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フクロウ令嬢と狼公爵  作者: おはよう


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15話


アナイスが執務室に入ると、セルディアンは窓のそばに立っていた。


朝の光を背に受け、黒髪が淡く輝いている。

無造作に立っているだけなのに、絵画のように見えた。


(……何をしていても、絵になる人ね)


思わず、そんな感想が胸をよぎる。


セルディアンは振り返り、短く言った。


「それで――答えは決まったか?」


朝の挨拶もなく、用件だけを問う。


アナイスは赤い瞳をまっすぐに見つめ、「……はい」と答えた。

小さく息を吸い、言葉を続ける。


「ノエラン様が、私を母と認めてくださるのなら……先日のお話、お受けいたします」


室内に静寂が落ちた。

セルディアンはしばし無言のままアナイスを見つめ、やがて背後のカリスに目配せする。


それを合図に、カリスは恭しく一礼して退室した。

ほどなくして、ノエランを連れて戻ってくる。


扉が開く音とともに、小さな足音が響いた。

緊張した面持ちのノエランが、セルディアンの前に立つ。


「ご、ご挨拶申し上げます、叔父上……」


「……ああ」


短く、硬い返答。


ノエランはちらりとアナイスの方を見る。

アナイスは微笑み、「おはようございます、ノエラン様」と優しく声をかけた。


ノエランの表情が少しほころぶ。


「アナイス様、おはようございます」


二人のやり取りを見ていたセルディアンが、静かに言葉を落とす。


「さて……ノエラン。このご令嬢が母親になるが、問題ないか?」


あまりに直接的な言い方に、アナイスは思わず息をのんだ。


「公爵様、失礼ですが――そんな言い方では……」


たしなめようとしたその瞬間、ノエランがぱっと顔を輝かせた。


「ほ、本当ですか?! アナイス様が、僕のお母様に?!」


そのはしゃぎぶりに、思わずアナイスも目を丸くする。

ノエランはすぐに我に返り、少し頬を赤らめて姿勢を正した。


「あ、あの……問題ありません」


けれど、その顔には隠しきれない喜びが滲んでいた。


セルディアンはわずかに口角を上げ、アナイスに視線を送る。


「……だ、そうだが?」


アナイスは喜ぶノエランの姿に胸が温かくなるのを感じながらも、

セルディアンの淡々とした態度に、どこかもやもやとしたものが残る。


それでも、姿勢を正し、慎ましく頭を下げた。


「……では、先日の件、慎んでお受けいたします」


わざと皮肉を込めた口調で。

アナイスは凛とした表情のまま、答えを告げた。



………


カリスがノエランを連れて執務室を出ていき、室内にはアナイスとセルディアンの二人だけが残った。


セルディアンは黙ったまま、顎に指を当てて何かを考えている。

その沈黙がやけに重く感じられ、アナイスは居心地の悪さに視線をさまよわせた。


(……カリス様、早く戻ってこないかしら)


内心で小さくため息をつく。


「ところで、令嬢」


低い声が静けさを破る。


「は、はい」


「君はノエランの意見を尊重すると言ったな」


「は、はい」


セルディアンはゆっくりと立ち上がり、アナイスの正面に歩み寄る。

気づけば、手を伸ばせば触れられそうなほど近い距離だった。


「君は?」


「え?」


問いの意味が掴めず、アナイスは瞬きをする。


「君は――私の“妻”になる。そのことについて、君自身の意見は?」


セルディアンは口の端をわずかに上げ、“妻”の一言をわざと強調した。


「っ……!」


その笑みがひどく蠱惑的で、アナイスの頬が一気に紅潮する。

言葉が喉につかえて出てこない。


そんな彼女の様子に、セルディアンは内心でわずかに驚いていた。

てっきり薄紫の瞳を吊り上げ、反論してくると思っていたのだ。

軽くからかうつもりだった――だが、今は妙に、その答えが気になった。


思わぬ空気に包まれ、アナイスは慌てて一歩後ろへ下がる。

咳払いを一つして、努めて落ち着いた声で言った。


「公爵様のつ……いえ、公爵様と婚姻を結ぶことは、合理的かと思います。セリオン家復興のためにお力添えをいただくことも、我がセリオン家がルヴァルティエ家と良好な関係を築くためにも、一番自然で、てっとり早い方法です」


