に戻っている。……彼女が放り込まれた教会は、もう無いからな」
「……無い?」
不穏な言葉に、アナイスが声を上げる。
ウィルは重く頷いた。
「燃やされていたよ。……跡形もなく」
「証拠の隠滅か」
セルディアンの低い呟きに、室内の空気が一層重く沈んだ。
しばしの沈黙の後、アナイスが口を開く。
「……それにしても、よくここまで突き止められたね」
その言葉に、ウィルはちらりとセルディアンへ視線を送る。
「“狼”の名は、それほど強力だってことだ」
「その名を発揮できたのは、梟の情報があってこそ、ですが」
そう付け加えたのは、カリスだった。
帝国最強と謳われる“ルヴァルティエ”の名は、
あまりに強すぎるが故に警戒され、正面から探ろうとすれば相手は口を閉ざす。
だが――
フクロウの目が集めた、断片的な情報が道筋を作れば。
獲物は、ルヴァルティエの名を前に、全てを白状するしかなくなるのだ。
追い詰める梟と、とどめを刺す狼。
その鮮烈な姿が、アナイスの脳裏に浮かんだのだった。




