22話
応接室へ案内されると、ウィルは到着するなりソファへどかりと腰を落とした。
「どうせ俺のことを調べるつもりなんだろ? 手間を省かせてやるよ」
組んだ足を揺らしながら、ウィルは気怠げに言った。
「名前はウィリアム・カーター。……お察しの通り、カーター伯爵家の血は流れてるが、姓はずっと昔に捨てた。今の俺はただのウィルで、フクロウの目が家族ってわけだ。」
アナイスはチラリとセルディアンを伺い、それから静かに問いかける。
「ウィルは、どうしてここへ?」
ウィルは短くため息を吐いた。
「アナの手紙を読んで蛇を追って帝都に向かったら、お前がルヴァルティエ公爵と婚約だって帝都中が大騒ぎだ。……来るなって方が無理あるだろ」
その言葉にセルディアンは、どこか満足げに目を細めた。
「効果はあったな」
「えっ……」
アナイスは頬を熱くする。
セルディアンと仕立て屋、宝石店に行ったあの日のこと。
あの騒動が帝都中に広まっているなど、知る由もなかった。
二人のやり取りに、ウィルは眉間に皺を寄せて身を乗り出した。
「……どういうことか、説明してもらおうか?」
セルディアンは、黙って控えていた使用人に下がるよう指示を出し、部屋が静まり返ったところで口を開いた。
アナイスが単身ルヴァルティエ家へやって来たこと。
二人が交わした契約の内容。
偽りなく、全てを話す。
話し終えたセルディアンは、アナイスの方へ視線を向け、小さく笑った。
「それにしても……突然単身乗り込んでくるあたりは、父親譲りだったんだな?」
「ははは…。」
アナイスは苦笑いで答えながら、内心驚いていた。
ウィルに、ここまで包み隠さず話すとは思わなかった。
もちろん、アナイスはウィルに隠し事をせずに済んで安心したのだが。
そんなアナイスに気づいたセルディアンは、肩を小さくすくめた。
「君なら、親と子の間に秘密がない方がいいと言うだろ?」
「……はい」
胸の内で優しい温かさが広がっていく。
アナイスの頬に、自然と笑みが浮かんだ。
だが一方で、ウィルは面白くなさそうに二人を睨んでいた。
「話は分かった。……だが、俺は納得してないぞ」
「ウィル…。公爵様、少し二人で話してもいいですか?」
アナイスの申し出に、セルディアンは短く頷いた。
「いいだろう」
そう言うと、控えていたカリスとバルナールを連れ、静かに部屋を後にする。
扉が閉まり、応接室にはウィルとアナイスだけが残った。
先に口を開いたのは、ウィルだった。
「……昔、セリオン家から連れ出そうとした時も言ったが……俺はセリオン家がどうなろうと、どうでもいいんだ」
アナイスの瞳を真正面から見つめ、ウィルは言葉を続けた。
「俺には、お前の幸せが一番だからな」
――幼い頃。
ドーラ一家に虐げられていたアナイスに、行商人として訪れていたウィルは気づいた。
食べ物を与え、本を持ち込み、密かに話し相手になってくれた。
ある日、ウィルはアナイスを連れ出そうとした。
“世界は広い。こんな場所にとどまらなくていい”と。
差し出された手は、幼いアナイスには眩しいほどだった。
けれどアナイスは――
(……私は、セリオン家を取り戻したかった)
目標がなければ、とっくに心が折れていた。
両親を失い、孤独な日々でも。
兄と、騎士団と、領民たちと笑い合う未来を夢見れば、前を向けた。
だからアナイスは、ウィルの手を取らなかった。
それでもウィルは怒らず、寂しげに笑い、アナイスの意志を尊重した。
それから彼は、アナイスに“生きる術”を教え続けた。
世界の理、人の動かし方、剣の扱い――そんな中で、“フクロウの目”が生まれた。
アナイスは、そっとウィルの目を覗き込み、微笑んだ。
「ウィル……私、今、幸せだよ」
言葉にした瞬間、胸の奥から湧き上がる温かさが全身を満たした。
不安と緊張で訪れたルヴァルティエ家。
優しく迎えてくれた使用人たち。
純粋に慕ってくれるノエラン。
そして――
皮肉屋で、人を試したりからかったりするくせに、誰よりも誠実で不器用で。
