25話
「アナイス様、本日もたくさんのお手紙が届いておりますよ」
リセが、両腕いっぱいに手紙の山を抱えて部屋に入ってきた。
籠の中には色とりどりの封筒がぎっしり詰まっている。
アナイスは、その量を見ただけで思わず肩を落とした。
「……今日もこんなに」
宣誓式を終えてからというもの、アナイス宛ての手紙は雪のように届くようになった。
舞踏会への招待状、茶会の誘い、祝いの言葉、探りを入れるような書状――種類はさまざまだ。
最近では、カリスが作った《友好》《敵対》《中立》の三種類に分けられた貴族家門のリストを横に置き、それを参照しながら仕分けするのがアナイスの日課になっている。
最初はカリスが「自分が処理する」と引き受けてくれたのだが、あまりにも量が多く、常に仕事を抱える彼に負担をかけまいとアナイスが自分でやることにしたのだ。
仕分けを終え、返事を書こうとして便箋を取り出したところで――
「あら、もう便箋が終わってしまったみたいね」
リセが苦笑しながら頷く。
「ここ数日でたくさんお手紙を書かれましたからね。」
二人で顔を見合わせて苦笑いをした後、リセが立ち上がる。
「新しい便箋を買ってまいります」
「私も一緒に行こうかな」
アナイスはペンを置き、伸びをしながら言った。
食事の時間以外、ほとんど部屋に籠もって手紙を書き続けていた数日間。
本音を言えば、外の空気を胸いっぱい吸いたかった。
幸い、セルディアンからは「護衛をつけること」を条件に街への外出を許されている。
リセは嬉しそうに笑った。
「では、準備してまいりますね」
そう言って部屋を出ていく。
アナイスが窓の外へ目を向けると、空一面にどんよりとした雲が広がっていた。
晴天が続いていたが、ここは北部。
冬の足音が近づく今、雪が降り出してもおかしくない。
「少し暖かくして行かなきゃ」
そう呟きながら、アナイスは外出の準備のために立ち上がった。
………
リセとアナイスは邸から馬車でほど近い街に到着した。
今日の護衛はエメルダだ。
普段はアナイスと関わることを避けている彼女が、珍しく自ら名乗り出てきたのだ。
街を歩けば、宣誓式の噂を耳にした領民たちが次々と声をかけてくる。
「おめでとうございます、公爵様の花嫁さん!」
恥ずかしさで頬が熱くなるが、気さくに接してくれる人々が嬉しくて、アナイスも自然と笑顔になる。
「ありがとうございます」
柔らかな返事に、周囲まで温かくなるようだった。
やがて文具店に辿り着き、店内を見て回る。
色とりどりのレターセットを抱えたリセが、嬉しそうに振り返った。
「アナイス様、人気者ですね!」
「うーん……ルヴァルティエ家の名前のおかげじゃないかしら?」
「そんなことありませんよ!旦那様が美しい花嫁を迎え入れたって、皆誇らしそうに話してました。
そんなアナイス様にお仕えできて、私は幸せ者です」
リセの目はきらきらと輝き、真っ直ぐにアナイスを見つめる。
「ありがとう。私も、リセがそばにいてくれて幸せ者よ」
アナイスが微笑むと、店主が穏やかな声で話に加わった。
「そう言ってくれる主に出会えることは、なかなかありませんよ。良い方を迎えましたな、ルヴァルティエ公爵家も安泰でしょう」
長い髭を撫でながら嬉しそうに笑う店主に、リセがいたずらっぽく言う。
「ふふっ!アナイス様のファンがまた増えましたね!」
三人の笑い声が店内に広がり、和やかな時間が流れた。
買い物を終えて外に出ると――
扉の外で待っているはずのエメルダの姿がない。
「あれ? エメルダさん、どこに行ったのかしら?」
リセは辺りをきょろきょろと見回す。
「私、少し探してきますね! 店内で待っていてください!」
そう告げると、リセは駆け出して行った。
アナイスの胸に不安が広がる。
「大丈夫かしら……」
店主が椅子を勧めながら言った。
「この辺りは治安も悪くありません。すぐ戻られますよ」
しかし――いつまで経っても二人は戻ってこなかった。
空は今にも雪が降りそうな、暗い色をしている。
アナイスは決意を固め、店主に告げる。
「様子を見てきます。ルヴァルティエ家に知らせを送ってください」
店主は真剣な顔で頷いた。
「くれぐれもお気をつけて」
アナイスはコートのフードを深く被り、人混みの中へ歩み出る。
どこを探してもリセの姿は見えない。
初めて歩く街――遠くへ行くべきではないと分かっていても、胸騒ぎが足を止めなかった。
そのとき――
微かな悲鳴。
アナイスは胸を掴まれたような気持ちで、音のした路地へ駆け出した。
裏路地を走り抜け、行き着いた場所には――
三人の男に囲まれたリセの姿。
「こんなところまで連れてきて……なんなんですか!」
「お前、公爵家の使用人だろう? 公爵様には、ちぃとばかり“恩”があってなぁ」
男のひとりがリセの腕を乱暴に掴む。
リセが痛みに顔を歪める。
「やめなさい!」
思わず声を張り上げると、男たちが同時に振り向いた。
「あぁ?」
アナイスを頭からつま先まで舐めるように見回し、下卑た笑みを浮かべる。
「なんだ、立派な身なりじゃねぇか。どこぞの貴族か?」
「おい、噂の公爵の花嫁様じゃねぇのか?」
囃し立てる声に、リセが必死に首を振る。
身分を明かすなという合図。
だがアナイスは一歩前へ出た。
背筋を伸ばし、毅然と告げる。
「ええ。私が、公爵様の婚約者――アナイス・セリオンです」
三人の目がぎらりと光り、空気が一気に凍りつく。
「公爵様に“恩”があるのなら、そこのメイドより私のほうが価値があるのでは? それとも――ルヴァルティエの名が怖くて、貴族には手も出せないのかしら?」
アナイスはリセから注意を逸らすよう、挑発めいた微笑を浮かべた。
「なんだと!!」
一人の男が怒りに任せて拳を振り上げる。
アナイスは軽やかに身をひねり、それを避けた。
「弱い者にしか吠えられないなんて、恥ずかしいことですよ」
なおも冷静に挑発するアナイス。
「このアマが……!」
別の男が殴りかかるが、それもひらりとかわす。
「まあ!ご自身が弱いから吠えるしかできなかったのですね」
アナイスは余裕の笑みを崩さぬまま、言葉でさらに煽る。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ……!」
苛立ちで動きが荒くなる男たちがアナイスを捕まえようと手を伸ばす。
アナイスはそれを軽くかわし、勢い余った男は積まれた木箱に派手な音を立てながら突っ込んだ。
(これだけ騒ぎが大きくなれば、誰かが気付いてくれるはず……!)
