33話
アナイスは部屋を飛び出すと、夜の静けさを切り裂くように階段を駆け上がった。
最上階にたどり着くと、扉の隙間から灯りが漏れている一室が視界に入る。
勢いそのままに扉を叩くと、ほどなくして怪訝そうな表情を浮かべたセルディアンが姿を見せた。
しかし、その目がアナイスを捉えた瞬間――彼は、明らかにぎょっと目を見開いた。
そんな反応などどこ吹く風とばかりに、アナイスは帳簿の写しを突き出しながら早口にまくしたてる。
「公爵様、思い出したんです! この時期に、ここの――」
「待て、待て」
セルディアンは額に手を当て、アナイスの言葉を遮った。
「……?」
突然止められ、アナイスはきょとんと首を傾げる。
そんな彼女に、セルディアンは深くため息をつきながら言った。
「……自分が今、どんな格好をしているのか分かっているのか?」
アナイスは反射的に自分の身体を見下ろす。
大きく開いた胸元。
膝丈のスカート。
素足に家履き。
寝る準備を終えていた為、アナイスは寝衣のままここまで来てしまった
(あっ……!)
瞬時に顔が真っ赤になる。
貴族令嬢が人前に出ていい格好では、断じてない。
セルディアンは呆れたようにひとつ息を吐くと、自分が羽織っていたガウンをそっとアナイスの肩に掛けた。
残る体温が、布越しでもはっきりと伝わってくる。
その温もりに、アナイスは自分がいかに薄着だったかを痛感し、さらに頬を熱く染めた。
「……とにかく入れ。廊下は冷える」
そう言ってセルディアンはアナイスを部屋へ招き入れた。
部屋に足を踏み入れると、セルディアンは「適当に座っていろ」とだけ言い残し、どこかへ姿を消した。
アナイスはソファに腰を下ろし、落ち着かない様子で辺りを見回す。
大きなベッド。
向かい合うように置かれたソファセットとテーブル。
初めて入るセルディアンの私室は、名門公爵家の当主の部屋にしては質素だった。
テーブルの上には、ブランデーの入ったグラスと、紙束が無造作に置かれている。
そこには、ベルベ商会の帳簿の写しもあり、乱雑ながら整った筆跡で書き込みがされていた。
(こんな時間まで……公爵様も調べていたのね)
そんな事を考えていると、セルディアンがカップを片手に部屋へ戻ってきた。
「ほら」
手渡されたカップから、やわらかな湯気が立ち上る。
甘くて優しい香り――ココアだ。
ひと口飲むと、冷えきっていた体が内側からじんわりと温まっていく。
「……美味しい」
思わず漏れた呟きに、アナイスはセルディアンをちらりと見た。
自分で淹れたのかと視線で問うが、セルディアンは肩をすくめるだけで答えない。
けれど、いつもよりちょっと甘いココアの味に、アナイスはセルディアンが淹れてくれたのだと確信したのだった。




