26話
邸へ戻ったアナイスたちは、そのまま訓練場へ向かった。
そこでは、エメルダが他の騎士たちと輪になり、楽しげに笑っていた。
「アイツ……!!」
ランスは怒りに目を燃やし、今にも飛びかかりそうな勢いで足を踏み出す。
だが、それより早く――アナイスが静かに、しかし力強い足取りでエメルダへ向かって歩き出していた。
アナイスの気配に気づいたエメルダは、わざとらしく鼻で笑う。
「お嬢様〜、どこに行かれてたんですかぁ?」
街での騒ぎを知る騎士たちは、その尊大な口調に眉をひそめる。
だがエメルダ本人は、周囲の空気の変化に全く気づいていなかった。
「困るんですよねぇ。勝手にどっか行かれちゃぁ。護衛の身にも――」
ーーーバシンッ。
言葉を最後まで言い切る前に、アナイスの手がエメルダの頬を強かに打った。
ぽかんと目を見開くエメルダ。
何が起きたのか理解できていない――が、すぐに怒りに顔を歪めた。
「な、何すんの!」
ーーーバシンッ。
怒声の途中、アナイスの平手が再び飛ぶ。
鋭い音が訓練場に響き、騎士たちが思わず止めに入ろうと動く。
しかしアナイスの瞳に宿る、凍てつくような怒りを見て――誰も近づけなかった。
アナイスは無表情のまま、エメルダをまっすぐに見据える。
「あなたは、何者ですか?」
「は? 何言ってんの?」
睨み返しながらも、エメルダはその気迫に押され、一歩後ずさる。
アナイスは同じ問いを、淡々と繰り返した。
「あなたは、何者ですか?」
視線を逸らし、エメルダはしぶしぶ答える。
「……騎士、です」
「騎士であるなら、なぜ与えられた使命を全うしないのですか?」
「な、なに……わけ分かんないこと……」
エメルダの声は震え、言葉が途切れる。
アナイスは一歩踏み込み、冷えた声で告げた。
「あなたの身勝手な行動で、リセが怪我をしました」
その一言を聞いたエメルダの肩がギクリと震える。
アナイスの声が、静かに、しかし訓練場の隅々まで響いた。
「騎士とは、守るために剣を振るうのです」
そして――
「それができないのなら、あなたに騎士を名乗る資格はありません!」
凛とした叱責が訓練場を貫いた。
その場にいる誰もが息を呑み、エメルダの顔から血の気が引いていく。
「何事だ。」
静かながら響き渡る声が訓練場に落ちた。
セルディアンが姿を現し、その後ろには騎士団長ダンデが続いている。
2人の姿を見たエメルダは、怯えた表情を作り、どこか媚びるように駆け寄った。
「お、お嬢様が……いきなり、頬を……っ!」
叩かれた頬を押さえながら訴えるエメルダ。
だがダンデはその様子に眉をひそめ、ギロリと鋭い視線を向けた。
エメルダはその視線から逃げるようにセルディアンの腕に縋ろうとする。
その媚びた仕草に、周囲の騎士たちの視線は明らかに冷える。
「も、もちろん……私に何か不手際があったのだと思うのですが……」
言い終える前に、セルディアンはエメルダに一切の興味を示さぬまま無視して通り過ぎ、アナイスの側に歩み寄った。
「何があった?」
その声はいつもの冷静さの奥に、アナイスを気遣う温度が確かにあった。
アナイスはセルディアンを見ず、淡々と答えた。
しかし握る手は怒りに震えている。
「……あの騎士が、自身の役割を放棄し、その結果メイドが怪我を負いました」
「ご、誤解です!!!」
エメルダが金切り声をあげる。
「お嬢様とメイドが勝手にどこか行かれてしまったんです!探しても見つからなかったので、邸に戻ってきただけで――!」
明らかな嘘を並べ立てるエメルダに、事情を知るランスは悔しげに拳を握る。
だが、下位騎士である自分には言葉を挟む権限がない。それが歯がゆかった。
セルディアンはエメルダを振り返ることなく、アナイスにだけ問いかける。
「君はどうしたい?」
アナイスは初めてセルディアンと視線を合わせた。
その瞳には揺らぎはなく――怒りと、確固たる信念が宿っていた。
「謝罪と、騎士の資格の剥奪を」
その言葉を聞いた瞬間、エメルダが噛みつくように叫ぶ。
「こんな小娘に、そんな権利はないですよねぇ?!
騎士の何かも知らないくせに!!
臆病者のセリオンの馬ごときが!!」
――その瞬間。
アナイスは黙ってセルディアンへ手を差し出した。
「公爵様。手袋を貸していただけますか?」
セルディアンは何も言わず、自分の手袋を外し、アナイスの手のひらにそっと置いた。
アナイスはその手袋をきゅっと握りしめ、次の瞬間――
エメルダの顔めがけて叩きつけた。
「――っ!」
手袋を叩きつける。それは決闘の申し込み。
訓練場の空気が、まるで凍りついたように動きを止めた。
「け、決闘だと…?」
「ご令嬢が勝てるわけないだろ……」
「エメルダは剣の腕はいい方だ……」
周囲の騎士たちがざわめき始める。
エメルダはアナイスを見て、ニヤリといやらしく笑った。
「いいですよ。受けて立ちます」
(こんな剣もまともに握れない女に負けるわけないわ。あの澄ました顔、切り刻んでやる)
ランスが堪らず駆け寄った。
「アナイス様! 私が代わりに……!」
アナイスは微笑んだ。
それは強く、しかし優しい笑み。
「ランス卿。剣を持ってきてくださいませんか?」
その言葉には、有無を言わせぬ迫力があった。
ランスは何も言えなくなり、自分の剣を抜いて差し出す。
剣を渡しながら、ランスはちらりとセルディアンに視線を送った。
――本当に、これでよろしいのですか?
セルディアンは目だけで静かに頷く。
アナイスはそっと剣を握り、微笑んだ。
「大切な剣を貸してくれて、ありがとう」
その穏やかな笑顔が、むしろ場の緊張を強めていく。
ランスはなおも何か言いたかったが、結局声にできたのは、
「……お怪我だけは、されないでください」
それだけだった。
アナイスは剣の重みを確かめるように、数度握りなおす。
久しく忘れていた感覚――だが、手に馴染む。
視線をエメルダへ向け、剣先を静かに構える。
「騎士団長様。審判をお願いいたします」
訓練場に、静けさが満ちた。




