23話
宣誓式当日。
“中央神殿”とは名ばかりで、実際には帝国の北と東の境に位置する巨大な神殿。
今日は、あのルヴァルティエ公爵家とセリオン侯爵家の宣誓式とあって、周囲は大勢の貴族と平民で埋め尽くされていた。
アナイスは控室で支度を整えていた。
身に纏うのは、薄い銀色のシンプルなドレス。
純白は結婚式で着る色――宣誓式では家門の色を象徴するドレスを着用するのが習わしだ。
胸元には、深紅のルビーのネックレスが輝いている。
支度を手伝っていたメイドたちは、完成したアナイスの姿に思わず息を呑む。
「アナイス様……本当にお美しいです!」
リセが感嘆の声を漏らし、他のメイドたちも目を輝かせながら続く。
「今は廃れてしまった宣誓式を行うなんて……旦那様って意外とロマンチックなんですね!」
「女神様の前で結婚を約束する儀式……昔は女性の憧れでしたからね」
若いメイドたちはきゃあきゃあと盛り上がる。
「これをきっかけに、また宣誓式が流行るかもしれませんね!」
だが、セルディアンがこの式を“見せつけのために”行うと知っているアナイスは、苦笑で応えるしかなかった。
やがて時間となり、アナイスは控室を後にする。
扉の前には、護衛としてルヴァルティエ家の騎士が二名控えていた。
ひとりは若い騎士、ランス・ブレナー。
セリオン家に向けられていた不名誉な噂を信じず、光馬騎士団に憧れ、実力で騎士となった人物だ。
自ら志願してアナイスの護衛に就いている。
もうひとりは女騎士のエメルダ。
かつて、アナイスに対しあからさまな敵意を向けていた騎士である。
アナイスはあえて彼女を指名した。
行動を共にすれば、誤解もいつか溶ける――そんな淡い期待を抱いて。
だが、今日のエメルダの視線は、いつにも増して鋭い。
(……はぁ。)
アナイスは心の中で小さくため息をつき、二人を従えて会場となる聖堂へと向かうのだった。
………
聖堂の扉の前には、黒い礼服に身を包んだセルディアンが立っていた。
いつもよりきちんと整えられた黒髪が、窓からの光を受けて静かに輝く。
彼の礼服には、アナイスのドレスと同じ模様の刺繍が施されていた。
一目見て、揃いで仕立てたものだと分かる。
ふと目が止まったのは、セルディアンの袖口――
そこには、アナイスの瞳の色をした宝石のカフスが留められていた。
あの宝石店で、彼がそっと購入していたものだ。
「それ……」
思わずアナイスが呟くと、セルディアンはわずかに視線をそらしながら言う。
「互いの瞳の色を身につけていれば……“それらしく”見えるだろ。」
あくまで周りに“愛しあう恋人同士”と見せつける為だ、と主張する。
だが、アナイスの視線から隠すように頭を掻くその仕草は、いつもの冷静沈着な公爵らしくなかった。
しかし、アナイスはその変化に気づかず――
ただくすりと笑って言う。
「……確かに、そうですね」
そんなやり取りの最中、神官見習いが控えめに近づき、式の開始を告げた。
セルディアンはアナイスに手を差し出す。
「行こうか。――婚約者殿?」
アナイスはその手を見つめ、やわらかく笑みを浮かべてそっと重ねる。
胸に宿す自らの信念を抱いて、一歩前へ。
その隣にセルディアンがいる――それだけで、アナイスの心に静かな安心が生まれた。
気づけば、繋いだ手に力を込めていた。
セルディアンは一瞬だけ目を見開き、続いて微かに笑みを返す。
そして、アナイスの手を優しく包み返した。
………
聖堂へ足を踏み入れた瞬間、アナイスは息を呑んだ。
そこには、数え切れないほどの参列者が集まっていた。
多くはルヴァルティエ公爵家と良好な関係を結ぶ家門の者たちで、
ようやく公爵家当主が伴侶を迎えるその兆しに、安堵と期待の色を隠せない。
わずかに、皇室と近しい家門の貴族たちも姿を見せていた。
その視線は――探るようで、警戒するようで、どこか冷ややかだ。
名門ルヴァルティエ。
その名の重さを改めて実感し、アナイスの指先がかすかに震える。
すると、横を歩くセルディアンが、絡めた手の指でそっとアナイスの指先を撫でた。
落ち着かせるように――まるで、「大丈夫だ」と言うように。
(手……まだ繋いだままだったのね)
セルディアンの横顔に視線を向ける。
彼は堂々と前を見据えていたが、アナイスの視線に気づいたのだろう。
ちらりと横目を向け、低く囁く。
「胸を張れ、セリオン侯爵令嬢。
この場で、君の上に立てる者などいない」
“セリオン侯爵令嬢”
そう――今日ここに立つのは、セリオンの名誉を取り戻すため。
(私が気後れしてどうするの)
アナイスは姿勢を正し、さりげなく口元を上げて囁き返す。
「なら、公爵様も私の“上”には立てませんね?」
その挑むような笑みに、セルディアンは満足げに目を細めた。
「狼に羽はないからな」
ふたりが小さく笑い合い、自然と顔を寄せ合う。
その仲睦まじい様子に参列者たちは、驚愕、羨望、感心、嫉妬……
三者三様の反応を示した。
そんな様々な思惑の中、宣誓式は粛々と進んでいく。
結婚式と違い誓いの言葉も、神官の祝詞もない。
ただ互いの名を宣誓書に記せば、それで終わる――そのはずだった。
アナイスが名前を書き終え、隣のセルディアンを見た瞬間。
彼は突然、アナイスの前に跪いた。
「こ、公爵様?!」
驚くアナイスを見上げ、セルディアンは懐からビロードの箱を取り出す。
蓋が静かに開き――
そこには、いつの日かに行った宝石店で買ったルビーとダイアモンドがあしらわれた指輪。
「アナイス・セリオン侯爵令嬢。
私と結婚していただけますか」
知らされていないセルディアンの行動にアナイスは驚くが、なんとか小さく頷くことができた。
セルディアンはその左手を取り、薬指に指輪をそっと嵌める。
今度こそ、ぴたりと収まった。
立ち上がったセルディアンは、アナイスを抱き寄せ、観衆を見渡しながら高らかに告げた。
「セルディアン・ルヴァルティエは、アナイス・セリオンと結婚すると、女神に約束しよう!」
“女神に約束する”と言いながら、聖堂に鎮座する女神像に堂々と背を向け、宣誓している。
「公爵様、女神様は後ろにいらっしゃいますよ?」
アナイスが小声で呟くと、セルディアンは何事もない顔で答えた。
「“神”がそんな細かい事気にするか」
まったく……と思いながらも、顔が緩むのは
彼の腕の中が案外居心地がいいからかもしれない、と思うアナイスだった。




