42話
寒さが肌を刺す早朝。
アナイスは動きやすい装いに身を包み、公爵家の訓練場へと足を向けた。
ここ数日、セルディアンとアナイスは、フォンテ男爵令嬢の行方を追うため、それぞれの伝手を使い情報を集める日々を送っている。
夜にはセルディアンの私室で、互いに得た情報を持ち寄り、考察を重ねる。
それが、いつの間にか二人の日課となっていた。
だがアナイスは、再び失態を犯すまいと、眠気を感じると逃げるように話を切り上げ、部屋を辞するようにしている。
その背に向けられる、どこか面白くなさそうなセルディアンの視線に、彼女はまだ気付いていなかった。
そんな日々を過ごすうち、いつの間にか手の傷もすっかり癒えていた。
セルディアンとウィルが状態を確認し、今日からようやく手合わせの許可が下りたのだ。
「アナイス様」
まだ人影のまばらな訓練場に辿り着くと、ランスが声を掛けてきた。
「ランス卿、おはようございます」
微笑んで応えると、ランスは胸に手を当て、騎士の礼を取る。
その仕草に、アナイスも自然と同じように手を当て、軽く胸を叩いた。
それは、セリオン家の騎士――光馬騎士団の礼だった。
感無量とでも言いたげなランスの視線に気付き、アナイスは照れたように笑う。
「ランス卿は、カイロン卿に師事していらしたと伺いました」
「はい。剣術だけでなく、騎士とは何たるかを、すべて教えていただきました」
そう語るランスの瞳は、誇らしげに輝いている。
その姿に、アナイスは騎士という生き方の重みを感じ、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「実は幼い頃、光馬騎士団に命を救われたことがあるんです」
「まあ……」
命を救われるという出来事が、穏やかなものであるはずがない。
「私の生まれは、国境沿いの小さな村で……山賊の被害が絶えませんでした」
帝国を囲む山々は、国籍も知れぬ賊達の隠れ家となっている。
山を下りては村々を襲い、略奪を繰り返す――それを警戒するのも、帝国騎士の務めだった。
「ある日、多くの賊が村に押し寄せ、家々を、人々を……荒らし回りました」
アナイスは、言葉を挟まず、静かに耳を傾ける。
「四人の異国の男に囲まれ、ここで死ぬのだろうと、幼心に覚悟した瞬間――」
そこでランスはふと視線を上げ、眩しそうに微笑んだ。
「白く輝く騎士たちが駆け付け、一瞬で賊を蹴散らしました」
白銀の鎧に身を包み、白馬を駆る光馬騎士団。
その凛々しい姿が、アナイスの脳裏にも鮮やかに蘇る。
懐かしい顔ぶれを思い出し、胸がきゅっと締め付けられた。
「その、美しくも圧倒的な強さに憧れて……騎士を志したんです」
語るランスの瞳は、夢を語る少年のように澄んでいた。
「……たくさんの努力をされたんですね」
一目見ただけでも分かる、彼の実力。
それが天賦の才だけで得られるものではないことを、アナイスはよく知っている。
その視線に気付いたのか、ランスは照れくさそうに笑った。
「まあ、一番大変だったのは、カイロン卿に弟子入りした時ですが」
「……頑固爺さん、ですもんね」
アナイスも、幼い頃に見たカイロンの姿を思い出し、思わず微笑む。
白髪を編み込み、鋭い眼光で周囲を睨んでいた老人。
当時の侯爵家当主である祖父と、意見の相違から取っ組み合いの喧嘩をした逸話は、何度も聞かされた。
けれど――
誰も見ていないところでは、肩車をしてくれたり、籠いっぱいのお菓子を持ってきてくれたりする、アナイスにとっては優しい“おじいちゃん”でもあった。
「だから……アナイス様にお会いでき、こうしてお守りできることが、とても嬉しいんです」
少し照れたように、けれど真っ直ぐに、ランスは言った。
「ようやく、恩返しができます」
ルヴァルティエ家の騎士たちの中で、ランスだけが最初からアナイスに好意的だった理由。
それを知り、アナイスの胸は、静かに、そして確かに温かさで満たされた。