まるで報告書を読み上げるような口調。

その様子に、セルディアンはなぜか胸の奥にざらつく違和感を覚えた。


面白くない――そう思った。


彼はゆっくりと距離を詰め、アナイスの顎に手を添える。


「君の気持ちは?」


アナイスは一層顔を赤らめ、視線を逸らす。


「わ、私も一貴族の娘です。いずれ時が来れば、どこかの家門と政略結婚をするものと考えておりました。ですから、婚姻における私の気持ちなど、考える必要はありません」


セルディアンの表情に、静かな苛立ちが宿る。

自分でも気づかぬうちに、声が低くなった。


「必要があれば答えるのだな? なら――答えろ」


その強い口調に、アナイスはムッと眉を寄せて反撃する。


「な、ならば! 公爵様こそお答えください! 公爵様は、この婚姻をどうお考えなのですか!」


セルディアンは片眉を上げ、口角をわずかに上げる。


「質問を質問で返すのは、ルール違反だ」


「な、なんのルールですか!それなら私は同意しておりませんので、違反にもなりません!」


勢いよく言い返すアナイス。

火花を散らすような二人のやり取りを――


いつの間にか戻って来たカリスの咳払いで中断される。


「……早速仲がよろしいようで大変喜ばしいことではございますが、話が長くなりそうなので、先に契約をまとめさせていただいても?」


いつ戻ってきたのか、まったく気づかなかった。

アナイスは顔を真っ赤にしてセルディアンから距離を取る。

セルディアンは、面白くなさそうに視線を逸らした。


そんな二人を見て、カリスは淡々と告げる。


「バルナール様にお茶を用意してもらった方がよさそうですね」


しばらくして運ばれてきたのは、カモミールティー。

心を鎮める香りが静かに広がる。

老執事の気配りに、カリスは小さく頷き、カップを手に取った。



………


執務室のソファに、アナイスとセルディアンは向かい合って座っていた。

二人の間の机には、契約書が置かれている。

セルディアンの傍らでは、カリスが控え、静かに様子を見守っていた。


アナイスは契約書を手に取り、思わず苦笑する。

――先ほど答えを出したばかりなのに、もう文書が完成している。


(私が拒否すると、思っていなかったのね。)


彼女は目を通しながら、静かに項目を追っていく。


――本契約は、甲セルディアン・ルヴァルティエと、乙アナイス・セリオンの間において締結されるものとする。

――両名は、契約の効力発効と同時に婚姻関係を結ぶこと。

――乙は、公爵家の女主人として家政および社交の務めを果たすものとする。必要に応じ、「フクロウの目」による協力を行うこと。

――甲は、乙の品位維持費を制限なく与え、セリオン家再興のための支援を惜しまぬこと。

――両名の間に子が生じた場合においても、公爵家後継者はノエラン・ルヴァルティエとする。

――以上、契約期間は三年。双方の合意により延長を可とする。




読み終えたアナイスは、眉間に皺を寄せながら頬を赤らめた。


「……あの、後継者についての項目は、必要ないのではないでしょうか? その……私と公爵様の間に、こ、子ができることなど……」


言い終える前に、顔が熱くなる。

カリスが淡々と答えた。


「何事も備えが肝心でございます。親権や後継問題は、泥沼になるのが世の常ですから。」


淡々としたその口調が、かえって恥ずかしさを増幅させる。

セルディアンはそんなアナイスの様子に、どこか満足そうな顔をしていた。


「う……分かりました……」


アナイスは小さくため息をつき、頷いた。


「では、一つだけ、付け加えていただきたいことがあります」


「はい、なんでしょう?」とカリス。


「もし、公爵様に――本当に結婚したい方が現れた場合、婚姻関係を解消できるようにしていただきたいのです」


――例え契約で結ばれた婚姻であっても、相手に想い人が居る中で続けるのは、悲劇でしかない。


その言葉に、セルディアンは眉をひそめた。


「君の目には、私が不貞を働くような男に見えるのか?」


「そういう意味ではありません。ただ……この結婚はあくまで契約の一部です。契約で心までは縛れませんから」


セルディアンは唇の端をわずかに吊り上げた。


「ほう? では君は、私より良い男が現れたら、そちらへ乗り換えると?」


「そ、そんなわけないじゃないですか!」


「契約で心までは縛れないのだろう?君だけが例外にはならないだろう」


「この帝国に、あなた以上に“良い男”がいるわけないでしょう!!」


――しまった。

言ってから、アナイスは自分の言葉に気づき、かぁっと顔を真っ赤にした。


(わ、私ってば……何を言ってるの……!?)


恐る恐るセルディアンを見ると、先ほどの不満げな表情は跡形もなく、今は満足そうにニヤニヤしている。


呆れ顔のカリスが咳払いを一つ。


「……では、“双方に想い人ができた場合”、婚姻関係を解消できる、という条項を加えましょう」


「必要ないと思うが、了承しよう」とセルディアン。


 アナイスは真っ赤な顔のまま「……おねがいします」と答えるのが精一杯だった。


細かな確認と修正を経て、契約書は完成した。

サインを交わす直前、アナイスがふと口を開く。


「公爵様、一つお願いがあります」


「なんだ?」


「……ノエラン様のことです」


「ノエラン?」


「はい。ノエラン様は、公爵様からの愛情を求めていらっしゃいます」


セルディアンの眉がわずかに動く。


「私が、ノエランを蔑ろにしていると?」


「いいえ、そうではなく……」


「では何が言いたい?」


「ノエラン様と過ごす時間を、もっと増やしていただきたいのです。食事を共にしたり、本を読んだり、どこかへ出かけたり……そういう“親子の時間”を」


沈黙が落ちる。

セルディアンはしばらく考えるように視線を落とした。

アナイスはそっと胸の中で願う。


(公爵様も、本当はノエラン様との時間を望んでいるはず……)


そして、低い声が返る。


「……善処しよう」


その一言に、アナイスはほっと息をついた。

セルディアンが筆を取り、自らの名を書き入れる。


――セルディアン・ルヴァルティエ


それを見届け、アナイスも静かにサインをした。


――アナイス・セリオン


インクが乾く音だけが静寂の中に響く。


――その日、二人の運命を繋ぐ契約が結ばれた。

それは形式的なものに過ぎなかったはずなのに、アナイスの胸の奥では、何かが確かに動き始めていた。



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