アナイスを尊重し、信じてくれるセルディアン。
笑う日が増えた。
安らぐ日が増えた。
一緒にいたいと思う人たちが増えた。
ひとりで背負ってきた使命を、安心して預けられる相手ができた。
(これを幸せと呼ばずして、なんと呼ぶのだろう)
「……そうか」
ウィルがぽつりと呟いた。
その横顔は、いつかアナイスが差し出された手を取らなかった、あの日の寂しげな笑顔と――よく似ていた。
………
ウィルとアナイスの話がひと段落した頃、控えていたセルディアンたちが応接室へ戻ってきた。
先ほどと同じように向かい合って座ると、ウィルは無造作に鞄を漁り、分厚い書類の束を取り出した。
「取りあえず、今のところ集められたカースヴェル家の情報だ」
差し出された書類を受け取り、セルディアンとアナイスは並んで覗き込む。
そこには――
カースヴェル家の家族構成、使用人の出入り、屋敷を訪れた人間の記録、そしてここ数年の金の流れまで、詳細に記されていた。
ページをめくっていた二人の視線が、ある一点で止まる。
――“ベルベ商会”。
数年前から突如として現れた名前。
しかも、他の取引先とは比べものにならないほど高額な金が動いている。
「ベルベ商会なんて……聞いたことがありませんね」
アナイスが怪訝そうに眉をひそめる。
「ああ。新興の商会だとしても、侯爵家とこれだけ取引していれば名前くらい出回っているはずだ」
セルディアンも短く頷いた。
二人は同時にウィルへ視線を向ける。
「お察しの通り、恐らく“ゴースト”だ」
“ゴースト”――
名前だけ商会連盟に登録された、実体のない商団を指す俗称。
セルディアンは顎に指を当て、書類をじっと見つめる。
「これだけ金が動くとなれば……マネーロンダリングか」
「恐らくな」
ウィルはにやりと笑い、別の紙束を差し出した。
「面白いことに、あんたが“例の伯爵家の秘密の遊技場”を摘発した直後から、ベルベ商会の金の流れが急に増えてるんだ」
セルディアンも、同じように笑みを深める。
「……馬番の始末を頼んできたあいつらか」
アナイスはその会話に思い至る。
ルヴァルティエ家にやってきた時、フクロウの目の実力を示すため自分が提出した情報――
違法賭博場を運営していた伯爵と、そこに癒着していた貴族たちが一斉に捕まった。
その後の調べで、横領や詐欺行為。
人身売買の取引まで余罪が明らかになり、現在も調べが続いているという。
帝国中が注目する大事件。
そしてその直後に、不自然な大金の動き。
「伯爵……あるいは捕まった貴族の誰かと繋がっている、と考えるのが妥当ですね」
アナイスが静かに呟く。
「これでよくも、ルヴァルティエ家を訴えられたものですね」
背後に控えていたカリスが呆れたように言う。
「二度と噛み付いてこられないように、徹底的に潰してやるさ」
セルディアンは淡々と、しかし冷ややかな声音で言った。
その表情はまさしく“冷酷無慈悲の黒き狼”と呼ばれる男のもの。
――怖い、よりも頼もしい。
アナイスは思わず小さく笑う
(……私もルヴァルティエ家に染まってきたのかしら)
ウィルは軽く咳払いをして立ち上がる。
「調べてる途中でここに来たからな。どこの家門と繋がってるか、もう少し探ってみるさ」
その背中に、アナイスは慌てて声をかけた。
「ウィル! えっと……来週、中央神殿で宣誓式をするのだけれど……ウィルも来てくれる?」
ウィルは頭をがしがしと掻きながら、気恥ずかしそうに笑う。
「堅っ苦しいのは苦手なんだよ。……まあ、娘の晴れ舞台は見逃せないよな」
アナイスがぱっと安心した表情を見せると、ウィルは穏やかな眼差しでその頭を軽く撫でた。
「公爵が嫌になったら、いつでも逃げてこい。違約金ぐらい、俺が払ってやる」
「ちょ、ちょっとウィル!」
アナイスが慌てるより早く、ウィルは片手を振って応接室を出ていった。
扉が閉まったあとも、彼の残した温かさだけが、部屋に静かに漂っていた。




