10話
セルディアンはソファの背もたれに身体を預け、優雅に足を組んだ。
「――それで? 改めて令嬢が何を望むか、聞こうか。」
アナイスは真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、静かに口を開く。
「セリオン家の復興。ドーラ家を追い出し、兄リュシウスを探すお力添えをいただきたいです。それから……」
言葉を区切り、アナイスは目を伏せた。
その横顔には、微かな哀しみの影が差していた。
「――両親の死の真相を、明らかにしたいのです。」
その言葉に、セルディアンの表情がわずかに険しくなる。
「侯爵夫妻は“事故死”と聞いたが?」
アナイスは膝の上で両手をぎゅっと握りしめ、再びまっすぐに彼を見据えた。
「はい。公にはそうなっていますが……」
「怪しい点があると?」
「はい。まず、両親は亡くなる直前、兄と騎士団を他国へ送っていました。そして両親の死の直後、まるで狙ったかのようにドーラ家が現れました。…今となっては――本当に“縁”があったのかも怪しい人たちです。」
アナイスの声は静かだが、奥に燃える決意の色があった。
セルディアンは何も言わず、じっと耳を傾けている。
「そして……“フクロウの目”を使って情報を集めたところ、両親の事故の捜索が、たった二日で終わった可能性が分かりました。」
その言葉に、セルディアンの表情がさらに険しさを増す。
側で控えるカリスも眉間に皺を寄せ、口を開いた。
「通常、貴族が関わる事故は帝国査察局が最低でも半月は時間をかけます。明らかに事故と分かる場合でも、です。
それを――侯爵家の事故を、二日で終わらせるなど……常識ではありえません。」
カリスの目は怒りと疑念で鋭く光る。
セルディアンは静かに問いかけた。
「なぜ、“可能性”なんだ?」
アナイスは息を整え、言葉を選ぶように答える。
「――それは、“何も残っていなかった”からです。」
「何も、とは?」
「…両親の事故に関する捜査資料は、十年前の火災で焼失していました。さらに当時、初動捜査にあたった保安局の捜査官たちは……誰一人として残っていません。」
セルディアンの瞳が鋭く光る。
「いない、だと?」
「ええ。もともと関わった人数も少なく、そのわずかな者たちすら、事件の後に消息を絶っています。ーー“フクロウの目”でも見つけられないほどに。」
“フクロウの目”――。
その名を知る者なら、彼らの情報網がどれほど広く、深いかを理解している。
その彼らでさえ追跡できないとなれば、結末は一つしかない。
カリスは低く呟く。
「その上……これほど不自然なことばかりなのに、それを“事故”として処理した法務局、ですか。」
執務室に重苦しい沈黙が落ちる。
暖炉の火が静かに揺れ、時計の針が音を立てて進む。
アナイスは静かに口を開いた。
「法務局や査察局にまで影響を及ぼせる人物は、そう多くありません。ですが――」
セルディアンが言葉を継ぐ。
「そう簡単に尻尾を掴むこともできない、か。」
アナイスは頷き、まっすぐに彼を見つめた。
「はい。ですので――ルヴァルティエ公爵様の力を、貸してほしいのです。」
その声は、決して泣き言でも懇願でもなかった。
一人の令嬢として、一つの家を背負う者の、確固たる“願い”だった。
………
セルディアンはしばし沈黙した後、アナイスに視線を向けた。
「令嬢。君は自身の信念のため、何ができる?」
その表情は、冗談ひとつない真剣なものだった。
アナイスは姿勢を正し、迷いのない声で答える。
「――全てを」
その言葉に、セルディアンの口元が僅かに吊り上がる。
「……良いだろう。君が望むもの、すべてを手に入れる支援を、我がルヴァルティエの名に賭けて約束する」
その瞬間、アナイスは俯き、ぎゅっと目を閉じた。
(……ようやく。ようやく、一歩近づけた)
そしてすぐに顔を上げ、真っ直ぐな瞳で言う。
「感謝いたします」
セルディアンは表情を変えぬまま、淡々と告げる。
「その代わり――セリオンの名と“フクロウの目”、そして君自身を存分に使わせてもらう」
「ええ、構いません」
その強い眼差しに、セルディアンは満足げな笑みを浮かべた。
彼はカリスに目配せをする。
それを受け、カリスは一枚の紙をアナイスに手渡した。
それは皺の寄った手紙――裁判所の刻印が押されている。
――《ノエラン・ルヴァルティエの親権に関する審理を執行する。セルディアン・ルヴァルティエ公爵は被告として出廷せよ。》
アナイスは視線を上げ、カリスに説明を求めた。
「ノエラン・ルヴァルティエ様は、公爵様の兄君――ダリアン様とマリエン様のご子息です。……ご夫妻の死後、公爵様の養子となり、今はご子息としてこの屋敷にお住まいです」
アナイスは小さく息を呑む。
ダリアン・ルヴァルティエ、マリエン・ルヴァルティエ――その名は知っている。
そして、二人が五年前に“事故死”したことも。
(……“事故死”。この数刻の間で、二度も出てくるなんて……ただの偶然とは思えない)
アナイスの思考を、セルディアンの沈黙が肯定していた。
(――やはり、公爵様も疑っているのね)
そんな二人の様子を横目に、カリスは淡々と続けた。
「公爵様が爵位を継がれ、ノエラン様を正式な後継者とされた直後、マリエン様のご実家――カースヴェル侯爵家が“親子関係の正当性”を疑い始めました。ノエラン様は母方の実家であるカースヴェル家で養育すべきだと」
「……何故ですか? 兄弟が子を引き取ることは不自然ではありません」
セルディアンは肩をすくめ、冷笑する。
「理由なんてどうでもいい。ノエランを手に入れ、ルヴァルティエを掌中に収めたいのだろう。……奴らにとっては、それだけの話だ」
カリスが続ける。
「これまでも何度か接触はありましたが、すべて問題なく処理できていました。……ですが今回は」
彼はアナイスの手にある手紙を一瞥した。
「訴えられた――ということですね」
アナイスの表情は険しさを帯びる。
「はい。未婚であるセルディアン様では子どもの養育に不十分であり、“父母の役割を果たせる夫妻”が揃うカースヴェル家が相応しい、と」
「……そんな理由で、”公爵家”を訴えることが?」
「おそらく、裏で糸を引く者がいるのでしょう。……ルヴァルティエの力に怯える誰かが」
ルヴァルティエの名を恐れる者は多い。
だがその力が大きいほど、守られるものもまた多い。
そして――ルヴァルティエの名を最も恐れているのは。
――皇室。
アナイスはひとつの答えに辿り着き、セルディアンを見つめた。
その視線を受け、彼はただ無言で肯定する。
「それで、私は何をすれば良いのでしょうか?」
アナイスの問いに、セルディアンは静かに答えた。
「私が未婚なのが問題だというのなら――その問題を取り除けばいい」
「?」とアナイスは首を傾げる。
セルディアンの口角がゆっくりと上がった。
「アナイス・セリオン侯爵令嬢――私の妻になれ。」




