34話
アナイスはココアを口に含みながら、対面のセルディアンへそっと視線を向けた。
足を組み、ブランデーを軽く揺らす彼もまた、寝衣姿だ。
いつも整えられているはずの前髪は無造作に下ろされている。
少し湿っているのは、風呂上がりだからか。
こっそり観察していたつもりが、ふとした瞬間に目が合ってしまう。
(ば、バレてた……!)
アナイスは慌てて視線を逸らし、赤くなった顔を隠すようにココアのカップを持ち上げた。
そんな彼女の挙動を見て、セルディアンは喉の奥でくつりと笑った。
「……未来の花嫁は、猛禽類の様に観察したり、暴れ馬の様に突進してきたり、忙しいな」
酷い言われようだが、思い当たる節があるアナイスはカップをそろりと下ろした。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうな声に、セルディアンは再び小さく笑い、「それで?」と本題を促す。
アナイスは持ってきた帳簿の写しを手に取り、姿勢を正した。
「ここの、二年前の取引に注目してください」
セルディアンは目を落とし、書かれた内容を読み上げる。
「九月、帝都の教会に……防寒用品の納品か」
「はい」
「それが?」
「この九月より少し前、ある令嬢が社交界の話題を独占していました」
セルディアンの視線が続きを促す。
「フォンテ男爵家の末娘、ミランダ嬢です。夏に社交デビューしてからというもの、彼女を巡る浮名が絶えませんでした。婚約済みの男性とも噂になり、破談になった例もあります」
「なるほど。しかし、それと帳簿の取引がどう繋がる?」
アナイスは一度息を吸い、落ち着いた声で答えた。
「常にトラブルの中心に居た令嬢が、この9月を境に急に大人しくなったんです。」
「トラブルに懲りただけでは?」
「最初は皆そう思っていたようです。ですが――令嬢は話し方から着る服まで変わっていったんです。まるで“人が変わったかのように”」
セルディアンは顎に指を添え、小さく唸る。
「ふむ……気にはなるが、カースヴェルと結び付ける程の事とは思えないな」
「ええ。ここまで、なら」
「ほう?」
アナイスの眼差しが鋭く変わる。
獲物を見つけた猛禽類のように。
「その後、男爵家はミランダ嬢の除籍手続きをしています」
セルディアンの片眉がぴくりと動いた。
「……除籍?」
「はい。表向きは“平民と結婚して国外へ渡ったため”ですが」
「結婚で除籍とは……不自然だな」
「ええ。普通は結婚すれば自然に籍が抜けますから」
アナイスの話しを聞くセルディアンは口角を上げる。
この小さな頭のどこにこれほどの情報が詰まっているのか。
「その男爵令嬢はどの国へ?」
「それが――分からないんです」
「分からない?」
「はい。間もなく男爵夫妻は社交界へ顔を出さなくなり、令嬢の兄弟も結婚を機に家との関係を絶っています」
「……なるほど。確かに不自然だが、男爵家など追う者も少ないだろうな」
「はい。令嬢は行方が分からなくなる直前、もうトラブルを起こしていませんでした。社交界は常に“刺激的な話題”を求めますから、誰も関心を抱かなかったのでしょう」
アナイスは帳簿の問題の箇所を指でなぞった。
「そしてその後――教会との取引が途絶えています」
九月から十一月まで毎週あったはずの取引が、ある日を境に消えている。
「そして、ここ」とアナイスは紙をめくり、別の取り引きを指す。
「ここもです」
飲食店、雑貨店、さまざまな取引先。
いずれも数ヶ月取引したのち、二度と名前が出てこない。
過去五年で、同じような例が四件あった。
「……確かに、怪しいな」
「一番最近の男爵令嬢の件なら、まだ何か痕跡があるかもしれません」
アナイスが見上げると、セルディアンは短く考え込んだ後、
「……まずは、男爵令嬢の行方を探すか」
と立ち上がった。
部屋を出ていき、程なくして数冊の本のようなものを抱えて戻ってくる。
「これを」
一冊を渡されて開いたアナイスは、思わず目を丸くした。
「これは……帝国民の、渡航記録……?」
「とりあえず、二年前から現在までだ」
「な、なんでこんなものが公爵邸に? 出入国の管理は内務省の管轄では…」
渡航目的、出国先、入国者の記録。
それは、機密事項だ。
管轄外の、しかも私邸にあるはずがない。
驚くアナイスに、セルディアンは得意気に笑った。
「なんだ、ルヴァルティエ家が国防を担っている事を知らなかったのか?」
「……?!」
アナイスの驚きが、素直に顔に出る。
その反応に、セルディアンはさらに嬉しそうに目を細めた。
「フクロウにも知らないことがあるとは、実に気分がいいな」
そう言って満足げに笑うのだった




