幕間Ⅷ
夜。アナイスはセルディアンと共に、公爵邸の執務室にいた。
二人が並んで腰掛けるソファの前には、ルヴァルティエ家執事長――バルナール・フォルクナーが穏やかに立っていた。
白髪の老執事は柔らかく微笑むと、深く一礼する。
「して、私にお尋ねになりたいこととは、何でございましょうか?」
邸に戻るなり、アナイスの疑問を聞くため、セルディアンがすぐバルナールを呼び寄せたのだった。
アナイスは少し緊張した面持ちで口を開く。
「その…両親は亡くなる直前、私をルヴァルティエ家へ預けようとしていました。それが、どうしてなのかを知りたくて…」
バルナールはにこやかに頷き、ゆっくりと語り始める。
「先代公爵様とセリオン侯爵様は、古くからのご友人でいらっしゃいました」
「そんな話、聞いたことがないが?」
セルディアンが眉を寄せる。
「それも無理はございません。……当時のルヴァルティエ家とセリオン家は“帝国の双剣”と呼ばれておりました。しかし……」
バルナールは少し苦笑する。
「セリオン家は“皇族も国民の一人”とし、皇族ではなく国民に忠誠を誓う家門。一方ルヴァルティエ家は――皇室に反旗を翻すことはないまでも、皇室の意向に従順とは言い難い家でございましたからな」
「つまり、強い家同士が結びつくのを皇室が警戒していた、というわけか」
「ええ。……皇室への思いはあれど、無意味な摩擦は避けたいと、お二方は考えておられました。そのため、家を行き来する際は商人や職人のふりをして、対外的には偽装しておられたのです」
セルディアンは目を丸くした。
「あの父上が? ……想像できないな」
「先代公爵様は意外と、遊び心に富んだ御方でございましたよ」
バルナールは楽しげに目を細める。
アナイスが続けて尋ねる。
「お父様たちのご友人関係は……長く続いていたのですか?」
「ええ。アカデミーで知り合われてから、ご結婚の後まで。互いの結婚式にも、こっそり参列しておられましたな」
「結婚式まで隠す必要があったのか?」
セルディアンが疑問を口にする。
「ほっほっほ。あれはただのお二人の“悪ふざけ”、なのでしょう。そもそもお二方とも、皇室の目など気にする方ではございませんでした」
アナイスは亡き父を思い出す。
いつも優しく、けれど剣の稽古だけはとても厳しかった――そんな姿が胸の奥に蘇る。
バルナールは静かにアナイスを見つめ、やわらかく告げた。
「セルディアン様とアナイス様。実は、お二方は以前お会いになっておりますよ」
「えっ?!」
アナイスは驚きの声を上げた。
セルディアンも心当たりがないらしく、わずかに眉を寄せる。
バルナールは懐かしそうに語り出した。
「――あれは、十七年ほど前でしたか」
アナイスは四歳、セルディアンは九歳。
記憶があってもおかしくはない年齢だが、二人とも首をかしげる。
「ご結婚後は主に書簡でやりとりされておりましたが、その時は久方ぶりにセリオン侯爵様が“商人の姿”で公爵家を訪ねられました。馬車の荷台にはアナイス様と……リュシウス様がご一緒で」
「お兄様……」
その名にアナイスの瞳がふっと陰る。
――アナイスの兄、リュシウス。いまだ行方は知れない。
バルナールは続けた。
「ほんの数時間でしたが、セルディアン様とダリアン様、アナイス様とリュシウス様は、それぞれ一緒に過ごされたのです」
その言葉に――セルディアンの脳裏で、一つの記憶が唐突に開いた。
――夏の日の光景。
………
アカデミーの休暇。
兄・ダリアンと一緒に帰省していたある朝、父が紹介してくれたのは、口数の少ない少年と――興味津々で庭を見回す小さな少女。
少年と兄はすぐ意気投合し、どこかへ走り去ってしまい、残されたのはセルディアンと少女だけ。
幼いセルディアンはどう接してよいかわからず固まったが、少女はまるで気にした様子もなく、彼の手を引き、庭の花を指差し次々と質問を浴びせた。
兄と違い無愛想で、同級生に怖がられ遠巻きに見られる事が多かったセルディアン。
だが、この少女だけはまっすぐ笑いかけてくる。
花の名もわからず困った彼は、図鑑を持ち出し、少女と一緒に庭を端から端まで回って調べた。
――陽が落ち、少女の父が迎えに来るまで。
………
(……そうだ。あの時、花言葉を初めて知ったんだったな)
セルディアンはゆっくりアナイスへ視線を向ける。
アナイスは小首を傾げ、不思議そうに見返してきた。
重なる面影に、思わず口元がほころぶ。
「君は、子どもの頃から変わらないんだな」
「なんだか、含みがある言い方ですね」
意味ありげな物言いに、アナイスはむくれたように口を尖らせる。
セルディアンは堪えきれず、声を上げて笑った。
そのやり取りを、バルナールは目を細めて見守る。
――手を繋ぎ、庭を歩いていた少年と少女。
――穏やかに微笑みながら見守る、二人の父。
『なあ、あの二人が“結婚したい”と言い出したらどうする?』
『……婿に来るなら考えてやる』
そんな冗談を言い合っていた、あの幸せな光景。
もう二度と見ることは叶わないと思うと、胸に少し痛みが走る。
だが――。
(……そう遠くない未来、またこの家に温かい花が咲くのでしょうな)
バルナールは静かに目尻を下げ、微笑んだ。