表情は微笑みを装いながらも、アナイスの心は必死だった。
ウィルに叩き込まれた、生き抜くための術――
力で勝てないときは相手に隙を作らせる。
興奮すればするほど、人は雑になり、隙が増える。
『アナ、ピンチの時こそ笑え。』
その教えを何度も心の中で繰り返しながら、アナイスは男たちの注意を引きつけ続けた。
リセだけでも逃げられるように、少しでも時間を稼ぐために。
「ちょろちょろ逃げ回りやがって!!」
ひとりの男が懐からナイフを抜き、アナイスへ突進する。
「アナイス様!!」
リセの叫びが響き、アナイスは覚悟して目をつぶる――その瞬間。
――ドンッ!!
鋭い音とともに、ナイフを持った男の身体が横へ吹き飛んだ。
目を開けると、アナイスの前に立ち、剣を構えるランスがいた。
「ランス卿……!」
胸をなで下ろしながらアナイスが名を呼ぶ。
「アナイス様、遅くなり申し訳ありません」
ランスは男たらから目を離さず、短く言う。
アナイスは彼に任せ、急いでリセのもとへ駆け寄った。
リセは涙を浮かべ、「アナイス様、申し訳ありません……!」と震える声で謝る。
アナイスはそっと抱き寄せ、背中を撫でて落ち着かせた。
「あなたが謝る必要なんて、どこにもないわ」
その間にランスはあっという間に三人の男をねじ伏せ、縄で縛り上げる。
終わるとすぐアナイスに駆け寄り、心配そうに尋ねた。
「アナイス様、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫です。でも、リセが……」
「だ、大丈夫です!!」
リセは頑張って笑おうとするが、痛みで顔が歪む。
「我慢しないで」
アナイスにそう言われ、リセはしゅんとしながら「……はい」とうなずく。
やがて知らせを受けたルヴァルティエ家の騎士たちが到着し、男たちを連行していった。
リセは治療のため騎士たちに託され、アナイスはランスと共に馬車へ戻る。
「ランス卿は、どうしてここに?」
アナイスは不思議そうに尋ねた。
「実は……エメルダが護衛に名乗り出たと聞いて。少し嫌な予感がして、街へ様子を見に来たんです。そこで文具店の店主と会い、事情を聞いて探し回っていました」
「そうだったのですね」
「到着が遅れてしまい……本当に申し訳ありません」
ランスは深く頭を下げる。
アナイスは慌てて首を振った。
「頭を上げてください! ランス卿が来てくださらなければ、大怪我をしていました。本当に……助けてくださって、ありがとうございます」
アナイスが柔らかく微笑むと――
ランスは一瞬、泣き出しそうなほど安堵した表情を浮かべた。
そして、そっと問いかける。
「ところで……エメルダは?」
「それが……」
アナイスは、文具店を出た後にエメルダの姿が忽然と消えていたこと、その後どれだけ探しても見当たらなかったことを静かに説明した。
聞いているうちに、ランスの表情はみるみる険しくなっていく。
普段は明るく気さくな青年の顔が、怒りで引き締まっていくのが分かった。
「護衛が持ち場を離れるなんて、あり得ない……」
低く呟いたランスは、そのまま側に控えていた騎士に声を掛けた。
「エメルダの姿を見たか?」
声を掛けられた騎士は、特に気にした様子もなく答える。
「え? エメルダなら訓練場に居たぞ?」
「なんだって?!」
その返答に、ランスの瞳が怒りで燃え上がった。
今にも走り出しそうな勢いで身を翻しかけたところを、アナイスがそっと腕を掴む。
「ランス卿。とにかく、邸に戻りましょう」
落ち着いた声だったが、その瞳にはランス以上の怒りが宿っていた。




